第八話 君とまた向き合う世界(2)
二日後、王子が王妃の部屋に話しにいくことに決まった。
私たちも同行することになり、王妃の部屋に入る。
花の匂いが、ふわりと香った。部屋の中央のソファに座った彼女の、香水だろうか。
王妃は美しい白金色の髪を持ち、目は深い青だった。顔立ちは麗しく整っている。王子は母親似だ。
「いらっしゃい、サフィラス。……に、カーティスに……」
「アリシアです」
私の名前までは覚えていなかったようだ。私の代わりに、王子が名前を教えていた。
「どうぞ、そこに座って」
王妃は、彼女の正面にある長椅子を手で示した。
「はい。失礼します、母上」
王子が座り、私は彼の左隣に、カーティスは右隣に座る。
「どうしたの、サフィラス。突然、秘密の話なんて……」
「実は、母上。私には、聖痕があります。知っていますか?」
「聖痕? エルフの血が先祖返りした、特別な人間に出る模様よね。大魔法使いになれる、っていう」
さすがに王族だけあってか、王妃は詳しかった。
「あなたに聖痕が? 一体、いつから」
「かなり、前のことです。私は、ずっと隠していました。シルウァの法律では、聖痕の持ち主は第一王位継承者に躍り出るそうです。だから、兄上や父上から隠していたのです」
「モーゼズは、それは面白くないと思うけど……。陛下にも、隠す必要があるのかしら?」
「はい。父上は、兄上を跡取りとして考えています。私が王になるのは、阻止したいでしょう」
「そうね……。残念ながら、私たちの夫婦仲はいいとは言えない。あのひとは、臆病なのよ。私の前で、従順だった前妻のことばかり話すのよ? たしかに、私は社交を頑張っているわ。でもそれは王妃の務めだからで、権力が欲しいからではないわ。それが、わからないひとなの」
勢いよく愚痴をぶちまけて、王妃は扇で口元を覆った。
「これは、失礼。……それでサフィラス。あなたは、どうしたいの?」
「ペルナに亡命できませんか。母上なら、シルウァ国内の協力者を紹介できるでしょう?」
「たしかに。私が一声かければ、協力してくれる貴族はいます。でも、サフィラス。亡命して、ペルナで安全に暮らせるとは保証できないわ。私はペルナには、いないのだから。兄であるペルナ国王に、あなたによくしてくれるように手紙は書けます。あなたが聖痕持ちなら、大切に扱ってくれる可能性は高まるけど……。これは、一種の賭けよ? それなら、再三来ているというニクスの縁談を受けてニクスに行った方がいいのではないかしら」
「それでは、間に合いません。私は……十六に処刑される運命らしいので」
「なぜ、そんなことがわかるの?」
王妃に詰問され、王子は私をちらりと見た。
「……アリシアは、時をさかのぼる魔法を私にかけられたそうです。今は、三度目の人生だとか」
「なんですって? そんな魔法が、存在するの?」
「王妃殿下。疑われるのも、仕方がありません。でも、私は見てきたのです。王子が処刑され、私が殺される場面を――。正確に言えば、王子が死ぬところは見ていないのですが……。私は前の世界で、エルフに会いにいきました。そこで、時をさかのぼる魔法についても、詳しく聞いたのです」
私が必死に説明しても、王妃は眉をひそめたままだった。
「母上。アリシアは嘘をついていません。実際に、私の聖痕の位置を当てました。私が今まで、誰にも知らせていなかったのに……です」
そこで、王妃はハッとしたようだった。彼女自身も知らなかったのだから、当然の驚きだろう。
「未だに信じがたいけれど……サフィラス。あなたの望みは、ペルナへの亡命ね? 亡命したら、もうシルウァには戻れないわ。それでも、いいのね? 兄上は私には優しいけれど、今では貴重な魔法使いをどう扱うかは読めないわ。兄上が、あなたを堂々と所有するのであれば、シルウァとの戦争理由にもなるわよ?」
「それは、ないと思います。私の聖痕が問題なのは、王位継承権が優先されるからです。ペルナに行けば、兄上も父上も私を取り戻そうとはしないでしょう」
王子が断言すると、王妃は「そう」とつぶやき、目を伏せた。
「わかったわ。亡命の準備を進めましょう。王や第一王子には知らせないように、密かに進めるから時間がかかるわ。十六までには、準備が終わるようにはしたいけれど。あなたも、身辺には気をつけて」
「はっ、母上。……母上は、大丈夫でしょうか。一緒に来なくて……」
「心配してくれて、ありがとう。でも、大丈夫よ。それに、私はシルウァの王妃になったときからシルウァ王家の人間になったの。もう、ペルナには戻れないわ。陛下が私が亡命を手伝ったと知っても、あなたに聖痕があることがわかれば責めはしないでしょう。話は以上ね。動きがあったら信頼のおける使いを、カーティスかアリシアに遣るわ。くれぐれも、直接のやりとりはしないようにね。疑われやすくなるから」
「わかりました。母上、ありがとうございます」
「母親として、当然のことよ。……ところでアリシア」
いきなり王妃の視線が私に向いたので、慌てて姿勢を正した。
「二回とも、サフィラスは処刑されたの?」
「いえ。一回目は処刑された、とウォルターに伝えられました。その後、ウォルターは私を殺そうとし……ここで時間が巻き戻りました。二回目は、サフィラス王子殿下が陛下に聖痕のことを明かしたあと、夜中に刺客による襲撃を受けました。私は王子が亡くなるところは見ていませんが、おそらく王子も同じように刺客の襲撃を受けたと思われます。私が斬りつけられ、意識をなくしたところで時間が戻りました」
「……そう。一回目は……ウォルターが絡んでいたということは、モーゼズの仕業でしょうね。二回目は、国王陛下。あなたが見ていないだけで、陛下がモーゼズに知らせた可能性もあるけれど」
「そうですね……。私のところには、刺客と一緒に王も来ていたのです。モーゼズ王子は、サフィラス王子のほうに行っていたのかもしれませんね」
王妃の推理に賛同し、私は拳を握りしめた。
一回目も、国王が絡んでいないとは言えない。私が見たのはウォルターだけだったけれど……。
「少し不思議なのだけど、一回目はどうして処刑に持ち込めたのかしら? モーゼズはまだ王子で、王じゃないわ。よほどの罪に問われないと、王族であるサフィラスは処刑されないはずよね」
「敵国ペルナと通じた書簡が問題になった、とウォルターは言っていました」
「まあ。敵国とは、ひどい言い草ね。戦争中でもあるまいし」
「ウォルターは、『君はサフィラス王子と共に謀り、国王陛下およびモーゼズ王子に反逆しようとした!』と言っていましたので……。反逆罪に問われたのでしょう。もちろん、国王はそれを認めたはず」
「なるほどね。でも、国王が手紙を証拠としてサフィラスの反逆罪を認めた、とははっきりわからないわよね。二回目の世界では、国王自らがサフィラスを殺そうとしたわけだから」
王妃殿下は、私が息を呑むほど聡明だった。この方が味方でよかったと思う。これで敵だったら、万事休す……だが。彼女の言葉に嘘はないと思いたい。
「ご推察のとおりです。私も、おかしいとは思っていたのです。サフィラス王子が母君の母国ペルナの貴族と、やりとりをしていてもおかしくないけれど……反逆罪に問われるなんて、と」
そう、ずっと引っかかっていたことだった。だが、王がそもそも聖痕持ちを殺すつもりなら、つじつまが合う。証拠なんてなく、ただ王子に反逆罪を言い渡せばよかった。
二回目は、王が刺客を放ったが……。おそらく、順番が逆なのだろう。一回目はモーゼズ王子が先に知り、王に報告した。二回目は逆だ。そこでサフィラス王子を殺す手順に違いが生まれているのだろう。
全ては推測でしか、なかったが。
「では、サフィラス。いつも通りに過ごしてね。あなたの父や兄に気取られないように」
王妃の忠告を聞いたあと、王子が立ち上がったので、私たちも腰を上げた。