Act.35 有毒世界は夢にも見ない(1)
転界
人工的な灯りの消え去った夜の街を、小柄な人影が二つ走っていた。
人影はどちらもまだ幼い子供に見えた。まるで鬼ごっこでもするかのように、前を走る人影を、後ろにいる方が追っている。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」
前を行く影は少女のようだ。おそらく迷い込んだのだろう。
少女は息も絶え絶えといった様子で必死に足を動かしていた。時折後ろを振り返っては、後方の人影を確認して、懸命に足を早めようとする。
「はぁ、はぁ、は……きゃあっ!?」
地面の亀裂に足をとられ、少女が大きく転ぶ。
「う、うぅ………ひっ!?」
痛みに耐えながら何とか起き上がると、後ろにいた人影が目の前に迫っていた。
「つかまエた」
甲高い少年の声がそう言って、痛みと恐怖に歪む少女の顔に、青白い手を伸ばす。
「いや……やめて………たすけて……」
逃げようとする少女の顔を掴んで離さないまま、少年の姿をした何かは、涙の溜まった少女の瞳を覗き込み、にたりと口角を上げた。
「キヒハハハハッ! きレイだねえ、そレ」
何処か恍惚としたその目は、生物とは思えないほど暗く淀んでいた。
怯える少女にそれは言う。
「ネえそれ、ぼくにちょウダい?」
◇◇◇
ーーああ、夢じゃな。
十六原灯和は頬をつねるまでもなくそう確信する。
目の前には淡い緑色の髪をした美しい少女が立っている。
彼女とこうして話しているということ自体が、これが現実でないことを明確に表していた。
夢の中の灯和は随分と幼い姿をしている。ライリーにまだ実体があった頃よりも更に幼い。
何でまた、と心中で首を傾げる灯和に構わず、口が勝手に会話を続ける。
この手の夢の内容はいつも同じだ。灯和が質問をして、ライリーが答える。ただそれだけの過去の模倣。
これは呪いだ。
穏やかなまどろみの中でぼんやりと思う。
ライリーとーーーラルヴァと関わることに対する言い訳を探していた頃の自分がかけた呪い。
あの頃の自分が言う。
もっとラルヴァの情報を手に入れなくてはならないと。
今やその意味合いは変わってしまったが、抱く焦燥感だけは変わらない。
どうしようもないな、とため息をつくと、首の辺りに僅かな痛みを感じた。
どうやら意識に続いて体の方も目覚めかかっているらしい。ゆっくりと夢の中の声が遠ざかり、代わりに肉体の感覚が戻ってくる。
目蓋を開けると、見慣れた部屋の内装が目に入ってきた。
特務部にある執務室とは違う、寮にある灯和の自室だ。
昨日数日ぶりに帰ってきた我が家だが、結局仕事を忘れられず、メールを見返したり調べものをしたりしているうちに日付が変わってしまったことまでは覚えている。
点きっぱなしのパソコンのディスプレイを見たところ、時刻は午前2時過ぎだった。どうやら1時間ほど寝落ちしていたらしい。
――しまった、またベッドで寝損ねたか。
お陰ですっかり寝違えてしまった。
まだ外は暗いし、今からでも寝直そうとも考えたが、やめた。
まだ先刻の夢が頭に残っている。
別に悪夢ではないが、続きを見たいとも思えなかった。
どうせ、何度夢を見ても、美冬が出て来てくれることは無いのだ。
今までもずっとそうだった。悪夢ですら、彼女に逢うことはできていない。
――最近ほ見てなかったんじゃけどな……。
あの頃の夢どころか、ここのところは夢など見ていなかった気がするのに。
理由はわかっている。
昨日の夜中に受けたある報告のせいだ。
無意識に視線が机の上のある一点を向く。
そこには小さな写真立てが伏せて置いてあった。
一体どれだけの期間そうしてあるのか、写真立ての裏側には、厚い埃の層ができてしまっていた。
もうずっと、灯和はそれを直すことができずにいた。
もっとも、そんなことをせずとも中身はとうに目に焼き付いている。
美冬と、響斗と、ライリーと、四人で撮った唯一の写真。
それは灯和の手元に残った、数少ない美冬の形見だった。
◇◇◇
翌朝 MSS 廊下
人気のない廊下を歩いて執務室へ向かう。
省エネ対策で疎らに照明が落とされた廊下は、窓が北側にあることもあって朝だというのに薄暗い。
時折扉の向こうから話声が聞こえてくるが、そんなものは誤差の範囲だといえるくらいに、周囲は静まりかえっていた。
『急がなくていいの?』
耳元で聞こえる少女の声に、
「うーん、どのみち遅刻だしなあ……」
と返して、刀儀響斗はほんの少しだけ足を早めた。
始業時間を告げる鐘はとうに鳴り終わっている。確か社員寮を出た辺りで既に鳴っていたはずだ。
完全に遅刻である。
青筋を立てるクレイの顔が目に浮かぶようだ。
4月からなんとか続いていた無遅刻記録も、今日この日で潰えることとなった。
とはいえおよそ2ヶ月半。よく続いたほうだろう。もしかしなくても新記録だ。
緊急の呼び出しを受けた訳じゃないし、と言い訳しつつ、響斗はライリーと会話しながらのんびりと階段を上った。
「それにしても、なんか今日ピリピリしてないか?」
『そうね。何かあったのかしら』
「まあ、クレイに聞けばわかるか」
とっくに出社しているであろう金髪上司の顔を思い浮かべながら、響斗は執務室の引戸を開け、
「遅刻しましたー……って、あれ? マジで今日何があったんだ?」
室内にこもったただならぬ空気に首をひねった。
クレイ、会音、千奈、愛桜、凌牙、メアリー、杭田。部屋の中央に集まっていた第二部隊の面々は、揃いも揃って険しい顔をしていた。
こちらに振り返ったクレイが溜め息混じりに言う。
「遅えよ。つーか、電話にくらい出てやれよ。トウカさん困ってたぞ」
「ごめん……って、えっ、電話!? えー……あー、ホントだ。着信履歴がビッシリ……」
慌てて携帯を確認すると、確かに十六原灯和からの着信があった。
夜中から朝にかけて十数回かかってきていたようだが、全く気付かなかった。
「うわあ……これ絶対ただ事じゃないな。……何があったんだ?」
真面目なトーンになった響斗が問う。
「ああ、じゃあ説明するから一緒に聞いてくれ」
クレイに促されて響斗も輪に入る。
周りの顔を見るに、まだ大して話は進んでいないようだった。
「昨日連絡した通り、転界で人の足跡らしきものが発見されてる。だからパーツ持ち以上の個体が出現しているかもってことで、厳重に警戒するようにって通達が来てた。……が、今朝早くにもう一度召集がかかって、追加の連絡があった」
普段とは違う固い口調に、他の隊員達の顔も徐々に強張っていく。
クレイは表情を曇らせつつ、その内容を口にした。
「昨晩、夕方頃に転界に入った社員が二名戻らないと、ゲートの警備を担当していた第一部隊の隊員から連絡があった。すぐに社内に残っていた討伐課の人間に連絡がいって、カメラの映像を調べたところ、ラルヴァらしきものに襲われたということがわかった」
「"らしき"?」
含みのある言い方に響斗は眉をひそめた。
「ああ。パッと見た感じじゃわからなかった。……人なのか、ラルヴァなのか」
その光景を思い出したのか、説明するクレイの声にも動揺が混じる。
「人型、か。……それで、その二人はどうなった?」
"最悪"が起きてしまった。
まず無事ではないだろうと予想しつつ尋ねると、やはりクレイは静かに首を横に振った。
「……だよな」
「映像にあったのは……すでに死体になった二人をそいつが取り込むところだった」
「………」
皆何も言えずに黙り込む。
「とりあえず、僕らはしばらく部屋で待機だ。被害者を増やすわけにはいかないからな」
何もできない歯痒さを噛み殺して、クレイはやるせない表情のまま部下達を見回した。
他のメンバーも皆似たような面持ちだった。
彼らの中にも、『人々を守る』あるいは『一体でも多くのラルヴァを倒す』といった明確な理由を持って戦っている者はいる。
仲間の仇を討ちたいという者もいるだろう。
だがその一方で、自分が出ていったところで役には立たないということは十分わかっている。
それこそ、ラルヴァを倒すことに熱意があろうとなかろうと、彼らには戦うという選択肢が与えられていない。
この場でそれがあるのは一人だけだ。
「ヒビト、トウカさんが今後のことについて話がしたいらしいから、急いで向かってくれ」
「了解」と答えて部屋を出る。
――こういうとき、体を動かしてられるだけマシだよな。
珍しく声には出さぬまま、響斗は心中で呟いた。
◇◇◇
来たときと同じく、廊下は静まりかえっていた。
扉の向こうにいるはずの他の部隊でも同様の通達がなされたのか、先程よりも静かに感じるくらいだ。
「お通夜ムード、だな……」
小声で呟く響斗。
特に反応を期待してのものではない。
ただ、何か軽口でも叩いてないと落ち着かないのだ。
こういう空気は苦手だ。
施設にいたときからずっと。
自分でも不思議なくらいに、妙に気が急く。
「………」
『ヒビト』
「……ん?」
『大丈夫よ』
押し黙ってしまった響斗に、背後から抱き付くようにしてライリーが囁く。
触れられた感覚はなかった。
そのことが、逆に彼を落ち着かせた。
一人で焦って行動すればどうなるか―――その結果が、触れることのできない細い腕から伝わってくる。
「そう、だな……。その………」
ガンッ!
響斗が何か言おうとしたところで、近くの扉が音を立てて開いた。
中から出てきたのは、半袖のスポーツウェアを纏った長身の女性と、それを止めようとして引き摺られている茶髪の青年だった。
「隊長! 待って下さいよ! 無茶ですって!」
「五月蝿いねえ! うちのが殺られたってのに、こんなとこで腐ってられるか!」
「だからってアンタが出てってもしょうがないでしょうが! だいたい……あ、」
「ん? あ、刀儀! 丁度いいところに!」
スポーツウェアの女は響斗の姿を見つけるなり、がっしりとその肩を掴んで逃げられなくしてきた。
「え、何!? 何が!??」
「アンタからも十六原の石頭に何か言ってやってくれよ! あの野郎、待機してろの一点張りでこっちの話なぞ聞きゃしない!」
「いや、あの……渦波さん、とりあえず落ち着いてくんない? あと痛いからはなして……」
相手の剣幕に若干押されつつも、何とか拘束から逃れる響斗。
渦波は「すまないね」と謝りつつ、響斗の肩から手を離して距離を取った。
「大分荒れてるなあ……。そっか、やられたのって第三のやつだったのか」
いつもの調子を取り戻した響斗が、独り言のように言う。
第三部隊は響斗の所属する第二部隊と同じく、ラルヴァとの直接戦闘を多く請け負う武闘派の集まりだ。
今いる隊員達のほぼ全員が直接戦闘系の能力を持っている点を考えれば、第二部隊よりもさらに戦闘に特化している集団といえる。
そんな彼らをまとめているのが、響斗の前に立つスポーツウェアの女―――渦波である。
30代に突入してなお衰えることのない活力に満ちた人物で、性格は豪快、悪く言えば大雑把。服装にさえ気を遣えばそこそこ目を引く美女なのだが、どちらかというと"姐さん"という雰囲気のお人だ。
というか実際に部下達からは"姉御"と呼ばれている。
そんな彼女も今日ばかりは相当参っている様子だった。
明らかに冷静さを失っているし、よく見れば目元が少し腫れている。後ろで無造作に束ねてある黒髪も、いつもほど艶がなかった。
「駄目だね……。他の隊のやつにあたっちまうなんて。こんなんじゃ戦力外って言われても文句言えないよ」
渦波の気持ちはわかる。
響斗とて仲間の仇を討とうとしたことは一度や二度ではないし、何もできない時のやるせなさも痛いほど知っている。
しかし相手は人型だ。
渡り合える人間は社内でもそうはいない。
加えて、渦波は部下を率いて初めて実力が発揮できるタイプで、総合的な能力こそ高いが、単体の火力はそこまで高くない。とてもじゃないが連れては行けない。
「あー、その……」
「いや、いいんだよ」
渦波は自嘲気味に笑うと、「そもそもアンタ以外が呼ばれることが稀だしね」と溜め息を漏らす。
「それはまあ……そうだけど………」
その弱い溜め息の音で、ようやく死んだ仲間の顔が見えた気がした。
まだ被害者の名前すら聞いていないが、隣の隊にいたのなら、顔くらいは知っているはずなのだから。
「うん。それじゃあ、渦波さんの分まで、しっかり仇をとってくるよ」
「……じゃ、今回あたしは大人しく待機しとくことにするよ。話してたら少しは落ち着いたからね」
力強く頷いた響斗を見て、渦波は短い溜め息をつくと、もう吹っ切れたというように肩をすくめた。
「一応聞くけど、直談判しなくていいのか?」
「ヒビトさん、蒸し返さなくていいんだよ。まーた頭に血が上ったら止めるのぼくなんだからさ」
確認を入れる響斗に、今まで黙っていた茶髪の青年が、ここぞとばかりに渦波の背中を押しつつ言う。
「そうそう。気が向いてるうちに帰るとするよ。じゃ、せいぜい頑張って来な! あいつらの仇は頼んだよ」
「失礼しまーす」
元いた部屋にぐいぐいと押し込まれる渦波を見送った後の廊下には、数分前までの静けさが戻ってきた。
「何だったんだろうなー……」
『嵐のような人ってああいうのをいうのかしらね』
「あはは、かもな」
何故だか笑えてきた。
「……あっ、トウカを待たせてるんだった」
『そうね。急ぎましょうか』
バタバタと廊下を走っていく響斗。
その背には、今はもう焦りは見えなかった。




