第四話 もう一度、君を守る任務(2)
それからは、何の変哲もない日々が続いた。
王子が外出するとき――滅多にない――や、庭を散策するときに護衛をし、そのほかの時間は剣術を磨くことに使った。
あと、魔法の本も読んでいった。
魔法が使えない私には、よくわからなかったけれど。
少なくとも、「時間」に関する魔法の記述はどの本にも見当たらなかった。
そんな日々を過ごしている内に、サフィラス王子の誕生日がやってきた。式典があるので、当然私も出席するのだが……。
私は先日、王子から贈られた青いドレスを着て、鏡の前で突っ立っていた。
「ど、どこに剣を帯びればいいんだ」
血迷った私は太ももにベルトでも巻いて短剣を仕込もう、と考えたのだが……。
「アリシア様。お時間です」
メイドの声が扉ごしにかけられた。
げっ。時間切れ。
こうなったら、拳と足で戦うしかない。体術も習っているから、なんとかなるだろう。
私が部屋を出ると、メイドと……なんと王子が待っていた。
「おおおお、王子殿下! 今日もご機嫌うるわしゅうっ! あ、今日はおめでとうございます……! サフィラス王子が生まれた奇跡に万歳!」
私が早口でまくしたてると、王子は苦笑いしていた。
「ありがとう、アリシア。……うん。私が贈ったドレス、よく似合ってるね」
そんな王子は、白いロングコートをまとっていた。銀髪によく似合って、眩しい。
「恐縮です、殿下。でも、この服……剣を帯びられないのですが。どうすれば?」
私の問いに、王子は噴き出す。
「今日みたいな日は護衛騎士は武装しなくていいんだよ、アリシア。会場の前で、武器を持ってないか検査されて、持ってたら預けさせられるからね。武装しているのは、会場の出入り口を警備する騎士ぐらい」
「へ? そうなんですか……」
そういえば、そうだったな……。色々ありすぎて、忘れていた。
「うん。さあ、行こう。君は、護衛騎士であると同時に婚約者なんだから。それを、忘れないでね」
「はっ、はい」
すっかり忘れていたとは言えまい。
王子に手を取られ、私は廊下を歩き始めた。
会場に入ると、参加者がわっと湧いた。
「サフィラス王子殿下、おめでとうございます」
「麗しく、お育ちになって……」
「あらゆる分野において聡明だとか。国王陛下も鼻が高いでしょう」
王子を褒められ、「そうだろう」と賛同して自慢したくなる私だった。
王子は謙遜し、花のような笑顔を浮かべる。
彼の横顔に見とれていたところで、誰かにぐいっと手を引っ張られ、王子の手を放してしまった。
「うわっ。だ、誰だ!」
「誰だ、ですって? わたくしに、なんて口を利くのかしら」
私の手をぱっと放し、自分の腰に手を当てた少女は――雪のように真白い肌を持っていた。白金色の腰まである長い髪に、薄い青色の目。文句なしに、美しい少女だった。
しかし、どこかで見覚えがあるような。
「はあ……。こ、これは失礼いたしました!」
慌てて、私はその少女に詫びる。この態度からして、上級貴族だろう。一応私も侯爵令嬢だが、彼女はきっとそれより上の身分だ。
「まあ、王子が婚約者を連れているっていうから、どんな子かと思ったら。なあに、その枯れ葉みたいな色の髪。体つきも、骨っぽくて女らしくない。胸がなさすぎて、ドレスが泣いてるわよ」
いきなりの罵倒に、私は唖然とする。
たしかに、私の髪の色は枯れ葉に見えなくもないけど……。訓練してるから体つきは丸みに欠けるし、胸もないけど……。
「いつまで、そうして立っているつもり? わたくしはブランカ・セイラン・ニクスよ。ひざまずきなさい」
「ひえっ」
ニクス王国の王女! しまった、見覚えがあって当たり前だ。
前世で、王子の婚約者になったひとなのだから!
私は膝をつこうとしたが、誰かが私の手を取って止めた。
「ブランカ王女。彼女は、たしかに私の婚約者です。だからといって、彼女を侮辱するのは感心しませんね」
ここで颯爽と王子が割って入ってくれたので、私は大変感激した。泣いてしまいそうだ。
「ふんっ。王子が悪いのですわ。わたくしは、あなたと婚約できるとばかり思っていたのに……。そんな女と婚約するなんて!」
わっと泣いて、ブランカ王女は駆けていってしまった。その後を、おつきの侍女らしき女ふたりが追う。
「王子、追わなくていいのですか?」
「いいよ」
王子は冷たく言い捨て、また私の手を引いて歩きだしてしまった。
「おお、サフィラス! ここにいたのか。そろそろ乾杯せねばな!」
国王陛下が、王子の肩を抱く。乾杯と言いつつ、もう既に、よい加減に酔っているようだ。
「皆の者! 今日は集まってくれてありがとう! 我が息子サフィラスの十三の誕生日を祝って、乾杯をしようと思う! さあ、グラスを持って!」
さすが国王。よく通る声だった。
それまであちこちで繰り広げられていた雑談が止んで、みんなが杯をかかげる。
私のところにもメイドが近づいてきて、酒の杯を渡してくれる。
国王は広間を見渡して、「乾杯!」と叫んだ。
「乾杯!」と声が重なり、サフィラス王子の誕生日を祝う。
私も、ぐっとグラスの中身をあおったのだが……うん?
どうやら、きつい酒だったようだ。ふらふらしてきた。
「王子殿下。私、ちょっとバルコニーに」
「え? ちょっとアリシア」
王子の手を放し、私はバルコニーに直行する。うう、気分が悪い。王子の前で醜態はさらせない。
バルコニーに出ると、体が冷えて少し気分がましになった。晩夏の風は、適度に涼しい。
「…………」
私は口を押さえ、バルコニーの手すりに手をついた。
今日は護衛騎士の任を負っているわけじゃないから、王子から離れてもいいだろう。
しかし、おかしいな。私はいつから、こんなに酒が弱くなったんだ。
葡萄酒の一杯を一気飲みなんて、平気で……
と、ここで気づいた。
十六の私なら、平気だったのだと。
「そうだ。私は、まだ十二歳だった」
まだ酒への耐性ができていないのだろうか。何にせよ、十六のときと同じ感覚で行動していると危険だ。
ちらりと、会場内をうかがう。
またニクスの王女に絡まれたらかなわないし、ここにいよう。祝辞を述べる相手が次々にやってくるから、王子も忙しいだろうし。
ニクスの王女か。そういえば、彼女との婚約はサフィラス王子が十四のときに決まったんだったな。
それまで、王子はのらりくらりと縁談を避けていたのだけど、父王がとうとうニクス女王の要請に負けたとかで。
王にとっても、息子がニクスに婿入りするのは悪い話ではない。強固な絆ができるわけだし。
王子も縁談が決まったときは、諦めたような表情をしていたっけ。
ニクスの王女は本来なら王子と結婚できたのに……私が未来を変えてしまったから、王子とは結婚できなくなった。
罪悪感がない、と言えば嘘になる。あれほど好意を示していたのだし。
でも、王子の縁談が決まる世界は王子が死ぬ世界でもある。
それはなんとしても、止めなくては。
ふと隣に気配がして。横を向くと、ウォルターが立っていた。
「うわ、ウォルター。驚いた。どうしたんだ?」
「お前の姿が見えたから……。ここで何してるんだ?」
「酒を一気飲みしたら、気分が悪くなって。ここで涼んでいる」
私の答えに、ウォルターは声を立てて笑った。
なんの邪気も含んでいない、明るい笑み。
「…………」
思わず、まじまじとウォルターを見つめてしまう。
私は、ウォルターは嫌いじゃなかった。……あんなことになるまでは。
今でも、信じられないぐらいだ。
モーゼズ王子に操られていたのか? なあ、どうなんだ? ウォルター。
心のなかで、そっと問いかける。
「どうしたんだ、アリシア。ひとを穴が空くほど見つめて」
「す、すまない」
「そんなに、いい男だと思ったか?」
「はあ?」
王子といいウォルターといい、早熟すぎないか。
「ははは、冗談だ。でも、惜しいなアリシア。もし、もう少し俺が早ければ……いや、なんでもない」
「……会場に戻ろう、ウォルター。護衛の任がなくとも、私たちは護衛騎士だ。王子たちの傍にいないと」
本当はここにいるつもりだったのに、私の言葉は勝手に言葉を吐き出していた。
それだけ、ウォルターとふたりきりでいるのは辛かったから。
「ああ。でも、大丈夫なのか?」
「涼んだら、よくなった。先に行くぞ」
私はウォルターを待たずに大股で、バルコニーから会場に入った。