「ご~~~ん」
ぼくは、自室のベッドで目を覚ます。
咽喉の渇きに耐えながら耳をすました。なにも聞こえないことがわかり、起きあがってペットボトルの水を飲み、カーテンをあける。
陽は傾いている。
ぼくはもう太陽が昇ってゆく姿をみることはないのだろう。
夕暮れ時まで3時間くらいはあるだろうかと、動いていない壁時計に視線を向けていた。人間は身についた習慣で動いているらしい。そうだ。ぼくは生きている。勉強机の上にあるノートを広げて、感じたことをノートに書きくわえる。これも習慣になってきた。
ぼくはまだ、生きている。
このノートが生きている証だ。
生きて積み重ねてきたことの証拠。
ぼくたちは生きていた。
ばあちゃんの自宅介護が限界をむかえていた。痴呆症というのか、認知症というのかは知らないけれど、会話も感情も安定しない。寝たきり生活も十年以上つづけば、いろいろと機能が衰えるのはしかたがないのだろう。負担が大きい母さんの介護疲れも目立ってきた。父さんも仕事は休めない。ヘルパーさんとも相談して介護施設を探してはいるものの、どこも入居者であふれており、解決の見通しはたっていない。
「なんか頭がいたくてよ~」
家庭の現状とは違い、高校生活はそれなりだ。彼女はいないが話し相手くらいはいる。教室に入ると、いままで深刻さの欠片もなかったはずの級友が、血色の良くない顔で体調不良を訴えてきた。このところ学校を休んでいたのは、たんなるサボりではなかったらしい。
「病院は?」
「どこも異常なしだってよ。4か所目であきらめた」
この国に医者なんていなかったと、級友は毒を吐いた。ばあちゃんのこともあり、医者を擁護する気にはなれない。医療に頼ってはいけないと同意してやった。
「自分の健康は自分で守るしかないよ」
「といってもな~、とくに変わったことなんてしてねぇぞ?」
「その頭痛はいつ頃からはじまったの?」
「この前の休みの……肝試しのあとくらいからだな」
どこぞの廃寺が有名な心霊スポットであるらしい。昨今世間を騒がせた殺人事件の現場が、もともとヤバイと噂のあった廃寺であると、級友たちは知ってしまったようだ。SNSで有志が集い、6人パーティーで動画の撮影をしてきたという。
「な~んにもなかったけどな!」
「まあ一応、御祓いでもしてもらったら?」
くだらねぇと一笑した級友は、始業のチャイムがなるまえに保健室へ行き、教室にもどってくることはなかった。
「サボりか」
冗談半分の忠告であり、放っておけば治るともおもっていた。顔色が悪いのは確かなので、保健室のベテラン養護教諭も「授業に参加しなさいよ」とはいわないだろう。家に帰っていてもおかしくはない。
7時限目の授業が終わるころには、級友のことを忘れていた。
「ぼく、やっとくから」
掃除当番のゴミ捨て係に立候補したのは、少しばかり家に帰る時間が遅れるから。女子受けを期待したかったが、すでに教室にはいない。「暗くなっちゃうから~」「怖いから~」と、いい笑顔で仲良く去っていた。
「暗くなるのは、嘘ではないけどね」
夕暮れ時。
昼と夜がうつりかわる、逢魔が時。
誰もいない教室を去り、校舎のなかを歩いていると、それは聞こえた。
「……除夜の鐘?」
梵鐘の響きを連想させる異音。
さして大きくもないのに、寺の鐘ではないとわかるほど、気持ち悪い響き。
「そもそも、このへんに寺なんてないはず」
一定のリズムで途切れることなく続いている。
その不気味な響きの正体が気になり出所を探した。
「ここ、だよな」
保健室のまえに立つころには、わかっていた。
なかから聞こえてくる「ご~~~ん……ご~~~ん……」という不快な響きがなんなのか。
入ることをためらう程度には、正体がわかる。
頭と感情の整理がつかない間に、養護教諭がもどってきた。ぼくはたぶん、おばちゃん教諭と同じ表情をしていたのだろう。互いに一人ではないことを安堵していた。
「この、なかには?」
「一人しか、いないはずだよ」
保健室のドアを開けると「ご~~~ん」という級友の声がはっきりと伝わってきた。空気を震わせる音声には、イタズラとおもわせない不穏さがある。声をかけても反応はなかった。級友はカーテンに囲われたベッドのうえで上半身を起こし、壊れた録音機のように声をあげつづけていた。
級友の開かれた目はどこも見てはいない。身体を揺さぶっても、級友の虚ろな表情に変化はなかった。「ご~~~ん……ご~~~ん……」と音声を響かせている。残っていた生徒や教諭たちも集まってきたがどうしようもなかった。
級友の異常行動は、陽が沈み、夜にかわるまで止まらなかった。
無言になった級友は、虚ろな表情でどこかを見つめながら、歩いて学校を去ろうとしていた。救急車で運ばれる姿をみたのが最後で、連絡もとれない。自宅にいるのか病院にいるのかも知らない。どこにいても同じなのは、想像がつくけれど。
あの日、ぼくは級友が壊れたとおもった。あのときの異常事態を、なんとか理解の範囲におさめようとして、不安から逃れようとして、おもったのだ。突発的な認知症かなにかではないかと疑い、級友は壊れたのだと。ばあちゃんより先に壊れたのだと。
太陽が沈んでゆく。
逢魔が時に、それははじまる。
夕暮れ時、二階の自室をでると、梵鐘と似て非なる響きが、はっきりと聞こえてくる。「ご~~~ん」という、あの音声が、ぼくの身体を震わせ、心を蝕んでゆく。
あの日、家にかえると、ばあちゃんの様子がおかしかった。虚ろな表情をしており、声をかけても反応が薄い。食事もとらなかった。いよいよお迎えがきたのではないかと、父さんと母さんは複雑な心境を語り合っている。ぼくだけが違った。翌日、胸騒ぎを抑えつつ足早に学校から帰ると、母さんが泣き崩れていた。
「おばあちゃんがおかしくなったの」
怯えた表情で、震える声で、母さんは告げた。
ばあちゃんは、たしかに死んでいた。
母さんに殺されていた。
「ご~~~ん……ご~~~ん……」
錆びた鉄のような臭いがたちこめる和室で、ばあちゃんが声をあげている。
赤黒く汚れた布団に伏し、虚ろな表情で天井を見つめながら。
「ご~~~ん……ご~~~ん……」
悪臭の漂うキッチンで、母さんが声をあげている。
手にしている包丁も、身に着けているエプロンも、黒い血で汚れている。
「ご~~~ん……ご~~~ん……」
泥だらけのリビングで、父さんが声をあげている。
川底から這い上がってくることが多かったから、スーツの傷みが激しい。
夜になるまで続く奇怪な行動は、夕暮れ時がくるかぎり終わることがない。
寺院が梵鐘を鳴らすのは、時刻を伝えるほか、すべての人々の幸せを願う、仏の声を響かせる行為でもあるという。ならばあれは、なんなのだろう。あの不可解な行為は、昼と夜の挟間に響く、あの不穏な音声には、どんな渇望が込められているのだろう。
精神を蝕んでゆく音声に耐えられなくなった母さんは、ばあちゃんの顔に枕をおしつけた。ばあちゃんは息をしなくなった。たしかに死んでいた。
終わらなかった。
医者を呼ぶか警察を呼ぶか、ぼくたち家族が結論を出せないまま眠りに落ちて、ふたたび目を覚ましたとき、ばあちゃんは死んでいなかった。食事はとらない。水も飲まない。生きているといえるのかもわからない。安堵などできるわけがなく、母さんをひとりにすることもできない。ぼくと父さんは学校と仕事を休み、ヘルパーさんの訪問を断って家族だけの悲痛な時間を過ごした。夕暮れ時になると、ふたたび「ご~~~ん」と声をあがりはじめる。ぼくと父さんが恐怖にのまれて動けないなか、母さんが叫び声をあげながら、ばあちゃんの咽喉に包丁を突き刺した。
終わらなかった。
血まみれの包丁を母さんの手から取り上げようとした父さんが指を浅く切った。ささいな傷ではあったものの、自分の行為に恐れを抱いた母さんは気を失って倒れ、気がついたときにはおかしくなっていた。悪夢だとおもった。目を覚ませば悪夢は終わるとおもいたかった。
終わらなかった。
逢魔が時が訪れるたび、ばあちゃんと母さんが「ご~~~ん」という声をあげるようになった。ばあちゃんの咽喉もとに傷はない。殺害された痕跡だけをのこして、死んでいない状態にもどっている。食事も水もとらない。排泄もしない。母さんも同様であり、キッチンを中心に一階をふらふらと徘徊している。精神をすり減らした父さんは、日常に戻りたかったのか、「会社に行ってくる」とメモをのこして家をでた。死んでしまったのか、絶望したのかはわからない。帰ってきた父さんをみて、ぼくは部屋に引きこもった。
終わっていなかった。
父さんは玄関のカギが開いていれば家と会社を往復しようする。空腹に耐えかねて外出したとき、父さんのあとをついていったからわかる。そのときはじめて理解した。終わりがこなくなったのは、ぼくたち家族だけではなかったことを。
後悔はしている。なにも変わらなかっただろうけれど、あのとき、ばあちゃんのことを連想しなければ、もしかしたらと。あのとき学校を早退していれば、あるいはと。後悔はしている。もっと早く動いていれば、なにかが変わっていたのではないかと。
世界各地でこの世の終わりが叫ばれるなか、ぼくが正気を保っていられたのは、事の発端に心あたりがあったからだとおもう。まだスマホが動いたとき、級友が訪れたという廃寺について調べた。そこに原因があるかもしれないと、SNSで情報を発信した。ぼく自身は部屋に閉じこもっている。社会全体が混乱の渦中にあり、外出が難しかったから。
崩壊してゆく世の中で一番恐ろしかったのは生きている人間だった。略奪行為だけではない。殺しても死なないことに歓喜した人間がいて、近隣でも喚き声が響きわたったことがある。
例の廃寺に解決の糸口があるのではないかと考えて、実際にそこを訪れた人たちがいる。臆病者のぼくは、部屋に閉じこもりながら、彼らのライブ配信をみていた。昼間からはじまったライブ中継は、なんの収穫もないまま夜になる。
怪奇現象が起こるなら夜間だろうと、廃寺の敷地各処に定点観測カメラを設置した彼らは、敷地内で視聴者といっしょに映像をながめる。視聴者の数はだんだんと増えてゆき、数万人を超えて、おそらくは世界中の人たちが視聴していた。
たぶん、ぼくたちは魅入られていた。
ぼくたちはなにもおこらない廃寺内の映像を時間を忘れてみつづけている。夜が終わらないことに気づくまで、二十時間以上もライブ中継をみつづけている。
世界が同時に夜になるという異常事態を知らされ、ライブ映像を視聴していない人たちと連絡がつかないことがわかり、違う世界に引きずりこまれたのではないかという恐怖が広がった。配信者が次々と頭痛を訴えはじめ、通信は途絶えた。
ぼくは疲労感に襲われてベッドに倒れこんだ。目を覚ましたとき、外が明るく、太陽が空高くにみえたことに安堵した。映像はみつからない。悪夢だったとおもいたかったけれど、そうじゃないことはわかっている。夜は終わらない。眠って意識を失わないかぎり、夜が明けることはない。
慣れ親しんだ時空間は崩壊している。
時間感覚が狂っている可能性も、否定はできないけれど。
意識だ。
それがカギ。
意識を失うと、世界が変わる。
心が侵食されたら。
意識を喰われたら。
日の出を拝むことはできないらしい。意図して早く眠っても、目が覚めたときには外は明るい。目を覚ます時刻が、だんだんと遅くなっている。このままゆけば、いずれは夕暮れ時に目を覚ますようになるかもしれない。
そのとき、どうなるのだろう。
夜だけの世界になり、終わるのだろうか、始まるのだろうか。
あの廃寺になにかがあるのは間違いない。
ぼくも意を決して。
いや、違う。
意を決して廃寺を目指すと、ノートに書かれている。
ぼくの文字だ。
ぼくはあの廃寺に行ったのか。
「ご~~~ん」
生きた人間の狂乱がおさまるのは比較的早かったとおもう。警察や自衛隊が動いたのか、あの音声に精神が壊されたのか、あるいは食糧不足が原因で、凄惨な殺し合いがあったのか。ぼくが意を決して廃寺を目指したのも、半分以上は空腹に耐えかねてのことだった。
「ご~~~ん」
バスも電車も動いてはいないため、自転車で数十キロの道のりを移動する。窃盗などの犯罪行為を咎める人に出会うことはなかった。ふらっとあらわれる障害物に気を配りながら、静まりかえった世界をすすんでゆく。
「ご~~~ん」
そしてぼくは、あの廃寺にたどりついて、
「ご~~~ん」
逢魔が時に、
「ご~~~ん」
朽ちかけの門をくぐり、
「ご~~~ん」
境内から、大音声がきこえて、
「ご~~~ん」
ぼくは、自室のベッドで目を覚ます。