Act.32 誤認世界は密やかに(3)
転界 オフィス街方面
空へと続く鉄格子のような無数のビル群が、転界の黄色い空を少しだけ狭いものにしている。人気のない街の残骸には、現世のような街の息吹は感じられない。
元々この辺りは建物の入れ替わりが激しい地域だったらしく、現世のそれとは随分違う街並みが緩やかに崩壊へと向かっている。
焼き菓子のような脆さを感じさせるひび割れたコンクリートの街を、響斗、千奈、会音の三人はゆっくりと北上していた。
一歩、一歩といつも以上に慎重に足を運ぶ。
ピアノ線のように意識を張り詰めさせ、五感を研ぎ澄まして辺りを探る。
視界の端で動く僅かな影さえも見逃さないように。
風に紛れる些細な音さえも聞き逃さないように。
背中を伝う生温い汗の感触をいやにはっきりと感じる。
自身の呼吸や心臓の音が邪魔で仕方がない。何故こんな時に限ってこんなにも大きく聞こえるのか。
「あのなあ、そんなにガチガチに警戒することないぞ?」
前を歩く黒髪緑メッシュの少年は、ガチの心霊スポットに迷い込んだ人みたいな足取りでついてくる二人を振り返って苦笑する。
「い、いやでも……」
一人いつもと変わらぬ調子で歩く響斗とは対照的に、完全にびびっている会音の声は若干上擦っていた。
「隊長に忠告を受けた以上、警戒を怠る訳にはいかないのでは?」
槍を握りしめた千奈が周囲に目線を向けたまま言う。
「そうは言ってもなー、そんなに緊張してるとさ」
そこで言葉が一旦途切れ―――
「むしろ咄嗟のことに対処できないんじゃないか?」
続く言葉は後ろから聞こえた。社内随一の身体能力を無駄に発揮した瞬間移動である。
「ひぇっ!?」
不意に背後に立たれた会音が悲鳴をあげる。
「ほらな?」と肩を竦める響斗。
「大丈夫だって。もしもの時はお前らだけでも逃がしてやるから」
「そんな……」
「心配するなって。これでも腕は立つほうだし、……どうも俺は、あいつらにとって大したご馳走じゃあないらしいからな」
「? それってどういう……」
「ほら、さっさと終わらせようぜ」
会音は聞き返そうとしたが、響斗はそのまま歩いて行ってしまう。千奈も何か言いたそうにしていたが、黙ってついていくことにしたようだ。
「とはいえ、一応警戒はしないとな」
周囲のラルヴァの位置を探りながら呟かれたその言葉は、未だ挙動不審気味の後輩達の耳には届かなかったらしい。
今のところ響斗にわかる範囲には、パーツ持ちはおろか大型さえいない。
平和だよなあ、と空を眺める。
後ろはまだ殺気立ってるけど。
呑気に景色を眺め始めた先輩の背中を追うこと約10分。
リラックスしろと言われたところで、それが出来れば苦労はない。
緊張した面持ちでついていく二人は、いつも以上に口数が少なくなっていた。
だが、
「……」
「えっと、どうした…の?」
ふと前方に視線を戻すと、すぐ前を歩いていた千奈が何か言いたそうな顔で会音のほうを振り返っていた。
周囲に警戒しながらの視線はいつもより鋭く、会音は一瞬睨まれているのかと思った。
「……その、八谷さんは凄いなと、思いまして」
「ええっ!?」
――何が!? 何のどの辺が!?
唐突に褒められた上に、その理由に全く心当たりがない。
正直会音としては、自分が千奈に劣っているところはあれど、勝るところなどないと思っている。
もしやこの後、ストレートに言うのが憚られるくらいの悪口が待っているのでは? いやいや彼女はそんな人じゃない。真面目で素直でちょっと心配になるくらいに騙されやすくて世間知らずな感じの彼女に限ってそんなはずは……。
などと、心中で自分に言い聞かせること0.3秒。
超速で覚悟を決めた会音は無事に聞き返すことに成功した。無論声は思い切り裏返っていたが。
「な、何で?」
「……隊長から人型の話を聞いてから、ずっと心臓がバクバクしている気がして……自分で思っていたより、ずっと、動揺していたみたいなんです。それに比べて……八谷さんは凄く冷静でした。今も、私よりずっと落ち着いて見えます」
「いや、それは……」
会音が落ち着いていられたのは、以前ライリーのことを説明された時に知らされていたからだ。
事前に知っていなければ、同じように動揺していたに違いない。
現に灯和達に説明を受けた日の晩はあまり眠れなかったくらいだ。
「その……」
だがそれを言うわけにはいかない。
ライリーのことを口外すれば最悪消されてしまうし、運良くそれを免れたとしても道連れを増やすだけだ。
自分の好奇心が招いた事態に、千奈まで巻き込みたくない。
だから、会音は口をつぐむ他なかった。
「……やっぱり、私にはまだ覚悟が足りないんですね」
微かに動いた千奈の唇が、そう言った気がした。
サイドテールの少女はそのままくるりと顔の向きを戻し、後は何も言わなかった。
そして、そのまま更に数分が経過した。
ザッ、ザッ、ザッ、という足音だけが規則的に響いている。
肺に絡み付くような重苦しい沈黙は、そろそろ心臓というか胃に悪いレベルに達していた。
――やっぱり何か言ったほうが……。
――でも何を言ったら……。
目線だけは前方に固定しつつ、ぐるぐる考え込んではみるものの、特に何の解決策も思い付かない。
――そもそも俺にアドバイスできることなんて……。
軽い自己嫌悪に陥る会音。
そうこうしているうちに、一行は目標地点にたどり着いた。
今回の任務は単純な討伐だ。
最近この付近の小型ゲートに設置したカメラの調子が悪いらしい。現世側に不具合が無いのは確認したのだが、どうにも機能していないものがあるという。見えなくなる少し前に不審な影が写っていたことから、おそらくはラルヴァの仕業だろうと聞いている。
三人に与えられた任務は、原因となるラルヴァの討伐だ。ついでにカメラの修理も頼まれている。
例の足跡の真偽を確かめるためにも、放って置くわけにはいかない。
今は少しでも情報が必要なのだ。
「んー、この辺りだったかな。あれ?」
周囲をキョロキョロと見回して首を傾げる響斗。
「どうかしましたか?」
「あー、なんか、前に来たときよりものが増えてる気がしてさ」
「増えてる?」
それは確かにおかしい。
風化によって崩れたり、戦闘で破壊されたりして減ることはあっても、物が自然に増えることはないはずだ。
違和感の正体を探るべく、辺りを調べる響斗。
千奈と会音もそれに倣う。
『ヒビト、もしかして……』
「そうだな。……擬態、かもな。探せるか?」
ラルヴァが擬態している可能性を考えて、剣を構える。
辺りに散らばっているのはどこにでもありそうな瓦礫や廃墟の残骸ばかりに見えるが、どれが敵であってもおかしくない。
満遍なく警戒しつつ、自分でも気配を探る。
しかし、
「おかしいな」
『そうね。気配がぼやけてる』
近くに敵がいるのはわかるが、上手く位置が探れない。
「ジャミング……じゃ、ないよな。遠くのはわかるし」
気のせいだと済ませるには気味が悪かったので、会音にも探してもらうことにする。
「エノンは何か分かるか?」
「え、ええと、核らしきものは特には……」
いかに擬態していようと、ラルヴァなら必ずどこかに核があるはずなのだが、会音の異能でも敵は見つからなかった。
「ならこの気配は一体……」
その時だった。
視界の端で何かが動いた。
瓦礫の表面が盛り上がり、二本の足で立つ何かに姿を変える。
人型のクッキーのように平たいそれは、その手や足を歪に捩りながら突進してきた。
「はっ!」
一番近い位置にいた千奈が槍を振るい、異形を粉砕する。
胴体を真っ二つにされた異形は、バシャリと水っぽい音を立てて地面に突っ伏した。
「これは……」
動かなくなった異形にそっと近づく。
よく見るとそれは、ぐっしょりと湿った"毛"の塊だった。
色も長さもまちまちで、黒や茶色の短毛から、白く柔らかい長毛まで一緒くたにされて固められている。哺乳類の体毛らしきものだけでなく、鳥類の羽毛らしきものも混じっていた。
迂闊に触ることはできなかったものの、敵の観察を続ける千奈は、そこであることに気がついた。
――霧散……していない?
本来ラルヴァを倒せば、その体は瞬く間に霧散して跡形も残らないはずだ。
だが目の前にある異形の残骸は未だに形を保っている。
こんなにもじっくり観察できるくらいに。
「響斗さん、見てください。これ―――」
振り返ろうとしたその時―――
足元にあった異形の残骸が、ドロリと音もなく融解した。
咄嗟に距離をとった千奈の前で、形を失った残骸が地面に吸い込まれるようにして消失した。
これもまた通常の霧散とは違う。
――倒しきれていなかった……? それとも敵の能力?
「センナ! 伏せろっ!」
「っ!?」
慌ててしゃがみこんだ千奈の頭の上を、光剣が高速で通り過ぎる。
勢いをそのままに振り抜かれた剣は、千奈の背後に迫っていた別の異形を斬り払った。
悲鳴一つあげることなく倒れた異形は、やはり先程千奈が倒したのと同じものだった。
「すみません、響斗さん」
「いいから構えろ! なんかたくさん来たぞ!」
言いながら、手にしていた剣を壁に向けて投げて放つ。
壁からまさに浮き出ようとしていた異形が貫かれ、溶けて地面に消えていく。
しかしその更に後ろの壁や瓦礫から、同じ異形が何体も現れた。
「囲まれたか……」
あっという間に周囲は異形の群れに囲まれてしまった。
毛で作った焼く前のクッキーのような物体が、その身を捩じ曲げながらゆらゆらと距離を詰めてくる。
「うわわわわっ!?」
少し離れたところにいた会音の方にも異形が近づいているようだ。
近づいたものから倒しているようだが、数が多くて捌ききれていない。
「よし、センナ! 跳べ!」
「は、はい!」
見ていた響斗は、何を思ったのか隣で戦っていた千奈にそう命じた。
意図がわからなかったが、とりあえず真上にジャンプする千奈。
その足元に、水に浮かぶオイルに似た奇妙な歪みが生じる。
歪みは空間の亀裂となって、着地しようとしていた少女の体を飲み込んだ。
「きゃっ!?」
「だ、大丈夫?」
転びそうになった千奈を咄嗟に会音が支える。
どうやら響斗の能力で会音の隣までワープさせられたようだ。
「センナ、エノンの援護頼む!」
数メートル先の先輩は、そんなことを言いながら異形を叩き斬った。
――敵の特性がわからない以上、一旦距離をとって……。
「八谷さん、一旦離脱しましょう」
「でも、ヒビトさんが……」
「副隊長ならきっと大丈夫です。だから……」
まだ躊躇していた会音だったが、敵の包囲網の向こうからの、「ここは任せて先に行けー」というふざけた声を聞いておとなしく離脱することにした。
千奈と会音が離脱したことで、敵が更に響斗の方に集まる。
どうやらこのクッキー怪人は一定の範囲内のみで動いているらしい。
「さてと、ライリー、やっぱりまだ気配はわからないか?」
『そうね。このあたりにいる、というのはわかるけど、具体的な位置は掴めないわね』
「だよな、っと」
響斗は近づいてきた異形を斬り伏せつつ、
「このクッキーお化けみたいなやつのせいかな? それともステルス系の能力持ちとか?」
『さあ……。いずれにせよ、こう囲まれていたら落ち着いて探せないわ』
「じゃ、まずはこいつらの数を減らしとくか」
ブワッと響斗の周囲に霧のような粒子が広がる。
霧は次々に収束し、響斗の周りを取り囲むように剣が精製される。
「やあっ!」
右手の近くに精製した光剣を正面のラルヴァに投げつける。
動作の途中で、今度は空いている左手で別の剣を掴み、更にそれを投げつけながらまた別の剣をとる。
くるくると回転しながら攻撃をし続ける姿は、周囲を漂う妖精の鱗粉のような光る粒子と相まって、いっそ何かの舞のように見えた。
驚くべきはその精度。
目視だけで敵の位置を把握しているにも関わらず、一撃で核を貫けるのは、一重に経験の成せる技か。
響斗としても大技で一気に敵の数を減らしてしまいたいところだが、障害物が多いこの場所で気配感知無しで大技を行うのは難しい。
そもそもこうも数が多いと準備する隙がない。
幸い向こうの動きは鈍いので、手近なものをある程度排除すれば、大技を使う隙が作れそうだった。
「いっそ焦って本体が出てきてくれると嬉しいんだけどな」




