Act.46 混乱世界の健康診断(3)
数分後 廊下
「……技術部の方々が二村室長に内緒で飼っていたカマボコの妖怪が逃げ出した、ですか……?」
状況を聞いた千奈が、呆然とした口調で復唱する。
困惑の色を浮かべた青い瞳に苦笑いしか返せぬまま、会音は改めて状況の意味不明さに頭を抱えた。
その背後には、先程までスクラムを組んで抗議を続けていた研究員達が整然と並んで正座させられていた。
「……言いたいことはわかった。だがここは会社だぞ。建前だとしても上に説明して許可を得てから行動すべきだろう。誰が責任とると思ってる」
「でも室長!」
そこそこまともな説教をする二村に、先頭で正座させられていたタイラーがなおも食い下がる。
「あいつは……カニカマはまだ何もやっちゃいない! ちょっと怖がって逃げただけなんです! 責任ならおれが取りますから、どうか慈悲を!」
「そうか。責任とれるのか。じゃああの天井の穴は責任もってお前の金で修理しろよ。できなきゃ給料から天引きするからな」
「そんな! このブラック企業!!」
「だから個人で責任とれないなら会社に許可取れって言ってるんだろうが」
正座研究員達が修理費の割り勘の相談を始めるなか、響斗は一人カニカマの逃げていった大穴を眺めていた。
「んー……うーん………」
「何唸ってるんすか?」
「ああ、エノンか。いや、逃げたカニカマ?の気配が追えないかと思ったんだけどさ……」
「あ、そういえばわかるって言ってましたね」
ラルヴァは他のラルヴァの気配を辿ることができる。
それは肉体がラルヴァである響斗も同様だ。
もっとも、正直に公表するわけにはいかないので、『昔の実験の影響で〜』などと適当に誤魔化しているのだが。
「その様子では難しいのですか?」
続く千奈の問いに頷きながら、響斗は廊下の先―――他のサンプルがいるであろう方向を見つめる。
「俺はラルヴァがどっちの方向にいるかなら結構広い範囲までわかるんだけど、精度はそんなに高くなくてさ。人型とかなら他と違うからわかるけど、カニカマみたいな普通のやつは他のサンプルと混ざってよくわからないな」
「そうですか」
「というわけだから、エノン。探すのは任せたぞ」
「えっ、俺っすか!?」
「まだこのフロアからは出てないだろうからさ、とりあえず端から見ていこうぜ」
「端から……全部………」
「しょうがないだろー。カニカマはできる限り無傷で生け捕りにって話なんだから。煙とかで適当に炙り出したりできないし」
ほら行くぞー、と適当な号令をかけてフロアの端への移動を開始する響斗。
そんな先輩の後を、後輩二人は諦めと困惑の表情でついて行くのだった。
◇◇◇
捜索開始から約20分後。
未だカニカマは見つからず、騒動解決の兆しは見えない。
"徒労"のニ文字が頭に浮かんでは消え、心なしか足運びも雑になってきた。
完全にモチベーションが低下している。
平たく言えば飽きたのだ。
「うーん、見つからないもんだなあ」
「意外と広いっすね……」
天井や床を見回す会音。
能力を多用しているからか、その声には疲労が滲み出ている。
「はあ……」
会音はため息をついて近くの壁にもたれかかった。
ひんやりとした感触が背中を包む。
「……ん?」
と、そこで彼は違和感に気がついた。
「なんか濡れてる? ……うわっ!?」
『カーニー』
会音の背後で柔らかい壁が返事をする。
どうやら壁と同じ色に擬態して張り付いていたらしい。
天井や床ばかり探していて気付かなかった。
「いたぞ!」
剣を生成し構える響斗。
千奈も手に持っていたボトルの蓋を開け、会音はそんな二人の邪魔にならないように標的から距離をとる。
奇妙に長く感じる数秒の睨み合い。
達人同士の決闘の場面というよりは、木にとまった蝉に虫取り網を持って忍び寄った夏休みのあの日を思わせる緊張感に、自然と息を殺す三人。
仕掛けるタイミングを伺うように、ジリッと響斗の足が数センチだけ前に出る。
そのまま重心を前に移そうとして―――
「待て! カニカマに剣なんて向けないでくれ!」
突然両者の間に割って入ってきた研究員の声に思わずつんのめった。
「えっ、ええっ!?」
「響斗さんの剣じゃ攻撃力が高すぎる! カニカマの肌は繊細なんだ!」
背後のカニカマを庇うように、両手を広げて立ち塞がる研究員。
次第に声を聞きつけた他の研究員も数人加わり、あっという間に壁を成してしまった。
「いや、えー……ど、どうしたら……」
虚空を見上げる緑メッシュの少年の視線の先で、緑髪の少女が肩を竦めて言う。
『ヒビト、カニカマが逃げるわよ』
「えっ!?」
見れば、研究員達の向こうで、カニカマがプルプルと壁を登っていた。
『カニニィ』
響斗の視線に気付いたのか、カニカマが短く鳴いて移動速度を上げる。
「あ、待って!」
千奈が持っていたボトルの水をロープ状にして伸ばすも標的には届かず、カニカマは再び姿を消してしまった。
「逃げられたか……」
◇◇◇
さらに数十分後 廊下
「いや……難し過ぎません?」
心底疲れた声が会音の口から漏れる。
カニカマに再び逃げられてから、彼らは何度も再遭遇しては取り逃し続けた。
慣れてきたのか、最初に比べて発見までの時間は大幅に改善されたものの、依然として生け捕りには失敗し続けているのである。
いや、正確には生け捕りにトライする段階にすら届いていなかったのだが。
「だよなー。ちょっとでも剣向けたらすぐあいつら飛んでくるもんな。俺が剣以外も出せたら良かったんだけど……今から習得は………無理か。だよなあ……」
そう、目下最大の障害は、カニカマを守ろうとする研究員達の存在だ。
最初に生け捕りを試みた時と同じく、カニカマと遭遇する度に過保護な研究員達に乱入され、場が混乱している間に逃げられるのだ。
「すみません。私がもっと器用に水を扱えたら……」
俯く千奈の声にもやはり疲労が滲み出ていた。
会音ほど多用しているわけではないが、ロープのような普段と異なる形状で水を操作していることが負担になっているのだろう。
「いやいや、千奈ちゃんのせいじゃないって!」
「そうそう。いつもの装備もないし、ロープだけでも十分器用だぞ」
元々健康診断のために技術部棟を訪れていた彼らは、当然ながら武器など携帯していなかった。
普段から武器を持ち歩かない響斗はさておき、使い慣れたボトルが手元にない千奈はやりにくいようだった。
なお、今の彼女の装備はその辺にあったペットボトルである。
「そうだなあ……やっぱりもう少し沢山水があれば、ロープと言わず網とか作れるかもだけど………うーん、スプリンクラーとか? ………そっか怒られるか」
右に左に首を捻って考える響斗。
頭を使うのは向いていないのか、今にも煙を吹きそうな様子である。
「俺達もバケツとか持って移動したほうがいいんすかね。ぶっかけてから操作したほうが負担軽そうですし」
「体液と混ざったら操作できないんじゃないか?」
「ああ、じゃあかけるのはダメっすね」
「でもバケツ持ってくのはありだよな。あとは……」
無難そうな後輩の提案に乗っかろうとしたところで、意を決した様子の千奈が口を開いた。
「あ、あの!」
「どうした?」
「試してみたいことがあるのですが」
「「?」」
◇◇◇
技術部棟 メインフロア
―――の、壁際。
「暗示をかけてほしい?」
困惑した表情で訊き返したのは、健康診断後に千奈の担当をしていた研究員だ。
カニカマとの最初のエンカウントの際、二村を「冷酷メガネ」呼ばわりして正座させられていた尾形さんである。
未だ反省中らしく、他の研究員―――あの後同じような罪状で何人か捕まった―――と一緒に正座させられている。
「はい。お願いできますか?」
そんな相手の状態が気になりつつも、決して表情には出さないようにして言葉を続ける千奈。
「別にいいけど、何で?」
「試したい作戦があってさ、うまくいけばカニカマを無傷で捕まえられるかもしれな
「すぐ取り掛かろう」
補足しようとした響斗の言葉を遮って、俄然やる気になった研究員が立ち上がる。
勢い余って性格改変とかやらかしそうな雰囲気に気圧されながら、もう何度目ともしれないカニカマ捕獲作戦が開始されるのだった。
◇◇◇
そして、さらに十数分後。
『カーニー』
「見つけたぁぁぁ!」
廊下に置かれた棚の間から姿を表したカニカマを、研究員達が補足した。
今や話は技術部全体に伝わっており、研究員達がほぼ総出で捜索したところ、僅か数分で発見することに成功した。
今更だが、どうして最初から皆で探さなかったのだろうと、会音はここ数時間の徒労を思って少しだけ悲しくなった。
「よーし、動くなよ……」
水の入ったバケツを持って近付く響斗と会音。
逃げられないように周囲を研究員達が取り囲んでいるとはいえ、天井や床に逃げられないとも限らない。
ここで終わりにする、と視線だけで決意を交わし合い、二人はジリジリとカニカマとの距離を詰めていく。
緊張の一瞬。
そして―――
「それっ!!」
二人は持っていたバケツの水を、カニカマ目掛けて思い切りぶっかけた。
『カニッ!?』
水を避けようとするカニカマを、研究員軍団が捨て身で止める。
何人か巻き添えを食ってびしょ濡れになり、廊下自体も水浸しになったが、カニカマも十分に水を被った。
「よし、こんだけあれば大丈夫だろ。センナ、頼んだ!」
「はい!」
後退する二人と入れ替わり、後ろに控えていた千奈が前に出る。
「はぁぁぁぁッ!!」
周囲に撒かれていた水が意思を持ったかのように蠢く。
無論、カニカマを濡らしているものも含めてだ。
そして、水は網目状に広がりながら、カニカマの表面を取り囲んでその動きを抑え込む。
『カ、ニッ……』
動けなくなったカニカマが、ついに観念しておとなしくなる。
ぺしゃんと投げ出された手足(?)が、戦いの終わりを告げていた。
「や、やった!」
「怪我はないか!?」
「手荒な真似をしてごめんなぁぁぁ!!」
感極まった様子で騒ぐ研究員達を横目に、響斗達もそっと胸を撫で下ろす。
「うまくいったみたいだな。大丈夫か、センナ?」
「あ、はい。まだ気は抜けませんが、問題ありません」
「すごいや、あの辺とかカニカマの体液混ざってそうなのに……。暗示ってマジで有効なのか」
感心した様子で眺める会音の横で、響斗がポツリと呟く。
「なんか濡れたままのおっちゃんいるけど……あれは操れなかったのかな」
「それは言わないでおきましょうよ」
今回はカニカマに関してしか暗示をかけてもらっていないのだ。
千奈から事前に説明を受けたときは半信半疑だったが、限定的とはいえ効果は十分にあるようだ。
「ほら、部屋に帰ろうな」
「きれいな水もたっぷり用意したからな」
涙声でカニカマに語りかける研究員達。
そのうちの数人に囲まれて、カニカマが台車で部屋へと移送されていく。
移動させるようなので付き添ってきます、と言って歩いていく千奈を見送って、壁際でくつろごうとする響斗と会音。
そんな二人の背後から、地を這うような暗い溜息が聞こえた。
「よぉぉぉうやく終わったか馬鹿ども」
「うわっ!?」
驚く響斗の後方約1メートル。
そこには、何度目かの暴走の後に、タイラー他数名の手によって拘束されていたはずの二村が、音もなく戻ってきていた。
一体どのような戦闘の末に解放されたのか、髪はボサボサ、白衣はヨレヨレ、なんなら端が少し焦げていた。
怒りとも呆れともつかない暗い目と相まって、幽鬼のような有様である。
よく見ればその更に後ろには、ボロボロの防護服を纏ったタイラーが控えていた。
こちらはこちらで酷い格好だったが、その顔はカニカマの無事を確認してとても晴れやかだった。
ツカツカと響斗達の横を通り抜け、カニカマ捕獲地点までやってきた二村は、ゆったりとした動きで周囲を見た。
びしょ濡れの廊下。
崩れた天井。
傷んだ壁。
あちこちから漂う磯の香。
「……………」
細く息を吐き、ゴーグルの隙間から眉間を揉む二村。
そして、その場の浮かれムードをかき消す底冷えのする声で一言。
「で、誰が片付けるんだ?」
「「「………」」」
その場の誰も答えなかった。
研究員達は揃って目を逸らした。
響斗と会音は壁際で気配を消した。
二村は再度問うことはしなかった。
ただ圧のある笑顔で順番に部下の顔を見ていった。
「……おい」
最小の声量で隣の会音に耳打ちする響斗。
「何すか?」
「帰るぞ。片付け手伝わされる前に、今すぐ」
「了解っす。じゃあ千奈ちゃん連れ戻さないと」
「そうだな。あっちから回り込むぞ」
二村の視界に入らないようにこそこそと離脱する響斗と会音。
二人が抜けようとも状況は変わらない。
空気は更に密度を増して、居心地の悪い冷気が廊下を侵食する。
永遠とも思える沈黙はいつまで続いたのか。脱兎のごとく技術部を後にした第二部隊の一行には知る由もないことである。
◇◇◇
第二部隊 執務室
「って感じだったから、三人で逃げてきた」
カラカラと笑って事の顛末をクレイに報告する響斗。
大変な苦労をしたわけだが、喉元を過ぎればこんなものである。
「賢明だな。で、肝心の健康診断とやらは?」
「ん? あー、多分問題なかったんじゃないか? 結構早く終わってたし」
もはや記憶に薄いのか、適当に流そうとする響斗に、「まあ仕方ないか」という苦笑で応じるクレイ。
残りの二人にも後で聞いておくか、と部屋の奥に視線を向ける。
並んだ事務机の向こうにさりげなく作られたミーティングスペースには、椅子に腰掛けた千奈を囲むように、ちょっとした人だかりができていた。
テーブルの上にはいくつものコップが並び、それぞれにカラフルな液体が注がれていた。
水、麦茶、緑茶、オレンジジュース、コーラ、サイダー、コーヒー、カフェオレ、ミルクティー、冷製コーンスープ、エナジードリンク……等々、様々な飲料の缶やペットボトルが杭田の机の上に散乱している。
ラインナップからして食堂の自販機で仕入れたのだろうが、いくらなんでも買い過ぎだ。
一体誰が飲む想定でそんなに開けたんだ、と問いただしたくなる量である。
「では次はこちらをどうぞ!」
「今夏の新作、飲む冷やし中華NEOだよ!」
意識を向けると、愛桜と杭田が楽しそうに千奈にドリンクを勧める声が耳に届いた。
千奈は真剣な表情で目の前に置かれたコップと向き合うと、随分と慣れた様子で中身の液体(と呼べなくはない何か)を宙に浮かべて見せた。
そのままそれを自らの口元まで運び、一気に飲み干す。
軽く噎せつつも頷きで成功を表明する千奈に、愛桜と杭田が湧く。
「素晴らしいですわ! こんなにも水から遠ざかったものでも操れるなんて、後輩の成長にわたくし感動しておりますわ!」
「うんうん、細かくカットされた麺とドレッシング並みに濃い胡麻の風味がマッチした『これ飲み物?』な一品だっていうのに、ちゃんと操作出来てるね!」
「そ、そんな、まだ水と同程度に操作できるわけではありませんし」
「それはここから伸ばせば問題ありませんわ。伸びしろというやつですの」
「そうだよ。できるって思うだけで広がる戦略の幅もあるってものさ」
「そ……はい」
反射的に謙遜しそうになるのをこらえ、千奈は照れたように目を泳がせた。
「ところで、何かコツがあるんですの? わたくしも布しか操作できませんし、あれば教えていただきたいですわ」
「あ、それはボクも聞きたいなあ」
向上心高めな先輩二人に囲まれて、千奈はおずおずと自分が学んだ世界の捉え方を言語化していく。
「ええと、技術部の尾形さんにかけていただいた暗示をベースにしてるので、美味しそうだと思えたら操作対象にできている気がするのですが、暗示としてはまだ弱くて……」
「なるほど、暗示とは奥が深いのですわね。それでこそ訓練のしがいがあると言うものですわ!」
――……それ、いいのか?
大きく頷く先輩二人とは対照的に、端から聞いていたクレイは果てしなく微妙な顔で笑みをひきつらせた。
今はいい。ジュースだし。美味しそうなのは当然だ。
だがここから先、ラルヴァ相手にもそう思いながら戦うつもりなのだろうか。
実際に食べることはないだろうが、精神状態が珍味ハンターのそれになりそうで怖い。
ふと周囲を見ると、多分会話を聞いていたのであろう会音が、同じような顔で頭を抱えているのが見えた。
視線に気付いてこちらを見た会音に、苦笑いを返すクレイ。
「せっかくですし、わたくしも練習してみますわ!」
「……お前は布を食うのか?」
掛けてあった上着を見ながら、「これは甘い……」などと自己暗示を始めた愛桜に、耐えかねた凌牙が口を挟む。
「たしかに布は食べられませんわね……どうしましょうか」
「いや、別に違う方法でいいだろ」
「シロップとかに浸けたらいいんじゃないかな! 甘いよ!」
「聞けよ」
不毛な会話は続く。
やつらがエキセントリックな結論に辿り着く前に、終業のチャイムが鳴らないものかと、壁の時計を睨むクレイだった。




