第六話 君が隠した真実(1)
城に戻った私は、その日は疲れ切っていたので、夕食も取らずに眠ってしまった。
翌朝、図書室で法律関係の本を漁った。
「……やっぱり」
シルウァの王権に関するところに、それは明確に書いてあった。
あとはこれを、確認するだけだ。
私はメイドに頼んで、サフィラス王子の部屋で話ができるよう取り次いでもらった。
今日は特に予定がなかったらしく、私の要望はあっさり通った。
午後二時頃に、部屋に来てほしいとのことだった。
私は指定された時刻に、王子の部屋に向かった。
ノックして、「アリシアです」と大きな声で名を告げると、「どうぞ」と応えがあった。
入室して一礼し、顔を上げる。
王子は机に向かって、何か書き物をしているところだった。
「メイドに、お茶でも頼もうか」
王子の提案を「いえ、結構です。内密の話ですから」と断ると、王子は眉をひそめていた。
私は王子に歩み寄り、傍にひざまずいた。
「殿下。これから言うことを、どうか信じてください。私は嘘は言いません」
そう断ってから、私は自分が魔法をかけられて、別の未来から過去にさかのぼったことを打ち明けた。その未来で起こったことも。
王子はうなずきもせず、じっと私を見下ろしている。
「誰が魔法をかけたと?」
問われ、私は真摯に王子を見上げた。
「あなたです」
「……私は、魔法使いじゃない」
「隠しているだけです。あなたの体には、花の模様がどこかにありますね?」
「…………」
「聞けば、数年前から殿下は風呂も着替えも手伝わせないようになった、とか。潔癖だからだとうわさされていましたが、真実は違った。あなたには、花の模様がある。そのことに気づき、調べたのか元々知っていたのか……。いえ、聡明なあなたのこと。知っていたのですね。だから誰にも言わなかった。文献には、花の模様はエルフの力が濃く発現した証として――聖痕と呼ぶ、と書いてありました」
そして、と私は続ける。
「シルウァ王国において、聖痕の持ち主は他の者を押しのけて王位継承者となれる。考えれば、当然の話です。どの王家も、エルフの血を確保しようと必死でした。魔法を使えること自体が特別で、他者を圧倒できることだから。それを知っていたあなたは、ずっと隠していた」
「…………アリシア。このことは」
「わかっています。誰にも言いません。でも、さっき話したとおり、あなたは処刑されそうになるのです」
ウォルターは、あのとき嘘をついていたはずだ。王子の処刑はまだ決行されていなかった。私を絶望させるために、ああ言ったのだろう。
王子は処刑の直前、あの魔法を使ったのだ。
「つまり、十六の時点であなたの秘密は露見する。モーゼズ王子が、あなたを罠にはめます。その未来を回避しなくてはなりません」
「どうすれば、いいんだ?」
「正直、わかりません。私は、これまであの未来につながらないように動いてきました。祝賀会のとき、ウォルターから隠れていたのは彼から求婚されると知っていたからです」
私の発言を聞いて、王子は息を呑んでいた。
「その未来では、君は……」
「はい。ウォルターと婚約を結んでいました」
「私は、どうなっていた?」
「ニクス王国に、婿入りが決まっていました」
「……やはり、か」
王子は頬杖をついて、考え込んだ様子を見せた。
「隠していても、バレてしまうんだね?」
「ええ……。私には、どうやってバレたかわからないです。だからこそ、対策の取りようが……私には、わかりません。ところで王子。あなたは、時をさかのぼる魔法を知っているのですか?」
「いや、知らない。図書室にも、なかったはずだ。しかも、君の話によればエルフでも使えない者がいるほどの魔法なんだろう? 人間の書いた本に載っているとは、思えない」
「なら……おそらく、あなたはエルフの世界を訪れるのでしょう。私も知らなかったので、お忍びで訪れたのでしょうね」
「その私は、なぜエルフのところに向かったんだろう……。兄上に、聖痕を見られたあとだったのかな」
王子がぽつりとつぶやいたが、私は何も言えなかった。
あのときの王子でない限り、真相は闇に包まれたままだ。
でもたしかに、何もないのにエルフの世界を訪れるのは奇妙に思えた。
「あの……こんなこと聞くのはなんですが、聖痕はどこに?」
「私の印は青い花で、左の脇腹にある。見られないよう、気をつけているつもりだよ。……これ以上、どう気をつければいいんだ。特に兄上には、絶対に露見しないようにと努力していたのに」
「……閃いたのですが」
私が口を開くと、王子は目を丸くした。
「隠すより、明らかにしてはどうでしょう? 王子はバレたら殺されると思ったから、秘密にしていたのでしょう? でも、聖痕を明らかにして王位継承者になれば……モーゼズ王子は手を出せなくなります。殺したら、犯人は明らか。ずっと現れていなかった、聖痕の持ち主を弑すなど……と周囲から責め立てられることでしょう」
私の提案に、王子は息を呑んでいた。
「あのときの王子は、隠しおおせているつもりでもバレてしまった。エルフが言っていました。運命を変えることは、たとえ時をさかのぼっても難しいと。運命律というのが、働くらしいです」
運命律。イシルから教えてもらった。一度起こったことを、変えるのは難しい。運命が「そうあろう」とするからだという。
だから私も王子も死なない世界を作るのは、とても難しいと……イシルは忠告した。たとえ処刑を逃れても、何らかの形で死が襲ってくるかもしれないと。
しかし、諦めるわけにはいかなかった。
「私は、あの世界で王子の命がけの魔法により、こうして過去に戻れたのです。あなたを、今度こそ絶対に死なせません」
言っている内に、涙が出てきた。拳で拭おうとすると、王子がハンカチで私の頬を拭ってくれた。
「……私は、私が死なないために君を過去に送ったわけじゃないと思う」
「へ? なら、どうして……」
「私は、君に死んでほしくなかったんだよ。私のことだ。わかるよ」
王子は立ち上がり、私の前に膝をついて――抱きしめてきた。
カーッと顔が熱くなり、動けなくなる。
「私は君をどこかのパーティで見かけて以来、ずっと気になってた。ヴィア家の令嬢が護衛騎士を目指している、と聞いたときも期待した。そしたら、君は私を選んでくれた。とても、嬉しかった……」
「……殿下」
それではまるで、王子が私のことを好きみたいじゃないですか、と言いかけて口をつぐむ。恐れ多くて言えなかった。
「婚約できて、本当によかった。きっと、君のたどった未来の私はずっと後悔していたはずだ。権力を振るって、ふたりを引き裂こうとも考えなかったんだろう。私は……とても、臆病だから。結婚相手は国王が決めるものだと、諦めていたのかもしれない。君が騎士として仕えてくれているだけで、満足だったんだろう。だからこそ、巻き込んで死なせるのが嫌で……時をさかのぼらせたんだ」
「殿下……」
涙が、止まらなかった。
「私も、エルフのところに行く。その魔法を知るために。万が一、また失敗しても君がやり直せるように」
体を離し、王子は私の肩に手を置いた。
「しかし、危険では……」
「問題ないよ。前の私にできたんだ。今の私にも、できるはずだ。ああ、いや……君を伴えばいいんだ。他の護衛は途中でまけばいい」
「待ってください。失敗する未来があってはならないんです。だから、陛下に知らせましょう!」
「わかった。だけど、兄上の考えによってはもしかしたら私は予想より早く死ぬかもしれない。だから、先に時の魔法を知りたいんだ」
「わかりました……」
「それと、アリシア。もし今度時をさかのぼったら、護衛騎士を目指しちゃだめだ」
「な……なぜですか!」
「君が私に巻き込まれて死ぬ、という運命を変えるためだよ。それを約束してくれないと、私は聖痕のことを明かさない」
まるで脅しだったが、私は小さくうなずいた。
「承知しました……」
本当は、嫌だったけれど。今は条件を呑むふりをするしかなかった。何度死んでも、私は王子に仕えるだろう。私は何度死んでもいい。王子を救えればいいから。
そんな私の真意に気づいているのか気づいていないのか、立ち上がった王子はいきなりコートを脱いでシャツのボタンを外し始めた。
「殿下? な、何でこんなところで脱いで――」
「ほら」
と指で示された、白い肌の脇腹に青い花が咲いていた。イシルの持っていた花と、色は違うけれどよく似ている。
「これが、私の印だ。君には、見せておきたかった」
「早く、服を着てください。殿下」
目を逸らしつつ、私は促した。刺激が強すぎた。
「はいはい」
おざなりに応じて、王子は服を着込む。
「アリシア。君は本当に、国王が私を王位継承者に認めると思う?」
「思いますが……。何か、不安でも?」
「父上は、兄上が跡継ぎで満足している。兄上の母親は国内の貴族だった。だが、私の母親は現王妃でペルナ王国の出身だ。母上は、父上とあまり仲が良くない。母上は権力欲が強いし、祖国とも頻繁にやりとりしている」
「ははあ、なるほど。陛下が敵に回る可能性がある、ということですね」
「そう。幸い、私は父上にはかわいがられているほうだとは思っているけど、それも第二王子で王位継承に絡まないからではないかと思う。父上のなかで、跡継ぎは兄上。これは揺るぎない」
王子はどこか不安そうだったので、安心させるために私は自分の胸を叩いた。
「王とて、法律には逆らえますまい。それに、貴重な魔法使いの王子を殺すとは思えません。王子、怖いとは思いますが……勇気を出して、打ち明けましょう。私は、王子が真実を打ち明けなかった未来を知っています。運命を変えるには、大胆に打って出る必要があるかと」
「……そうだね。君は頼りになるな、アリシア」
「とても嬉しいです。どんどん頼りにしてください」
私たちは、どちらともなく微笑み合った。王子の笑顔は、今までよりいっそう晴れ晴れとして見えた。