第九話 君と逃げた先に(2)
翌朝、王子を乗せた馬車と、それを取り囲むようにして配備された、馬に乗った護衛たちが出発した。
護衛は私たち以外には、七人。世話役の下男と下女は、王子と同じ馬車に乗っている。
世話役が少ないのは、保養地の王の別邸にたくさん使用人がいるからだ。
幸い、王は疑いもせずに送り出してくれた。
医師が、肺の病なので空気のきれいなところで静養するのが一番だと、断言したらしい。
緊張した面持ちで、私は馬を駆る。私はカーティスと並び、一行の先頭を走っていた。
道中、宿屋で一泊することになった。イルスまでは、まだ遠い。
私たちは王子の宿泊する部屋に入ることを許されたので、夕食の前に彼の部屋を訪う。
ベッドに座った王子が下男と下女に出ていくよう指示すると、ふたりは静かに退室した。
「……殿下。具合は、どうですか」
私は敢えて、そう尋ねた。
宿はいくら上等でも、王城の部屋に比べれば壁が薄い。他の護衛が聞いても怪しまれないように、気をつけて会話をしなければならなかった。
「そうだな……。咳は少しマシなのだが……まだ胸のあたりが痛むし、喉が痛い」
王子が無難に病状を語ると、カーティスは痛ましげに目を伏せた。
「イルスで必ずや、よくなるでしょう」
「ああ。私も、それを期待している。……ところで、何か異変はなかったか?」
ここからが本題、とばかりに王子は声をひそめる。
私は「特には、なかったと思います」と答えた。
カーティスもそう言うと思ったのだが、彼は意外なことを口にした。
「少し、気になることが。護衛がふたり、今朝急に変えられたと聞きました。騎士団の者ですが、モーゼズ王子の母親の遠縁です。おそらく、交流があるかと」
護衛交代については聞いていたが、まさかモーゼズ王子つながりだとは、思いもよらなかった。
カーティスの情報網に、舌を巻く。
事前に、騎士団の者たち全員の身元を調べておいたのかもしれない。
「そうか……。護衛の交代は、私も聞いていた。父上が、より信じられる腕の持ち主に変えたと言っていたが。兄上の仕業か……。そのふたりには、気をつけておかないとな」
「はい。くれぐれも気をつけます。アリシアも、頼んだぞ」
「あ、ああ。もちろん!」
勢いよく私が答えたところで、王子は「うつったら困るから、話はこれまで。退室を」と私たちを促した。
部屋を出て、私はカーティスを見上げたが、彼は何も言わなかった。
「カーティス……」
「話は、明日にしろ」
誰が聞いているか、わからないからだろう。
作戦を話せないことが、もどかしかった。
一泊したあと、一行はまたイルスに向けて旅立つ。
イルスに入る前に、昼食を取ろうということになって、少し高級そうな店に入る。
店内はひとでごった返していたが、こういう店は貴族や富裕な商人のためには特別な部屋を用意してくれるものだ。
この店も例外ではなく、私たちを二階の個室に案内してくれた。
広い部屋なのだろうが、十三人もいるといささか狭く感じる。
注文を済ませたあと、カーティスが「代表して注文してくる」と言って席を立った。
しばらくして、店員三人とカーティスが部屋に入ってくる。カーティスも酒の配膳を手伝っており、王子に「ご苦労様」とねぎらわれていた。
真昼間でも、おかまいなしに葡萄酒が振る舞われる。
「遠慮しないで、飲んでほしい」
と王子に言われたせいもあってか、護衛たちは葡萄酒を次々と飲み干していた。
食事が進むごとに、ひとり、またひとりと眠り始める。
七人の護衛が全員眠ったのを確認して、私たちは立ち上がった。
からくりは、簡単だ。カーティスが厨房にいたときに、七人の護衛たちに振る舞う酒に薬を入れておき、なんらかの目印をつけて、七人の騎士に薬入りの酒の杯が渡るようにしたというわけだ。
いつか、王子とエルフの国に行ったときに使った護衛をまく策と似ている。
私たちはそそくさと部屋を出て、王子が支払いを済ませた。
「護衛の者たちは、飲みすぎて眠ってしまったようだ。余分に支払うから、夕方まで寝かせてやってくれ。迎えをやるから」
王子の堂々とした口上と、支払われた多額の金を受け取り、店主は疑いもせず「わかりました」と言っていた。
店を出て、私とカーティスは馬に乗り、王子たちは馬車に乗り込む。
「アリシア、前を行け。私は後ろを」
「わかった」
カーティスの指示で、私は馬車より少し前を走る。
町から出て、街道を走る。ここから先は、できるだけ飛ばさなければならない。ペルナとの国境まで、あと少しだ。
御者が馬車を急がせ、私たちもその速度に合わせて馬を走らせる。
ふと、背後から蹄の音が増えたように感じて、思わず振り返った。
「カーティス!」
「アリシア、このまま行け! 私が相手取る!」
「だが……!」
「よく聞け、アリシア。捕らえられるのが、一番まずい。尋問――ひどいときは拷問を受けるかもしれないからな。そのときは、私はこの体から出ていく。だから心配しなくていい」
カーティスは私にそう告げてから、馬首の向きを変えて、こちらに走ってくる二騎を迎え撃っていた。
やはり、例のふたりか。カーティスが配った酒を飲んだ振りをして、飲んでいなかったのだろう。他の者が眠ったのを見て、同じように振る舞ったに違いない。
「すまない、カーティス。頼んだ!」
叫び、私は馬を馬車と並ぶようにして走らせる。
剣戟の音が、遠くに響く。
モーゼズ王子は、何か感づいたのだろう。だが、王に説得するほど確信が持てたわけではなかったに違いない。だから、腹心の部下を忍ばせた……。
「アリシア! カーティスは強い。大丈夫だ!」
馬車の窓を開けて、王子が私に呼びかける。
私の横顔が見ていられなかったのだろう。恥じて、私はうなずく。
「ええ、そうですね。安心して、向かいましょう!」