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執事の羊くん  作者: 碧瀬まど
第1章

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君と僕

いったい、羊一は何を言ってるんだろうか。

朝陽は疑念を抱いた目つきを羊一に寄越した。


「これ、なにかわかりますか?」

「それ──」


羊一は首元からシルバーネックレスを取り出した。そこには、小さく光るものが見えた。


「朝陽のブレスレットと、対のネックレスです。これらがどういう力があるか、ご存知ですか?」

「魔除けと、持ち主の居場所を特定すること」


そうですね、と羊一は胸元にネックレスを光らせつつ、朝陽の前に(ひざまず)いた。そして朝陽の腕を取り、そっと袖を上げ、朝陽のブレスレットをあらわにした。


「加えて、相手の能力の一部を使用できること」

「え?」


顔を上げた羊一は、少し困り顔をしていた。


「てっきり、絢斗様からお聞きかと思っていました。お怒りでしたから」


そう言われて、朝陽も思い出すことがあった。


(確か、都で流行ってるって)


しばらくブレスレットを眺めていた朝陽であったが、返事を求めるように羊一に目をやった。

それに応えるように、羊一は話し始めた。


「もともとは、とある方が恋人の護身用に作られたことが始まりのようです。恋人が危険にさらされた際に、己の能力を秘めたこの魔法石が恋人の身を守るようにと」


朝陽が理解するのを待っているのだろうか。しばらくしても続きを話しださない羊一に朝陽が目を向けると、羊一はじっと朝陽を見つめていた。だから朝陽は続けていいと、羊一に伝えた。

そうすると羊一はなんとも言えない顔をして、それからふぅっと息を吐き、軽く首を振ってから口を開いた。


「だから、俺も同じようにもしもの場合に備えて、それを作ることを最初は考えました」

「……違うものを作ったってこと?」


力の抜けるような笑みを浮かべ、羊一は朝陽の顔に手をそえた。


「違うわけではありません。だた、追加したんです」


なにを、と問うように朝陽は首を傾げた。


(本当は、朝陽に言うつもりはなかったんだけどな)


けれどここで、本当のことを伝えなければ、朝陽はきっと羊一から離れていってしまう。


「一つは、石の力の流れを一方のみにしました。俺から朝陽にのみ力が行くように。主君である朝陽の力を仕え人である俺が使えるようにするのはよろしくありませんから」

「……うん」


少し納得のいかない表情をしつつ、朝陽は頷いた。

伝えれば朝陽がどういう反応をするか、羊一は予想していた。予想通りであることが、言いづらさになっていく。これから伝えることは、もっと朝陽を苦しめることになるかもしれないから。


(俺は朝陽に対して、ずっと自分勝手で自己満足を通していたのかもしれないな)


そんな思いを抱きながらも、二つ目は、と羊一は口に出した。


「継続的にこの石を伝って、俺の力を朝陽に注ぐことができるようにしました。これをつけている限り、この石は俺から力を吸収し、朝陽の石に俺の魔力を送ります。緊急時の応急処置にもならない程度ですが」

「待って」

「はい」


朝陽の声が震えているのが、わからない羊一ではなかった。


「羊、また勝手に、僕に内緒で、僕のために自分を犠牲にしたの?」

「……犠牲にしただなんて思ってませんよ。俺はただ、俺がしたいようにしただけです」


穏やかに、あやすような笑みを浮かべた羊一は、親指でそっと朝陽の頬を撫でた。

今ここであれこれ言っても仕方がない。まずは話を聞き終わろう。

そう思えるまでしばらく浅い息を繰り返していた朝陽は、深く息を吸って吐いてを繰り返し、なんとか平静なふりをし、続けるように羊一に言った。


「朝陽」

「なに?」

「俺が勝手なことをしたお怒りは、あとで受けます。だから、朝陽は自分のせいだなんて絶対に思わないでください」

「……」


緩やかな笑みを浮かべていた羊一だったが、羊一も緊張しているのだろう。

一息吐いた羊一は、重そうに口を開いた。


「最後の一つは、────」

「……え?今、なんて……?」


ちゃんと聞いていた。けれど、わからなかった。いや、そうじゃないと思いたくて、朝陽は羊一に聞き返した。

羊一はもう一度、言った。


「俺に最悪の事態が起きたら、石が俺の力をすべて吸収し、俺の力のすべてが朝陽に渡ります」


これが、羊一が魔法石を作った一番大きな理由だ。

羊一はいつまでも朝陽のそばにいるつもりだ。けど万が一、自分に何かあった際、朝陽はどうなる──本家でご当主様の保護下で健やかに過ごせればいい。けれどそうじゃない要因を、まだ羊一は取り払えてはいなかった。


「朝陽、俺は──」

「外して」


朝陽は自分の顔に優しく触れていたその手を振り払い、羊一の首元に手を当てた。


「早く、これも外して、そんな力破棄して!」


焦る手つきで、朝陽は目の前の羊一の首から下がるネックレスを剝ごうとした。


「できません」

「どうしてっ!」

「破棄したら、俺は永遠の眠りにつくことになります」


優しい顔をした羊一を前に、朝陽は動けなくなってしまった。その朝陽の手を、そっと自身のネックレスから取った羊一は、その手を己の手の中に包んだ。


(反故魔法──)


強い効力を用いようとすれば、それだけの代償が必要だ。膨大な羊一の魔力を石に込めるとなれば、その代償は幾何か。それを羊一は、朝陽に何の代償もなく、自分一人で支払えるようにしたのだから。

羊一が石にかけた力を、解くすべはなかった。


「どうして、僕のためにそこまでするの……?」


朝陽はもう止められなかった。涙が流れるのも、声が震えるのも。

流れる涙を、羊一が優しくぬぐった。


「朝陽、泣かないでください。俺がしたくてしたことですから」


なだめるようにそう言われても、朝陽にはできなかった。


「でも、これをつけていたから俺は今、朝陽のそばにいられるんです」

「……?」


そっと朝陽を抱き上げた羊一は、朝陽の部屋の中に入り、ベットに腰かけた。膝の上の朝陽の頬に、また一筋流れる涙に羊一はキスをした。


「俺にも予想外の力が宿ってました。これは、相手の想いに呼応するようです」


額をくっつけてきた羊一は、そっと続きを話し始めた。


「あのとき、朝陽が俺に力を使ったとき、朝陽の力が俺に届かなかったのは、この石の力です」

「……どういうこと?」

「俺も驚きました。そんな風に作った覚えもないのに。けれど朝陽が本当は、俺に力を使いたくないって、強く強く思ってくれていたから、この石に宿った朝陽の力が俺を守ってくれたんです」

「だから──」

「はい。俺を守ったのは、朝陽です」


そこまで言うと、羊一は朝陽の髪をそっと撫でた。


「でも僕、本当に羊に力を使おうとして──」

「俺のために俺を本家に戻そうとしてくれたんでしょ。でも俺のためを思うなら、ずっと朝陽のそばに置いてください」


嗚咽が出て、朝陽はなかなか言いたいことが言えない。


「……っでも僕は、羊のために何もしてあげられない。なにも!」

「朝陽のそばにいることが、俺の一番大事なことです。何かしてほしいだなんて、思ってない。朝陽も本当は、俺と一緒にいたいって思っていてくれてたんですよね?離れていた時も、石を通じてずっと聞こえていました。朝陽が俺を呼ぶ声が。だから俺は、もうあなたから離れません」


そうして羊一は、朝陽を強く抱きしめた。


「俺はずっと、朝陽のそばにいます」

「……っいいのかな…。僕が羊一のそばにいても……」

「いいんです、俺がそうしたいって言ってるんだから」

「……うん」


そうして朝陽が羊一の背中に手を回した。

二人はしばらく抱き合って、ただただお互いの存在がいかに大切かを、改めて嚙みしめた。


「……泣いちゃった」


そう言いながら涙をぬぐう朝陽のまぶたに、羊一はまたキスをした。


「涙のとまるおまじないです」

「……とまった」

「でしょ?」


ふふっと笑った羊一はベットから立ち上がった。


「なにか作りましょうか。すっかりティータイムを過ぎてしまいましたね」

「……うん」


窓の外はすっかり夕暮れで、数羽の鳥たちが家路につくのが見えた。


(……きれいな夕暮れ)


そんな気持ちで景色を眺められたのは、いつぶりだろうか。

朝陽はいつも心にかかる(もや)が、取り払われたような気がした。

そうして羊一に続いて、目をこすりながら朝陽も部屋を出たが、ふと、足を止めた。


「朝陽?なにがいいです──」


階段を一段降りた羊一が後ろを振り向くと、朝陽が壁に体をもたれかけていた。


「……ッハ……ァッ」

「朝陽っ!」


朝陽が崩れ落ちるギリギリのところで、羊一が朝陽を抱き留めた。


「朝陽……っ」


羊一は朝陽の額に、首に、胸に手を当てた。

朝陽は胸を押さえて、苦しみに耐えていた。


(まずい……息ができていない。こんなにも魔力不足に陥っていたなんて……っ)


柊から送られた鉱石による魔力補給と形代で補充した魔力で、羊一は朝陽の魔力は回復しているものだと思っていた。けれどこの状態からすると、ほとんど飢餓状態に近い。


「……ッア……ハァッ」

「朝陽…っ」


今すぐにでも魔力を補充しなければならない。けれどこうして羊一がそばにいてもまだなお魔力飢餓による発作が起きるのであれば、並みの処置ではおさまらないだろう。


(なにか、なにか今すぐ、俺の魔力を朝陽に注ぐ方法──)


息も絶え絶えの朝陽は、震える手で羊一の腕を握るも、段々と力が抜けていく。

焦燥の中、羊一はいつもどうやって朝陽に魔力を吸収させていたか、必死に頭を働かせた。


(俺が朝陽にしていたのは、朝陽のそばにいること、朝陽に自分の作ったものを食べさせること、俺が作ったものは俺の魔力が宿るから俺が──)


そうして羊一は思い至った。

自分自身が、朝陽の特効薬であると。


「朝陽、口を開けてください!」


朝陽にはもう、羊一の声は届かないようだった。

羊一は朝陽の口に親指を入れて無理やり開き、そして己の顔を近づけた。






(なんだか、あたたかくて、きもちいい)


意識を手放していた朝陽は、ふわふわとした感覚と、ボーっとした頭のまま目を開けた。すると羊一の綺麗なまぶたがそこにあった。

相変わらず近いなぁ、なんて思っていると、くちゅと水音が聞こえてきた。

どこから聞こえてきているのか。ぼんやりと音を追っていると、気づいた。


「──んっ」


驚いた朝陽が口で息を吸い込もうとしたが、口は塞がっていた。

そしてようやく、どういう状況になっているかを理解した。


「んっ、んんっ」


ビクリと体を震わせた朝陽の顔に手を当てている羊一は、ゆっくりと朝陽の舌へ己の舌を絡ませた。しばらくしていると力の抜けていた朝陽が、抵抗するかのように羊一の胸を弱い力で押してきた。

一旦、口を離した羊一であったが、もう一度朝陽に顔を寄せた。


「……朝陽、もう一回、こっち向いて?」

「……っあ」


息苦しそうな朝陽の顔を掴んで、羊一はもう一度、深く深く、朝陽に口付けをした。

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