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Act.34 誤認世界は密やかに(5)

 ぐるんと世界が裏返り、景色そのものが切り替わる。

 ワームホールから投げ出されるようにして移動した先は、異形の包囲網から十数メートル離れた建物の上だった。

「―――ッ……ぅ………」

 受け身をとれずに廃墟の屋上を転がった響斗(ひびと)の口から、低い(うめ)き声が漏れる。

 額から流れ落ちた脂汗が、屋上に積もった砂埃(すなぼこり)の層に染みを作る。

 だがそんなものの比ではない赤い染みが、響斗を中心に広がりつつあった。

「痛ってえ……」

 足に絡み付く毛束から逃れるために()()()()()()()()朱色ジャケットの少年は、脳髄に染み込む激痛に耐えつつ、今なお広がり続ける赤色の起点に手を伸ばす。

 彼の足は、ちょうど膝のあたりからスッパリと消失していた。途切れた、とでも言うべきなめらかな断面に手をあてがうと、ドクドクと流れ出ていた血がピタリと止まった。

 続いて、広がっていた血が引き寄せられるようにして体に戻っていく。

 血管に戻るというより、まるで断面そのものに吸い込まれるように。

 そして次に起こった変化は、まさしく『復元』という言葉がしっくりくる光景だった。

 肉も、骨も、筋肉も、神経も、脂肪も、血管も、―――肉体の持つあらゆる構成要素を感じさせない『形』そのものの再構成。

 3Dプリンタを思わせる、おおよそ生き物らしい生々しさが感じられないその再生は、それゆえにまるで現実味がない。異能という形で超常の一端を知る彼らですら、目を疑うような異常がそこにはあった。

 会音(えのん)千奈(せんな)がこの場にいなくて良かった、と思う。多分色んな意味で刺激的過ぎる。

 それにしても、

「ライリー……思い切り良すぎないか?」

 自分で自分の足を切り落とすのは体勢的にキツかったので、ライリーの能力で足以外の部分を空間ごとくり貫いて貰ったのだが、なんというか彼女からは躊躇(ためら)いというものを一切感じなかった。

『勢いよくやった方が何かと楽よ』とか、そんな言葉が返ってくる始末である。

 一応この体はライリーのものでもあるのだし、だからこそ躊躇(ちゅうちょ)なく自切できてしまうのかもしれないが。

 もっとも、初めてではないとはいえ、響斗自身は全く慣れる気がしないのだが。

 多少の耐性はあっても痛覚は人並みなので、この先も慣れることはなさそうなのだが。

「あっちの足はどうなったかなあ……」

 動ける状態になったので、屋上の(へり)から顔を出して下の様子を(うかが)う。

 地上にはまだ異形の姿があったが、その数はかなり減っていた。過密だった包囲網は見る影もなく、地面を覆っていた毛の束も何処かに消えていた。

 恐らくは、獲物を見失ったため本体に戻ったのだろう。

 何も無くなったアスファルトの上に、黒い戦闘用のブーツが一足、ポツンと転がっていた。

 "中身"は既に霧散したらしく、現場には血の一滴さえも残っていない。

 一部始終を見ていない者からすれば、単に脱ぎ捨てただけにしか見えないだろう。

 ベルト部分がバッチリ締まっていることに違和感を覚えなければの話だが。

「取りに降りたら見つかるよなあ、あれ……」

 響斗の姿を探しているのか、残っているクッキー怪人は擬態もせずに彷徨(うろつ)いている。

 今降りればすぐに先刻と同じ状況になるであろうことは明白だった。

「裸足でいるしかないかなあ……」

『真夏でなくて良かったわね。まだそんなに熱くないでしょう?』

「それはそうだけどさ……」

 溜め息をつく響斗。

「で、どうする? 相手が地中にいるとなるとちょっと面倒だぞ」

『そうね…………あら?』

「ん? どうした?」

 何かあったのかと視線を斜め上に向けた響斗の顔に、ポツリ、と水滴が当たった。

「―――雨……?」


 ◇◇◇


 響斗のいる廃墟よりさらに100メートル程離れた廃ビルの陰。

 会音は作戦を伝えるべく、一人残して来てしまった響斗の姿を探していた。

 既に千奈の方は動いている。

 遠くに煙る水の匂いを感じながら、会音は不安そうにその方角に目を向けた。

 ――上手くいくといいけど……。

 あちらに関しては、もはや自分にできることはない。

 頼まれていたものは無事に発見した。

八谷(やたがい)くん、あなたの能力は透視もできますよね』

 ほんの数分前の会話を思い出す。

『その目で探してもらえませんか?』


『この辺りの―――()()を』


 ◇◇◇


 ポツリ、


 ポツリ、ポツ、

 ポツポツポツ、パタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタパタ―――

 水滴はものの数秒でバケツをひっくり返したような豪雨に変わり、一気に大地を濡らしていった。

 不思議なことに、その雨はつい先程まで響斗が戦っていた辺り以外には降っていないようだった。

 さらに不思議なことに―――その雨は、乾いた大地に一切吸収されることなく、地面の上に巨大な水溜まりとして降り積もっていた。


 そこから僅かに南にずれた所で、千奈は自らの愛槍を握りしめていた。

 その先端は深々と地面に突き刺さっており、裂け目からは大量の水が止めどなく吹き出している。

 舞い上がった水は緩やかな弧を描きながら、ある一点に降り注いでいた。

 雲一つない黄色い空から降る天気雨。

 その正体は、千奈の異能の力を受けた大量の地下水。

 地下水といっても、天然のものではない。

 彼女の足元にあったのは、廃墟と同様に風化を続けていた、古びた水道管だ。

 都市に張り巡らされたインフラの成れの果て。

 老朽化の一途を辿るのみだった人工の水脈が、本来の役割通りこの場所に水を運んでいる。

 無論、その管理を行うべき施設もすでに廃墟と化しているのだが、運の良いことに近くに水が溜まっている場所があったらしい。

 パイプ自体は通常では使い物にならないような状態だったが、千奈の力の及ぶ範囲に於いては水の通り道になりさえすれば問題ない。

 それを踏まえて、千奈の能力の範囲内で、最も地面に近いところに水道管がある場所―――それが、会音が探し当てたこの地点だった。

 降り注いだ水が地面に分厚い膜を作った頃、千奈は放水を止め、ラルヴァがいる地点に向けて走り出した。


 ◇◇◇


ビル 屋上


「うわー……どしゃ降りだな。その割にはこっちの方は降ってないみたいだけど。ゲリラ豪雨かな?」

 ギリギリのところで雨を免れた響斗は、真上からシャワーで流しているかのような天気の境目を物珍しそうに眺めていた。

「ああでも、ちょうどあいつの上にだけ降ってるってことは、何かの能力か?」

 全体を一望できる位置に移動したことで、ラルヴァの気配が感知できるようになった響斗は、すでに敵の大まかな輪郭を把握していた。

 ちょうどその真上にだけ雨が降っていることから、響斗は敵が何らかの能力を使ったのかと予想したのだが、

『違うと思うわよ、ほら』

 ライリーの指差した先を見て、合点がいったとばかりに頷いた。

「エノン! こっちだ!」

 キョロキョロと地上を探し回っていた会音がこちらを見上げる。

 すかさずライリーがワームホールを開いて、上って来ようとした会音を屋上に呼び寄せる。

「うわっ!?」

 突然ワープさせられた会音は、転びそうになるのを何とかこらえると、早口で自分達の立てた作戦を説明した。


「なるほどなー。よく思い付いたな」

「考えたの俺じゃなくて千奈ちゃんっすけどね」

「で、俺はセンナの仕上げが終わり次第、あいつに止めを差す係か」

「あ、はい。千奈ちゃんは水の操作だけで手一杯らしいんで」

「オッケー、じゃあ期待に応えられるように、俺も準備しとかなきゃな」


 ◇◇◇


 "それ"は、背中一杯に広がる冷たい感覚に疑問符を浮かべていた。

 実際に"それ"に疑問をもつなどという知能があったかは定かでないが、地面そのものと一体化し、風景そのものに擬態していたラルヴァが感じたものは、そういった類いのものだった。

 そして、その後にとった行動もまた、至極自然なものだった。

 すなわち、感覚器官を駆使して違和感の原因を探ろうとしたのである。

 地表は水の層と化した巨体な水溜まりに覆われてしまっているが、廃墟を模している部分はまだ露出している。

 "それ"は廃墟部分から自身の分身―――例のクッキー風の異形を出そうとした。

 だが、そこで異変が起きた。

 今まで地表に留まるだけだった水が、まるで自らの意思を持ったかのように、ずるずると廃墟の壁面を上り始めたのだ。

 "それ"が分身を顕現させるよりも速く、アメーバのような滑らかに。

 水はあっという間に建造物を覆いつくし、浮き上がろうとしていたラルヴァの分身を押さえ込んだ。


 ラルヴァ本体から僅か数メートルの位置まで近付いていた千奈は、相手の動きが止まったのを見て警戒を強めた。

 ――ここまでは予想通り。あとは……。

 少しして、対象の動きに変化があった。

 水に覆われていた建物が地響きと共に形を崩し、地面に吸い込まれるようにして消えていく。アスファルトの凹凸が、散らばった瓦礫が、みるみる平坦に均されていく。

 もう、地面は地面ではなくなっていた。

 あの異形の群れと同じ、ありとあらゆる動物の体毛を混ぜ合わせたような塊へと変わっていた。

 ラルヴァが擬態を解除したのだ。

 風景に擬態し、何も知らずにやってきた獲物を分身を使って集団で仕留める。それがあのラルヴァの戦法ならば、獲物に手出しできないような状態にしてしまえば、何らかの反応を示すはずだ。

 そのために、千奈は擬態したラルヴァの体表を水で覆い、身動きが取れない状態にしたのだが―――

 ――これは……予想以上に上手くいってる……。

 地響きが徐々に大きくなり、周囲の地面に亀裂が走る。

 足元まで広がってきたひび割れを避けて後退した千奈は、そこで異様なものを見た。

 地割れの隙間から、無数の毛が涌き出ている。

 まるでコンクリートの僅かな隙間にすら蔓延(はびこ)る雑草のように。

 地上へと伸びた毛は(ねじ)れて互いに絡まりながら、()り合わさって足のような形を作った。

 そして、一際大きな揺れと共に、地面が()()()

 ようやく全身を晒したラルヴァのその姿は、表面全てが湿った体毛で覆われた、巨大なダンゴムシのようだった。

 腹側から生える無数の足は、一本一本が別々の生物のものを模しており、中にはヒトの足らしきフォルムもある。

 もしかすると、パーツ持ちとまではいかずとも、それなりに人間を喰っている個体なのかもしれない。

「――――r―ォォ――rrrr―――!!!」

 一体どこに発声器官があったのか、体毛の奥底から不協和音じみた声を発する怪虫。

 ――好きには、させない!

 意識を、集中させる。

 ラルヴァの背中側に張り付いていた水の層が、再びアメーバのように(うごめ)き、ラルヴァの全体を包むように広がる。

 動きながら高速で刃の縁を移動させねばならない普段の水槍よりは、繊細なコントロールがそれほど必要ないはいえ、この質量を一度に操るのは決して楽ではない。

 千奈は集中力を切らすまいと、奥歯を強く噛み締めてその時を待った。


 地面から現れた巨大な虫のようなラルヴァを、生き物のように蠢く水の膜が覆っていく。

 廃墟の上からその様子を見守っていた響斗は、口元を楽しげに吊り上げて、純粋な賞賛の言葉を口にした。

「ははっ、凄えな。やるじゃん、千奈」

「ヒビトさん、そろそろ……」

「ああ、わかってるって」

 隣で同じく見守っていた会音に頷いて見せると、響斗は水を振り払おうともがくラルヴァの方に手を翳した。

 空中に薄く広げておいた粒子が一気に収束し、大剣が三本出現する。

「お前のせいでそこそこ痛い目にあったからな」

 ちょっとした逆恨みも込めつつ、宙に浮かぶ剣に念を送る。

「一思いに両断してやるよ」

 刃が回転を始め、光る円盤となってラルヴァに襲い掛かった。

 アスファルトの擬態を解いたただの毛の塊を斬るには十分な威力だった。


 ◇◇◇


 崩れていくラルヴァの姿を確認した途端、急に足の力が抜けた千奈はその場に膝をついた。

 ――終わった……?

 そう思うとさらに気が抜けて、ついにはぺたりと地面に座り込んでしまう。

 じんわりと頭に残る戦闘の余韻が、疲労感となって全身に染み渡っていくような感覚だった。

 ぼんやりと見つめる視線の先にあるのは、ラルヴァが消滅したことにより、地面に空いた大きな穴だ。

 千奈が操っていた水がその中に溜まり、今はちょっとした池のようになっている。

 ――そっか、今回は役に立てたんだ。

 ようやくやってきた達成感で、徐々に気力が戻ってきた。

「おーい、大丈夫かー?」

 まだ少しふらつく足で立ち上がると、ちょうど響斗が駆け寄ってきたところだった。

「はい。問題ありません」

「ならいいや。お疲れ。頑張ったな!」

 安心したように笑う響斗は何故か裸足だ。気にはなったが、千奈は訊かないでおくことにした。

「お疲れさま」

「はい。八谷くんも、お疲れさまです」

 少し遅れて追い付いた会音にもそう答える。

 思えば、今回は随分と気を遣わせてしまった気がする。

「あの……」

「?」

「改めて、今回はご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。それと、ありがとうございました」

 頭を下げる千奈に、会音は少し迷った後、「何のことだか」とわざとらしく誤魔化してみせた。


 そんな二人の様子を眺めていた響斗の耳元に、不意に別の少女の声が響く。

『あらあら、随分仲良しになったみたいね』

 響斗の耳に口を寄せて浮遊するライリーは、からかうような声で言う。

『ヒビトは仲間外れかしら?』

「えー、それは何か悲しいなあ」

 口ではそう言いつつも、響斗は特に気にした様子もなく、

「まあ、仲間の仲がいいのはいいことだよな」

 うんうんと頷いて、先に帰り支度を始めた。

「そういえば俺の靴、どこにいったんだろ……?」

 ラルヴァの背中の上に落ちていたということは―――

「池の中、かなあ……」

 帰りの道のりを思い浮かべ、響斗は深く溜め息を吐いた。


 ◇◇◇


夕方 第二部隊執務室


 壁に掛けられた時計を眺めながら、今日もあっという間に一日が過ぎていったなあ、と黄昏(たそが)れていたクレイ。

 ――アイラとリョウガは直帰か……。いいよなあ、僕もさっさと帰りたい……。

 朝っぱらから呼び出しをくらい、以降一日中ピリピリとした緊張感の中に置かれていたクレイだが、さすがにもう疲れてきた。

 依然としてパーツ持ち、あるいは人型の出現が懸念されており、まだ社内の空気は張り詰めている状態だが、ひとまず第二部隊のメンバーは全員帰還しているため、隊長であるクレイも少しは肩の荷が下りたところだった。

「隊長、今お時間宜しいですか?」

 声のした方に振り向くと、タブレット端末を持った千奈が横に立っていた。

「こちらが今回の任務の報告書です。確認をお願いします」

「オッケー。どれどれ……」

 報告書が表示されたタブレット端末を受け取り、内容を確認するクレイ。

 電子データなのでわざわざ席まで持ってくる必要はないはずなのだが、討伐課においては生存確認と体調チェックを兼ねて直接提出することになっていた。

 横目で千奈の様子をチェックする。

 怪我はしていないらしいし、見たところ顔色も悪くないから大丈夫そうだ。

 ――つーか、行く前よりなんか元気なような……気のせいか?

 とりあえず心配ないだろうと判断したクレイは、報告書に視線を戻すと、改めて内容に目を通す。

 ――相変わらずきれいにまと待ってるな。

 詳細な説明に加え、出現したラルヴァの図解までしてあるそれは、新人のものとは思えないほど整っていた。

 今も何とかして提出から逃れようとしているどっかの誰かさんのとは大違いだ。

「あー、こりゃ厄介なのに当たったな」

 広範囲に擬態するタイプとは。しかも分体まで出せるとは、随分面倒な相手だ。

 ――なーんか最近厄介なのが増えてきてるような。

 やれやれと小さくため息をつくクレイ。

 そんな彼に、横合いから能天気な声が掛かる。

「だろー。俺も疲れたよ。クッキーお化けみたいなのがわらわら出てきてさあ……案外あれが足跡の正体だったりしてな。二足歩行だったし」

「だといいけどな。つーか、お前も早く報告書出せよ」

 先程から何とかして現実逃避しようとしている黒髪緑メッシュの少年に、無駄だとわかった上で催促の言葉を掛ける。

「えー、一人出せば十分だろ。俺のなんてなくてもさー」

「ダメだっての。いつまでも僕に押し付けてないで、少しは書く練習しろよな」

「ケチ」

「ケチとか言わない」

 小声で悪態をつく響斗を一蹴する。

 ちょうどその時、壁のスピーカーから短い音楽が流れてきた。

「ほーら、言ってるうちに予鈴鳴ってんぞ。早くしないとまた居残りだからな?」

「今日も遅くなりそうだなあ……。よし、エノン、センナ、俺この後晩飯食べに外出るけど、お前らも来るかー? 頑張ってたし、来るなら奢るぞ」

「あー! ずるいです! エノンくんばっかりー!」

「じゃあメアリーも一緒に行くか?」

「やったー!」

「あっ、おい! 待てって!」

 ぞろぞろと部屋を出ていく部下達を追って、クレイも部屋を後にした。


 部屋に一人残された杭田は、先程の響斗の発言を反芻(はんすう)しつつ、クレイの机の上に置かれたままのタブレットをいじっていた。

「二足歩行のクッキーお化け、か……」

 報告書の図解を見ながら、サンタ服の青年は、やはりどこまでもどこまでも楽しげな笑みを浮かべて独りごちる。

「ボクが見たのは、もっと子供の足跡だった気がするけどねえ」

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