Act.31 誤認世界は密やかに(2)
「―――で、クレイはまだ帰ってないのか」
始業時間から1時間ほど経ったが、未だ一向にクレイが戻ってくる気配はない。
「何かあったんですかねー」
朝食用に持ってきたシリアルをポリポリと摘まみながら、メアリーはクレイがいるであろう特務部の本館のほうを見る。
響斗もつられて窓の外を眺めつつ、窓際の席に座る後輩に質問を投げ掛けた。
「なあセンナ、呼んだのってトウカだよな?」
「はい。そのはずです」
「うーん、俺何かやったかな……? トウカが怒るようなことは特に……ない…かな?」
監督不行き届きで怒られているのだろうかと、胸に手を当てて考える。
実際に過去に何度かそういうことがあった訳だが、今回も心当たりが多くて確信には至れない。
「……あれかな? いや、でも………それはそうだけどさ……」
あれでもない、これでもないと唸る響斗。
だが考えるのにもすぐに飽きてしまったらしく、
「まあいっか、帰ってから聞けば」
今さら証拠隠滅はできないしー、と何やら不穏なことを呟きながら早々に諦めてしまった。
どうにも余罪がありそうな雰囲気だが、自分が追及することでもないだろうと、千奈も黙って仕事を再開する。
そのまま会話が途切れ、しばらくは静かな時間が流れると思われたのだが―――
「あ、もしかして」
何かに思い当たったらしいメアリーの一言で、静寂は僅か数秒で打ち切られた。
「ん? どしたの、メアリー?」
「クレイさんが怒られてるのってー、昨日吉右衛門が単独行動したからなんじゃないですかー?」
「そうかな?」
幼さの残る顔に一生懸命シワを寄せながら、すっとぼけようとするサンタ服の青年を見上げるメアリー。
別にクレイが怒られていると決まった訳ではないのだが、すっかりその方向で話が進んでいる。
隊長は会議だとおっしゃってましたよ、という千奈の言葉は、怒れるメアリーの耳には届かない。
「絶対そうですよー! わたしまで残業になっちゃったんですからー! ヒビトさんなんてさっさと帰ってラーメン食べに行ったらしいのにー!」
ズルいですー! と憤慨するメアリーに、杭田は多少困ったように笑って頬を掻く。
「うーん、それはそれは。申し訳ないことをした、かな。うん。よし、じゃあお詫びの品にコレどうぞ☆」
そう言って杭田がサンタの小道具っぽい白い布袋から出したのは、流麗な筆文字が踊る凝ったパッケージのカップ麺だった。
「あっ、コンビニで売ってる高いやつだー! もらっていいの、きーちゃん?」
「どうぞどうぞ、お納め下さいな。して、この件は水に流す方向で……」
「しょうがないですねー、もう」
いつの間にか取り出した扇子で口元を覆い、悪大官のような口調で囁く杭田。
メアリーはそれで上手く誤魔化されてくれたようで、もらったカップ麺を持っていそいそと席に戻っていった。
「よーし上手く誤魔化せた。それはそれとして、ヒビトさんは昨日外食だったんですか。ボクが戻った時には始末書書いてたから、てっきり昨日もテイクアウトコースかと思ってましたよ」
「ああ、クーポンがあったからエノンと行って来たんだ。駅前のとこだったんだけど、結構旨かったぞ。あと、始末書じゃなくて報告書な」
どうでもいいことではあったが、一応訂正しておく。
そんなに始末書ばかり書いているイメージがあるのだろうか、と少しだけ不安を覚えかけたが、緑メッシュの少年はひとまず忘れておくことにした。
「なるほど。ということはもしやヒビトさんの奢りですか? うん、それはなんか楽しそうですね! そういった先輩っぽい行いにはちょっとした憧れがある今日この頃。これはボクも誰かしらにご飯を奢る流れが来てるのでは!?」
「きーちゃん、何か奢ってくれるの?」
「メアリーはボクより先輩だから駄目!」
ノリで紡がれた言葉にメアリーが耳聡く反応するが、杭田は即座に両腕で✕を作って否定した。
そんな二人の様子を笑って眺めていた響斗だが、ふと何かを思い出して「あっ」と声を上げた。
「そうだ。エノンにだけっていうのも不公平だしさ、センナにも今度何か奢るよ。何がいい? ハンバーガーとか?」
「えっ!?」
突然の提案に思わず声を上げる千奈。
「何故ハンバーガー……?」
――………?
昨日。
夕方。
駅前。
先の会話からいくつかの符号が浮かび上がる。
――……?………!??
そして、察しの良い彼女は理解した。
「……え? あの、響斗さん……昨日、見て―――」
言いながら、千奈の白い頬がみるみるうちに紅く染まっていく。
「……? ああ、うん。昨日帰りに偶ぜ
「あああ、あの! ちょっと失礼しま―――きゃうっ!?」
響斗が言い終わるのを待たずどこかへ駆け出して行こうとした千奈は、扉を開けたところで目の前に現れた壁に思い切りぶつかって奇妙な声を上げた。
「センナ? どうしたんだ、そんなに急いで?」
壁―――もとい、ちょうど扉の前を塞ぐように立っていたクレイが、いきなり自分に頭突きをかましてきた人物を見て不思議そうな顔で言う。
「あ、隊長……す、すみませんでした」
「いいって。あー、急用か? 悪いけど、先に連絡あんだけどいいか?」
「は、はい……」
やや気まずそうに室内に戻っていく千奈に続いて部屋に入るクレイ。
更にその後ろに続く人影を見て、メアリーが首を傾げる。
「あれ? アイちゃんに赤対さんも。二人とも任務に出てたんじゃありませんでしたっけー?」
任務に向かっていたはずの愛桜と凌牙が何故か戻ってきている。予定では午後まで帰ってこないはずだった二人の存在に、何やらただならぬ空気を感じた皆の顔が僅かに強張った。
「まぁな」
「ええ。そのはずだったのですが、門番の方に指示があるまで待機するように言われましたの」
それを裏付けるような愛桜の言葉に、全員が説明を求めてクレイの方を見た。
「うん。察しの通り、緊急事態だ。さっき会議で、うちの管轄地域で"人の足跡らしきもの"が確認されたって連絡があった」
「足跡……?」
「そう。人間のような足跡、だ」
クレイはゆっくりと頷きながら、苦々しい顔で繰り返した。
「"パーツ持ち"なら、ついこの間そこのサンタが倒したやつじゃねぇのか?」
くい、と親指で杭田を指して凌牙が尋ねるが、クレイは表情を変えることなく首を横に振った。
「いや、違うみたいだぞ。報告によれば、クエダ達が倒した個体にあったパーツは首から上だけだったらしいからな」
「あー、確かに。なんか生首みたいなのが尻尾についてたけど、足は無かった気がするな」
「つまり、また別の"パーツ持ち"がいるってことか」
響斗の証言に、凌牙は僅かに口元を歪めた。
だがクレイは、更に眉間のシワを深くして呟く。
「………良くて、な」
「良くて、ですか?」
「ああ。今回人間の足跡的なものが見つかったってことは、近くに"足"のパーツを持った個体がいる可能性が高い」
「足跡なら、わたくし達の誰かのものではありませんの?」
首を捻る愛桜に、クレイは肩をすくめて頭を振ると、
「残念だけど多分ないな。裸足だったらしいからな。さすがに僕らなら靴くらい履いてるだろうし」
「たまたまそう見えたってだけじゃないんですかー?」
「うーん…まあそれはあるけど、警戒しとくに越したことはないからな。一応"パーツ持ち"がいるってことで話を進めるとして……まあ、これが最悪から2番目だ」
「2番目……」
「そうだ。いいか、ラルヴァの体にある生物の部品の割合は、ほとんどそいつが喰った死体の割合って言っていい」
無生物取り込んでるのもいるけどな、と付け加えながら、近場にあったホワイトボードに絵を描き始めるクレイ。
「例えば、魚と鳥を同じ数喰ったら、半分魚で半分鳥になる……みたいな感じだ」
ホワイトボードに描かれた、羽の生えたたい焼きっぽい何かを指差して言う。
「なら、一種類の生物を他の比じゃないくらいに取り込み続ければ……どうなると思う?」
例えば、あるラルヴァが魚を100匹取り込んだとしても、鳥を900羽取り込めば割合としては10パーセント。9900羽取り込めばたったの1パーセント。
ほぼ鳥と言っていい姿になるだろう。
他を希釈してしまうほどの圧倒的な『多』。
純度という形で表される模造品としての完成度。
「いるんだよ、あの世界には。部品どころじゃない―――完全に人の形を得た、異形ならざる異形ってやつがな」
クレイはそこで一旦言葉を切ると、話を聞いていた新人達の様子をうかがう。
対する千奈は今しがたの先輩の発言内容を咀嚼しようと試みていたが、どうにも理解が追い付かずに首をひねっていた。
――まだ"パーツ持ち"にあったこともないわけだし無理もねえか。
一般的なラルヴァしか見たことがない者にとって、あれはあくまで『怪物』という認識だ。
悪趣味なまでのあの異形を目にしていれば、人型といったわかりやすい生物の形はむしろ想像しづらいのかもしれない。
――にしても、エノンは珍しく冷静だな。
一番に動揺してそうなイメージがあったのだが。
――まあ適応力はありそうだからな。この一月ちょっとで慣れたってことか。
成長が喜ばしいような、寂しいような、不思議な感慨にふけるクレイ。
慣れてもいいけど染まってくれるなよ、と心の中で願いつつ視線を戻す。
「というわけで、可能性としては低いけど、一応人型が出てるかもしれないと思って警戒してくれ」
「その……もし人型と遭遇したらどうすればいいんすか?」
恐る恐るといった調子で手を上げる会音に、クレイは「逃げろ」と即答した。
「いいな、とにかく逃げろ。逃げ切れる可能性も少ないけどとりあえず逃げろ。戦うよりマシだ」
「は、はい!」
ビクッと背筋を正して答える後輩に、クレイは少々脅かしすぎたと思ったのか、いくらか声の調子を和らげて言う。
「ま、本当に人型だった例なんてそれこそ数えるほどしかないからな。多分杞憂だろうけど、警戒だけしとけって話だ」
「そ、そうすか」
「そうそう。つーことで連絡は以上な。センナ、呼び止めて悪かったな、どっか行くとこだったんだろ?」
「えっ!? あ、いえ、お気になさらず!」
先の動揺が振り返したのか、頬をやや赤らめながら否定する千奈。
「そうか? ならいいけど……。アイラとリョウガはもう任務行っていいぞ。くれぐれも気を付けてな」
「はい、承知いたしましたわ。三十日愛桜、全身全霊をもって気をつけます!」
ぺかっ、と明るい笑顔で答える愛桜に一抹の不安を覚えつつ、一同は任務に向かう二人を見送った。
「あ、そうだ、ヒビト」
「ん?」
「あれだけ脅した後でなんなんだけど、アイラ達のとは別件の任務きてっからさ、あの二人連れて行ってくれねえ?」




