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Act.39 悪食世界で毒を食む(1)

転界 オフィス街 公園内


「よかった、まだここにいたんだな」

 背後から掛けられたその声に、小柄な人影が振り向く。

 歪理(ひずり)は先刻会ったときとそう変わらない位置に座り込んでいた。

 違うのは、例の戦利品(コレクション)が見当たらないことくらいだ。もう全て取り込んだのか、あるいは霧散してしまったのか、ベンチの周辺はきれいなものだった。

「やっパりヨウじ?」

 立ち上がった歪理はやはり虚ろな目で響斗(ひびと)を見つめながら、小さく首を(かし)げている。

「そうだな」

 対する響斗は、今度は殺気を隠すことなく淡々と距離を詰めていく。

「悪いけどここで倒されてくれ」

 あからさまな宣戦布告に対しても、少年の姿の異形は特に動じることなく、ただ己の欲望を口にした。

「たタかうの? だッタら、ぼくガかったらきみノもモらっテいい?」

 相も変わらずノイズ混じりの甲高い声が問う。

 だが、響斗の返答を待つことなく、歪理の方から先に仕掛けてきた。

 ゴポリ、と歪理の華奢(きゃしゃ)な左腕が(いびつ)に膨れ上がる。巨大な肉の(かたまり)と化した腕をそのまま振り回すような、横()ぎの攻撃が響斗を襲う。

 地表を(えぐ)るような角度で放たれた一撃を、空中に飛び上がって回避する。

 そこへ二撃目、今度は斜め下から歪理の右腕が迫る。

 だがそれも響斗には当たらない。逃げ場のない空中での追撃を、宙に生成した剣を足場にすることで器用に避けると、さらに数回空中で方向転換しながら一気に距離を詰める。

 着地すると同時に手にした剣を振りかぶり、相手の懐に潜り込む。

 胴体を狙った鋭い一撃を、歪理は皮膚を硬化させることでガードする。

「ッ……浅いか!」

 歪理の上着が裂け、屍肉のような青白い肌に血が滲む。

 だが傷は浅い。響斗が相手の反撃をいなしている間にも、傷がみるみる修復されていく。

「くそ、やっぱ治るの早いな。俺より早いんじゃ……っと」

 響斗に分析する暇など与えないとばかりの連続攻撃。

 格闘技の知識は有していないのか、歪理の攻撃はどれも、子供が癇癪(かんしゃく)を起こしているかのような、手足を乱雑に振り回すだけのものだったが、その威力は並みのラルヴァの比ではない。

 見た目は細い子供の腕でも、受ける衝撃は同程度の鉄棒のそれだ。

 まともに受ければ剣が持たないと判断した響斗は、剣で受け流すようにして攻撃の軌道を逸らすが、じわじわと後方に追いやられていく。

「………このッ!」

 攻撃の隙をつき、胴体を蹴り飛ばす。歪理の体を後ろに押しやると同時に、反動を利用して自らも反対方向に飛び退いた。

 距離が開いたことで歪理の攻撃も止み、(わず)かな空白の時間が訪れる。

 だがそれは、三人目の参戦によってすぐさま打ち破られた。

「―――?」

 今まで物陰に潜んでいた灯和(とうか)が、背後から奇襲を仕掛ける。

 ペンキの入ったバケツをひっくり返したように、サイケデリックな色合いの毒液が歪理目掛けて降り注ぐ。

 だが、完全に死角からの攻撃であったにも関わらず、歪理はあっさりとそれを回避してみせた。

 地面が溶け、妙な色の煙を上げたが、歪理には一滴もかかっていない。

「あれを避けるのか……。あいつ後ろに目でも……あるな。マジかよ」

 くるりと灯和の方に向きを変えた歪理の後頭部に、何やら目玉のようなものがあるのを見つけた響斗が、見なきゃ良かったとばかりにため息を吐く。

 そうしている間にも、歪理は新しい獲物を見つけたと、瞳の奥を(くら)く輝かせた。

「きみもタタかうノ?」

「ああ。そのつもりだ」

 そう言うが早いか、灯和は大きく息を吸い込むと、口から一気に煙として吐き出した。

 明らかに肺の容量を超える量の煙の塊が歪理を包み、その姿を完全に覆い隠す。

 まるで意思を持つかのように、ほとんど霧散することなく(ただよ)い続ける紫の煙は、灯和の能力で調合した(しび)れ毒だ。

「……?」

 視界を奪われた歪理が、煙の奥で顔をしかめる。

 だが灯和が予想した通り、対して効果は無いようだ。

 歪理は僅かに動きを鈍らせたものの、構わず灯和目掛けて攻撃を仕掛けた。

 膨張した腕が砲弾のような勢いで伸び、灯和の体を抉らんと迫る。

 ――まずい、避けきれな―――

 眼前に迫る質量の塊に、思わず死を覚悟する灯和。

 だが、その僅か数センチの位置で突如空間が揺らぎ、厚みのない"穴"が異形の腕を呑み込んだ。

 近くで轟音が響き、砕かれた地面から一斉に砂塵が舞う。

「悪い、助かった!」

 対する響斗は「そういうのは後だ」と返すと、すかさずゲートを操っているライリーに指示を出す。

『わかってるわ』

 頷くライリーの手の動きに合わせ、灯和の背後に別のゲートが開いた。

 灯和を歪理の間合いの外に転移させつつ、歪理の腕を呑み込んだ方のゲートを閉じる。

 未だゲートに刺さったままの歪理の腕が空間の穴に(かじ)りとられ、さしたる抵抗もないまま切断された。

 煙幕の向こうで歪理の影が揺らぐ。腕が失くなったことでバランスを崩した歪理は、2、3歩よろめいたあと、今度は標的を響斗に切り替えて向かってくる。

「腕ぐらいじゃ(ひる)みもしないか」

『痛覚が無いのかもしれないわね』

 全く動じていない様子の歪理に苦笑しつつ、剣を構えてカウンターのタイミングを測る。

 その時だった。

 ゴッッ、と歪理の足元が爆ぜ、(とら)えていたはずの歪理の姿が一瞬にして消えた。

「なっ……!?」

 反射的にガードした響斗の体を、いつの間にか懐まで潜り込んでいた歪理の拳が吹き飛ばす。

 錆びた遊具を薙ぎ倒し、敷地を囲むビルの一つに一直線に突っ込んだ。

「がッ……ぁ………」

 壁面に叩きつけられた衝撃で、肺の空気が絞り出され、思わずうめき声が漏れる。

「痛ってえ……何だよ今の」

 顔に落ちてきた壁の破片を払いながら起き上がる。

 常人ならば複雑骨折や内臓破裂になっていてもおかしくない勢いだったが、肉体に宿るラルヴァの再生力によってダメージはほとんど回復していた。

 ただ痛みだけは残響のようにあるのが恨めしい。

 動けるから治ってはいるのだろうが、ダメージを負ったという事実まではなくならないようだ。

「うぅ……なんか胴体が軒並み痛い……」

『余所見しないの。また来るわよ』

 腹を押さえる響斗の横で、ライリーが再びゲートを操作する。

 二人の目の前の空間が歪み、まるで盾になるかのようにぱっくりと口を開いた厚みのない穴が、高速で突っ込んできた異形の少年を呑み込む。

 ズンッ! という鈍い音と共に反対方向のビルから土煙が上がった。

 先程の響斗以上の勢いで壁に突っ込んだ歪理は、ガラガラと崩れるビルをものともせず、獲物を探してキョロキョロと辺りを見回していた。

「……めがまワる」

 移動させられたという認識はあるのか、離れた位置にいる響斗を一瞥(いちべつ)した歪理が、ポツリと文句を言った。

 そしてその姿が再び消える。

 だが、突撃してもゲートで飛ばされると学習したのか、今度の移動は響斗のいる位置から十数メートル離れたところで停止した。

「様子見……って感じじゃなさそうだな」

 首筋の産毛が逆立つような、ピリピリとした殺気を感じる。

 警戒する響斗を前に、歪理は己の体を抱き締めるようにして体を丸めた。

 ミシリ、とその背中が膨張する。

 羽織っていた上着が内側からの圧力で裂け、屍肉のような白い肌が露出する。

 次の瞬間、膨張した背中がウネウネと変形し、蜘蛛の脚らしきものが8本形成された。

 通常の蜘蛛の脚よりも節が多く、先端が蟷螂(かまきり)の前足のように鋭利な脚が、背中の皮膚を食い破ったと錯覚するような異常なスピードで伸びる。

 八方から襲い来る死神の鎌を、響斗は身を低く屈めることで辛うじて回避した。

 右下からくる1本を剣で受け流し、その下に滑り込むようにして距離を詰める。

 だが歪理もそれを黙って許しはしなかった。

 異様に節の多い脚が、蛇のように全体をしならせながら追って来る。

 それを時に剣で受け、時に足場にして三次元的に逃げ回る響斗を、歪理は更に腕を伸ばして追い詰めようとするが、

「うアっ!?」

 追撃のために踏み出した歪理の足が、突然地面に沈み込んだ。

 歪理が響斗に気を取られている隙に、周囲は灯和の撒いた毒液によって溶かされ、底無し沼のようにぐずぐずになっていた。

 今まで立っていた場所すらも、地中から染み渡る毒に溶かされ、徐々に不安定になっていく。

 これにはさしもの歪理も、響斗への攻撃を中断せざるを得なかった。

 攻撃に使っていた蜘蛛の脚を一旦引き戻し、毒液に犯されていない地点まで伸ばして沼からの脱出を図る。

 沼の外縁に突き刺した蜘蛛の脚の力で体を宙に浮かせ、沼に囚われていた足を引き抜く。

 そのまま背中の脚で体を移動させる姿は、化物というよりもはやエイリアンじみていた。

 だがその動きはひどく緩慢だ。

 地面をただ走る灯和に機動力で負けるほどに。

 突き刺さった蜘蛛の脚のうち、進行方向にある一本の根元までたどり着いた灯和は、再び足元を毒液で溶かした。

 支えを失ったことでバランスを崩した歪理の体が毒の沼へと落下する。

 と、そこで歪理の体に更なる変化が起きた。

 先程脚を生やしたときと同じように、今度は脇腹の辺りが蠢き、鳥の羽のようなものを形成する。

 やはりどこか違和感のある形状の翼を羽ばたかせ、大空を滑空する歪理。

 背中に生えた蜘蛛の脚を羽ばたきの邪魔にならない長さに縮め、空中を手中に納める人型だった化物は、残ったヒトのパーツを更に崩して次の攻撃を準備する。

 歪理は飛翔したことで自由になった人型の方の足を片方、爬虫類の尻尾のように変化させると、先程のお返しだとばかりに執拗に灯和目掛けて振り下ろした。

 一撃、二撃と、鞭のようにしなる蹴りを紙一重で回避する灯和。

 三撃目を駆けつけた響斗が打ち払い、その隙に灯和が酸を吹きかける。

 しかしこれにもたいした効果はないらしく、表面が少し溶けただけで有効打にはならなかった。

 ――チッ、やっぱり摂取させんと駄目か。

 反撃を諦めた灯和は、響斗が攻撃をいなしている隙をついて歪理の間合いから離脱する。

 歪理の目がそれを追う。

 大して旨味のない同族を倒すよりも、人間(ごちそう)を狩ることを優先したのだろう。

 歪理は視線を灯和に向けたまま、響斗に弾かれた足を地面に突き刺して支点にすると、体の方を振り回すようにして突撃する。

 狙いを読んでいたライリーが射線上にゲートを配置し、自分の近くに移動させる。

 それに合わせ、響斗は地面を震わせる振動に耐えつつ着地の隙を狙う。

 歪理はそれを鱗のように変化させた腕で防御し、返す刃で胴体を蹴り飛ばす。

 尻尾になっていた方の足はゲートでの移動の際についでに切断されていたが、痛みを感じない歪理は断面が地表で削られることなどお構い無しに軸足に使っていた。

 予想外の反撃を、咄嗟(とっさ)に後ろに跳ぶことでかわす響斗。

「何かどんどん化け物らしくなってないか?」

 驚嘆と呆れの入り交じった目で歪理を見る。

 両腕を覆う鱗。

 背中で揺れる蜘蛛のような脚。

 脇腹から生えた翼。

 切断した腕はとっくの昔に再生し、ついさっき斬った足ももう再生しかけている。

 切断前にとっていた尻尾の形を復元するか迷っているかのように、シルエットだけを取り戻した足の表面が、皮膚と鱗の間を行き来していた。

 まともに人間(ヒト)の形を模しているのはもはや顔と斬られていない方の足のみだ。

『確かに。人型と呼んでいいかは微妙ね』

 答えるライリーの声にも、憐れみのような感情がこもっていた。

「にしても、思ったより強いな。隙を作るどころじゃないし、どうしたもんかな……」

 事前に灯和から聞いた作戦では、響斗が歪理の注意を引き付け、その隙を見て灯和がラルヴァからは好物に見える毒を撒く、というものだった。

 蟻コロリみたいなものか、と言ったら横にいたライリーに心底嫌な顔をされたのだが、それはさておき。

 食欲が強いなら"餌"には食いつくはずだ、というのが灯和の主張であり、それを軸にして立てたこの作戦こそが、灯和が歪理を倒すための現状もっとも成功率の高い方法だ。

 歪理を倒すだけならば、灯和を囮にした方が簡単だろうが、それではリスクが高すぎる。

 リスクを極力排除するならば、響斗が一人で戦うべきだが、それでは灯和の復讐は果たせない。

 止めだけ灯和に譲るというのも考えたが、これだけ再生力の高い相手では難しいだろう。

 そんな訳で、うっかり作戦を喋ったらいけないからと、とりあえず隙を作ってくれとだけ言われて戦場に放り出された響斗は、人使いの荒い幼馴染みを横目で睨みつつ、再び接近戦にもつれ込んだ歪理の連撃を受け流す。

 脚、翼、爪、再現した部品を加えて手数が増した連続攻撃を、両手に生成した光剣で器用に防ぎながら、至近距離に迫る異形を観察する。

 攻撃の間に足は再生し終わっており、より獲物を狩るために特化した形態(かたち)を求めて肩や胸元が歪み始めていた。

 無限に変化を続ける永遠の幼虫。

 自らの体のかたちを崩し、作り替える様子は、まさしく幼虫(ラルヴァ)という名を体現するかのようで。

 それ故に、不本意ながら同じ名を冠するはずの少年は、拭いきれぬ違和感に眉をひそめた。

「なあ、ライリー。人型は……ここまで変身できるものか?」

「少なくとも私は無理ね」

「だよなー」

「そもそもあそこまで崩れる人型には会ったことないわね」

 興味深そうに告げるライリーに、響斗は考えを整理するように、半分独り言のような口調で分析を述べる。

「そうなると……あれがあいつの能力ってことか……? いや、でも何か―――っと!?」

 不意に連撃が止んだかと思うと、膨張させた腕による突の攻撃が迫っていた。

 異常なスピードで膨張した腕が、巨大な槍となって顔面に向けて伸びる。

 直撃すれば頭部はおろか上半身ごと消し飛びかねない一撃を、虫の知らせとでも言うべき経験則で察知していた響斗は、一瞬早く空中に回避して難を逃れた。

「びっくりし―――うわッ!?」

 安堵したのも一瞬で、今度は加速した歪理が突進してくる。

 ゲートによる瞬間移動で地上に回避した響斗は、流れ弾のように飛んでいく歪理を見上げながら、悩ましげに呟く。

「はあ……これとかもあいつの能力と何か関係あんのかな」

 そうしている間にも、歪理は空中を大きく旋回して戻ってくる。

 新たな剣を生成しつつ、その姿を見上げていた響斗は、そこであることに気が付いた。

 空を舞う歪理をよく見ると、足のシルエットが崩れていた。

 怪我ならばもうとっくに治ったはずだ。

 また、別の形に変化させているというよりは、元の形に戻す動きに見えた。

「もしかして……」

 ポツリと呟いた響斗の声に反応して、ライリーがいたずらっぽく笑う。

『あら、気が付いた?』

 人ならざる少女はどこか退屈そうな、それでいてやはり憐れみのこもった声で言う。

『どうやらあの子は、随分と不安定みたいね』

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