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執事の羊くん  作者: 碧瀬まど
第1章

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朝のぬくもり

朝、目を開けると、羊一は自分がどこにいるのか、わからなかった。


(…えっと、確か昨日は絢斗様とお話をして、眠くなってきたから2階に上がってきて…)


昨日は絢斗と夜遅くまで話が尽きなかった。けれど、どうやらチョコレートにお酒が入っていたようで、段々と羊一は眠気に襲われていった。その様子を見た絢斗から、もう寝るかと言われ、そこでお開きとなった。

部屋に戻る前に一目、朝陽の顔が見たくなり、朝陽の部屋にそっと忍び入って──。

羊一はそっとブランケットをめくり、自分の腕の中にある温かく柔らかな存在を確認した。


(…俺の腕の中で、朝陽が眠っているっ‼)


その衝撃に、羊一は思わず飛び起きそうになったが、ぐっと耐えた。朝陽を起こしてしまうわけにはいかない。

羊一の腕の中で眠る朝陽は、両手で羊一の服を軽く掴み、小さく縮こまっていた。寝ているうちに羊一は、朝陽に片足をのっけてしまっていたが、それも眠りの妨げにはなっていない様子。


(可愛い幸せすぎるすごい近いけどどうしようでも離れたくないし離したくもないけどもう離すんだ俺は執事として起きて朝の準備があるでも今ここから出るなんて俺にできるのかいやできないでも…)


羊一は網膜にも脳にも、自分の腕の中にいる朝陽を焼き付けつつ、ひどく逡巡していた。


「ん…」


そうしていると、寒かったのだろうか。温かさを求めるかのように、朝陽が羊一にすり寄った。


(あ、無理…)


その瞬間、羊一の脳は停止した。

朝陽が起きるまで、このままでいよう。これ以上に優先すべきことはない。

じっと動くこともなく羊一は、朝陽を見つめていた。一向に起きる様子のない朝陽に、出来心と言うのだろうか。羊一はその頬に、その額に軽くキスをした。それでも起きない朝陽に、思わず羊一は口から零れ落ちてしまった。


「朝陽、大好きですよ。…ふふっ」


羊一は起こさないように気を付けつつ、朝陽の頬を親指でなぞった。

可愛い。愛しい。そばにいられるだけで、嬉しくなる。もっと愛したい。今のままじゃ足りない。この想いに気づいてほしい。今は伝えられなくても、いつか、この想いを伝えたい。


(でも今は、朝陽には自分のことだけ考えていてほしいから)


そのいつかが遠い未来だったとしても、羊一はずっと、朝陽のそばで、朝陽に仕え、朝陽を支え、朝陽とともにいたいと思っていた。いや、思っているだけではなく、そうすると決めている。

しばらくの間、穏やかに羊一が朝陽を眺めていると、下の階から食器が割れるような大きな音が響いた。


(なんだ…?)


それが一度ではなく、立て続けに二度三度と続き、さすがの羊一も名残惜しくはあったが、様子を見に行かないわけにはいかなかった。

そっと朝陽の、自分の服を掴む手を離し、朝陽が今日着る服を準備してから、羊一は静かに朝陽の部屋をあとにした。

羊一が去ったあと、目を覚ましていた朝陽が涙を流したことは、誰も知らない。




「じいちゃん、どうし──」

「羊一、起きたか。いやなに、僕もたまにはお前たちに手料理を振舞おうと思ってな。そうしたらこのざまだ」


キッチンに飛び込んだ羊一に、はっきりとそう言った絢斗の後ろでは、じいが首を左右に振っていた。

キッチンはもう、羊一があ然としてしまうほどめちゃくちゃになっていた。シンクには焦げたフライパンが何枚も置かれ、調理スペースには様々な大きさに切られた野菜が乱雑に散らばり、床にはさっき割れたであろう食器がそのままになっていた。

じいは箒とちりとりを手にした。


「やはり慣れないことはするものではないな」


ふむ、と反省点と改善点を考え込むような絢斗であったが、片づけているじいに気づくと、僕も片づけようと手を出そうとした。これ以上荒れては困る、と羊一とじいは丁重に断った。


「すぐ朝食を準備いたしますので、リビングでお待ちください」

「すまないな。余計な手間を増やして」

「いえ、問題ありません」


そうして羊一はすぐに片づけと朝食づくりにかかろうとしたが、ふとした疑問を絢斗からかけられた。


「羊一、お前昨日そのまま寝たのか?」


昨日は自室に戻ることもなかったため、羊一は昨日絢斗と語らったときと同じ服のままであった。


「あ、はい。昨日はあまりにも眠たくて、そのまま寝てしまいました」


羊一はお恥ずかしいと照れ笑いを浮かべたが、それがよろしくなかった。絢斗にはその様子が、やけにうれしそうに見えてしまった。

少し考えた絢斗は、シンクの洗い物を片付けようとしている羊一の後ろに立った。


「羊一、お前まさかとは思うけど、朝陽の部屋に行ったりしてないよな?」


絢斗は、違うかなと思いつつも鎌をかけただけだった。けれど明らかにぎくりと、たじろいだ羊一を、絢斗は見落とさなかった。

ふっ、と絢斗の空気が変わるのを感じ取った羊一は、振り向きたくはなかったが、確認せずともいられなかった。


「そうか。羊一、あとで、話をしようか」

「……はい」


優しく冷たい笑みを浮かべた絢斗に、羊一は朝から顔が白くなる思いだった。




《朝陽、彼と離れたくないなら、そうすればいい》

「……それは、許されない」


部屋のドアの前で、立ち止まったまま朝陽は動けないままでいた。


《そう。では行きたくないなら、こちらに来るかい?》

「……ううん、行ってくるね」

《あぁ、行ってきなさい。わたしに会いたいときは、いつでも呼んでくれ》

「うん…」


おずおずと部屋から出た朝陽は、キッチンへと向かった。もうそこには誰もおらず、珍しく雑然としたキッチンを朝陽は不思議に思った。後ろから話声が聞こえ、朝陽がリビングを見ると、絢斗が談笑しながら朝食を取っていた──いつも朝陽の食事中はそばに控えているだけの、羊一も隣に座って。

そう朝陽には見えていたが、実際は羊一が絢斗からお小言を食らっていた。


「まったく、お前は隙あらば朝陽に手を出そうとしている。お前の本分は何だ?執事だろう。いくら朝陽が可愛いからって、何を考えているんだ。ちゃんとそういった関係性を築き上げてからであれば、僕も何も言うまい。だがお前はまだ朝陽になにも伝えてはいない。そうだろう?」

「申し訳ございません…」


うなだれる羊一に、絢斗は手をかけた。


「絢──」


一瞬、羊一は絢斗がもう解放してくれるのかと思った。


「あとさお前、どういうつもりで朝陽にブレスレット渡したんだ?」

「え、あの…」


しかし、追及が続いただけであった。


「僕が気づかないとでも思っていたのか?」

「いえ、そのようなことは……」

「どこまでの効力をあれに秘めて──朝陽、起きたのか?」

「朝陽」


絢斗がもう一段階追及を強めようと、羊一に伸し掛かったところで、絢斗はリビングの外から、朝陽が身を潜ませるようにしてこちらを見ているのに気づいた。


「うん…」

「朝陽、おはようございます」

「おはよう…」

「すぐに朝食の準備をいたしますね」

「うん」


さっとキッチンへと逃げようとした羊一に、絢斗が呼びかけた。


「羊一、朝食を終えたら話がある」

「まだですか、もうご勘弁を──」

「違う。別の話だ」


絢斗の真剣な表情に、羊一はその場に立ち止まった。


「かしこまりました」


そう言って、羊一は一礼してからキッチンに向かった。


「朝陽、朝食を食べ終えたら、羊一に話をする。いいな?」

「はい…」


自分から望んだことなのに、朝陽はそのときが来てほしくなかった。


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