1 風の傭兵団
いったいどういう事だろうか。
エルミリアは戸惑っていた。それは、戦場の真っ只中に馬の脚を止めてしまう程の重大な出来事だった。
眼前の平野に広がる、百を超える王国歩兵隊が、たった1人の兵士に蹴散らされている。それらは、我ら帝国軍の敵ではあったのだが、同情すら覚えてしまうほどに無残な様子だった。
分かりやすく言えば、ばったばったと倒されていく。
「エルミリア少尉! 敵の弓兵はいまだ健在です! どうかご注意を」
馬に跨ってはいるが、戦場で棒立ちのエルミリアに部下の兵士が声をかける。止まっていては流れ矢に当たってしまいますよ、と。
「え、えぇ、そ、そうね」
いまいち歯切れの悪いエルミリアの様子に、部下の兵士は心配になってしまう。
彼はこの部隊の副官で、彼女よりも少し年上だった。
幼馴染でもある彼は、いつもどおりのフランクな口調を意識して、自分の役目を全うする事にした。
「おいミリア! どうしたよッ!? 皆、お前の指示を待っているぞ!!」
「っひぁ! ご、ごめんなさい! そ、そうよね」
副官の急な大声に驚き、変な声が出てしまったが、完全に自分が悪い。ここは命のかかった戦場だと言うのに何をしているのだ自分は、とエルミリアは反省を済ます。
エルミリアは、慌てて鋼鉄製ヘルムのバイザーを上げ、声高に自身の部隊を指揮し始めた。
バイザーを上げた際に、琥珀色の瞳と、形の整った鼻と口があらわになる。
部分的にしか見えていないが、彼女は絶世の美女と評判だった。
「全軍!! 一度後退ッ!! 後方の丘の上で陣形組むわよっ!」
一瞬、エルミリアを見て惚けていた副官は、はっとする。
彼女の掛け声とともに凛とした空気が流れ、部隊は行動を開始した。
エルミリアは先程の出来事を頭の隅に追いやり、自分のやるべき事をすると決意した。そんな隊長の心持ちは部隊全員に伝わるようで、60人程度の兵士は一心に後退し始めた。
周囲より一段高い丘に陣取ったエルミリア部隊は、流れ矢が届かない事を確認できた。
敵の射程外から、戦場の様子を見渡してみる。
高い位置からだと、状況の異常さがさらによく分かった。
「く、食われてやがる……」
副官がぼそりとつぶやいた。
そう、それはまさしくイワシの魚群をサメが食らうような光景が広がっていた。
「ッウワァアアアァァァァアーー!!!!」
大勢の咆哮。
そして、一閃。更に一閃。
王国軍の兵士はまたたく間に蹴散らされる。それも、たった1人の男に。
よく見ると、彼が握っているのは剣では無かった。
それは戦鎚だ。頑丈な鎧や盾をいともたやすく砕く、戦神の武器。
彼の持っているそれは、全長7フット(150cm)は有るだろうか。戦鎚としてとても大きな武器であった。まともに当たれば、まず無事ではすまないだろう。
つまり、王国兵がいくら頑強な防具で身を包もうとも、その男にはささいな事であったのだ。
彼は両手にもつ戦鎚を大きく横に振り抜く。それだけで彼の周りを囲っていた王国兵の1人がなぎ倒され、近くにいた兵士も巻き込まれる。
そうして身動きが鈍っている所を振りかぶり、縦に一閃。
鋼鉄のヘルムがグニャリと形を変え、中の果実が飛び出している。その者の命は当たり前だが散っていた。
もちろん、王国兵も黙って待っていた訳では無い。四方から彼を囲み、盾を構え、その後ろから槍や剣で突き刺す。1人対100人と言う馬鹿げた戦闘でも、正攻法で油断なく追い込んではいたのだ。
ただ、男が常識ハズレであっただけで。
男は、その場で軽々と跳躍。四方からの攻撃は空を切り、王国兵は男を見失う。人1人分の高さは飛んでいただろう。
そして、空中から戦鎚を縦に一閃。1人殺し、着地と同時にすぐさま横に一閃。2人倒し。
それは、破砕音とうめき声の狂乱だった。
圧倒的人数差で、後ろにいる兵士に状況が伝わっていなかった事。乱戦だったため、味方に当たってしまうからと弓兵が矢を射てなかった事。全てが数十秒後の犠牲につながっていた。
ああも戦鎚を自由自在に操れる人間がいるとは。持ち手を変え、慣性を利用し、重力を利用し、戦鎚を振り回す1人の男にエルミリアは魅入ってしまっていた。
王国の兵士は、ある意味淡々とした様相で死体の山を築きあげていく。
それをみて、徐々に様子がおかしいことに気づき始める王国の兵士達。俺たちは何と戦っているんだ、と。
残り半分以下の兵士となった所で、ようやく退却の号令が鳴り響く。
まだ戦力が残っているのにも関わらず、退却の指示。後にそれが英断だったと評価される事は無い。1人の兵士に負けたなどど言うのは前代未聞だからだ。
それが正しい判断だと分かったのは、現場に居たものだけだったのだろう。王国兵はその号令に飛びつくように平野をかけ逃げていったのだ。
たった1人の男にである。
この状況の異常さに敵も味方も飲まれてしまっていた。
そんな中、先程まで戦鎚の乱舞に魅入っていたエルミリアは、ふと我に返った。
逃げていく敵兵に見向きもせず、仲間の部隊に戻ろうとする彼が目に入ったからだ。
エルミリアは、追撃の指示も忘れ、呆然とそれを見ていることしか出来なかった。
「……な、何なのよあいつは……」
「んぁ? ……あー、あいつは、風の傭兵団のシンという奴らしいな」
「っ! そんな事知ってるわよッ!! 大方お父様が私を心配だからって雇ってくれたんでしょうね! まったく!」
「おいおい……、なに怒ってんの? ミリア」
エルミリアは端正な顔を歪ませ、苦々しげに叫ぶ。
帝国軍の勝ちではあったが、戦果でいえば彼1人の功績だ。間違いなく帰国後の論功行賞では名前を挙げなくてはならない。
だが、外部の傭兵団にすべて任せて、お前たちは何をしていたんだ、と上官にツッコまれてしまうのは目に見えていた。
ましてやそれが彼1人でやった事だなんて信じてもらえるのだろうか。
エルミリアが仮に嘘の報告をすれば上官からの信頼を失い、最悪の場合は降格処分だろう。
だがしかし、真実を話したところで虚偽申告を疑われてしまうかも知れない。
エルミリアとしては、部下の皆が無傷だった勝利を喜んでいない訳では無かったが、複雑な心境であった。
「……どうしたらいいのかしら」
「こりゃ、ガデムのおやっさんに絞られるぞー。 どんまいだ、ミリア」
にやにやと彼女を見てくる副官の彼は、どうやら他人事だと思っているようだ。
エルミリアは瞬間的な殺意をぐっとこらえ、金蹴りに留めた。
「あひぃっっ!!」
「あら、ごめんなさいね?」
「あ、悪魔――」
2発目の金蹴り。
長時間乗馬する部隊の特性上、あそこ付近に鋼鉄製の防具は着込めないのを知っている悪魔の蹴りであった。
すこしスッキリとした彼女は、今後の憂鬱な戦果報告を乗り切るために頭を働かせ始める。
「はぁ、風の傭兵団……ねぇ。 嵐、の間違いなんじゃないかしら……」
団長の男が1人で戦っている間、後方で一切手を出さなかった団員数十名を見ながら、エルミリアは1人ごちるのであった。