Act.07 観測世界と砂塵の先(2)
ゲートを潜ると、目の前にあったのは壁だった。
前回のように走って飛び込まなくて良かった。崩れているので激突とまではいかなくても、転倒くらいはしていたかもしれない。
それでも軽くつんのめってしまった会音は、照れ隠しのようにキョロキョロと辺りを確認した。
周囲にあるのはやはり廃墟だった。
本社のゲートの付近よりも一層損壊が激しく、もはや瓦礫とでも言うべき有り様となっている。
「じゃ、捜索しますか」
「どうすればいいでしょうか?」
「そうだなあ、とりあえず隠れられそうな場所探すかな。手分けして行くぞ」
「はい!」
「あ、そうだ」
思い出した、というように響斗が言う。
「呼び掛けてもいいけど、無闇に大声出すなよ。ラルヴァが寄ってくるからな」
◇◇◇
「隠れる場所……っていっても案外ないもんだな……」
行けども行けども建物だった物体ばかり。
隠れるどころか迂闊に入ると崩れて生き埋めにされそうだ。
――こっちの方向はハズレか。
しかし何故こうもボロボロなのか。
建物そのものの風化の具合などは、素人の会音が見てわかるものでもないが、同じ転界にあるものなら同じくらいの壊れかたになりそうなものだ。
――というかこれ……劣化したっていうより……。
ズンッ!! と重たい音が鼓膜を震わせた。
「何だ!?」
そう遠くない場所で戦闘が起きている―――と、一瞬遅れて気がついた。
いくらか無事そうな建物に登って見回すと、
「ッ!? おいおい、千奈ちゃんの行ったほうじゃんあれ!」
廃墟の向こうに土煙が上がっている。
集中し、目を凝らすと、土煙の中を移動する影が見えた。やはり千奈だ。
しかも誰か別の人間を連れている。
四十代くらいの痩せ型の男性―――今回いなくなったというタクシー運転手だろう。
男は足を引きずっている。
怪我をしているようだ。
敵の姿はこの角度からでは見えないが、あの様子では負傷した運転手も、それをかばう千奈も逃げるのは難しいだろう。
気がつけば、会音は未だ低い音の響く方角へ向かって走り出していた。
今行ったところで、間に合うかはわからない。
千奈よりも戦闘力の低い自分が行ったところで役に立つかもわからない。
けれどこのときの少年の頭の中には、助けに行かないという選択肢だけは存在しなかった。
◇◇◇
ドンッ! ゴンッ、ズガンッ!! と連続した轟音とともに、地面が揺れ、土煙が舞う。
「ハァ、ハァ……こちら、です、早く!」
千奈は荒い呼吸を整える余裕すらないまま、ひび割れたアスファルトの上を走っていた。
衝撃でさらに割れていくアスファルトに足を取られそうになりながら、要救助者の男性に肩を貸して誘導していく。
――やっぱり大声はあげるべきじゃなかったかな……。
ああ言われた以上、呼び掛けは控えめな音量に止めるつもりだった。
しかし千奈が発見したとき、救助者は崩れた壁に足を挟まれて動けない状態だった。
そのため、居場所を特定するために大声で何度も呼び掛けることになった。
それを聞き付けられた。
――後悔してる余裕は、ない!
千奈のすぐ脇を敵の攻撃が通り抜ける。
衝撃波で土煙が吹き飛ばされ、その姿が垣間見える。
人の腕くらいのナメクジを寄り合わせて作った、目も鼻も口も無い粘土細工の猿のような怪物。二階建てくらいの身長の、でっぷりとした重量感のある巨躯が、湿った音を立てて近づいてくる。水気の多そうな半透明の体の表面には、わらび餅にまぶされたきな粉のようにうっすらと舞い上がった砂が付着していた。
少しでも時間を稼ごうと、千奈は水を纏わせた槍で追っ手の足元を薙ぐ。
水刃がラルヴァの足をいとも容易く切断し、辺りに水っぽい音を響かせる。
バランスを崩し、膝をついたラルヴァは、しかし痛みを感じる様子も、どころか血を流すことすらなかった。
切り離された足はばらばらとナメクジ状のパーツに分かれ、みるみるうちに本体の元に集まって足を再構成する。
再び立ち上がるまで僅か数秒。
負傷者を抱えて移動するには余りにも時間が足りない。
向こうの再生に限界値があるかはわからないが、こちらの体力には間違いなく限界がある。
もうそう何度も攻撃はできない。
――水も残り少ない……。消耗具合からみてあと2回くらいしかもたない。
千奈の水流操作は水を用意しなければ使えない。だからいつもボトルに水を詰めて持ってきている。
しかし今、千奈の槍は僅かな水しか纏っていない。
千奈はまるで刃こぼれでもしたかのように、ガタガタの不安定な小さな水刃しか作れなくなった自分の武器と、後方から迫るラルヴァとを見比べて、心中で小さく舌打ちする。
再生によって攻撃が徒労に終わるだけではない。
攻撃するたびに敵はこちらの水分を吸収している。
通った地面すらじっとりと湿らせるほどのうるおいに満ちたボディーが憎たらしいが、化物の体液は水とは思えないので操ることはできない。
「センナ! こっちだ!」
頭上から降ってきた声に顔を上げると、近くの廃墟の屋上に響斗が立っていた。
会音も一緒だ。
「悪い、遅れた! 一旦集合だ!」
言うが早いか、千奈の足元にワームホールが開き、運転手ともども屋上に投げ出された。
「ケガは?」
「右足を負傷しているようです。骨折の可能性もあります」
素早く被救助者の状態を報告する千奈。
しかし響斗は一瞬困ったような顔をして、
「えっと……お前は?」
「あ、その、ありません」
「ならいいけど」
そして下にいるラルヴァを見下ろして言う。
「さて、と。あいつをどうにかしなきゃな。ゲート潜るの邪魔されても面倒だ」
響斗が空中に腕を構え、その手の中に剣を生成する。
「副隊長、敵は再生能力に優れているようです。部位破壊は効果がありません」
「オッケー。そういうときは、核をまず焙り出さなきゃな。運転手さん連れてそこで見とけ」
そう言って、響斗は光剣を携えて屋上から飛び降りた。
上段に構えた剣に淡く光る霧が収束し、瞬く間にその刃を膨張させていく。
片手剣サイズは身の丈を超えるほどのサイズへ。
大きさに合わせて増大した質量を、落下の勢いに乗せて一気に振り抜く。
光刃はゼリーチックな怪物の体を羊羹のようにあっさりと左右に両断した。
「すごい……」
千奈は屋上に放り出されたままになっていた自分の槍を見て考える。
もし水分が十分にあったとして、自分もあのくらいの水刃を作れただろうか、と。
両断されたラルヴァの左半身が、ばらばらとナメクジ状にほどけて右半身に集まっていく。
すっかり元に戻りつつある怪物ののっぺらぼうの顔を見上げながら、それでも響斗の顔に焦りはなかった。
「なるほど、確かにすごい再生力だな」
『でも、核は右側みたいね。このまま刻んでしまいましょう』
「だな!」
響斗はそう答えて、右手を高く上げた。
それを合図に上空で光の粒子が渦を巻き収束する。
現れたのは先ほどと同じ大剣。
しかし今度は数が増え、6本になっている。
「いけ!!」
掲げられた手が振り下ろされる。
それはまさしく処刑の合図となって、上に控えた執行者に命令を送る。
6本の刃が一斉に回転し、蠢く猿の巨体を斜めにスライスした。
核のない部分が分散し、本体へと戻ろうと地面を這うが、再生するより先に次の攻撃がそれを吹き飛ばす。
分裂体の集まる場所―――そこに核がある可能性が高い。
ならば話は簡単だ。
細かく切り刻んでいけば核の位置が特定できる。
「さて、あと何回で見つかるかなっと」
◇◇◇
「ハァ……ッ………おかしいな……」
乱れた呼吸を整えながら、響斗はいまだに蠢き続ける巨大ナメクジの山を見上げる。
『これは……核が移動してるのかしら』
斬っても斬っても核の場所が特定できない。
右肩が残ったと思えば、次の攻撃では左胸が残る。前回の攻撃では分散しなかった箇所が、次の攻撃では分散し、全く別の箇所に収束していく。
これでは切りがない。
「くそ……厄介なのに当たったな……」
こうなれば今の刻んで特定する作戦は使えない。
しかも―――
「あいつ、斬られ慣れてきたな……」
最初よりも明らかに再生スピードが上がっている。
細切れにしたはずの怪物の体は、すでにそのシルエットを取り戻し、こちらに腕を振り上げている。
じっくり考える時間はくれないようだ。
「……八谷くん、救助対象をお願いします」
「お願いしますって、どうする気?」
千奈は下で戦う響斗の方から目を離さずに言う。
「副隊長の加勢に行きます」
「で、でも……もう水のストックは無いんじゃ」
「槍本体だけでもいくらかは戦えます。それに、じっと見ているだけなんてできません」
なおも食い下がる会音に、頼みます、とだけ告げて千奈も屋上から飛び降りた。
「副隊長!」
「何だよ、来ちゃったのか?」
「すみません。しかしただ見ているわけにも……」
槍を構える千奈を見て、響斗はしょうがないなあという風に笑うと、
「わかったよ。でも、危なくなったら送り返すからな」
「はい!」
響斗の光剣が舞い、ラルヴァの体を切り刻む。千奈の槍が散った分裂体を貫き、再生を妨害する。
見事な連係をみせる二人を繋ぐのは、天賦と研鑽による戦闘の才。
それを廃ビルの屋上から見つめる会音は、どうしようもない罪悪感を抱いていた。
千奈を助けに走ったときの勢いは、とうの昔に消え失せている。
結局、自分には何もできることがなかった。
千奈を助けたのは響斗で、自分はただそれを見ているだけ。
今も、加勢に飛び出すこともできず、屋上に膝をついている。
千奈を追ってここから降りることができずにいる。
怪物と戦うのが怖いのではない―――仲間の迷惑になることが怖いのだ。
出ていけば足を引っ張るかもしれない。
その重圧に耐えられない。
――いつもそうだ。いつも……責められることから逃げてばっかりで……。
例えば、体育の授業でサッカーをしたとき。会音はいつもコートの隅でじっとしていた。
ボールを追いかけて走っていけば、チームの人は自分にもパスを出してくれるだろう。
しかし、もしそれで失敗したら?
いいや、失敗するに違いない。
そう思うと動く気になれなかった。
たとえ周りに責められずとも、自分は自分を責めるだろうから。
――……………………………。
変わらない自分に腹が立つ。
焦りと罪悪感と自責の予感で、胸の奥がキリキリと軋んだ。
ザリッ と靴の底が湿った砂を噛む。
「で、どうするかな……」
千奈が加勢に来たことで、いくらか考える余裕ができた。
とは言うものの、事態はあまり好転していない。
槍を振るう千奈の体力も残り少ない。
響斗も手に持っているほうの光剣で追撃しているが、それでも妨害が追い付かない。
再生が速すぎる。
いい作戦を思い付くまでの時間稼ぎのつもりだったが、もう長くは続かない。
「いっそ遠くに分断して……いや、全身一気に細切れにしたほうが……んー………」
響斗はそこで思い出したように屋上を見上げて、
「あ、そういえば………おーい、エノン! ちょっとこいつの核の位置探ってくれ!」
突然声をかけられて、会音のネガティブ思考が一時中断される。
戸惑う会音に構わず響斗は続けて、
「わかるんだろ? 指示頼む!」
「あ、えっと……」
――どうしよう。
やっぱり自分に自信が持てない。
うまくできる気がしない。
カムバックしつつあるネガティブ思考が足をすくませる。
しかし、考えようによっては―――ここで動かないほうが迷惑なんじゃないか?
――やる。とにかくやらないと。
静かに深呼吸して、頭の中にあったものを追い出す。
怪物にだけ意識を集中させ、穴のあくほどに見ることだけを考える。
会音の能力は『眼』―――『視る』ことに特化した身体強化だ。
見て、
診て、
視る。
遠くのものなら望遠鏡に、小さなものなら顕微鏡に。
望むものを『みる』ために自身の眼をチューニングする能力。
異能の力がラルヴァの姿を捉える。
集中する―――
ピントの合わないレンズのように、その目に映るラルヴァの姿が一瞬曇る。
集中する―――
歪みが、曇りが、端からゆっくりと晴れていき、一点に収束する。
集中する―――
ピントが完全に合わさり、ラルヴァの体内を移動する、ゴルフボールくらいの球体を捕捉した。
「………、ヒビトさん! 左の脇腹!」
「おう!」
響斗が光剣で怪物の脇腹を貫く。
剣は核を僅かに逸れ、ラルヴァの背中側へ貫通する。
「移動しました! 鳩尾です!」
「こっちか!?」
反対の手にも剣を生成して、再び距離を詰める。
ラルヴァがその場で足を踏み下ろし、舞い上がった土煙に視界を奪われ、再び攻撃が逸れる。
しかし、一度ピントの合った会音の眼は、その程度で目標を見失うことはない。
――予測しろ。移動し続けるなら、それを踏まえて言わなきゃ駄目だ。
「千奈ちゃん! そのまままっすぐ!」
刹那、大きく踏み込まれた槍の一撃が土煙の向こうにいたラルヴァの右腿の辺りを穿った。
切っ先が他と違う硬い感触を捉え、そのまま破壊する。
怪物の体が大きく揺れ、ばらばらと分裂していく。
しかし、それだけだった。
ナメクジのような分裂体は再び集結することなく、さらに小さく分裂しながら次第に霧散していった。
「終わっ…た……?」
手応えを確かめるように、何度も槍の柄を握り直す千奈。
「みたいだな。お疲れー」
響斗は周囲を見回しながら、誰にともなくそう言った。
屋上の会音も胸を撫で下ろし、すっかり忘れ去られていた救助対象の運転手を連れて廃ビルから降りた。
◇◇◇
MSS東京本社 討伐課3号館玄関前
運転手を連れて現世に戻り、片付けが終わるころには、時刻は午後3時を回っていた。
出発したのは12時前だったので、すっかり昼食をとり損ねてしまった。
「いやー、疲れたな。……食堂、もう閉まってるよな……」
『そうねえ。どこかで買う?』
「あとで売店行くか。お前らはどうすんだ?」
「朝買ってきてます」
「弁当持ってきてるんで」
「そっか。二人ともお疲れ。今回は頑張ったな」
「反省点を復習しておきます」
「ほどほどにな」
あまりにも真面目な答えに響斗は苦笑しつつ、
「エノンも―――少しは自信ついたか?」
「え?」
黒髪緑メッシュの少年の顔に浮かぶのは、イタズラが成功した子供のような笑み。
――なるほど、わかっててこっちに指示を求めたのか。
地味に気が回るやつである。
「あ……えと、多分……?」
「多分かよー。まあいいや。せっかく便利そうな能力なんだし、しっかり使えよなー」
言うだけ言って玄関のほうに歩いていく響斗。
会音は相も変わらずお腹がすいただのとぼやくその背を見つめる。
見つめて―――ふと、思い当たる。
昨日自分が感じた違和感。
どこかで知っている気がしていたが、あの感覚は―――
――ああ、ピントが合ってない……のか?
見つめる視線の先で、ぼやけていた何かがチューニングされる。
そして、
そして―――
―――響斗の肩くらいの高さに浮かぶ、緑髪の少女と目があった。
「『え………?』」