第十一話 私のかかった病(2)
次いで目覚めたのは、ふかふかのベッドの上だった。
見覚えのある人物がのぞき込んでいる、と思ったら……イシルだ。エルフの言語学者、イシル。
「イシル……」
名前を呼ぶと、彼は驚いたようだった。
「これはこれは。初対面なのに、僕の名前を知っているとは。君が時間遡行してきたという話は、間違いないらしい」
イシルは感心したようにつぶやいて、隣に立っていたサフィラスに顔を向けた。
「じゃあ、念のためにこれから診断するよ」
イシルは、サフィラスが使ったのと同じ魔法を使って、魔法陣越しに私を見つめた。
「……彼の診断に間違いなし。魂の病気だね。強い魔法を二度浴びたから、魂が耐えきれなくなっている」
「治療法は?」
サフィラスが、イシルに問いかける。
ない、と言われるのを恐れているような、緊張した面持ちだった。
「エルフの精製した、“朝露の薬”が有効だ。エルフも、大けがをしたときなどにこれを使うんだ。けがを治すための治療魔法は、体を癒す代わりに魂に負担を強いることが多くてね。……しかし、アリシアの状態はかなり悪い。強すぎる魔法を二度浴びたから、仕方ないのだろうが。“朝露の薬”を毎食飲んで、七日は安静にしていなくてはならない」
「わかった。お代は、いくらになる?」
「料金は取らないよ。あとで、語学のサンプルになってもらえればそれでいい。だが、アリシアは七日ここから動かせない。それでもいい?」
「なぜ? 薬を飲ませて安静にさせていれば、いいのでは……?」
「“朝露の薬”は、文字通り朝露を原料に作られる。毎朝、新鮮な朝露を取って精製する薬で、作り置きはできない。だから、ここにいてもらわないと。それに、エルフの薬は人間の世界に持ち出さないように、という決まりだ」
イシルの説明にサフィラスは目を伏せ、考え込んでいたが、すぐに顔を上げた。
「わかった。七日後に、迎えにくればいいのかい?」
「そうだ。留守の理由は大丈夫なのか?」
「遠乗りをしていたら、森で治療院を見つけて腕のいい医師がいたのでアリシアを託した……とでも説明しておくよ」
イシルの問いに、サフィラスは私を見ながら答えた。
まあ、あながち間違いでもない。
「アリシア。七日後、迎えにくるよ。それまで、ゆっくり休んで。ちゃんと薬を飲むんだよ」
サフィラスは私の手を取り、そう言い聞かせた。
それから、私はエルフの世界で療養生活を送ることになった。
“朝露の薬”と水だけを飲む日々だったが、不思議なことに腹が空くことはなかった。
イシルはかいがいしく、私の面倒を見てくれた。
「よく頑張った、アリシア。あと一日で、サフィラスが迎えにくるよ」
「……もう、六日経ったのか。私は別に、頑張ってないと思うが」
薬と水を飲んで、眠っていただけだ。
「ははは。調子はどうだい?」
「驚くほど、楽になってる」
以前のような疲労感はもうなく、やけに眠いこと以外はほとんど健康に近い状態と言っていいだろう。
「それは、なにより。ところでアリシア。大事な話がある」
「うん? 話?」
「そう。君の魂は、“朝露の薬”のおかげで回復した。だが、これ以上、魔法を浴びるともう“朝露の薬”でも治せなくなるだろう」
「……つまり、再度の時間遡行は無理……というわけだな」
「そのとおり。サフィラスには、そのことを来た日に告げておいた。だから、彼がまた窮地に陥ったとき、君に時間遡行の魔法をかけることはないだろう。これが、君の最後の世界だ。後悔のないように、動きなさい」
イシルの言葉は重く響き、私は思わず目を閉じた。
「大丈夫だと思う。もう、私たちは王宮にはいないし。運命は、私たちを襲ってこないだろう」
祈りのようにつぶやくと、イシルは微笑んだ。
「そうだと、いいね」
翌日、サフィラスが私の部屋を訪れた。
私は既に、着てきたワンピースに着替え終え、窓際の椅子に座っているところだった。ワンピースは、エルフの誰かが洗濯してくれたらしい。
「……アリシア。よかった。顔色がいい」
サフィラスが室内に入ってきたので立ち上がると、存在を確かめるかのようにしっかりと抱きしめられた。
「心配かけた。もう、大丈夫だ」
私が答えたとき、咳払いが響いた。
「イシル」
彼の名を呼び、サフィラスが私から腕を解く。
「なんと、お礼を言っていいか。アリシアを治してくれて……本当に、ありがとう」
サフィラスは膝をつき、頭を垂れた。
「どういたしまして。それより、サフィラス。前にも言ったけど、もう二度と彼女は時間遡行ができない、ということは忘れないで。それを胸に刻み、穏やかな暮らしを」
「わかった。……私とアリシアは、今回こそ幸せになる。君を、結婚式に呼んでもいいかい?」
「呼ばれたいのは山々だが、僕らエルフはここから出られないんでね。落ち着いたら、ふたりで来てくれ。歓迎するよ」
イシルが手を伸ばし、サフィラスは立ち上がってその手を握っていた。私も続いて、イシルと握手する。
「言語学の協力とやらは、いいのかい?」
サフィラスの問いに、イシルは笑っていた。
「さっき、アリシアから新規語彙を習ったから大丈夫。シルウァとペルナの方言は、結構違うんだな。いずれ、別言語に発展していくかもしれない。人間の言語は面白いよ」
「それなら、いいけど」
イシルが熱をこめて語るのを聞いて、サフィラスは苦笑していた。
私たちは領主の城に戻った。
私が馬を降りた途端に、メイドたちが駆け寄ってくる。
「ああ、アリシア様!」
「馬から飛び降りるほど、元気になって!」
「本当に、うれしゅうございます……」
メイドたちが喜びの声をかけてくれる。
「ありがとう。みんな、ただいま」
温かいひとたちに囲まれ、涙が出そうだった。
その夜は、ご馳走が振る舞われた。
すっかり食欲の戻った私は、ペルナならではの海鮮料理に舌鼓を打つ。
酒は一応、止めておくことにした。
食事のあと、サフィラスは私をバルコニーに誘った。
バルコニーからは、遠くの海が見えた。月明かりのおかげで、割とはっきり見える。
「完全に、元気になったようだね。アリシア」
「うん。でも、まだ剣は振り回せないかな……」
私のつぶやきに、サフィラスは呆れたように笑っていた。
「そうそう、アリシア。君は、もう十四になったんだったね」
「ああ、そういえば……うん」
私はエルフのところにいる間に、誕生日を迎えていた。
「私の誕生日も、もうすぐだ。十六を超えたら、少しは安心してもいいのかな?」
サフィラスの問いに、私は答えあぐねた。
「おそらく」
としか、言えなかった。
サフィラスが処刑されたのは、十六になってすぐのはずだ。
十七を超えれば、運命を変えたと言えるのだが。
「でも、心配することはないと思う。ここはシルウァから遠いし、王家の騒動には巻き込まれないだろう。ペルナ王は、あのとおり割り切った感じのひとだし。怖いのは、ペルナのどこかで戦争が起きることだけど……私が知っている限り、ペルナで大きな内乱が起きた記録は、なかったはずだ」
「だと、いいけどね。でも私たちの運命が変わったように、その記録も変わるかもしれない」
サフィラスは、やけに悲観的だった。
「いつ、何が起こってもいいように……早めに、結婚しようか」
さらりと言われて、頬の熱さを意識する。
「わ、私はいつでも……いいけど」
「なら、決まり。できるだけ早く結婚できるよう、準備しよう」
サフィラスの顔が近づき、「なんだ?」と言う前に唇で唇をふさがれていた。
「……そろそろ、行こう。病み上がりに、夜風に当たりすぎてはいけない」
サフィラスは私の手を取り、バルコニーを出ようとする。
そのときの私は、片手で顔を隠していた。
リンゴのように真っ赤になっていることは、見えなくてもわかっていたからだ。