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Act.42 弛緩世界で三度寝を(2)

 しばらく愛桜(あいら)と雑談を続けた後、目的を達した杭田(くえだ)はメアリーの待つクレイの席の方へ戻ってきた。

 戻っては来たのだが―――

「クレイ君クレイ君! 林間学校っていいと思わないかい? もうすぐ夏だし!」

 当初の目的などきれいさっぱり忘れたかの如く、輝く笑顔で突拍子もない提案を持ってくる杭田。

 一応心配で途中まで聞き耳を立てていたクレイは、驚きこそしないものの、相手に聞こえるようにわざとらしくため息を吐いた。

「相変わらず何一つ脈絡ねぇな……。リョウガの不機嫌の理由を聞きに行ったんじゃなかったのかよ」

「うん、聞いた聞いた! あれはそっとしておくのが吉とみたね。きっと今ごろ気恥ずかしさと申し訳なさで悶々としてるに違いないよ。若人(わこうど)の悩みは当人できっちり解決してもらって、ボクらは新たなるイベントの企画にのり出そうじゃないか!」

「若人って……お前ら3つしか違わないだろ」

「3年を甘く見てはいけないよ。思い出してごらん。受験勉強に追われた高三の夏、初めての夏に浮かれる一年生は別の次元に生きていただろう?」

 杭田の言葉を受けたクレイは指を折って数えると、

「言いたいことはわからなくもないけど、それ2年しか違わなくないか?」

「2年差で次元が違うなら、3年差があれば時空が違うかもよ?」

 ちっちっち、とわざとらしく指を振って答える杭田。

「適当なこと言うなっての」とこめかみを押さえるクレイの横で、痺れを切らしたメアリーが叫びだす。

「もー! なんとかしてくれるんじゃなかったんですかー!? 前よりぜったい不機嫌オーラが増えてますよ、あれー!」

 パタパタと腕を振って抗議するメアリー。

「まあまあ落ち着いて。心配しなくてもそのうち機嫌は直るよ、多分。今まさにさりげない謝罪の言葉とか考えてるかもしれないよ? そういう訳だからしばらくそっと

「あの人がそんな殊勝なこと考えてるわけないですー! 鬼ですよ! 鬼!!」

 杭田の言葉を食い気味に否定しながら、メアリーは拳を握りしめて力説する。

「メアリー、後ろ後ろ」

「え? ……きゃあぁぁぁ!?」

 振り向くメアリーの後ろには、額の端にうっすらと青筋を立てた凌牙(りょうが)が立っていた。

「え、ええっとですねー……鬼っていうのはその………」

「……………」

 上手い言い訳が思い付かず口ごもるメアリーを、表情を変えぬまま黙って見下ろす凌牙。

「あぅぅ……」

 さっきまでの勢いはどこへやら。

 凌牙と絶対に目を合わせないようにしながら、助けを求めて目を泳がせるメアリーの背中は、いつも以上に小さく見えた。

「……おい」

「ひぃ!?」

 痺れを切らした凌牙が話しかけようとした途端、メアリーは弾かれたように逃げ出すと、運悪く手近な位置に座っていた後輩の影に滑り込んだ。

「え、会音(えのん)くん、助けてー! 赤対(しゃくつい)さんがいじめるー!」

「え!? 俺すか!?」

 突然盾にされたぶかぶかパーカーの少年は、自分越しに睨んでくる凌牙の視線に気付いて、ミニマムな先輩を椅子の背から引き剥がそうと試みる。

「ちょっ、巻き込まないで下さいよ」

「いいじゃないですかー。先輩に恩を売るチャンスですよ! それかこないだアメあげた気がするのでその借りをぜひ!」

「ええ……。というか苦手な人とかいたんすか」

「苦手じゃないですよー。怖いだけですもん」

「それを苦手っていうんじゃ……」

 ぎゃあぎゃあ騒ぐ部下達を眠たげな目で見つめながら、クレイは机に腰掛けて端に置かれた小箱を指で玩んでいた。

 箱の中身は胃薬だ。

 面倒事の空気を察して早々に退散した灯和(とうか)が、申し訳程度に置いていったものである。

 ――どうせなら食べ物が良かったかなー……。

 心中で勝手なことほざきながら、パッケージを欠伸で潤んだ目で見つめる。

 先ほど灯和に遅刻したことにして寝ようかなどと言っていた時は冗談のつもりだったのだが、意外と気が抜けてしまっていたらしい。

 眠気で頭がふわふわする。

 だが部屋がうるさすぎておちおち仮眠も取れそうにない。

 全部無視してこのまま寝ても、数秒に一回誰かの声で起こされるに違いない。

 ――ちょっとはそろそろ静かにしてくれよ……。

 収まる気配のない喧騒にそろそろ疲れてきたクレイは、フラフラとメアリーに歩み寄り、

「よーし、わかった。ショック療法だ。二人で任務行ってこい」

 荒療治―――に見せかけて、騒音の元を部屋から追い出すことに決めた。

「ええーっ!? ムリですよ、ムリムリムリ! ぜったい間がもちませんよー!」

「わかったわかった。じゃあアイラも付けてやるから。あ、詳しい資料はリョウガにでも渡しとくな」

 まだ全力で首を振り続けているメアリーを黙殺し、さっさと準備を進めるクレイ。

「アイラ、そんな訳だから一仕事頼む」

「かしこまりましたわ!」

「頼んだぞ。メアリーは引きずってっていいからな」

 歯医者を拒否する駄々っ子のようになってしまっているメアリーとは対照的に、やる気に満ちた目で頷く愛桜。

「お、鬼ー! 悪魔ー! 化けて出てやりますからねー!」

 首根っこを掴んで連れていかれるメアリーの声が、廊下をしばらく反響していた。


 ◇◇◇


数十分後 転界 海岸沿いエリア


 からっとした夏空が広がっていた現世と違い、転界には生憎と霧が立ち込めていた。

 夏本場にはまだ早いというのに、じめじめした湿気と海風のもたらすベタベタした湿気がそこに加わり、一歩ごとに不快感が増していくような嫌な熱気が通りを埋め尽くしていた。

 じっとりと肌にはり付く服の端を、鬱陶しそうに指で摘まんで剥がす。そうするとほんの一瞬湿り気から解放されるが、またすぐに服がまとわりついてくる。焼け石に水どころか、余計に暑くなった気さえしてくる。

 まだ朝の一件から機嫌が直っていない凌牙は、次に遭遇したラルヴァを視線だけで殺す気であるかのような殺気立った目で前方を睨み付ける。

「暑いですー……。なんかもうとにかく暑いですー……」

「本当ですわね。せめて湿気だけでもなんとかしたいところですわ」

 延々と泣き言をぼやくメアリーと、優雅に扇子で扇ぎながらついてくる愛桜。

 暑い暑いと連呼する二人の声が、凌牙のイライラに拍車を掛ける。

 極めつけは、

「いやー、暑いよねえ。言ったからどうって訳でもないけど言いたくなるね。あ、でも、逆に『涼しい』って言い続ければ、言霊パワーで気温その他が下がったりするかもよ? リョウガ君も言ってみる? 自己暗示的なアレでちょっと暑くなくなるかもよ?」

 隣を歩くサンタ服の青年が、やたらと絡んでくることだ。

「……おい、サンタ。そもそも何でお前がいる?」

「それはもちろん、メアリーが心ぱ……じゃなくて、何か楽しそうだったからだよ!」

 元気一杯に答える杭田。

「建前と本音の順番が逆だ赤色野郎。つーか、お前こそ暑くねぇのか?」

『見ているだけで暑苦しい』という顔で指摘する凌牙。

 何しろ相手は季節外れもいいところなサンタ服の男である。

 今はまだ5月だ。

 もうすぐ6月が来ようというところなのだ。

 だというのに、何故今時分にまで雪ダルマを背景にケーキを売ってそうなクリスマスの使者を相手にせねばならないのか。

 暖炉の火を思わせる包み込むようなやわらかい赤色が今はひたすら暑苦しい。

 なまじクラシックなデザインなので、首もとがきっちりつまっているのが余計暑そうだ。

 だが、当の本人はいたって涼しげな顔で答えた。

「ふふん、これは夏服だからね。通気性その他もろもろに優れた特別製(オーダーメイド)だよ。実はこう見えて防弾・防刃仕様で汚れも落ちやすい素材なんだ☆」

 ――どこのどいつだ、こんなのわざわざ作ったの……。

 呆れる凌牙の目の前に、その答えはすぐにやって来た。

「そう、何を隠そう30gohukuの特注品ですの!」

「やっぱりお前のとこかよ」

 得意気に微笑む相棒に、凌牙はこめかみを押さえながら応じる。

 30gohukuとは、愛桜の実家が営む呉服屋である。

 曰く、元は細々と続いてきた由緒正しき呉服屋。

 しかし、愛桜の祖母の代で急に『着物に縛られる時代は終わった』などとのたまって洋服にも手を出し、靴だの鞄だのと手を広げ続けた結果、店名に『呉服』とついているだけの店になっていたそうである。

 その店名も今やアルファベットになっている辺り、実は呉服屋とは呼べないのかもしれないが。

 とはいえ仮にも呉服屋なので、当然着物や帯も取り扱っている。

 だが今現在、店の主力商品は和服とはさして関係のないものである。

 それが愛桜や杭田の着用しているオーダーメイドの戦闘服だ。

 一昨年の春、一人娘がMSSに入ったとあって、愛桜の両親はそれはもう舞い上がった。

 そして、娘の晴れ舞台(初陣)を彩るべく、それはそれは気合いを入れて戦闘服を仕立てた。

 耐久性が高く、それでいて軽くて動きやすくて通気性もよく―――と、思い付く限りの良さげな特性を盛り込んで。

 そうして出来上がった戦装束は、身内だけで使われる試作品のような形で終わるはずだったのだが、これが意外にも仲間内―――主に若い社員の間で評判となり、求められれば売るしかあるまいと、こうして注文を受け付けるようになったのである。

 現在も社員の口コミによって30gohukuに戦闘服を注文する者はじわじわ増加しており、最近では他県の支部からもたまに注文が入るようになったという。

 もっとも、広まった理由の一つは愛桜が自分で宣伝したからでもあるのだが。

「アイラさんのとこは相変わらずいい仕事するよねえ。夏・冬合わせて計4着持ってるけど、どれもいい出来だよ。惚れ惚れするね!」

 杭田の流れるような称賛の言葉に、愛桜は顔を輝かせる。

「ありがとうございます! そう言っていただけると励みになりますわ!」

「アイラさん、休みの日は店手伝ってるんだっけ? 何やるの? 縫うの?」

「主に採寸ですわね。凌牙さんのこれなどもわたくしが担当しましたの!」

 自分でも満足のいく仕事だったのだろう。

 愛桜は誇らしげに胸を張って答えた。

「ああ、リョウガ君もアイラさんのとこの店で作ってもらってるんだっけ。」

「……あちこち探すのが面倒なだけだ」

「確かに。これだけのものを他で見繕うのは大変そうだ。いい店を紹介してくれたアイラさんに感謝だね」

「………」

 にっこり笑顔で返してくる杭田に、もはやどう返答すればいいかわからず、凌牙は開きかけた口を閉じてさっさと進むことにした。

「ねーねー、アイちゃん。後でわたしにも紹介してくださいよー。わたしだけ仲間外れでなんかさみしいですー」

「もちろんですわ!」

 後ろからはまだそんな暢気な会話が聞こえてくる。

「……お前らも、いい加減気を引き締めろよ」

「そうですわね。大声を出しては敵に囲まれかねませんもの!」

『ちゃんと覚えました!』とでも言うような自信に満ちた顔で言う愛桜。

 その声がすでに大きいのだが、それを指摘する気力はなかった。

 一方メアリーはといえば、凌牙が振り返って何か言おうとした瞬間に、杭田の後ろに身を隠していた。

 野生動物並みの反射速度である。

 ――さては盾にするためにサンタを呼んだな。

 赤い服の陰から様子を窺ってくるメアリーを、呆れ半分の目で睨んでから、凌牙は諦めて再び歩き出した。


 凌牙の姿が霧の中に消えていくのを見て、胸を撫で下ろすメアリー。

 実は強く怒られたことはないし、なんなら向こうの方が後輩なのだが、どうにも叱られる気がしてならないのは日頃の行いのせいだろうか。

「ほらほら、行くよメアリー。霧が濃いからはぐれたら大変だよ」

 顔を上げると、しがみつかれて動けなかった杭田が僅かに急かすような口調で見下ろしてきていた。

「ふーんだ。赤対さんじゃあるまいし、迷子になんてなりませんもん」

「そのリョウガ君がはぐれそうなんだけど、追いかけなくて平気かな?」

 探すことになったらそれはそれで楽しそう、という顔で笑い掛ける杭田。

 だがメアリーはそこまで前向きにはなれない。

「……あーもー! 何で一番迷子になる人が一人で行っちゃうんですかー! 霧でもうどこいるかわかんないし!」

 話している間に凌牙の背中は完全に見えなくなっていた。

 先に追いかけたのか、愛桜の姿も見当たらない。

 まだ近くにいるはずだが、周囲に立ち込めるミルクのように濃い霧のせいで、わずか数メートル先も見通せない状態になっていた。

「赤対さん! アイちゃん! 待ってくださいよー! 一回止まってー!」

 声を張り上げるが返事はない。

 どうも完璧にはぐれてしまったようだ。


 ◇◇◇


 前後左右どこを見ても同じような白い霧が立ち込めている。

 まっすぐ進んでいるつもりだが、足元すらもおぼろげな霧の中では、正しい方角などわからない。

 それでも立ち止まらずにいるのは、止まると進もうとしていた方向すらわからなくなる気がしたからだ。

 ――何だこれ……夢か?

 ひょっとしたら自分はまだベッドの中にいるのではないか。

 今朝の出来事も全ては悪夢の一部で、もうすぐ目覚まし時計のアラームに叩き起こされるのではないか。

 もともとあった願望のせいか、ここが現実だという確証が持てなくなってくる。

 ――……いや、そんな訳あるか。

 頭を振って都合のいい妄想を打ち消しながら、凌牙はひたすら霧の中を進んでいく。

 だが変化のない景色の中を歩いているせいか、段々と目蓋が重くなってきた。

 地面を踏む感触すらも、ふわふわと頭の中を滑っていく。

 張り付く汗も、磯の匂いも、もはや気にならない。

 プールの授業の後のような心地よい疲労感に、ゆっくりと意識が沈んでいく。

 ――まずい……これ…は………。

 凌牙もさすがに異変に気付いたがもう遅く、ガクンと身体の力が抜ける。

 視界の端に何かがうごめくのが見えた。

 それが何かを判断する間もなく、凌牙の意識は闇の中に落ちていった。

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