おやすみ
後日、羊一と朝陽は本家に報告もかねて帰ることとなった。
エントランスの扉を開き、中に入った朝陽に続いて入ろうとした。
「あ……」
「どうしました、あさ──」
けれど羊一は、エントランスに踏み入れる前になぎ倒されることとなった。
「いってー…」
強打した頬を抑えつつ、羊一は起き上がろうとしたが無理だった。
「おかえり、羊一」
「……っ」
仁王立ちの絢斗が羊一を跨いでいたから。
「お前さぁ、僕に言うことあるよな?」
心も凍ってしまうほどの笑みを浮かべた絢斗に、羊一は血の気が引いていった。
「この大馬鹿者がーっ!」
隣の部屋で待機していた朝陽の耳に届いた羊一の父・玄一の怒号に、朝陽は飛び上がらんばかりだった。
ソファに浅く腰かけて、ソワソワと待っていた朝陽は、隣の部屋に向かおうとした。
「朝陽、座っていなさい」
しかしそれは、静かに制止された。
「……母様、でも、羊一は僕のために」
「えぇ、わかっています。わたくしたちも羊一にそれを課していましたから。けれど、ここまでのことをするとはわたくし達の考えが至っておりませんでした」
ふぅ、とため息をついて頭を悩ませている東雲家の奥方は、朝陽に自分の隣に呼び寄せた。
「いいですか、朝陽。羊一はお前のためなら何でもします。お前はいつも羊一の世話になっていると引け目を感じている。それでは羊一は御せません。絢斗のようにしろ、とまでは言いません。けれど今までのように弱腰であれば、羊一はまた勝手をするかもしれません、お前のために。それを避けるのであれば、お前も羊一の主として、自覚を持ちなさい。いいですね?」
「……はい」
小さく返事をした朝陽は、そのまま隣の部屋が開くのを待つこととなった。
(羊一と、話がしたい)
しかしそれが叶うのは、その夜のこととなった。
一方、その頃の羊一はというと、床に正座していた。
(えらいことになったもんだ…)
羊一の前には、怒りに震える玄一、冷めた目を寄越す凪、先ほどすでに一撃を食らわされた絢斗、そして──
「玄一、少し落ち着いて」
穏やかに奥に座しているのは、東雲家のご当主様だ。
「羊一」
「はい」
「君が朝陽のことを本当に大切にしてくれているのは、僕達も感謝してもしきれない。幼い頃からずっと、誰よりも朝陽に寄り添ってくれているのは君だから」
「──ご当主様」
「けれどね、今回のことはやりすぎだ。君の命を奪うことを、僕達は望んでいない」
「俺、いえ、私は死ぬわけでは──」
「でも二度と目覚めないなら、いなくなるも同じでしょう?」
「……」
立ち上がったご当主様は、羊一の前にしゃがんだ。
「君に、君ひとりで朝陽を担うように、僕達がしてしまっていたのだろう。本当に、すまない」
「そんな、そうじゃありません!私は私の意思で、望んでしたんです!」
頭を下げていたご当主様は、羊一に困惑と情けなさと優しさの混じったような笑みを向けた。
「玄一、蓋の力で羊一の石の力を解除することはできないだろうか?」
ご当主様に尋ねられた玄一は、視線を凪に向けた。
「──…できるとは、言えません。蓋に加え、術者を複数人集めればできるかもしれませんが、それでも可能かどうか…。兄上の魔力を凌駕するほどの力がなければ難しいかと」
凪の言葉に、一同眉をひそめた。
「朝陽は、何と言っている?」
部屋の奥に腕を組んで壁にもたれかかっていた絢斗が、厳しい目を羊一に向けた。
「朝陽は、非常に戸惑われていました。けれど今は、普段通りにされています」
羊一の答えに、考えるように目を閉じた絢斗は皆の前に進み出た。
「一旦、話し合いはここまでにしましょう。各自、解決策を探るように。羊一、お前もだぞ」
絢斗に見下ろされた羊一は、わかりましたと呟いてから、しっかりと絢斗に視線を向けた。
「でも俺、朝陽をひとり残すことになんか、絶対にしませんから」
羊一の真剣な視線に、絢斗がふっと抜けるような笑みを浮かべた。
「あぁ、そうだな」
ご当主の横にしゃがんだ絢斗の温和な笑みに、羊一もほっとした。
のは、束の間であった。
絢斗は羊一の顔を両手でつかみ、ぐっと己の方へと引いた。
「そう思っているなら、なぜ勝手なことをする?お前はどうして朝陽のことになるとそう突っ走るんだ。何度僕に叱られれば学習する?」
「あ、絢斗様…」
絢斗の後ろに怒れる獅子を見た羊一は、恐怖で動けなくなった。
やれやれと言ったように、他の3人は部屋を後にした。微かに凪が、兄上は本当に懲りないですねと言うのが聞こえた気がした。
「いいか、お前には仕置きが必要だ。せいぜい格好のつかない姿を朝陽に晒すといい」
「……ひっ」
怒れる絢斗を前に、羊一は首を縮こませた。
(誰もいない、よね)
こそこそと足を忍ばせてやってきたものの、会えるかどうか。
コンコン、とドアを小さく叩いた朝陽は、羊一の返事を待った。
(……いないのかな)
もしかするとさっきは小さすぎて聞こえなかったのかもしれないと、もう少しだけ強くドアを叩いた。
それでもなにも返事もなく、ドアに耳をつけても、何の音も聞こえなかった。
「羊一、いる?」
うっすらとドアを開いた朝陽は、中を覗いた。カーテンもせずに月明りが降り注ぐ部屋には、ベットサイドのライトだけ灯っていた。そしてそのベットの膨らみの中に、羊一はいるのだろう。
「羊一、入っても──」
「来ないでください」
朝陽が羊一に近づこうとしたが、羊一はベットに潜ったまま朝陽を制した。
こんなこと初めてで、朝陽はどうしようかとためらって足が進まない。
「朝陽、すみません。でも俺今日は本当にひどい面なので、見られたくないんです」
「兄さまに、殴られたから?」
「それも、ありますけど…」
しょぼくれた声でそう言う羊一は、それ以上は続けなかった。
ベットの横に立った朝陽は、布団の上から羊一を撫でた。
「痛い?大丈夫?なにか持ってこようか?」
「いえ、大丈夫です…本当に痛みはもう平気ですので…」
そう言いながらも羊一は一向にベットから出てこようとしない。
「羊一、少しだけそばにいるのも、だめ?」
朝陽の気遣う声に、そっと置かれた手に、羊一は羊一で葛藤していた。
けれど、朝陽に心配をかけるわけにはいけないと、腹を決めた。
「…朝陽、絶対に笑いませんか?」
「うん」
「絶対の絶対の絶対に?」
「うん」
笑ってしまうほど顔が腫れあがっているんだろうか。
そう思いながら羊一が出てくるのをじっと待っていた朝陽を、布団の隙間からしばらく窺っていた羊一であったが、ゆっくりと被っていた布団を払いのけた。
「……可愛いね」
顔を赤くした羊一の、その頭上に朝陽の目はくぎ付けになった。
羊一の頭には、くるくるとした丸い角が生えていた。
「絢斗様にやられたんです…」
羊一はベットの上に両手を付いた。
頭が下がっているからよく見える、羊一の耳の上あたりにある二つの角を、恐る恐る朝陽は指でつついた。
(本物の、羊の角みたい)
良くできているなぁとじっくり触っていると、泣きそうな顔の羊一が顔を上げた。
「朝陽、どうやってここまできたんですか?」
顔が赤いのは痛みによるものではなく、恥ずかしさのせいのようだ。
「通用口から来た」
「おひとりで?誰にも言わずに?」
「うん」
ふーっと額に指を当てた羊一は、襟の開いた寝間着姿で、角が生えているのも相まって幻想的でありながらも、艶めかしさが漂っている。
(……なんか、ドキドキする)
じっと羊一を見ていると、淡く緑の目が朝陽を向いた。
その瞳に誘われるように、朝陽はゆっくりと羊一に手を伸ばした。
「羊、僕今日は、一緒に寝てもいい?」
驚いた様子の羊一は、少し考えてから、朝陽の伸ばされた手を喜んで引き入れた。
「明日の朝、お送りしますからね」
「うん」
そう言いながら、羊一は自分の隣に朝陽を横たえた。
「……朝陽、あのときは緊急時のこととはいえ、許可なく無理やりすみませんでした」
しばらく黙っていた羊一であったが、魔力不足による発作の緊急対応のことを言っているのだろう。
いつも羊一自身から流れ出る魔力や、派生するもので朝陽に魔力を吸収させていた。ならば、羊一自身を捧げれば、朝陽に魔力を直に吸収させられるだろうと考えた。そしてそれが当を得ていた。
朝陽は、羊一の方へと体を向けた。
「びっくりしたけど、僕を助けようとしたことでしょ?謝らなくていいよ」
「ですが、……お嫌でしたよね。いくらなんでもあの方法は──」
羊一は己の唇に手を当て、思い煩うように言った。
「……嫌じゃなかったよ」
「え?」
ひどく驚いた顔をして、羊一は朝陽を見た。その羊一をまっすぐに、朝陽は見つめた。
「びっくりしたけど、嫌じゃなかった」
「朝陽──」
ためらうように、でもうかがうように羊一はゆっくりと朝陽に手を伸ばした。慎重に、慎重に、朝陽に触れた羊一は、そのまま朝陽を抱き寄せた。朝陽も自ら、羊一の方へと身を寄せた。
「羊のそばにいると、落ち着く」
羊一の腕の中にいる朝陽は、すり寄るように羊一の胸に顔を寄せた。
(でも、今日はちょっと、心臓がうるさい…)
今まではただ安心しているだけだったのに、心の中にざわめくものを朝陽は感じた。
それがいったいなんなのか、朝陽にはまだわからない。
対して自覚のある羊一は、大変なことになっていた。
(どうしよう、これ喜んでいいのかな⁉いいんだよね、朝陽が俺のこと嫌じゃないって!それってつまり俺にも可能性があるってことしかないわけで、もうどうしよう⁉落ち着け俺!)
ひとり悶々としつつ、自分の腕の中にいる朝陽は目を閉じて安心感の中にいるようだ。
(いやでも、ここで今なにかあったら絢斗様に今以上の罰を食らうことになることは目に見えて…でも、ちょっとだけ──)
己の欲に、羊一が負けた瞬間だった。
「あの、朝陽」
「なぁに?」
眠たげな眼で羊一を見上げた朝陽に、羊一は顔を近づけた。朝陽もそれを、拒まなかった。
「──っん…はぁ…」
朝陽が息苦しくないようにゆっくりと、もうこれ以上はと自制心いっぱいで、羊一は朝陽から顔を離した。
「……魔力供給です」
「……うん」
なんだか言い訳がましくそう言う羊一は、未練がましく朝陽の額にキスをした。
(なんだか羊の方が、困ってるみたい)
自分を見つめる羊一の、切なくも甘い熱のあるような視線から、朝陽は目が離せなかった。
羊一に腕枕されたまま、頭を撫でられるまま、朝陽はずっと羊一を見つめていた。
(……あ)
だから、気づいたのかもしれない。
「羊」
「はい」
そっと羊一の頬へと朝陽は顔を伸ばした。
(え────)
微かな感触ではあったが、確かに朝陽は羊一の頬にキスをした。
「おやすみ、僕の羊さん」
そうして朝陽は、羊一の腕の中で眠りについた。
朝陽はただ、羊一が絢斗に打たれ赤くなっているところに『おまじない』でキスをしただけだった。
けれど羊一からすれば、その破壊力たるや幾何か。
(寝れね―――――――――――――――!!!!!!!)
穏やかに羊一の腕の中で眠る朝陽とは対照的に、羊一は眠れぬ夜を明かすこととなった。
これで第1章はおしまいです。
ここまでお読みいただき、ありがとうございます!
次回からの第2章、お楽しみに




