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Act.37 有毒世界は夢にも見ない(3)

転界 オフィス街 公園内


「まいったな。やっぱり気付いてたのか?」

 敷地に一歩踏み込んだところで、響斗(ひびと)は困ったように頬を掻きながら、前方の人影に問い掛けた。

 人影―――先程までベンチの前にしゃがんでいた人型のラルヴァは、背後を振り返った姿勢のまま、虚ろな目でこちらを見ている。

「ダれ? ぼくにナにかよウジ?」

 その口から発せられたのは、少年の声にハウリングするノイズを混ぜたような甲高い声だった。

 映像で聞いた音声が割れていたのは、どうやら機材のせいだけではないらしい。

 肉声らしくない歪んだ声音は、それだけで聞く者の平衡感覚を奪っていくような現実味のないものだった。

「……お前が歪理(ひずり)か?」

 警戒を弛めまいと気を張りながら、響斗は更にラルヴァの方へと近付く。

「というか、こういう呼び名ってラルヴァ(そっち)に伝わってるのか?」

 剣を持つ手に自然と力が入るのを誤魔化すように、わざと明るい口調で語りかける。

 相手も今のところは会話に応じる気があるようで、特に動きもなく響斗の言葉を聞いていた。

「ひずり……ウーん、しラないなア。ワからナいなあ。でもそンナひとにあったコとないからそウなノカなあ」

 ゆらゆらと体を左右に揺らしながら、独り言のように言うラルヴァ。

「ソういエばぼくのナマえってなんだろう。いッぱいアルからわかんなイや」

 奇妙なことを呟きながら、ユラリ、と少年の姿をした人影が立ち上がる。

「そっか、じゃあとりあえず歪理って呼んでも―――」

 その姿を見た響斗の足が止まる。

 同時にその口から出ていた言葉も止まった。

 響斗達の方に向き直った歪理は、今までも何体かの人型に遭遇してきた響斗から見ても異質な姿をしていた。

 全体的な印象は座っていた時と同じく、まだ幼いと言ってもいい年頃の少年だ。

 だがその肌はまっとうな生物としてはあり得ないほど青白く、『屍肉の色』としか言い様のない色をしていた。

 動く死体(リビングデッド)というものが存在したならば、まさにこんな顔色だろう。

 そんな見ているだけで生々しい冷たさを感じる皮膚は、ところどころで色味や質感が切り替わっていた。

 縫い目こそないものの、その姿はまるでフランケンシュタインの怪物のようで、少年らしい肌のみずみずしさがその不気味さに拍車をかけている。

 衣服は上下共に元の色が判別できないほど色褪せており、サイズも明らかに大きい。

 よく見れば上半身にはコート―――というより半纏のようなものを直接羽織っているだけであり、下が普通の薄手のズボンであることと相まって、暑いのか寒いのかよくわからない、なんとも統一性のない仕上がりになっていた。

 もしかすると、『服を着る』という人間の文化をただ真似ただけなのかもしれない。

 そう思うくらいには、目の前の少年は『異質』だった。

 今まで遭遇してきた人型達の、()()()()()()()()()()()()()()()()()がまるで感じられないのだ。

 ――ああ、これは、違う。

 人の形をしてはいるが、ライリーなどとは明らかに違うものだ。

 今会話が成り立っているように見えても、それは歪理の発した(おと)が偶然こちらの理解できる言葉に聞こえただけに過ぎないのではないか。

 本能的にそう感じる。

「今のうちに先手を打っとくべきか。……いや、様子を見たほうがいいか」

 相手の能力もわからぬうちから攻めるのは無謀だろうか、と一旦足を止めて観察する。

 質感こそ異様だが、歪理の体にはそれ以外に特徴らしき特徴はない。爪や牙が生えているようには見えないし、口から火を吹いているということもない。

「見た目じゃあわからないか。足元が凍ってたりしてくれればわかりやすいの…に……?」

 更なる情報を集めようと、響斗は歪理の周囲まで視野を広げ―――

「 ………ッ!?」

 "それ"を見た瞬間、思わず体を強張らせた。

 目の前の敵から意識を逸らしてはならないことはわかっている。

 わかっていてなお、視界の端に移る"それ"に視線が引き寄せられる。

 歪理がその前にいたベンチの周囲に、異国の露店の品物のように並べられた"それ"。

 むしり取ってきたかのように乱雑に解体された、ラルヴァの部品(パーツ)へと。

「どうしタの?」

 響斗の目が自分ではなく、自分の背後に向けられていることに気付いた歪理が再び後ろを向く。

 そして、今も崩壊を続ける部品を見ながら、残念そうな声で言う。

「ああ、これ? きれいだからとっておこうとしたんだけど、やっぱりうまくいかなかったんだ」

 並んでいる部品は1体や2体の量ではない。

 おそらくは何体ものラルヴァを狩っているのだろう。

 ――なるほど。だから他の奴らは姿を見せない訳か。

 他のラルヴァが全くと言っていいほど姿を見せないことから、歪理と呼ばれる個体が共食いをするタイプだということは予測していた。

 しかし、目的が単なる食事ではなく『収集』となれば話は別だ。

 ラルヴァを生物として見ていいのかは賛否が分かれるところだが、彼らにとっても食事は本能に根差したもののはずだ。それを差し置いて『楽しみ』のために狩りを行うということは、それ相応の知能があるということになる。

 少なくとも、自分にとっての娯楽が何かを把握できるだけの自我が。

「これは、思ったよりヤバそうだな」

 歪理には聞こえないくらいの声で呟くと、響斗は相手が油断しているうちに先手を打つべく、手に提げていた剣を握り直す。

 呼吸を整え、タイミングを見計らい、踏み込もうとしたその刹那―――

「……一つだけ、答えろ」

 背後から聞こえた友人の声で、その足が地面に縫いとめられた。

「……、………ナあに?」

 歪理はまるで顔色を窺うように響斗を見つめた後、不思議そうな顔で首を傾げた。

「十五年前、この辺りで武器を持った子供を襲ったのを覚えとるか? その中にいた髪の長い女の子を喰った覚えはあるか?」

 一息に溢れたその質問の意図が、果たして歪理に伝わったのかはわからない。

 だが歪理は「うーン?」と小さく唸ると、そのまま、何かを考えるように視線を空中に巡らせた。

 しばらくそうして首を捻る歪理に、灯和(とうか)はやはり覚えている訳がないか、と表情に僅かな落胆の色を滲ませる。

 無駄だということはわかっていた。

 自分だって食べた肉や魚の顔など覚えていない。

 だから、まともな答えなど最初から期待していなかった。

 だというのに、こうして目の当たりにすると、自分でも呆れるほどあっさりと、冷静さが削られていくのがわかる。

 体の奥底が焦げ付くような感情が、じわじわと理性を炙っていく。

 だが歪理が次に発した言葉は、そんな激情さえも芯から凍てつかせるものだった。

 灯和に視線を戻した歪理は、自らの衣服をはだけさせながら言った。


「―――どレ?」


 直後、歪理の死体のように青白い肌に、無数の切れ込みが浮かび上がった。

 攻撃かと一瞬身構えた灯和は、すぐにその言葉の意味を理解して絶句する。

 切れ込みに見えたそれは、何十もの人間の"目"だった。

 露になった上半身だけでなく、腕や顎のあたりまでびっしりと。

 皮膚の下がどうなっているかなど想像したくもないほどの、夥しい数の"目"が一斉に灯和を見つめている。

「キれいデシょう? とっテおいタんだ。コノ中にあルカな?」

 まるでビー玉を集める子供のように、無邪気で、だがどうしようもなく歪んだ笑みを浮かべる歪理。

「やっぱり人でもやってたか……」

 端から見ていた響斗も額に汗を滲ませる。

 あれは戦利品なのだろう。おそらくは、今まで歪理が喰らった人間達の目。

 ベンチに並んだラルヴァの部品と同じ、いつでも再現できる形に記憶していた(とっておいた)コレクション。

「……イカれてる」

 響斗のそんな呟きも、灯和の耳には入らなかった。

 脳が、理解を拒むように軋みを上げる。

 体が動かない。

 呼吸の仕方すらわからない。


 ()()()()()()()()()


 ずらりと並ぶ死人の目。

 元の人間のものとは似ても似つかない、まなざしの暖かさが欠落した部品の塊。

 だがわかる。

 わかってしまう。

 脇腹の辺りに表出した、柔らかい茶色の目。

 その瞳の色を、僅かに下がった目尻を―――そこにあったはずの視線を、確かに覚えている。

美冬(みふゆ)……」

 喉が、そう微かに震えた。

 声にならない叫びが頭の中だけに反響し、過去の情景をめちゃくちゃに想起させる。

 気付けば、灯和は地面に膝をついていた。

 石畳に衝突した膝がミシリと嫌な音を立てるが、混乱の最中にある頭には、その痛みすら届かない。


 完全に戦意を喪失してしまった様子の灯和に、いち早く正気に戻った響斗が叫ぶ。

「トウカ!? おい! トウカ!!」

『まずいわね。ヒビト、一旦退―――』

 駆け寄って揺さぶるもやはり返事はない。

 一度退いて体勢を立て直すべきだとライリーが言おうとしたところで、


「ねえ、きみのもちょうだい?」


 歪んだ言葉が鼓膜を震わせる。

 その瞬間、響斗は反射的に能力を発動させていた。

 霧状の粒子が宙を舞い、剣の形に収束する。

 攻撃の為ではない。

 ただ自分の背筋を震わせた何かから隠れるように、数本の剣を壁のように展開する。

 だが粒子が完全に剣を形作る前に、作りかけの光剣は周囲の粒子もろとも、何かに弾かれて粉々に砕け散った。

 その勢いは剣を破壊してなお衰えず、真っ直ぐに壁の内側に突き抜けた。

 鈍い音とともに石畳が砕け、その下の地面にまで亀裂が走る。

 だがそこに響斗達の姿は既に無い。

 剣の壁を目眩ましにして後方へと飛び退いていた響斗は、足元まで転がってきた石畳の破片を見て冷や汗をかく。

 まともに食らえば生身の人間など簡単に肉塊に変えてしまうであろう必殺の一撃。

 それを間一髪で避けた緑メッシュの少年は、その威力を生み出したものを視認して思わず眉をひそめた。

 剣を砕き、石畳を砕き、地面を砕いた死の塊。

 それもまた、肉塊だった。

 もはや動物の器官(パーツ)ですらない赤黒い肉の塊が、地面に深々と突き刺さっている。

 肉塊は萎むようにしてスルスルと、元来た方向に戻っていった。

 より正確には、そこにいた人影―――歪理の腕の形へと。

 死体のような目がくるりとこちらに向く。

 そこには何の感情も浮かんではいなかった。

 喜びも、悲しみも、獲物を逃した怒りさえ。

 ぽっかりと、人型の異形の口が開く。

 続いてその口から発せられた言葉は―――


 ◇◇◇


数十分後 転界 廃ビル内


 歪理と出会った公園からは、少々距離の離れた場所にある廃ビルの一室。

 いかにも手持ち無沙汰といった様子で室内を物色していた響斗は、舞い上がった埃に軽くむせながら、退屈そうにため息をついた。

「なーんにもないな、ここ。てっきり非常食くらいおいてあるかと思ったのに」

『あっても食べられないんじゃないかしら』

「そっかー。いや、わかってはいるんだけどさ、暇なんだよなあ……」

 再度のため息がさらに埃を舞い上げる。

 隣のビルに反射した陽光に照らされて、さながらダイヤモンドダストのようだ。

 ガラス越しの日光がやや暑いが、おかげで室内はかなり明るい。

 一応このフロアも何かの会社だったようで、埃の下にはパソコンや事務用品が埋もれている。

 比較的新しめ―――他よりはマシという程度だが―――な内装は、事務所というよりカフェに近く、オープンな環境が逆に無人であることへの違和感を掻き立てる仕様となっていた。

 そこで誰かが寛いでいたかのような位置に置かれた古びたマグカップを、少し薄気味悪く感じながら、そっと脇へ寄せて机に腰掛ける。

『今のうちに休んでおきなさい。せっかく仕切り直しになったのだから』

「それはそうなんだけどなあ……」

 半刻ほど前の出来事を思い出し、響斗は何ともいえない気分で窓の外を見つめた。


 ◇◇◇


数十分前 公園内


 屍の少年がこちらを振り向く。

 虚ろな瞳が響斗を捉え、ノイズ混じりの甲高い声が鼓膜を震わせる。

「ああ、ヤっぱリだめだッタ?」

 警戒レベルを引き上げ続けていた響斗の耳に届いたのは、先ほどの一撃が嘘のような穏やかな言葉だった。

 ――『やっぱり』?

 妙な言い方に眉をひそめる響斗に、異形の少年は特に悪びれる様子もなく続きの言葉を吐き出した。

「よこドりしようトしたからおこっテル?」

 ――……?

 何を言っているのかわからず、ひたすら『?』を旋回させる響斗。

 だが何か忘れているような。

「…………あっ」

 ようやく思い至った響斗が間の抜けた声を上げる。

 今の今まで忘れていた。

 自我のあるラルヴァと戦う時は基本一人だから忘れていたのだが。

 そういえば。


 ラルヴァ的には響斗は同族(ラルヴァ)に見えるのではなかったか。


 チラリとライリーを見上げれば、『やっと気付いたの?』とでもいうように肩を竦めていた。

「えー……そうなるのか……?」

 そういえば、先ほどから歪理はこちらの様子を窺うような素振りを見せていた。

 小型中型クラスのラルヴァに警戒されないように、普段はできる限り気配を人に寄せているが、人型ともなると誤魔化しきれないらしい。

 つまり歪理にとって響斗は、気配をわざわざ誤魔化して近づいてきた『不審者』である。

 警戒されて当然だろう。

『よこどり』という言い回しからして、多分灯和は非常食か何かと思われていたようだ。

 今すぐ否定しておきたいところだが、それで襲われないならその方が好都合ともいえる。

 もっとも、それでも攻撃してきた訳だから、あまり『待て』ができる性格ではなさそうだが。

「ああもう、何なんだよこれ……」

 戦意喪失中の友人と、端から敵意がなさそうな仇敵との間に挟まれ、いつの間にか奇妙な沈黙が場を支配している。

 謎の膠着状態に頭を抱えつつ、響斗はこちらを見ている人型の異形に、ため息混じりの言葉を告げた。

「あのさ―――」


 ◇◇◇


現在 廃ビル内


 そんなこんなで、『用事を思い出したから帰っていいか?』とダメ元で訊いてみたところ、歪理があっさりと頷いたため今に至るという訳だ。

 あまりにも拍子抜けするような幕引きに、やるせない気持ちが募るのだが、あのまま無理に戦っても勝ち目がないことはわかっているので文句も言えない。

 せめて灯和がまともなら愚痴くらいは言えたのだが、灯和はずっと何かを考えこんでいるようで、呼び掛けてもろくな返事が帰ってこない。

 響斗はそのまましばし足をぶらぶらさせて退屈アピールをしていたのだが、

「ああー、もう! いい加減しっかりしろよ!」

 結局痺れを切らし、壁際に座り込む友人に声を掛けた。

「……っ!?」

 突然の大声に灯和は肩をビクリと震わせると、机から降りて近寄ってきた響斗に、驚きと戸惑いの混じった視線を向けた。

「分かれ、察しろ、空気読め、とか俺には無理だからな! 何かあるならちゃんと言え! 」

「いや、その……」

 灯和から視線に僅かな恐れが混じる。

「……お前、何か隠してるだろ」

「……」

「あの時は色々あって、結局詳しく聞いてないけどさ」

 目を逸らそうとする灯和を、有無を言わせぬ目付きで見据えながら、響斗は友人の死の核心に迫る質問を投げ掛けた。

「あの時、本当は何があったんだ? 襲われてその場で即全滅…じゃあなかったんだろ?」

「………」

 その沈黙は肯定も同然だった。

 実際のところ、響斗は生き残った他の仲間から、逃げる途中で襲われたという話を聞いていた。

 だがまだ何かあるはずだ。

 灯和の心に決定的な楔を打ち付けた何かが。

「俺だって普段ならこんなこと言わねえよ。でもお前がそんなじゃ、とてもあいつとは戦えないだろ」

「……」

「別に……お前だけ先に帰して、俺一人で戦ってもいいけどさ、多分それじゃ駄目だ」

 自分の考えを確かめるように何度も頷きながら、響斗は淡々と言葉を積み重ねていく。

「俺も、ライリーも、ミフユや皆の仇を討ちたいのは同じだ。けど、何も知らないまま戦って、何も知らないまま勝っても、きっと何も終わらない。……うん、きっと変わらない。お前だってそうだろ?」

 灯和はそっと響斗の背後に視線を向けた。

 煤けた天井との間で、視えぬはずの友人が頷いている気がした。

「ああ。………わかっとるよ」

 消え入りそうな返答が漏れる。

「ならいい加減話して楽になっちまえよ」

 わざとらしく肩を竦めて見せたあと、響斗はこれまたわざとらしくパキポキと指を鳴らして見せた。

「それでも足りないっていうなら、とりあえず数発殴ってやるからさ」

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