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Act.38 有毒世界は夢にも見ない(4)

十五年前 転界


 それは、ただの情報と化していく記憶の中で、一際鮮明な『記憶』。

 思い出と呼ぶには生々しく、トラウマと呼ぶには優し過ぎた一つの過去。

 求め続けた悪夢の発端は、そんな奇妙な暖かさに包まれていた。


 (ほこり)と、(わず)かなカビの臭いが鼻に流れ込む。

 どこかで雨漏りでもしているのかもしれない。

 もっとも、これだけ荒れ果てた廃墟だ。雨漏りどころか、壁や天井そのものが崩れていてもおかしくはない。

 とはいえ今いる部屋には崩壊の予兆らしきものは見受けられず、コンクリートの壁はそれなりに頑丈そうに思えた。

 しばらく身を隠す分には心配ないだろう。

 逃げ込んだ建物が倒壊して下敷きになるという間抜けな結末は避けられそうだ。

「とりあえず、ここならしばらくはしのげそうじゃな。美冬(みふゆ)、そっちは何ともないか?」

 なんとか冷静さを取り戻した灯和(とうか)は、隣に座る幼馴染みの少女にそう訊いた。

 人型のラルヴァに襲撃され、仲間とはぐれたことを気にする余裕すらないままここまで逃げてきた。

 正直言って、遭遇直後からの記憶は曖昧だ。

 どうやってここに辿り着いたのかもわからない。

 美冬は自分が強引に手を引いてきてしまったようだし、どこかで怪我でもさせているんじゃないか、先ほどからそればかりが気掛かりだった。

「う、うん。わたしは大丈夫」

 美冬は話し掛けられると思っていなかったのか、一瞬驚いたような素振りを見せた後、コクコクと頷いた。

「そ、そうか……。ならよかった……」

 どうやら杞憂であったらしいが、どことなく落ち着きがないように見える。

 ――無理もないか。

 あれだけのことがあったのだ。

 今も敵から逃げていることに変わりない。

 なんとか美冬だけでも現世に帰してやりたいが、どうするべきかさっぱり思い付かない。

 ゲートまで戻るべきかと思ったが、危険過ぎる、とそんな考えは即座に打ち消した。

 一度目はなんとか逃げられたが、次は逃げる暇さえないだろう。まだ見つかっていないのなら、迂闊(うかつ)に外に出るべきではない。

 かといって、ここにいてもいつまでもつかわからない。

 水も食料も微々たるものだし、この建物自体もラルヴァ相手に籠城できるほどの堅牢さは持ち合わせていない。

 そもそも助けが来る保証もない。

 仲間の誰か一人でもゲートまで辿り着けば、助けを呼んで来てくれるだろう。

 考えたくはないが、たとえ誰も助かっていなかったとしても、帰還が遅れれば捜索隊を出してくれるはずだ。

 だが、あれが近くを徘徊している限り、助けが来たとしてもここまでやって来られない。最悪犠牲者を増やすだけだ。

 ――あいつがどっかに移動するのを待ってから……いや、そもそも今どこにおるかさえわからんし……。あー、くそ、そもそも人型のラルヴァってだけで想定外だっていうのに……。

 小声で唸り頭を抱える灯和。

 思考を止めればすぐさま恐怖に()まれる。

 それがわかっているからこそ、なおさら焦って考え続ける。

 ――待てよ、確か響斗(ひびと)は今現世におるはず……。

 灯和の脳裏に、出掛けにすれ違った友人の顔が浮かぶ。

 そうなったとき彼ならどうするか。

 まず間違いなく彼女にも協力を頼むだろう。

 人型には人型だ。

 ライリーならばあの化け物を退けられるかもしれないし、なんなら瞬間移動で迎えに来てくれるかもしれない。

 そうなれば、あとはゲートを作ってもらって脱出するだけだ。周りには、自然発生したゲートを見つけた、とでも言っておけばいい。

 ――それなら見つからずに時間を稼げば助かるかもしれん。まずは、何とかして外の様子を……。


 そう思い、体を起こそうとしたその時だった。

 垣間見えた希望を打ち消すように、建物の外から何かがぶつかるような大きな音が響いた。

 微かに笑い声と、濁った悲鳴が聞こえる。

 悲鳴はすぐに小さくなり、瓦礫の崩れる音にかき消された。

 静寂。轟音。そして静寂。

 わずか1分にも満たない波が過ぎ去り、あとにはただ、背筋が凍てつくような沈黙だけが残された。

 わざわざ外を確認するまでもない。

 全身に纏わりつく悪寒が、その存在を感知する。

「灯くん……」

「ああ。来たな」

 声を潜め、姿勢を低くし、窓の位置を確認する。

 ラルヴァの感知能力は同じラルヴァにしか働かない。気配を消して、このままじっとしていればやり過ごせるかもしれない。

 ――落ち着け。あいつはまだこっちに気付いとらん。

 息を殺そうとすればするほど、心臓の音が大きく聞こえる。

 ――大丈夫…大丈夫……。

 細く細く息を吐きながら、何度も心の中で呟く。

 ――大丈………えっ!?

 狭まっていく視界の中で、急に何かが動いた。

「美冬……?」

 隣に屈んでいたはずの美冬が何故か立ち上がっている。

「何しとん、座っ―――」

「無理だよ」

 灯和の言葉を遮って、美冬はそう断言した。

「このままじゃすぐに見つかっちゃう。そうなったら……きっと二人とも助からない。誰かが、あの子を引き離さないと」

 近くに転がっていた武器を取り上げながら、美冬はどこか自分に言い聞かせるように、淡々と言葉を紡ぐ。

「お、おい……落ち着け。まだ見つかると決まった訳じゃなかろう?」

 その声にただならぬものを感じ、思わず止めに入る灯和。

 だが美冬は静かに首を振り、再度断言する。

「見つかるよ。ほら―――」

 そして、スッと座ったままの灯和の脇腹を指差す。

「……え?」

 そうされて初めて、灯和は自分が傷を負っていることに気がついた。

 脇腹の辺りの服が裂け、大きく血が(にじ)んでいる。

 自覚すると同時に忘れていた痛みが押し寄せ、灯和はその場にうずくまった。

「やっぱり気づいてなかったんだね」

 そう言って苦笑する美冬は、昔を懐かしむような、妙に穏やかな目をしていた。

「やっぱり灯くんは変わらないね。自分が怪我してるのにも気づかないで、わたしの心配して。……あのときと一緒」

 美冬は冷たい廊下の先に目を向ける。

 暗くて目立たないが、埃を被ったタイルの上に、点々と血痕が残されていた。

 ここに逃げ込む時に落ちたものだ。

 おそらく外まで続いていることだろう。

 これをあの人型が見つければ、まず間違いなく追ってくる。

 もう時間がない。

「ま、待て。行くな! 囮なら俺がやるから! だから―――」

 部屋を出ていこうとする美冬に、追い(すが)るように声を上げる。

 だが、立ち上がらねばならないのに動けない。

 手足が震えて力が入らない。

「大丈夫だよ。廊下の血はちゃんと拭いとくから。きっと―――あの子をここには来させないから」

「そういう問題じゃ―――っ!?」

 必死に伸ばした手が、何かに当たって止まる。

 いつの間にか、透明な壁が灯和を取り囲んでいた。

 誰の仕業かは考えるまでもなかった。

 自分の周囲に防壁(バリア)を張る―――それが音成(おとなり)美冬に与えられた能力だ。

 攻撃力は皆無だが、集中力によっては響斗の光剣すら弾き返せる、仲間の内でも随一の防御系の異能。

 その壁は灯和を守るためのものだったのか、それとも自分を追おうとする灯和を拒絶するためのものだったのか、真相はもはやわからない。

 だが、震える手で防壁を張り、灯和を見つめる美冬の顔は―――それでも確かに笑っていた。

「ごめんね。でも……一回くらい、わたしにも守らせてね」

「なっ……おい! 待てよ美冬!」

 くるりと(きびす)を返して、美冬は暗い廊下の先へ消えていった。

「美冬!!」

 どんなに呼び掛けても、もう彼女は振り返らなかった。


 ◇◇◇


現在 転界 廃ビル内


「そんなことだろうと思ったよ」

 知っていることを粗方話し終えて沈黙していた灯和の頭上から、ため息混じりの感想が降ってきた。

 おそるおそる見上げると、友人はどこか呆れたような表情でこちらを見下ろしていた。

「トウカともミフユとも付き合い長いからな。なんとなくわかってた。特にお前は昔から、『俺があの時ああしてれば…』って、そればっかりだからな」

「けど実際、あの時俺が……」

 すぐに怪我を治せたら、あるいは怪我をしていなかったら―――美冬の代わりに囮になれたかもしれない。

 パニックにならず冷静でいられたら―――もっと上手く逃げられたかもしれない。

 人型がいるとわかった瞬間に皆を逃がしていれば―――犠牲は自分だけで済んだかもしれない。

 そんないくつもの後悔の言葉は、喉に詰まったまま声にはならなかった。

 そんな灯和に、響斗は少し悩んだあと、言葉を選ぶようにしながら言った。

「別に……お前のせいじゃないとまでは言わないけどさ……ミフユは自分でそうしたんだろ。たとえ自分が死ぬことになっても、トウカには生きててもらいたかったんだろ」

 灯和に対してというより、言いたいことを表す言葉を探すような口調だった。

「なら、そう思ってもらえるくらいのことをしてきたってことだ。だから……うん、やっぱりお前が生き残った意味はあるんだよ」

 多分な、と言って笑ってみせたその言葉は、気休めではなく本心なのだろう。

 元より心にもないことは言えない奴である。

「多分かよ」

「うん。だって俺ミフユじゃないし」

 当然といえば当然なことを堂々と言い放つその様に、灯和も思わず失笑を返した。

「ああ、うん。そうか……そうじゃな」

 響斗の言い分には納得し切れないところもあるのだが、少なくともここで立ち止まっている訳にもいかないだろう。

 そう思えるくらいには落ち着いた。

 だから、ここは(多少強引だった気がしなくもないが)話を聞いてくれたことに感謝しておこう、と灯和は友人に例を述べようとしたのだが―――


「じゃあ、とりあえず……っと」

 そう言うが早いか、響斗は家具を横に避けながら、部屋の端まで歩いていった。

「……何のつもりだ?」

 いぶかしむ灯和に向き直ると、響斗はあっけらかんとした口調で答えた。

「いやー、ほら、一応有言実行というか。ああ言ったからには思いっきり殴っておくべきかなって助走を……」

「いや待て死ぬわ、俺!」

 こいつの腕力で殴られたら多分首がもげる。

 助走をつけてなど論外だ。

「そっかー……」

 何故だか少し残念そうに呟くと、響斗はトコトコと灯和の方に近づき―――ごく自然な動作で胸ぐらに手を伸ばす。

「えっ!? 待て待て、マジで殴る気か!?」

「歯、食いしばれよー」

「何!? 実は怒っとんのか? おい、待―――」

「とうっ!」


 バキッ と鈍い音がした。

 もちろん手加減はしたのだろうが、ムチ打ちになる半歩手前くらいの衝撃が脳を揺らす。

 ついでに場所が悪かった。

 真後ろに壁があったせいで、後頭部を強かに打ちつけて悶絶する灯和。

「~~~~っ!」

 前も後ろもしっかり痛い。

 なんかもうどこを押さえたらいいかわからない。

 響斗も壁との距離までは考えていなかったらしく、あからさまに『しまった』という顔をしている。

 予想以上のダメージにオロオロしている響斗に、ようやく痛みが収まってきた灯和が言う。

「……響斗」

「……はい」

「待てって言うたよな?」

 青筋を立てた青年の頭からは、もう感謝の気持ちなどどこかに吹っ飛んでいた。

「………ごめんなさい」

 灯和からの反撃を警戒しているのか、蛇に睨まれた蛙のごとく小さくなっている響斗。

 試しに手を上に上げてみると、ビクッと仰け反りつつも控えめなファイティングポーズをとられた。

 今やり返したら反射的にカウンターしてきそうで怖い。

 というか前にされたことがあった気がする。

「いや、うん……俺も悪かった。もういいから構えんな」

 もうガキじゃねえんじゃから、と呟いて矛をおさめる灯和。

 ――さて、これからどうするか。

 目下最大の問題は、歪理(ひずり)をどうやって倒すかだ。

 やっと巡ってきた機会、これを逃せば次にいつ会えるかわかったものではない。

 そして、欲を言えば自らの手で復讐したいのも確かだ。

 確実性をとるならば、ここは響斗に任せ、自分はバックアップに回るべきだろう。

 それでも―――

「響斗、改めて我が(まま)をきいてくれ」

「……」

 こちらの言いたいことは伝わっているのか、目だけで先を促す響斗。

「歪理は俺に倒させてほしい。サポートを頼めるか?」

「おう。まあ元からそのつもりだしな。………ん? ああ、それはそうだな。トウカ、何か作戦はあるのか?」

「作戦……作戦か………」

 ――俺の身体能力じゃあ接近戦は難しいか。

 灯和の能力は『毒』だ。

 より正確には、『任意の効果をもつ薬品を生成する』能力。

 さすがに不老不死の秘薬のような荒唐無稽なものを作ることは不可能だが、致死性の毒物から風邪薬まで、様々な薬品をおおよそイメージ通りの効能で作り出すことができる。

 無論、ラルヴァに効く毒を作ることも可能だ。

 とはいえ、やはり高位のラルヴァには効きづらい。

 確実に仕留めるには、ある程度の量を摂取させねばならない。

 ――煙にして散布……は足りんか。罠を仕掛けるのは……いや、やっぱり足りんか。

「…………ふむ」

「何か浮かんだか?」

「ああ。まあ、それなりに賭けじゃけど」

「大丈夫か、それ?」

「……ああ。少なくとも奴はのってくる。―――必ずな」

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