朝の景色
クロワッサンをちぎり、口に運んでいく朝陽。黙々とクロワッサンのみを先に食べ終えた。
(二人で作ったものだけど、やっぱりダメか)
先週羊一は試しに作っていたこともあり、昨日朝陽と作る際は手順もバッチリ頭に入ったままスムーズに作れた。生地を伸ばしたりこねたり、成形するのは朝陽も熱心にしていた。
でも、食べるときにはこれだ。
羊一は少し、気持ちが沈んだ。
昔から、朝陽は苦手なものを先に食べる。
クロワッサンは嫌いではない。ただ、羊一の魔力が多く含まれているものを食べることは、朝陽にとって『義務』であり、苦手なものに分類されるのだろう。
もちろん、それ以外のものにも羊一の魔力は入ってしまっている。けれど生地から作ったクロワッサンは、羊一の魔力がクロワッサンの主材料の半分と言っていいほどである。そうなると、それだけ朝陽の苦手度合も上がるのだろう。
次に、熱々のスープを口に運んだ朝陽は、心なしか表情筋が少し緩んだようだ。
今日のスープにはサツマイモが入っており、甘めの味付けになっている。朝陽好みの味だったようだ。
「……おいしい」
「よかったです」
その様子を見た羊一は、柔らかな笑みを朝陽に向けた。
「おかわりもありますので、おっしゃってください」
「うん」
朝陽は、表情が豊かな方ではない。
無表情のままか、困ったような顔をしていることが多い。
たまた微笑んだりすると、羊一はとてもうれしくなる。それが自分に関係していることであれば、なおさら。
頬張る朝陽をもう少し見ておきたいところではあったが、登校時間のこともあるため朝陽の後ろに回った。
(……濡れている)
洗面所から朝陽が戻ってくると、先ほどまでの可愛い寝癖が消えており、羊一は少し残念に思っていた。
てっきり直したものかと思っていたが、水で濡らして取り急ぎ対処しただけのようだ。びしょびしょに、とまではいかないが、生乾き状態だ。これだと登校時の寒空のなかで、頭が冷えてしまう。
急いで洗面所からドライヤーを手に戻って来た羊一は、朝陽の髪を乾かし始めた。食事の邪魔にならないように、セットモードで角度にも気を配り緩やかに。
すると、ドライヤーを持つ手の袖が引っ張られた。
「あとで自分でやるから」
控えめに朝陽はそれだけ言うと、食事に戻った。
「申し訳ございません。お邪魔になりましたよね?」
しまった、配慮が行き届いていなかったか。
濡れた髪だと冷えてしまうと急ぎ対応したのがよくなかったか。先に乾かして差し上げてからお食事についていただくべきだったと、瞬時に羊一の中では反省会が開かれた。
「全然、邪魔になってないよ。でも、自分でするから。羊も自分の準備していいよ」
「……はい」
羊一には、今日の朝陽は元気がないように見えた。
(いったい、どうしたんだろう)
もう少しおそばにいたかったが、準備を、というのは『今は一人にして』と同義だ。
気になりつつも、エプロンを外した羊一は、静々とキッチン奥の自室に向かった。
「坊ちゃん、お忘れ物はないですか?」
「大丈夫」
「それでは、いってらっしゃいませ」
深々と丁寧なお辞儀をして、じいは朝陽を見送った。
じいが玄関の扉を閉めると、
「じいちゃん、俺も行ってくる」
「あぁ、必要なものは日中にわしが買っておくよ」
「ありがと」
先を行く朝陽を、降り積もる雪がないかのように羊一は軽快な足取りで追いかけた。
「朝陽、待ってください」
少し先を歩く朝陽は、そのまま止まることなく歩き続けている。
どうしたというのだろう、昨日まで一緒に登校していたのに。
準備が遅かった、ということはない。玄関横のキッチンで、自室で準備を終える朝陽を待っていた。いつもなら準備が終わると朝陽が羊一に声をかけ、一緒に登校する。今日はじいの送り出す声が聞こえなかったら、気づかなかったくらいだ。
「朝陽」
追いついた羊一が朝陽を見ると、マフラーで半分隠れた顔から少し出ている頬がすでに真っ赤になり、白い肌によく映えていた。
(可愛…)
「ちゃんと巻かないと、寒いよ」
心を射抜かれた羊一は、その場に片膝をついてしまった。
(俺を心配して、朝陽は優しい)
羊一が朝陽にとってよくわからない行動をするのは、朝陽にとってよくあることであった。
ちらりと羊一を見た朝陽はそれだけ言うと、スタスタと先に行ってしまった。
急いで出てきたため、羊一は制服の上にコートを羽織り、マフラーも首から下げたままになっていた。
朝陽に言われた通り、マフラーを巻き、コートの前を留め、朝陽を追いかけた。
「失礼いたしました」
「……なに?」
視線が気になった朝陽が、自分の頭一個分先ほどにある羊一を見上げると、その顔には嬉しそうな表情が浮かんでいた。
高校に上がってから、羊一はまた背が伸びたようだ。前よりも見上げる角度が上がった。
「朝陽は優しいですね」
「…そんなんじゃないよ」
羊一は、柊にとっても東雲にとっても大事な人だから。
僕なんかより。
そんな思いが、朝陽の中には渦巻いている。自身をも吞み込んでしまいそうなくらいに。
マフラーの中にさっきよりも沈んでしまったその顔を、羊一は覗きこんだ。
「優しいです」
「…そう」
「はい」
満足そうに、羊一はほほえんだ。
「早く学校、行こ」
「あ、はい。朝陽、あの、今日はこっちから行きませんか?」
自分に向けられる優しさに心の中がモゾモゾした朝陽が、羊一を振り切るような速さで行こうとしたが、羊一に止められた。
「…どうして?」
「今日は雪景色が綺麗ですし、こっちの道からですと途中で街を一望できるところがあるんです。せっかくいつもより早く出たんですし…ね?」
「……うん」
ずっと都会暮らしだった朝陽にとって、この場所で暮らすことは中々に良かったようだ。以前より格段に外に出ること、外を見ようとすることが増えた。羊一にとって、それは安心できることであった、
こちらです、と羊一が朝陽を先導するように前を歩き始めた。
(あっちは、今日はダメだ。なにか飛んできたか?あとでじいちゃんに使いを送ろう)
昨日はひどく吹雪いていたが、今日は清々しいほどの晴天で、太陽の光に雪が輝いて美しい。
けれど吹雪のせいか、なにか良くないものがいつもの道にいる気配を羊一は感じ取っていた。
(万が一にも、朝陽が惹きつけないようにしなければ──)
もう一つ。羊一が朝陽に付くことになった理由。
朝陽は、良くないものを惹きつける。そういうものに好まれる。けれども朝陽の魔力では、寄ってきたとしても朝陽自身がそれらを従えたりすることはできない。ただそれらに影響を受けるのみ。
そのため、それらが近くに来ても感知できない朝陽に変わり羊一が、事前に対処することとなっている。
「羊、どうしたの?」
「え?」
今度は朝陽が羊一を覗き込んだ。
「なんか、怖いのいる?」
(しまった、俺としたことが朝陽に感づかれてしまった)
朝陽に何かがいるのを察知することはできない。けれど、羊一の様子が変わったことは察することが出来る。
「いえ、家との温度差で顔がちょっと強張っただけです」
「………そう」
我ながら苦しい言い訳だと思いながらも羊一がそう言うと、朝陽はもうなにも聞いてこなかった。
「それでは朝陽、また帰りにお迎えにあがります」




