Act.33 誤認世界は密やかに(4)
異形の手薄になっているところを切り開き、なんとか包囲網を突破した千奈と会音の二人は、全く追手がくる様子の無い後ろを振り返って首を捻る。
「追って来ませんね」
「え? あ、本当だ」
毛でできたクッキーのなりそこないのような異形達は、今や二人の方には目もくれず、一人残った響斗の方に群がっている。
「えっと、これからどうする?」
「………」
ひとまず危機が去ったことを確認した会音が千奈に尋ねるが、千奈は考え込んでいるのか反応が無い。
「……千奈ちゃん?」
「え……あ、はい」
再度尋ねると、ようやく千奈が顔を上げた。
「すみません、何でしょうか?」
「いや、これからどうするのかなって。何か策があるのかと思ったんだけど……」
「………」
「……?」
千奈は一瞬ハッとしたような顔をした後、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……すみません。特に考えてはいなかったもので……」
「そ、そうなんだ」
どうしよう、と会音は心中で頭を抱える。
彼は彼で何も考えずについてきてしまったのだ。策などあろう筈がない。
二人の間に気まずい沈黙が流れる。
だが今回のそれは比較的早く破られることとなった。
「……すみません。あのままいても、副隊長の邪魔になると思ったんです」
形の良い眉を八の字に曲げて、ペコリと頭を下げる千奈。
「えっ!? いやいや、考えてないのは俺も一緒だし、謝ることないって!」
慌てて会音は首を横に振る。千奈が謙虚なのはいつものことだが、こうも謝られっぱなしだとさすがに調子が狂う。
「というか、えっと……どうしたの? 今日は何かえらく……自虐的っていうかその……」
「すみません」
「ほ、ほら、また謝ってるし」
「……」
千奈の口が何かを言い掛けて止まる。
途中までだが、その唇の動きは「すみません」と言おうとしたように見えた。
引き延ばされたような数秒の沈黙の後、おもむろに口を開いた千奈は、どこか虚ろな表情で言った。
「つい、考えてしまうんです。私はこのままこの仕事を続けて良いのかと」
「えっ!? な、何で!?」
思っていなかった方向の発言に、思わず聞き返す会音。言った後で、あからさまに「しまった」という顔をして口を押さえるが、会音が何か言うより先に千奈の方から返答があった。
「自信がない、ということになると思います。先月、初めて転界に入った時から……ずっと、どこか引っ掛かっているようで……」
ポツリポツリと、だがどこか他人事のように少女の独白は続く。
会音は何か言うタイミングを逃したまま、黙って話を聞くしかなかった。
同期であり、同じ部隊であり、一緒にいる時間が他の者より長いとはいえ、未だ距離感が掴めない相手の顔を見つめながら。どこまでなら踏み込んでいいのか、異能を使っても視えることのない、その境界線を探るように。
「やっぱり……私のように、覚悟のない人間が踏み込んでいいところでは、ないんじゃないかと」
――そういえば……来る途中でも言ってたっけ。
あれは気のせいではなかったのか。
とりあえず分かるのは、千奈は最初の任務での失敗―――壁に擬態したラルヴァに気付けず殺されかけたことを、未だに気にしているということだ。
あるいはそれは単なるきっかけに過ぎないのかもしれないが。
――やっぱり真面目だな。
『覚悟』なんて言えるほど格好いい理由など、会音も持っていない。
千奈はこの仕事にヒーローのようなイメージを持っているのかもしれないが、人々を守る仕事だとはいっても、果たして何人がそんな高尚なことを考えているかどうか。
入って一月程で、その辺りに向き合おうとしている時点で、会音から見れば十分に真面目だ。だから悩んでいるといえばそれまでだが。
思い詰めたような顔つきのまま、千奈は細く長い息を吐き出した。
――こんなところで私は何を言っているんだろう。
周囲に敵がいないとはいえ、ここは敵地のど真ん中だ。悠長に話している間などないはずだ。
現に今も、響斗は一人であの異形の群れの相手をしているというのに。
千奈はそんなことすら忘れかけていた自分の未熟さに歯噛みしながら、まずは任務に集中すべきだと無理やりにでも気持ちを切り替えようとしたのだが、
「えっと……でも、何でまた、『覚悟がない』なんて……?」
会音の言葉に促される形で、決意はあっさりと霧散してしまった。
「………、……………」
一旦会話を切り上げるという手もあったのだが、このままでは任務に支障が出るかもしれない。
それよりはいっそのこと誰かに聞いてもらった方がましなのではないか。
千奈はそう自分を納得させることにして、質問の答えを口にした。
「……私…ろくに、仕事内容を知らないで、ここに入ったんです」
「そうなんだ……」
「多分、何でも、良かったんです。実家から遠くて、中学を卒業してすぐに働ける場所なら」
それは、今まで話そうとしてこなかった本当の志望理由。
履歴書でも面接でも出せなかった本音。
何やら踏み込み過ぎたのでは、という顔で会音が引きつっているが、千奈の声は途切れなかった。
「家を、出たかったんです」
「えっと……」
――それ、俺が聞いてもいい話?
声にこそ出ていなかったが、ぶかぶかパーカーの少年の目は確かにそう言っていた。
何かこちらの想定より深刻に捉えられた気がする。
「あ、その、誤解しないで下さい。問題のある家庭だとかそんなことは全くないんです」
千奈は慌てて顔の前で手を振って弁明を始めた。
「そ、そっか」
「その……心配性、なんですよね。うちの両親は。本当に、単にそれだけなんです。でも、なんかちょっとだけ………」
眉間に軽くシワを寄せ、必死に言葉を選ぶ千奈。
その表情からは、身も蓋もない言い方をすべきか否かという葛藤が見てとれる。
「……もしかして、構われ過ぎてウザくなったとか、そういう話?」
なんか聞いてもいい話な気がしてきた会音が端的に尋ねてきた。
「………はい」
選んでいた言葉を脳内のゴミ箱に投げ捨て、あっさりと認める千奈。
もしかしなくてもそういう話だった。
――マジか。千奈ちゃんみたいな子でもそんなことあるんだ。
驚きと僅かな呆れが混ざったような会音の反応は、概ね予想通りのものだった。
どうもこの同僚は、自分のことを真面目な優等生として考えているらしい。
千奈もそれはわかっていたし、自分でも真面目な方だと思うので特に否定する気もない。
ただ、優等生を美化しすぎではないかと思うことはあるが。
「八谷さんの言う通り、両親がうざ………過保護過ぎるので、とにかく家を出ようと思った次第でして……」
「ああ……なるほど」
MSSには社員寮がある。おまけに異能の適正さえあれば来るもの拒まずといった調子だ。そういう観点では魅力的だったといえる。
「勝手なことを言っていることはわかっているんです。でも、一人暮らしでもして、しばらく自分の好きなように過ごしてみたら、そんなことは思わなくなるんじゃないかって思って……それで、働き口を探して、ここのことを知って、両親を説得して……」
すっかり言い訳の時の口調になった千奈が言う。
「今となっては、やりすぎたかなとは思ってまして……。ここまでしなくても、学校をサボるとか……そういう悪さでもすれば、それで気が済んだような気もするんですが、つい勢いで……」
――勢いって。
――この子は割と一直線なタイプなのかな。
会音の表情の呆れの比率が増す。
「……だから、私には皆さんにあるような覚悟なんて無いんです」
「……」
千奈本人にも多少の自覚はあるので、今や完全に懺悔のテンションである。
「………」
一通り話し終えた千奈は、黙って会音の反応を待った。
いっそのこと、何を馬鹿なと一笑に付してくれればいいとさえ思う。
それくらい馬鹿なことをしていると、彼女自身はそう思っていたからだ。
だが、会音から返ってきたのは、千奈からすれば予想外の内容だった。
「……覚悟なんて俺にもないよ」
「え……? ですが以前、八谷さんは響斗さんに憧れて入ったと……」
目を丸くする千奈に、会音は少々バツが悪そうに頬を掻く。
「それはそうなんだけど……俺の憧れなんて、なんかカッコいいから、くらいのものでしかないというか……」
上手く言葉にならず、そのまま頭を抱える会音。
おそらく本当にたいした理由など無いのだろう。
言葉にする方法が見つからないくらいに。
千奈はどちらかといえば他人の感情に疎い方だが、今回は何故だかそう確信していた。
それと同時に、今まで何を悩んでいたのだろう、と少しだけ馬鹿らしくなってきた。
思えば、無意識に比べてしまっていたのかもしれない。
自分が気付かなかった敵に気が付いた。
自分と違って入社した動機を言えた。
自分が動揺したときも冷静だった。
よく考えると些細なことばかりだ。
最後の一つについては誤解なのだが、今の千奈にはどうでもいいことだった。
「八谷さん、ありがとうございます」
「?」
突然お礼を言われ、会音ははっとして顔を上げた。
「もう大丈夫だと思います」
そう言った千奈の顔には、いくらか普段の調子が戻っているように見えた。
「そ、そう? でも俺何もしてないけど……」
「いいえ、おかげで気が楽になりました。ご迷惑をおかけしました」
何が何だかよくわからないが、どうやら解決したらしい。
疑問は残るが、わざわざ掘り下げる必要もないだろう。
「迷惑とかじゃ……その、こんな時だけど、色々話してくれて、少しは信用してもらえてるみたいで嬉しかったし」
「そう言って頂けると助かりますが、別に八谷さんを信用していなかった訳では……」
「それはわかってるけど……ほら、千奈ちゃんってわりと話し方固めだし、なんとなく……」
配属前に顔を合わせたとき、敬語は不要だと言われたから頑張ってそうしているが、自分だけタメ口というのも少々気まずい。
ついでに、名字で呼ばないでほしい、とも言われたから名前で呼んでいるが、向こうは安定の『八谷さん』呼びである。
響斗のことは『刀儀副隊長』から『響斗さん』に直ったというのにだ。
――って、今言うことじゃないか。
話をさらに脱線させてしまったと反省した会音は、考え込んでしまった千奈に向き直ると、
「ご、ごめん、忘れて! その、とりあえず俺たちもできることをやろう」
先の発言を誤魔化して、今度こそ任務に戻ろうとする。
「そうですね。作戦、考えましょうか」
「そうそう。その時間くらい、ヒビトさんなら余裕で稼いでくれるって!」
苦し紛れに言った言葉だったが、思いの外効果はあったようで、千奈は安心したように「そうですね」と小さく口元を綻ばせた。
これが信頼度の差か、と会音は少しだけ悲しかった。
◇◇◇
異形との戦闘を続ける響斗は、変化のない敵の様子にため息をつく。
千奈達が抜けたことにより、一時的に増えていた敵も、今は最初に響斗を取り囲んだ時と同じくらいの数で安定している。
異形による包囲網が狭まるということもなく、出現と撃破の奇妙なバランスが成り立っていた。
「しかし減らないなあ、こいつら」
倒した異形はことごとく地面に溶けるようにして消えているため正確な数はわからないが、もし消えずに残っていれば、今頃は『死屍累々』という言葉にふさわしい光景が広がっていたことだろう。
響斗の顔に疲れの色は見えないが、いい加減この膠着状態に飽き飽きしているようだった。
「これだけやっても減らないってことは、何かあるな」
分裂して増えるタイプのラルヴァは、通常分裂体を倒し続ければ本体が消耗してくるものだが、今回の敵はどうやら勝手が違うらしい。
『そうね。倒しても霧散していないし、再吸収しているのかしらね』
「確かに」
近寄ってきたクッキー怪人を輪切りにする。
「言われてみれば捕食に似てるな。てことは……地面か?」
響斗は自分の足元を睨み付ける。
彼の予測を裏付けるように、つい今しがた倒したばかりの異形の骸が地面に吸い込まれていく。
「となると、ここにいるのはまずいな」
敵の全貌が掴めない状態で至近距離に居続けるのは危険だ。今更かもしれないが、一旦距離をとった方がいいだろう。
だが、移動しようと足を上げたところで―――ガクンッ、とその足が何かに引っ張られた。
「ッ! 何だこれ、毛!?」
見れば、複雑に絡み合った毛の束が、響斗の両足にギチギチとまとわりついていた。
足元を埋め尽くす湿った毛の束は、排水口の蓋に絡まる毛髪のような不快感や不気味さを与えてくるが、怯んでいる暇はない。
「くそっ、このっ!」
うぞうぞと体を這い上がろうとしてくる毛の束を、剣で払いのけようとしたが、すぐに無駄だと気付く。
先程から倒し続けていた異形を構成しているものと同質のものであるそれは、切断する事そのものは容易いが、地面そのものに絡まっているような状況ではどこから切れば良いかわからない。
「転移……はこれじゃムリか」
ゲートを開いたところで、このままでは飛び込むことができないだろう。
『ヒビト、こうなったら……』
「わかってる! わかってるけどさあ……」
ライリーが何が言いたいかはわかるので、その言葉を遮りつつ頭を抱える響斗。
「ああもう、痛いから嫌なんだけど……」
◇◇◇
一方その頃―――
「地面?」
「はい。恐らくは、あの付近一帯がラルヴァの擬態です」
「そんな……」
予想外の結論に驚く会音。
だが、言われた通り異形が出現していた辺りに目を向けると、地中深くにラルヴァの核らしきものが視えた。
「本当だ……でも、こんなのどうやって……」
その核は随分と深いところにあるように視えた。
体表からの位置と考えれば、普段相手をしている中型のラルヴァとそう変わらないはずだが、地面に埋まっているとなると骨が折れそうだ。
硬度まで地面を模しているとすると、そもそも会音や千奈の腕力では核の位置まで攻撃が通らない可能性も高い。
自分達にできることをしよう、とか言った矢先に手に負えない事態に陥ってしまった。
「とりあえずヒビトさんと合流する?」
「そうですね。でもその前に、できることをしましょう」
そう言った千奈の声には、僅かだがいつもの調子が戻っている気がした。
「できること?」
「向こうに擬態を解いてもらうんです」
「何か……作戦があるの?」
「要は、擬態したままだと獲物が捕れないようにすればいいんです。それで……えっと、八谷くん」
自分でも確かめるようにゆっくり頷くと、千奈は一つの依頼を口にした。
「探して欲しいものがあるんです」




