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地球と人類

作者: ぽんぽ子

○人間本位の考えから抜け出す

社会という、人類がその欲望を満たすために、人類の都合のいいように作り出された、あらゆる生命にとって排他的であり破壊的な枠組みによって、人類は洗脳されてしまっている。                       

 人間社会を通して見た世界とは、人間にとって都合がいいように歪められた世界である。そして社会に暮らす人類のほぼ全てが、人間にとって都合よく歪められた世界を真実として生活し、人間社会に疑問を持たず、その歪みにも気がつかないでいる。それは社会の洗脳である。人類が、欲望に満ちた人間社会と、その洗脳から抜け出し、地球上の一個の生命としての物事の見方、世界の捉え方を今一度、その手に取り戻すことを、今、地球は必要としている→地球上のあらゆる生命の多さを感じることによって地球の広さを感じる。地球が人類のものではないこと、その広い世界は人類の手によって酷く汚染されていることを理解する。広い世界は、人類によって、あらゆる個人によって、広く汚染された世界


○人口が増えるとそれに比例して汚染が広がる状態にある

医療の発達は自然の命の法と折り合わないため、医療の発達による人口増加は自然世界の破壊につながる。

 命は死期がくれば死ぬのが当たり前。病気も怪我も当たり前。それを受け入れられないのは人類が生と死の根本を理解していないからであり、欲に支配されていることと、あらゆる科学や医療の発展を人間の万能さと勘違いしているためであり、また社会という自然と違う人工的環境化で自然から見て非常に特異な歪んだ生活を送り、そしてその社会に洗脳されてしまっているからである。自然の法は地球が管理している。現にあらゆる生命は連鎖の円環の輪の中から出ないように生きている。そこに入れない人類は、当然地球を食い潰すことになってしまう。一体どこで地球が教えてくれた大事なことを忘れてしまったのか?

それを解決するのは、思い上がった人類が科学的に環境を整備することではない。人類の作り出す科学的人工的自然はあらゆる生命には適応はしない。環境に手を加えた瞬間にそのバランスが崩れるだろう。そもそも、人類の人工的生産と建造の度に、生命が失われていっていることに目を向けない現在の人類が唱える環境論、環境思想はまさしく、"論"であり"思想"であって現実から剥離してしまっている。

医療と自然との相関関係に目を向けて来なかった人類は愚かであり、それを早急に修正しなければならない。そのためには人類が人工的社会的思想と人工的自然観及び人工的生命観から脱却し、生命について本当の観点、あらゆる地球上の自然的生命と同じ観点から生命について考え、それを理解し、人工的社会的人類の悪を明らかにして、地球に従って生活すること、またそれを可能にするために、心の教育によって、あらゆる生命に対し温かい優しさと思いやりを持つことが必要である。


○益と利便性という欲望の毛布を手放せない未熟な人類

しかし、今現在の人類に、自然に沿った、自然の法に従った生活ができるのだろうか?

 現在、人の生活基盤となっている人間社会は、人間がその欲を満たすための場となっている。

 人の欲望は医療だけにとどまるわけもなく、科学、産業、生活といったあらゆる人間文明に及ぶ。科学や産業の発達によって便利な生活を手に入れた人類は、それを人類の万能さの証であると誤解し、増長し傲慢になった。そして、増長した人類の欲は、さらなる便利さを求めるようになった。人間は欲に支配され、その欲望は止まることを知らず、さらに欲が欲を生み、現在も人間の欲は肥大化し続けている。しかし、人類は欲を満たすことによって増長するばかりで、その欲から生まれる害悪に目を向けようとはしない。

 現在、人類は、科学と産業の発展によって手に入れた"益"と"利便性"という欲望の発散ばかりを考え行動している。そして、人類は、現在の便利な生活にしがみつき、そこからの脱却を嫌い、自然とは無縁の人間本位の人工的な人間中心社会から、抜け出そうとしない。人類は、自らの暮らす社会が、人のエゴを満たすために、あらゆる自然、あらゆる生命に対して"搾取"と"破壊"を行うことで形成された社会、あらゆる生命の"死"によって形成された社会であり、あらゆる生命の悲しみと悲鳴によって作られたものである、ということに気付かずにいる。また気づいても欲望に負けて無視している。今の人類では、地球を食い潰すばかりで、到底自然の法に従った生活など出来そうにない。

 人類が、科学と産業と医療の発展という欲望の追求と、その先にある自然環境の破壊と、それによるあらゆる生命の殺戮、その悲しみに気づき、欲の追求をやめ、人間中心社会のエゴと手を切らない限りは、自然に従った生活をすることは出来ないだろう。

 ではどうすれば自然に従う生活が実現できるだろうか。そしてそのために何が必要だろえか。人間の欲を制限しない限りは、欲の追求、それによる地球への破壊は続くことになるだろう。医療、経済、政治、権力、科学、工業、生活の利便性、収益、争い、暴力、戦争は欲が生み出したものである。支配欲は優劣の感情を植え付け争いと資本主義経済の源となり、怠惰欲は便利差を追求させ環境を汚染し、何も顧みない無意味な食欲と科学、産業の追求欲は人間以外の命(または人間の命に対しても)に対する感覚を鈍麻させた。

 人類一人一人が欲を自制できるようになるためには、人の欲望が生まれる場所、つまり心の教育が必要である。

 欲望を手放せない未熟な心しか持たない独りよがりな人類に必要なことは、人間中心社会の利益のための教育や、科学の発展などではない。本当に必要なのは、他者(人類以外のあらゆる生命、または個人にとってのあらゆる他者)を犠牲にして自らのエゴを満たすことを許さず、他者を想定した優しさと思いやりこそを喜びとする崇高な心を身につけることであり、そのための心の教育こそが必要なのである。


○汚いものにはフタ?キレイゴトと言う人の汚さたるや

こういった私の話をキレイゴトと片付ける人間は、まさしく欲望にしがみつく人類そのものであり、また間違いに気づき認めつつも、それを変えることを諦める人間は、結局地球の破壊と殺戮に加担しているだけの人間であり、悪であると断言できる。

 人類全体は個の集合であり、集合とは各々の個である。あらゆる全ての個人が変わらなければ、人類全体も変わらない。そのために、個としての個人が変わることは、全体として見れば小さな変化だが、大切な変化であり、個の変化の積み重ねこそが全体の変化なのである。自分一人が変わっても意味がない、全体を変えられないならキレイゴトだと言う人間は、そもそも間違いであり、一人一人の変化の積み重ねこそが重要であることにみんなが気づかなければならない。


○ダメな人類の一筋の希望


思いやりと優しさを身につけることは可能だと思われる。実際にそれを持っていた人がいただろう。今もどこかにいるだろう。不可能ではないはず。

 それこそが、私が愚かな人類に見出した、たった一つの希望。それすらも出来ないのであれば、人類はクズであり、地球を破壊する悪であり、今すぐ生きていた痕跡の全てを消し去り死滅しなければならない。


あらゆる間違いの根源的原因


全ての人類の愚かなる行いの源は不完全なる心による


心の不完全なる箇所はどこか?

欲の自制が出来ない

生命の価値を人が決める愚かさ。価値ではなく可能性。価値によらない重要性

負の感情(攻撃性に転じる感情)の抑制

優しさと思いやり、その拡大、つまり共感の拡大

感覚と共感の拡大とは→より多くの他者(人間にとどまらないあらゆる生命、地球上のあらゆる命)を想定できるようになること

共感とは→他者の立場で考えてみること。他者の感覚を想定すること。


○いのちとは

命は地球が与えてくれた可能性。価値ではない。そもそも人間が命を規定するのはおかしい。

命の失われ方、死に方は、生きるための自然の循環の輪、自然の法に則した形以外で失われてはいけない。人工的な死(殺戮)はおかしい。人間は生きる以外の目的で他の生命を死に至らしめる。

人間は自らのエゴを満たすために生命を奪い殺す快楽殺戮者だ

人間中心的人工社会における、人間の行いのほとんどは、人間以外のあらゆる生命に対する大量虐殺である


主義、思想、政治、宗教。どれをとっても人間中心の考え方、感覚から抜け出せていない。それを頑なに信じるのは、人工的社会の洗脳であり、自然(地球)からの逸脱に他ならない。

社会も、生活基盤である都市も、思想も、価値観も、全て全てが人工的であり、地球の自然と折り合いのつかない人類は、もはや地球の生命(地球から生まれ地球を生活の場とし地球に帰っていく生命)とは言い難い。人類のやることなすことが自然からの逸脱行為となっている現在、地球にとって人類は必要な存在とは言えないだろう。それは人類が自然の循環の輪から外れた時から始まっていたことであり、人類という種の間違いは、文明と共に始まり拡大していった歴史がある。人類はそんな文明を賛美するばかりで、その愚かさに目を向けない。

 今、人類の愚行は極地に達している。もしそう感じないのであれば、非常に危険なことである。人間の行いによって、人間のためだけに、血を流し、苦しみ、悲鳴を上げ死んでいった、絶滅していった生命の多さたるや、その悲しみたるや凄まじいものであり、私はそれを考えるたびに頭が狂いそうになる。悲しみでおかしくなってしまいそうである。しかし、周りに目を向けてみれば、その悲しみを感じない人間ばかりじゃないか。そして、あろうことか環境に手を加えたり、生命を自らの手で無理やりに増やしたりと、これらを環境保全だと言うではないか。そんなものは人間により管理された人工的自然であり、人間の欲を満たすためのものに他ならない。更には、そうした環境保全活動によって人類は、自然を人の手でコントロール出来ると思い込むに至っている。このような愚行を、もはや許すことなど出来ない。経済の拡大、科学、産業の発展、医療の発達と人口の増加、これら人の欲望の拡大はもはや野放しには出来ない。今すぐに、なんとかしなくてはいけないのだ。むしろなんとかするには遅すぎるとも言える程だ。

 

 この深刻な問題を解決するため、地球を守るために、あらゆる全ての人類、地球上のあらゆる一人一人の人間の、心の革新が待たれる。


心が変わらなければ人は変わらないだろう。心が変わる以外の方法は、全て人間中心主義による愚行に他ならないだろう。

心が変わらなければ悲しみの連鎖が止まることはないだろう。


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