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Act.36 有毒世界は夢にも見ない(2)

 特務部本館の一階。

 執務室の真ん中に置かれた来客用のソファに体を預け、十六原灯和(いさはらとうか)は落ち着かない様子で煙草を吹かしていた。

 溜め息と共に吐き出された煙が、テーブルの上に置かれた排煙装置に吸い込まれて消えていく。

 立ったり座ったりを繰り返し、チラチラと扉の方を(うかが)うが、待ち人は一向に現れない。

 もう一度電話しようかと、携帯電話を手に取ったところで、コンコンというノックの音が聞こえた。

「トウカー? 入るぞー?」

 灯和の返事を待たずに扉が開き、見知った顔が(のぞ)く。

「やっと来たんか」

 待ちすぎて怒る気にもなれない、といった調子の声を上げる灯和。

 室内に入ってきた響斗(ひびと)は、さすがに申し訳なさそうに頭を下げて、

「ごめん……。ずいぶん待たせたっぽいな。ヘビースモーカーでもないだろうに」

 テーブルの上の灰皿を見て(あき)れたように言う。

 修羅場にでもなったら速攻で凶器にされそうなガラス製の灰皿の中には、煙草の吸い殻がうず高く積まれていた。

「落ち着かんでな、つい」

「つい、なあ……。ほどほどにしとかないと体壊すぞ。これ、クリーンなやつじゃないんだろ?」

 言いながら、響斗は積まれた吸い殻の一つをつまみ上げる。

 どっかの愛煙家(天才)が、『禁煙禁煙言いやがって! 目にもの見せてやらぁ!』と本気を出した結果生み出されたという、見た目と味だけ模したクリーンな煙草とやらが最近は出回っていたりするのだが、灯和の吸っているそれは従来式のものだった。

「構わんよ。この程度、異能ですぐ中和できるんじゃし」

 (くわ)えていた煙草を灰皿の端に押し付け、新しいものに火を点ける灯和。

 便利だなあ、と呟きながら、響斗も向かいのソファに腰を下ろした。

三廻部(ミカ)さんの受け売りだっけか。ホントあの人、昔ながらの~、ってやつ大好きだよなー」

「ああ。あの人の部屋、最近ますます古道具屋染みてきとるしな……」

「いい加減にしないと、そのうちキセルとかすすめられるぞ」

「わかっとるよ。それより―――」

 ダラダラと続きそうな無駄話を打ち切り、灯和は灰皿を端に退けた。

 印刷しておいた資料をテーブルに広げ、本題に入る。

「どこまで聞いとる?」

「クレイが説明できるとこまで」

「そうか。それなら概要は要らんな」

「それで、今回の人型ってどんなやつなんだ?」

「……これを見てくれ」

 そう答えて、今度はタブレットを出して監視カメラに残っていた映像を再生させる。

 画面には、社員二人分の死体と、それを取り込もうとする小柄な人影が映っていた。

『キヒ…ハハ……ハッ! ねエ、もう………マい?』

 周囲が暗い上にデータの損傷もあるようで、映像は時折酷く乱れ、音声も割れていた。

 ただ、金属を引っ掻くような笑い声だけが妙に耳につく。

「何かこれだけだとよくわからないんだけど……、こいつって前からいたやつか?」

「ああ。間違いない」

 三白眼の青年は、映像の人影を(にら)み付けながら静かに断言した。

「てことはデータベースに載ってるのか。個体名(コード)は?」

「………」

「トウカ?」


「……『歪理(ひずり)』だ」


 脳に、その意味が伝わるまで数秒掛かった。

「間違いないのか!?」

 思わずソファから身を乗り出した響斗に、灯和はやはり映像を睨み付けたまま無言で頷いた。


 そう、間違えるはずがない。

 間違えられるはずがない。

 あの日、彼らの日常を砕いた最初の一手。

 灯和の率いていた班の前に現れ、仲間達を惨殺した化け物。

 人類が初めて交戦したとされる人型のラルヴァ。

 生物のパーツをでたらめに張り合わせたような怪物―――ラルヴァに対するそんな概念を覆した、異形ならざる異形。

 そして何より―――十六原灯和からたった一人の幼馴染を奪った、忘れえぬ仇敵(きゅうてき)


「悪いが、我が(まま)をきいてくれ」

 何を言われるかは、聞くまでもなくわかっていた。

 だから響斗も無言でその先を促す。

 思い詰めた表情のまま、灯和ははっきりとそれを口にした。

「今回は、俺も同行させろ」


 ◇◇◇


数十分後 廊下


 打ち合わせを終えた響斗は、一人薄暗い廊下を歩いていた。

『それにしても急よね。大丈夫かしら』

 傍らに浮かぶライリーが心配そうに言う。

「そうか? いつもこんなもんだろ?」

 響斗は能天気にそう返したが、ライリーの憂いは晴れなかった。

『でも、今日のはいつもとは違うでしょう? ミフユの(かたき)だからって(はや)るのもわかるけれど、あなたもトウカも、少し落ち着く時間が必要じゃないかしら』

「それはまあ、そうかもなー……」

 話し合いの結果、出発は午後からということになった。

 やっと見つけた仇を逃がしたくないのだろうが、(いささ)か急すぎる。

 前回人型が出現した際、討伐に出たのは次の日だったから、それと比べてもかなり早い。今からだと、実質2時間くらいしか準備する時間がないことになる。

『まったく……ウズナミには待機を命じているくせに、自分は出ようなんて職権乱用よね』

 そう言って溜め息をつくライリーも、どこか落ち着きがない様子だ。

「心配か?」

『心配よ』

 これには即答だった。

『ミフユは私にとっても友達だもの。仇を討ちたいという気持ちはわかるつもりよ。たとえ相手がラルヴァだとしてもね。でも友達なのはトウカもだから、危ない目には遭って欲しくないわ。それに……』

「それに?」

『もし、トウカにまで何かあったら、貴方が独りになってしまうでしょう?』

「独りじゃない。ライリーも皆もいるだろ」

 ライリーは黙って首を横に振る。

『そういうのじゃないわ。自分は独りきりだと思うのに、実際の人数なんて関係ないもの』

「……大丈夫だ。死なせないよ。今度は独りじゃない。突っ走ったりするもんか」

 緑メッシュの少年は、どこか懐かしむような、自嘲するような笑みを浮かべていた。

 あの時のことを忘れたことはない。

 結果は常に傍らにある。

 この現状を結末にしてしまわないために、彼は戦っているのだから。

「放っておいてもきっと灯和は無茶をする。だからライリー、一緒にあいつを助けてやろうぜ」

 今度は曇りのない笑みで言う響斗に、ライリーも苦笑しながら答える。

『そうね。たまにはサポートに徹しましょうか』

「はは、確かに。いつもと逆だな」

 そうと決まれば、まずは出撃準備だ。ロッカーへと足を進める響斗を、ライリーも低空飛行で追う。

 完全に響斗の死角に入ったところで、ライリーはそっと表情を曇らせた。

 ――本当に大丈夫かしら。

 イレギュラーな相手にイレギュラーな役割。

 加えて因縁の相手に対するイレギュラーな精神状態。

 響斗の方は今は落ち着いているようだが、灯和の方は事情を知らない人間が見てもわかるくらいに動揺している。普段周囲のブレーキ役をしている人間なだけに、こうなると周りの調子も狂うことは間違いない。

 ――特にヒビトにとってトウカは『重心』も同然だし……。

 本人はああ言っているが、普段通りにはまずいかないだろう。

 いざというときは自分が戦うしかないかもしれない。

 そんなことを考えながらますます警戒心を強めるライリーは、ふと、それが不安からくるものだと気が付いた。

 ――昔は想像もしなかったわね。

 ――自分がこんなにも弱くなるなんて。

 困ったように微笑むその表情(かお)は、かつてないほど人間らしく、かつてはなかった不完全さを(はら)んでいた。


 ◇◇◇


転界 オフィス街方面


 カツリ、とブーツがひび割れた石畳を踏む。

「ああ、いるなあ、これーーー」

 ビルの隙間を睨むようにして響斗が言う。

「もう気配わかるんか?」

 灯和は足を止めぬまま、抑揚のない声で訊いた。

「ああ。このまままっすぐだ。それに、トウカにだってわかるだろ。……嫌な感じがする」

「まあ、な」

 転界は不気味なほどに静かだった。

 人の姿が消えたゴーストタウンには、もちろん人間の姿はなく、屍の街を闊歩(かっぽ)していた異形達も、今日は姿を隠していた。人も怪物も消え失せて、本当に脱け殻と化した街は、普段以上に作り物のようだ。

 人類が滅亡し世界には自分しかいないーーーそんなチープな悪夢そのものの光景が広がっている。

 人型、もしくはそれに準ずるレベルのパーツ持ちがいる証拠だ。

 互いに気配がわかるラルヴァ達は、基本的に格上の個体には近付かない。共食いを恐れているからだ。

 だが見渡す限り何もいないのはさすがに異常といえるだろう。

 どうやら『歪理』と呼ばれる件のラルヴァは相当に悪食らしい。

 ーーそういえば……あの日もこんな風に静かじゃったな。

 今にして思えば、予兆は十分にあったのだろう。

 当時の自分に、それを感じ取れるだけの経験があればーーー

 ーーいや、どんな仮定も今更だ。

 頭を振って余計な思考を追い出す。

 それでも、追い求めた敵がすぐそこまで迫っていると自覚するほどに、あの時の記憶が頭の奥底から引きずり出される。

 まるで、同じ時にそこにいた何かに引き寄せられるように。


 ◇◇◇


 パラパラと、白昼夢の映像が切り替わる。


 歪んだ人影。

 鮮血。

 悲鳴。

 鼓膜に刺さる耳障りな笑い声。


『逃げろ』

 そう叫んだのが現実のことだったのかさえ、もう灯和にはわからない。

 無我夢中で走って、目についた廃墟の中に身を隠したが、失敗だったかもしれない。

 建物の中では逃げ場がない。

 廃墟ごと壊される可能性もある。

 だがもう足が動かない。

 ーー落ち着け。

 ひたすら自分に言い聞かせる。

 ーー落ち着け。

 収まらない動悸(どうき)を押さえ付けるように、ぐっと全身に力を込める。

 ーー大丈夫、逃げ切った…はずだ。

『本当に?』

 その問いを頭から追い出そうと必死に言葉を連ねる。

 ーー奴はすぐには追って来んかった。

 そう、だから()()()()()()()()()()()()

 ーー………。

 他の仲間達がどうなったのかもわからない。

 ーー頼むから他の奴のところへ行ってくれ。

 一瞬でもそう思った自分に腹が立ったが、そんな怒りも一秒と待たずに恐怖で塗り潰される。

 ーーもしこっちに向かって来とったら……。

 途端に、背筋を冷たいものが走る。

『背筋に氷を当てられたような』どころではない、『背骨に氷柱(つらら)でも差し込まれたかのような』悪寒に、全身から嫌な汗が吹き出す。

 あの人型のラルヴァはかなり速く動けるようだった。

 窓の外、この建物の近くに、実はもう迫っているのかもしれない。

 いやーーー

 もう建物内にいるのかもしれない。

 同じフロアにいるのかもしれない。

 実はその辺の物陰に潜んでいるのかもしれない。

 それともーーー

 仮定が意識を圧迫する。

 耳にこびりついた哄笑(こうしょう)が現実を侵食する。

 窓の外が。

 廊下の先が。

 扉の裏側が。

 棚の陰が。

 机の下が。

 ロッカーの中が。

 本の間が。

 引き出しが。

 ありとあらゆる死角が怖い。

 ありとあらゆる隙間が恐い。

 少しでも死角を減らそうと、壁を背中に張り付ける。だがそれさえ、壁の中から現れるかもしれないという妄想じみた恐怖を掻き立てるだけだった。

 まるでホラー映画の悪霊に追われているかのような、不定形の恐怖に囚われる。

 朦朧(もうろう)としてきた頭では、どこまでが現実かもわからない。

 あと一秒でも長くそれが続いていたら、『体を突き破って出てくるかも』というところまで追い詰められていたかもしれない。

 だがーーー


『灯くん、手が痛いよ』


 聞き慣れた声で我に帰った。

 耳鳴りを伴う幻聴が、電源が落ちたように静かになった。

 そこでようやく、灯和は自分が握っていたものを思い出した。

 今まで何度となく触れてきた、細く小さな少女の手。

 ーーそうだ。

 ーー俺は美冬(みふゆ)を連れて逃げて、それでーーー



 ◇◇◇


「(トウカ。……おい、聞こえてるか?)」

 ハッとして顔を上げると、すぐ近くに友人の顔があった。

 呆れと心配が入り混じった金色の目がこちらを覗き込んでいる。

「(あ、ああ。大丈夫。聞こえとるよ)」

 灯和は自らも声を殺しながら答える。

 いつの間にか目的地に着いていたようだ。

 そこは、ビルの隙間に作られた小さな公園だった。

 無機質な景色に緑の潤いを与えるために作られた都会のオアシスは、本来ならば美しく手入れされた花壇が四季の移り変わりを知らせる憩いの場所として機能したのだろうが、廃墟と化したこの異界においてはただの広場でしかない。

 周りの廃ビルと同様に、花壇にも遊具にも赤い植物が蔓延り、オアシスはすっかり街並みの中に埋没していた。

 ビルの陰から様子を窺っていた響斗が、公園の一角を指差す。

「(見えるか? あそこ。ベンチのとこ)」

 花壇の奥、石造りのベンチの前に、小柄な人影がしゃがみこんでいた。

「(何してるんだ、あいつ?)」

 二人に気付いているのかいないのか、ラルヴァらしき人影はその場から動こうとしなかった。

「(考えても仕方ないか。どうする? 行くなら今だぞ)」

 金色の目が問いかける。

 覚悟はできているのか、と。

 ここで首を横に振れば、響斗は一人で歪理に挑むだろう。

 だが灯和とて引き下がるつもりはない。

 当然だ、と答えようとして、やっぱり無言で頷いた。

 求め続けた悪夢の続きが、ようやく始まろうとしていた。

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