Act.05 異能世界の丸投げヒーロー(2)
「あー……マジかよ。逃げられた」
やれやれと今日何度目かの溜め息をつくクレイ。
流れるように嘆息する様子を見ていたメアリーが、
「ダメですよー。そんなにため息ばっかりついてたらー。ため息つくごとに幸せが逃げちゃうんですよ?」
「僕の溜め息で逃げた幸せは皮膚呼吸で再吸収するから大丈夫だ」
「皮膚呼吸!?」
突如展開された謎理論に思わず会音がツッコむが、クレイは平然と、
「おう。だからお前らの溜め息で出てった幸せも僕のものだ」
「なんと! よくわかりませんけどずるいです! 換気を! 換気をしなくては! 一人勝ちなんてさせませんからね!」
バタバタとメアリーが窓を開け始め、まだ肌寒い外の空気が吹き込んでくる。
「ちょっ!? 寒いですって! 書類飛んでるし! 第一、幸せは空気に漂うもんなんすか!?」
「幸せは皮膚呼吸で再吸収……」
「千奈ちゃんも、それ多分メモいらないやつだから!!」
謎理論をメモし始めた千奈を止めながら、窓を閉めていく会音。
いつか変なセールスに捕まるんじゃないだろうかと同期の少女の将来が心配になる。
しかし、それとは別に彼の頭の中を占める心配事があった。
――どうしよう。うるさいやつだって思われたんじゃ…。
まだ慣れていない場所で盛大にツッコんでしまった。
現在配属二日目である。
気まずい。
すごく。
それもこれも先輩達が変な人ばっかりだからだ、とは思うが、周りがみんなそんなだと自分がおかしいような気になってしまう。
自分は世界で独りきり―――だんだんそんな悲しい気持ちになってきた。
そんな会音の胸中を知ってか知らずか、クレイは何か思い付いたようにニヤリと笑うと、
「なんだよ、喋れんじゃん。いやあ、反応があるって素晴らしいよな」
「あの……」
「これはある意味求めていた人材がやって来たってことだな」
「えっと……?」
「つーことだから、頑張れよ。ツッコミ役はお前に任した!」
突然の任命に思考が停止する。
「えっ? な、何で?」
かろうじてそれだけ言えたが、続きが出てこない。
「役職……出世コースですね。おめでとうございます、八谷さん」
「後輩の成長の瞬間を見られるとは……先輩として誇らしい限りですわ。この喜びを表すには……そうですわ! お菓子はいかが? すぐにご用意いたしますわ!」
両側から千奈と愛桜が祝福してくる。
少し離れたところでは、メアリーがぱちぱちと拍手を送っている。
「な? この部屋は慢性的なツッコミ不足なんだよ」
わかったらよろしくなー、とか言って話を終わらせようとするクレイ。
これはマズイ。
このままでは了承したことにされる。
かといって、ぶかぶかパーカーの少年に断固拒否できる度胸はないわけで、
「あっ、そういえば、ヒビトさんは何かあったんすか?」
話を逸らして有耶無耶にする作戦である。
「ヒビト? あー……何つーかな……急ぎの特別任務ってとこだな」
作戦成功。
話は逸れた。
「つーか、気になるんだな。てっきり苦手なのかと……」
「えっ!? いや、そんなことないっすよ」
「そうか? 昨日もヒビトがいるときはあんま喋らなかったし、さっきも静かだったしさ」
「あ……えっと……それはその……」
会音は床を見つめて言い淀む。
と、そこで意外なところから助け舟が出た。
「……緊張してただけだろ」
顔を上げると、今まで黙っていた凌牙が相変わらずの仏頂面でこちらを見つめていた。
「ああ、そっちか! 悪い悪い! そっかそっか、憧れの先輩って訳だ」
クレイはそれで納得したのか、そういやヒビトだもんな、と頷いている。
周りの微笑ましいものを見るような目付きに、会音は軽く俯いて赤くなった顔を隠す。
一人分かっていない様子の千奈だけがきょとんとしていた。
「響斗さんは有名なのですか?」
「ですよー。社内じゃみんな顔知ってますしー、この辺りで討伐課に入る人って3割くらいヒビトさんに影響されてるって話ですよ」
「刀儀響斗―――最初期からの数少ない生き残りにして、ダントツの討伐数を誇る討伐課のエース。高い身体能力と強力な異能をもつ、現状唯一の二重能力者―――ま、こんな感じでヒーロー扱いされてる実は凄いやつだったりするわけだ。あれでもな」
『あれでもな』に諸々の感情が含まれている気がするが、触れないほうが良さそうだ。
「なるほど。そのような方と共に働けるのは確かに光栄です。……でも、その"二重能力者"とは何でしょうか?」
ゆっくりと頷くと、千奈は気になった単語について質問する。
わからない単語は即座に訊く―――その辺り何か優等生っぽいなあ、とクレイは思う。
「二重能力者ってのは簡単に言うと、能力を二種類持ってるってことだ。まず僕たちの言う能力ってのは……」
言いながら、何か思い出したようにポンと手を打って、
「そうだ、ヒビトが逃げたから僕が説明するんだった。まずは基本からだよな。えーっと……」
3秒ほど腕を組んで考えるクレイ。
「よし、ちょっと待ってろよ!」
そしてバッと顔を上げると、新人たちを置いてごそごそと準備を始めた。
◇◇◇
数分後
「そんじゃいくぜ! 第四回! クレイのMSS入門講座~!」
「どんどんどんー。ぱふぱふー!」
何か始まった。
「はーい、始まりました。今日も今日とて司会はこの僕、クレイ・ローウェルと―――」
「アシスタントのメアリー・クロフォードでお送りしますー」
無駄にノリノリだ。
丸投げされたとか嘆いてたのはどこのどいつか。
だて眼鏡と指示棒を装備したクレイとメアリーは、眼鏡をくいくいやってすっかり先生気分になっている。
こういうの形から入るタイプらしい。
「第四回……?」
「今年で四年目!」
「ああ、そういう……」
「さあ、盛り上げていくぜ! まずはじめはこちら! どんっ!」
効果音を口で言いながら、バックのホワイトボードに書かれた『ラルヴァ』の文字を手で指し示すクレイ。
「はい、説明できる人ー?」
千奈が黙って手を挙げる。
「はいセンナ!」
「ラルヴァは、異か……転界に生息する生命体の総称です。現世の生物を殺し、死体を摂取することでその情報を取り込みます」
「その通り! 厳密には死体っつーか生きてる物は取り込めないってだけらしいけどな。ここテストに出るぞー」
後ろでメアリーがホワイトボードに、『生き物 取り込めない』と書いている。
千奈がノートに書き写す。
「ということで、最初のテーマは言わずと知れた僕らの敵―――『ラルヴァ』についてだ! ちなみに『幼虫』とか『悪霊』って意味な。今言ってもらったとおり、ラルヴァは主に死体から情報を取り込んで、その情報によってどんどん形を変える。ここまではいいな?」
クレイは生徒が話についてきているかを確認して続ける。
「奴らは取り込んだものの形だけじゃなく、その特性とかも引き継げる。しかも、何をどうやってか、特異な能力を手に入れるやつもいる。それこそ、火を吹いたり、念力が使えたりな」
「向こうにも異能持ちがいるんすか?」
「強いやつは大体持ってる。特に、人間のパーツとかあるやつは要注意だぞ」
「ですよー。油断してたら八つ裂きです。八つ裂き」
がおー、と爪や牙をたてる真似をするメアリー。
「ラルヴァは理論上は普通の兵器で倒せないこともないらしいけど、兵器は無生物だからな。大概取り込まれる」
メアリーが『兵器 △』と書く。
「で、考えられたのが、ラルヴァと同じような異能を身に付けて対抗しようって作戦だ! 手に入る能力は人によって違うから何とも言えないけど、とりあえず主に三つに分けられる」
クレイは指を3本立てて見せて、
「自分の身体能力を上げる"身体強化系"。元からあるものを操作する"操作系"。何らかの物体を作りだす"生成系"。この三つと、よく分からない"その他"に分かれてる」
「……四つ言ってません?」
「細かいことは気にするな。僕が決めたんじゃないし」
クレイはわざとらしく咳払いをすると、
「具体的には、そうだな……例えば………よっと」
クレイは立ち上がると、片手でソファの端を持った。
そしてそのまま手を上げると、まるで発泡スチロールでできたハリボテのように、二人掛けのソファが軽々と宙に持ち上がった。
「僕の能力は身体強化系に当たる。効能はこのとおり、怪力が出せるって感じ」
クレイはソファを床に下ろして、
「派手さはあんまりないけど、シンプルで使い勝手はいい。単純に力とか速さとかが上がるだけじゃなくて、特殊な知覚とかが発現するタイプもここだ。エノンのも確か身体強化系だろ?」
「あ、はい。……多分」
「次に操作系は、センナのとかがそうだ。あれは水を異能で動かしてるわけだけど、水を用意しとかないと使えないだろ?」
「そうですね。それにあくまで水しか操作できないので、気体や固体は動かせません」
「水溶液は?」
「水だと思えるものならできます」
「なるほどな。こんな風に、操作系の特徴は、対象が限定的でそんな融通きかない分、細かい動きができるってことな。反対に、生成系は割とその辺苦手」
「生成系にはどのようなものがあるのですか?」
「そうだな……ヒビトのとかが入るかな。何もないとこから剣出してたろ。あんな感じ。炎とか雷とか出せるやつもいるな。柔軟な対応ができるけど、その分使い方決めとかないと中途半端な感じになるから注意ってとこか。まあ、この分類って結構曖昧なんだけど。何か質問は?」
「その他は?」
「その他! 以上!」
クレイは話を打ち切ると、すっかり冷めた紅茶で喉を潤す。
「で、こういった異能は普通、一人一つなんだけど、"二重能力者"はそれを二種類持ってる」
「珍しいんすか?」
「だな。今んとこヒビトだけだ」
「めちゃくちゃレアですね」
「だろ? しかも系統まで別だからな」
「二つ目の能力はどのようなものなのですか?」
「あ、やっぱ聞いてないか。昨日見せたとは言ってたけど」
逆に何の説明が出来てたんだ、とクレイは頭を抱えて、
「二つ目は『空間操作』だよ。さっきの分類だと、操作系だな。多分」
「空間操作……ですか?」
「そう。ワームホールとか作って瞬間移動したり、敵の攻撃を他所に飛ばしたりって感じ」
――もしかして、あの時の……?
昨日千奈への攻撃を防いだ空間の『穴』。
あれのことだろうか。
「すごいんですよー。ゲートとかも自由に開けられちゃうんですからー」
「はい!?」
思わず声が裏返る。
ゲートは偶発的に開くもので、ラルヴァでさえせいぜい開きかけの穴をこじ開けるくらいしかできないとされる。
だからこそ、MSSは使いやすい大型のゲートをわざわざ固定しているのではなかったか。
「出来るんすか、そんなこと!?」
「出来るんだなー、これが。あ、一応部外秘だから内緒な」
クレイは人差し指を立てて釘を刺す。
「だからヒビトはこうやってよく呼び出されんだ。ここのゲートから行くんじゃやりづらい仕事を片付けるためにな」
転界絡みで失踪者が出た場合、それが判明し次第担当地区にあるMSSの事務所に通報が入る。
現場に開いたゲートが安定しているならそれを使うこともあるが、基本的に失踪者は現場から一番近い固定されたゲートから入って探す。
しかし、車などの目立つ方法で転界を移動すれば、すぐにラルヴァに見つかって助けるどころではなくなることも多いため、どうしても移動に時間がかかってしまう。
それを解決するための措置、ということか。
「じゃあ今も……」
「多分一人で転界に行ってんだろうな」
◇◇◇
同時刻 都内某所、路地裏
乗ってきた飛行バイクを脇に停めて、響斗は改めて周囲を見回す。
ゲートに人が迷い込んだと報告された場所は向かいの路地の奥。
入口にまばらな人集りができているので、ここから中は見えない。
だが、先ほど通り過ぎざまに覗いた感じだと、意外にきれいに掃除されている路地には、エアコンの室外機くらいしか見当たらなかった。どうやら既にゲートは閉じてしまったようだ。
これなら集まっている人々にも危険はないだろう。
端末を操作して番号を指定すると、ワンコールで通信が繋がった。
「もしもし、着いたけど」
おう、とシンプルな返事が聞こえてくる。
「やっぱりゲートはもう閉まってる。何か人が集まってるし、誰か説明に寄越したほうがいいんじゃないか?」
「わかった。手配はしてあるから人命救助優先で頼む」
予想通りの答えが返ってきた。
「はいよ。現場近くの別のとこから入るけど、いいよな?」
「了解。見つかると面倒じゃしな。気をつけて行ってこい」
「はいはい。お前こそ過労で倒れるなよ」
通信を切って、再度辺りを確認する。
「こっち見てるやつは……いないな。よし、いくぞライリー」
『そうね。急ぎましょう。早く迷子を見つけてあげなくてはね』
二人は互いに頷き合い、すっ、と右手を前方の路地の奥へと伸ばす。
途端、何の変哲も無かった路地裏の景色に異変が起きた。
音もなく空中にノイズが走り、水に浮かぶオイルのような虹色のもやが周囲に浮かんだ。
ノイズは徐々に大きくなり、やがて一気に弾けて空間に『穴』を空けた。
「よし、繋がったな」
『ええ。行きましょうか』
◇◇◇
「さて、と。その迷子はどこにいるんだか」
ゲートをくぐり、転界に降り立つ。
今し方通ってきたゲートは危ないので既に閉じられている。
『この辺りにはいないみたいね。襲われていなければいいのだけど』
「そうだな。んー………」
響斗は目を閉じ、静かに周りの様子を探る。
足音や声が聞こえないか、血の匂いはしないか、ラルヴァの気配はあるか。
持てる感覚を総動員して探知を行う。
「…………見つけた」
少し離れたところにラルヴァの気配を感じる。
かすかに悲鳴も聞こえた気がした。
『まずいわね。結構大きいみたい』
気配はライリーにもわかったようだ。
わずかに声に緊張が感じられる。
「仕方ないな。超特急だ! 行くぞ!」
響斗は右手に剣を生成し、目標の方角に走り出す。
空いた左手を前方に差し出すと、意図を察したライリーがその進路にワームホールを開く。
一度で移動出来る限界の距離に出口を開き、その数メートル先にまた同じようにワームホールの入口を開く。
それを繰り返す。
ハードル走のようなフォームで空中の穴に連続で飛び込みながら、地形も障害物も無視して最短距離を突っ切っていく。
数回のワープで、あっという間に敵が目視できる位置までたどり着いた。
建物の三階くらいまで頭を上げた、巨大なムカデのようなシルエット。胴体は哺乳類の分厚い毛皮に覆われ、鎧のように硬質な脚が何本ものびていた。
土煙を巻き上げて移動する怪物は、中高生らしき少女を追っている。
「今なら敵は油断してるけど……助けるのが先だな」
逃げる少女の隣にワープすると、一瞬で少女を抱えてムカデもどきの後方に再度ワープする。
「よし、迷子確保! 迷い込んだのはお前だけだよな?」
少女は何が起こったのかわかっていない様子だったが、響斗の付けているMSSの腕章を見て、助けが来たということはわかったのだろう。半ば呆けた表情のままコクコクと頷いた。
響斗はそれを確認すると、
「オッケー。じゃあ俺はあいつを倒してくるから、ちょっとだけ隠れててくれ」
少女が廃墟の陰に入るのを見送って、目の前のラルヴァの巨体を見上げる。
相変わらず半身を持ち上げ前方を見下ろす毛皮付きムカデは、突然消えた獲物を探してその頭をゆさゆさと左右に揺らしていた。
「まだこっちには気づいてないみたいだな」
あの体では小回りも利かないだろう、とあたりをつけて、後方からまずは長すぎる胴体を分断しにかかる。
ラルヴァの巨体に合わせて、持っていた片手剣を身の丈以上の大剣に作り直す。
両手で光剣を構え、サイドに建つ廃墟の壁を窓枠を足場に駆け上がり、高さをつけた一撃を胴体に叩き込む。
バキンッ!!! と甲高い音と共に、異能の剣が砕け散った。
ムカデもどきがこちらに気づく。持ち上げていた上半身を捻って、頭をこちらに向けると、空中の響斗に向けて脚を伸ばした。
恐るべき速度で槍のように伸びる無数の脚が響斗を襲う。
「ッ!?」
素早く複数の光剣を生み出してガードするが、空中では衝撃は吸収できない。そのまま壁まで吹き飛ばされる。後方に盾のように幅の広い大剣を作り、空気抵抗で幾分か勢いを殺すと、宙返りで受け身をとって壁に着地する。
そこへ敵の追撃がきた。
「チッ!」
軽く舌打ちして真下へと跳ぶ。
そのまま地面に着地し、更なる追撃をガードと回避でいなしながら、一旦距離をとる。
「……硬いな。あの毛皮の中も脚と一緒か」
響斗は襲いくる脚の槍を見る。
あの外殻にはこちらの攻撃はまともに通らないだろう。毛皮の中もそうだとなると、かなり厄介だ。
「見た目はまだマシなのに結構面倒だな、あいつ。けど、伸びるなら全面覆われてはいないはず、っと」
こちらへ伸びる脚の一本を、わざとギリギリのところでかわす。
至近距離で大地に刺さった脚を瞬時に観察し、外皮の装甲の隙間を探す。
「見っけ!」
伸びきった脚にはやはり節の部分に隙間があった。
地面を強く踏み込んで、その部分に剣を振り下ろす。
重たい感触と共に、切断されたラルヴァの脚が宙を舞い、辺りに不協和音じみた絶叫が響いた。
「やっぱりな。中身は切れる」
ニヤリと笑って体勢を立て直す。
怒れる怪物の無数の脚を一本ずつ切っていくようなことはしたくない。
『ヒビト』
「ああ、わかってる」
狙うはやつの核。
それで終わらせられる。
響斗は一息に敵の懐まで踏み込む。
思ったとおり、伸縮する脚による攻撃は、その根本には届かない。
それでもこちらを攻撃しようともがくムカデもどきの脚を踏み台にして、響斗は怪物の頭上に飛び上がる。
移動する傍ら生成し直した片手剣を両手で持ち、真下に見える頭と胴体の関節の隙間に突き刺す。
響斗の光剣は毛皮の下にある鎧のような外殻の、さらに奥へと深く刺さった。
響斗が異能で作り出す剣は、長さも、幅も、数や出現させる位置まで自由に変えられる。形状に関しては、一度生成したものでも触れてさえいればいつでも変更可能だ。
「終わりだ!」
響斗は暴れる怪物に振り落とされぬようにしっかりと剣を握り締め、一気にその刃を巨大化させる。
瞬間的に膨張した光刃が、ムカデ型ラルヴァの体を内側から突き破った。
役目を終えた剣を霧散させ、響斗は地面へ着地する。
ゆっくりと倒れゆく怪物の体。
その断面に、光を失ってゆく核の残骸が見えた。
「ふぅ……これでよし、っと」
じわじわと空気に散開していくムカデもどきの体に背を向け、救助者のもとへ向かう。
あとは彼女を現世に送り届けるだけだ。
◇◇◇
第二部隊 執務室
「それでさー、あいついつも僕に書類仕事押し付けてんだぜ? 酷くね? そりゃ確かに一人でやらせたら夜中までかかったりするけど、行ってもない任務の報告書を上司に作らせるとか……」
『クレイのMSS入門講座』とやらはいつの間にか終了し、話題はすっかり響斗のことに移っていた。
もっとも、今やクレイが愚痴を言っているだけの状態になりつつあるが。
「ただいまー」
「あ、帰ってきたな、丸投げヒーロー」
「また変なあだ名が増えてるし……。ていうか、一体何してたんだよ、クレイ」
だて眼鏡を頭に乗せたクレイとメアリー。
散らばった書類。
積み上げられた大量の焼き菓子。
『ラルヴァ』だの『異能バンザイ』だの『がおー』だの書かれた落書きだらけのホワイトボードは、不良がスプレーで描いたウォールペインティングもかくやといった有り様だ。
「何って、お前がやらないから新人に諸々の説明をだな……」
「えっ、これで!? マジで!?」
「マジだっての。いつも以上に目が節穴だな」
「いや、今日は俺正しいと思うけど……違うのかな?」
『普通にこの状態はおかしいわよ。自信持ちなさい』
「やっぱりおかしいんじゃん! 人が真面目に仕事してきたのに何だよこの扱い!?」
「日頃の行いじゃね?」
「うー」
「失礼しましたわ。お疲れ様です。どうぞ召し上がれ。先ほど焼いたお菓子ですの」
頬を膨らませていかにもご機嫌ナナメの様子の響斗に、愛桜が山積みの菓子を差し出す。
「……ありがとう」
「今紅茶もお淹れしますわ。今日はおめでたい日ですから、響斗さんも存分に味わって下さいな」
「……めでたいって、何かあったのか?」
両手に焼き菓子を持っていくらか機嫌を直した響斗が尋ねる。
「なんと、会音さんがツッコミ役に昇進しました! 後輩の成長! これを祝わずしてなんとしますか!」
「ちょっ!? その話はもういいですって! せっかくみんな忘れてたのに!」
会音の悲痛な声が部屋に響く。
「あー……なんというか……頑張れよ。聞き流してもいいからな?」
「うぅ……はい……」
言いたいことは言っていいぞ、と珍しくまともな対応をしている響斗。
明日は雷雨か、はたまた雪か。
天気予報を確認するクレイだった。
会音は響斗の顔をまじまじと見た。
思えば、まともに目も合わせていなかった気がする。
「何か付いてるか?」
「いえ何も!」
思わずそう答えてしまった。
――緊張する必要はない、か……。
クレイのMSS入門講座―――もとい響斗の悪口大会で、しきりに言われた言葉だ。
話を聞くうちに、会音にもわかってきた。
この黒髪緑メッシュの先輩が、別に雲の上の人間ではないことを。
彼はあくまで『先輩』であり、自分たちの延長でしかないのだと。
たとえどこまで先にいるのかわからずとも、響斗は同じ高さに立つ普通の人だ。畏まりすぎる必要はないし、響斗本人もおそらく望んではいない。
他の面々はそれをよくわかっているのだろう。
ならば、自分も普通に接するべきだ。
それが彼に対する礼儀の表しかたなのだろうから。
「……ヒビトさん、何かリスみたいになってますね」
「えっ!? ……えー、お前言いたいことそれか?」
頬張っていたものを急いで飲みこんで響斗が笑う。
「まあ、それでいいよ。そのほうが楽しい」
「頑張ります」
「おう、気楽にな」
屈託なく笑って肩を叩く響斗。
そうしていればまともに先輩らしく見える。
が、
『ヒビト、口元に食べかすつけてると格好がつかないわよ』
「ん? ……あ、本当だ」
響斗は口元を拭いながら、目だけで斜め上に浮かぶ少女を見上げる。
つられて会音も斜め上の虚空を見つめた。
「……ん? どうした、エノン?」
「あ、いや……えっと……」
会音はしばし視線を変えずに硬直していたが、やがて響斗に視線を戻して口を開いた。
「あのー、ヒビトさん」
「何だ?」
ずっと気になっていたことがある。
緊張で訊けなかったことがある。
思えばまず最初に訊いてもよさそうな当然の疑問。
「その―――」
「誰と話してるんすか?」