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Act.40 悪食世界で毒を食む(2)

数分前


 なんとか歪理(ひずり)の注意を振り払えた灯和(とうか)は、物陰から様子を(うかが)っていた。

 ――まだだ。

 歪理の一挙手一投足をつぶさに観察しながら、自分の望む最善のタイミングはいつかを考える。

 ――まだ早い。

 まともに戦って勝てる相手ではないことは、今までの攻防の中で嫌というほど思い知らされた。

 こちらの想像を超える変化を遂げ、与えた毒の(ことごと)くを防いでみせた異形ならざる異形。

 毒液を皮膚にかけても、体表を少し溶かすのが関の山。

 霧状に散布して吸い込ませても、量が少ないため動きを鈍らせるのが精一杯。

 可能性があるとすれば、直接毒の原液を摂取させることだが、そう易々とそれを許す相手ではない。

 ――……やるしかないか。

 思い詰めたような目で見守る先では、響斗(ひびと)が歪理と対峙していた。

 先だって伝えていた作戦―――もとい、とりあえず隙を作ってくれ、という指示に従って、友人は敵の注意を自分に引き付けるように立ち回っている。

 相手が繰り出す連撃の一つ一つを値踏みするように見る。

 おそらくチャンスは一度きりだ。同じ手が何度も通用するとは思えない。

 それに、歪理の動きを少しでも見誤れば多分自分は死ぬだろう。

 運良く怪我で済んだとしても、それ以上戦うことは不可能だろうと灯和は考える。自分には響斗のような回復力はないのだから。

 そうなれば、後はもう復讐は諦めて、響斗に丸投げするしかなくなる。

 ここまで協力してくれた友人の苦労を水泡に帰した上に、たった独り死地へと放り込むしかなくなる。

 それは何としてでも避けたい。

 これ以上の失敗はさすがに顔向けできない。

 だから、是が非でもこの作戦を成功させねばならない。

 十六原灯和は緊張で震えそうになる息を圧し殺しながら、ひたすらにその時を待つ。

 歪理は響斗への攻撃に集中している。

 だが灯和は動かない。

 連撃が止み、歪理の腕が膨張する。大降りの攻撃のために、歪理の一瞬動きが止まる。

 これにも灯和は動かない。

 ――駄目だ。あれは使えない。

 焦りが汗となってゆっくりと背中を流れて落ちていくのを感じながら、灯和はその時を待ち続けた。


 ◇◇◇


「不安定、か」

 脇腹から生えた翼でホバリングする歪理を見上げながら、今しがたのライリーの発言を反芻(はんすう)する。

 説明された理屈は全くわからないのだが、なんとなく攻略法が見えた気がした。

「とりあえずやってみるか」

 ライリーに目で合図を送り、ゲートを出現させる。

 移動先は遥か頭上。浮遊する歪理の真上だ。

 相手が反応するより先に、生成しておいた幅広の剣で叩き落とす。

 墜落する地点を予測し、再びゲートで移動して追撃を行う。

 通常サイズの剣に持ち替え、無防備な背中に斬りかかる。

 辛うじて反応した歪理が身を捻るのに合わせ、標的を脇腹から生える翼に変更し、剣の軌道を修正して一気に切り落とす。

 血はほとんど流れなかった。代わりに、舞い散った羽が視界を覆う。

 だが響斗は怯まなかった。

 歪理が後退するのを気配で感じ取り、敢えて距離を詰める。纏わりつく羽を振り払い、両手に剣を生成して斬りつける。

 回避を諦めた歪理は鱗部分でガードしながら、背中の蜘蛛の脚で反撃を試みた。

 しかし、距離が近いせいで上手く脚を操れず、削ぎ落とすような角度で放たれる残撃に、鱗が剥がれてじわじわとダメージが蓄積されていく。

 何度目かの攻防の末に、ついに響斗の光剣が鱗を貫いて歪理の腕に食い込む。

「よし! ……ん?」

 そのまま腕を切り落とそうとするが、剣は腕の肉に挟まれ、まったく動かない。

 腕を囮にして隙を作った歪理は、至近距離から必殺の一撃を放つべく、残った腕を膨張させる。

 相手の胴体の中心を狙った、どう足掻いても確実に当たる軌道。

 表情の乏しい歪理がその時何を思ったかは、外側からでは計り知れなかった。

 だが表情(かお)には出ずとも、勝利を目前にしての油断があったことは確かだろう。

 その瞬間―――

 響斗は動かせない剣を即座に切り捨て、残るもう片方の剣で膨張しかけの腕を肩口から切り落とした。

 仮に歪理に油断がなかったならば、先程と同じく受け止めることができただろう。

 だがほんの一瞬の慢心が、回避不可の一撃を不発たらしめた。

 これには歪理も驚いた様子で、切り落とされた腕の先をまじまじと見つめていた。

「タネがわかればどうにかなるもんだな」

 冷や汗はかいたけど、とこぼす響斗。

 ライリーの言った通り、確かに歪理の身体は不安定なのだろう。

 異様な言動に気を取られて忘れていたが、歪理は相当な悪食だ。

 それは、邂逅する以前―――転界に入った時点でわかっていたことだ。

 悪食―――つまり、普通は食べないようなものまで食うということは、それだけ沢山食らう必要があるということに他ならない。

 味覚を伴わないラルヴァの捕食は、あくまで情報を得て身体を維持するための本能に過ぎない。

 ラルヴァ同士の共食いに関しても、相手が取り込んでいる情報を求めてのことだとされている。

 ごく一部の高位の個体ならば知識欲で行うこともあるだろうが、基本的にそれは娯楽たりえないのだ。

 故に、その本能が強いということは、それだけ不安定で、身体の維持に沢山の情報が必要だということだ。

 通常人型クラスになれば、ある程度安定して一定の姿(かたち)を保つことができるようになるとされる。

 響斗、もといライリーが普通の食事だけでやっていけるのもそのためだ。

 だが歪理には、そういった安定性が欠如している。

 変容を続ける流動的な身体から、ようやく芽生えた"自分"が失われないように、ひたすら周囲のものを食らい続けるしかないのだ。

 迷い込んだ人間を求めて彷徨い歩き、存在するかもわからない人間の残滓を求めて同族をも襲う。

 それは、随分と寂しい在り方だな、と響斗は思う。

 戦利品集めに興じていたのも、今思えば形への固執だったのかもしれない。

 同情する訳ではないが、少しだけ納得できた気がする。

 だがそれ以上何かを考えている暇はなかった。

 先の一撃を防がれたのが余程信じられなかったのか、歪理は先に囮にしていた方の腕で、再度同じ攻撃を試みた。

 肉に食い込んだままだった光剣が、膨張の圧力に耐えられず砕け散る。

 先程と全く同じ軌道、全く同じ間合い。

 そして―――全く同じ結果。

 寸分違わず繰り返された必殺の一撃は、やはり放たれる前に断ち切られた。

「悪いけど、それはもう効かないぞ」

 今度こそ完全に攻撃を見切っていた響斗は、冷や汗の代わりに余裕の笑みを浮かべてみせる。

 わかってしまえば単純な話だ。

 高位のラルヴァ、あるいはMSSの社員達が持つ異能の力。おそらくこの人型の化物には、そういった『能力』と呼べる類いの力は宿っていない。

 元の形から離れた姿への変容も、抜きん出た再生力も、全てはその体質の成せる技という訳だ。

 となれば当然、あの刺突も原理は同じはずだ。

 単に一部を爆発的に大きくすることで勢いをつけているだけだ。

 度々見せられた高速移動もまた然り。おそらく敵ではなく地面に向けて放つことで、本体の方を押し出しているのだろう。

 それは奇しくも、先日のパーツ持ちとの戦いで杭田がやって見せたのと同じ方法だった。

 だからこそ知っている。

 この手の技には増殖の()()があるということを。

 歪理が膨張させているのはあくまで二の腕周辺だけだった。それより根元は変化しない。

 故に、動かない肩口なら斬るのも簡単という訳だ。

 無論そんなことをわざわざ説明してやる義理はないし、感覚派の響斗はそもそも上手く説明する言葉を持たないが、さすがに歪理もこれ以上やっても無駄だと判断したのだろう。

 響斗の持つ剣をじっと見たかと思うと、再生途中だった両腕を刃の形に変化させた。

 今まで見てきた奇怪な部位(パーツ)とは違う、何の捻りもない刃による攻撃は、しかし今まで受けてきた連撃とは、速度も精度も段違いだった。

 おそらくは先の響斗の動きを見て学習したのだろう。

 戦闘開始時には手足を乱雑に振り回すだけの攻撃方法だったのが嘘のような学習速度である。

「さすが、飲み込みが早いな」

 呆れたように言って応戦する響斗は、それでもまだ余裕の笑みを崩さなかった。

 いくら学習が早いといっても、歪理の剣技はまだまだ未熟で単調なものだ。

 見切るのは容易い。

「見え見えだっての!」

 胴を狙った横薙ぎの一閃。

 相手の華奢な胴体を真っ二つにせんとする斬撃が、まさに放たれようとするその一瞬―――剣を握る響斗の目が驚愕に見開かれた。

 歪理のすぐ後ろ、ちょうど歪理の陰になって見えない位置に、灯和が迫っていることに気付いたからだ。

 ――ッ!? おい、まだ隙なんて―――

 自棄(やけ)になったとしか思えない。

 だがそんなことより、このままの軌道では同士討ちになってしまう。

 反射的に剣を持つ手が止まる。

 その隙に、当然のように後ろの目で察知した歪理が振り返る。

 歪理の腕に再現された白銀の刃が閃き、鮮血が舞う。


 ◇◇◇


 こちらを向く異形。

 その手に光る白刃。

 その瞬間、世界の全てが引き伸ばされる。

 胸元をぬるりと撫でる冷たい感触。

 絡み付く走馬灯を意識の奥へ追いやって、なんとか後方へ跳ぶ。

 冷気が肉の中に滑り込み、骨を掠めて僅かに振動する。

 ()いと知覚できたときには、とっくに刃は去った後だった。

 痛みと鮮血で視界が赤く染まる。

 ろくに受け身を取れぬまま、灯和は尻餅をつくようにして倒れ込んだ。

 何かを叫ぶ友人の声は、薄膜を挟んだようにひどく遠い。

 胸元から流れ出た血が、腹の上を流れて地面に赤い水溜まりを作っていく。

 生暖かい感触に身震いしながら、なんとか起き上がろうとするが、思うように手足が動かない。

 グニャリとたわんだ視界の中で、響斗がこちらに駆け寄って来るのが見えた。

 首根っこを掴まれ、そのまま強引に距離を取らされる間に、ようやく意識が現実に追いつき始める。

「おい! 大丈夫か!? 意識あるか!?」

 動揺を隠そうともせず何度も呼び掛けてくる友人に、何と答えたものかと迷ったが、そんなことよりもあの化物がどうなったかが気になった。

 歪理は―――灯和達を追っては来なかった。

 刃と化した己の腕から滴る血を、地面を彩る血だまりを見つめたまま、放心したように動きを止めていた。

 そして、まるで舌なめずりでもしそうな様子で目を細めたかと思うと、血だまりの中に両手を浸した。

 輪郭の揺らいだ歪理の手を起点に、辺りに広がる血が吸い込まれるように消えていく。

 その様子を見ていた灯和の口元に、乾いた笑みが浮かぶ。

「……見逃せるはず、ないわな……」

 出血のせいで朦朧(もうろう)とする意識をなんとか繋ぎ止めながら、灯和は荒い呼吸の合間に告げる。

「あの時、だって……お前は、逃げる俺らを追わずに……切り離した腕のッ…方に、向かった」

「トウカ? 何を……」

 困惑する響斗を置き去りにして、灯和はここではないどこかを見つめたまま言う。

「腹が……減っとるんじゃろう? 血の一滴も、残したくないんじゃろう? ―――存分に、啜るといい」

 歪理が再び動きを止めたのは、その言葉とほぼ同時だった。

 虚ろだった目が苦痛に見開かれ、体を掻きむしるようにして苦しみ出す。

 ゴポリ、と口から大量の血が溢れ出した。吐血だけには留まらず、目や鼻や耳からも、簿田保と音を立てて血が流れ落ちる。

「……よかった。正直……これで駄目、なら……腕の1本くらいは、差し出さんとおえんかと、思っとった、から、な……」

 そう―――隙をついて歪理に近付き、気付かれて斬られ、そして歪理がその血を吸収する。

 ()()()()()()()作成通り。

 生半可な方法では、歪理に致死量の毒を摂取させることはできない。

 戦って勝てる見込みはない。

 毒液も毒霧も効果なし。

 だからこそ、相手が確実に口にするものを用意する必要があった。

 そのために十六原灯和がしたことはシンプルだ。

 彼は、()()()()()()()()()()()()()()のだ。

「お前の…ために調合した、特別製―――しっかり味わえ」


「最後の晩餐としてな」


 その言葉が歪理に届いたかどうかはわからない。

 もはや苦痛も感じていないのか、異形の少年は地に倒れ伏したまま、こちらの頭越しに空を仰いでいた。

 歪理の身体中から流れる血が、流れたそばから霧散していく。

 皮膚が土色に変色し、指先から崩れ始める。

「あーア……。まだ、たベタりナいなあ……」

 言葉とは裏腹などこか安堵したような虚ろな笑みを残して、人型の悪夢はビル風に溶けて消えていった。


 ◇◇◇


 ――終わった。

「これで、やっと……」

 口にも出してみたが、まだ実感はなかった。

 しかし目の前の脅威が去ったことで、緊張の糸が切れたのか、身体中が思い出したかのように痛み始めた。

 ――あー……、血、流しすぎたな……。

 他人事のように思いながら、疲労に身を任せて地面に寝転ぶ。

「トウカ!? どうした!? 大丈夫か!?」

 ――でも痛てえってことは一応現実か……。

「お、おい! そんなに酷いのか!?」

 ――わかってもやっぱ実感ねぇな……。

「なあって! 聞こえないのか!?」

 ――………。

 どうも余韻に浸る間はないようだ。

 それにさっさと止血するべきなのも確かである。

「聞こえとるよ。傷もそこまで深うないし、すぐ治る」

 慌てる響斗を宥めながら、ゆっくりと上体を起こす。そして傷口を確認すると、手に回復薬を調合して直接注いだ。

 全快とまではいかなかったが、傷が塞がったのを確認して、上から包帯を巻く。

「これでよかろう。あとは医務室でやってもらうから」

「トウカも大概びっくりな体になってるよなー」

「びっくり人間代表が何言っとんかな」

 お前だってもう全快しとるくせに、と友人の頭を小突く。

 ふらつく足に力を込めて立ち上がると、歪理が消滅した場所をもう一度確認する。

 もうそこには何も残ってはいない。

 血痕も、服も、髪の毛一本さえ。

 あれを倒したことで、自分は何か変わっただろうか。

 今のところわからない。

 歪理を倒すと言ってはみたものの、その後のことなどさっぱり考えていなかった。

 とりあえず、墓参りでもすべきだろうか。

 社内の敷地のどこかに、そういう場所がある聞いたことがある。

 ラルヴァと戦って散った者達の、遺体の無い墓。

 名前を刻むような墓石も無い、ただ参る者のためだけの墓が。

 仲間達はそんなところに眠ってはいないと、灯和は一度も行かなかったが、これを機に訪れてみるのも悪くないかもしれない。

「響斗」

「ん? どうした?」

「敷地内に確か……墓、あるじゃろ?」

「あったっけ………ああ、そっかあれか!」

「……場所わかるか?」

「ああ。行くなら案内するよ。多分わかる。多分……まあ、迷ったらクレイ呼べばいいだろ!」

「おいおい……あんまり迷惑かけんなよ」

 後輩の苦労を思ってため息を吐く灯和。

 せいぜい今年もお中元のグレードを上げねば。

「あーあ、疲れたし今日はもう帰って寝てえわ」

「だなー。しばらくサボってから帰るか?」

「こんな物騒なとこじゃ休めんって」

「なら現世でサボるか! ライリー、ゲート開けてー。………えー、ダメ? ………あー、だよな」

 ライリーに窘められたのか、残念そうに頷く響斗。

 その視線の先には相変わらず何もないが、なんとなく、小言を言いつつも愛おしそうに微笑むライリーの姿が見えた気がした。

「………はーい。あ、じゃあ帰ってから早退しよう、早退」

「帰ったら報告書があるじゃろ」

「明日でいいってそんなの! それよりさー、今日はどっかで食べて帰ろうぜ! ………ああ、あの店か。うん、いいなそれ!」

「何がだよ。ったく、後でクレイに怒られても知らんからな」

 軽口を叩きながら、彼らは転界を後にする。

 久々にほんの少しだけ、あの頃の空気が戻ってきた気分だった。

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