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間章 1

 雲一つ無い青空。日の光を反射する歩道のタイル。若葉を揺らす風。そして何より、太陽が高い。

 こんなの久々だ、と洞木一騎(うつろぎいっき)は青々とした銀杏並木を見上げて目を細める。

 こんな些細なことに喜びを感じている自分が少しだけ悲しかったが、せっかく響斗(ひびと)杭田(くえだ)の二人が関わっているのに時間通りに仕事が終わったのだ。

 これは奇跡だ。つまり些細なんかじゃないんだ、と自分自身に言い聞かせた。

 彼とて大学に入ったばかりの頃は、夜の方が物珍しくて楽しかった記憶があるのだが、社会人四年目の今となっては昼の方が珍しく感じるらしい。

 もうすっかり夜型だ。

 第一部隊はゲートの警備という仕事柄、勤務時間や休日が不定期になりがちで、その上他の部隊の帰還が遅れれば帰ってくるまで帰れないので残業にもなりがちなのだ。

 帰りが深夜になるのにももう慣れっこである。

 もっとも、帰りが深夜になるのは洞木が遅い時間にシフトを入れているからでもあるのだが。


「あっれー? 洞木じゃん! 何、もう帰んの?」

 背後からの騒がしい声に振り返ると、そこには黒い外套を纏い顔に安っぽいお面を着けた怪人がいた。

 新緑の並木通りという背景から完全に遊離した、どこぞの秘密結社のしたっぱような姿は―――

 ――確認するまでもなく第四部隊の汐崎大晴(しおざきたいせい)……ですね。

 ――……うん。

 正直他人の振りをしたくはあったが、ここまで近付かれては手遅れだろう。

 それにしても、初夏だというのにフードまで被って完全防備とはどういう了見なのか。

 去年熱中症で医務室行きになったのを忘れたのだろうかと、洞木は表情を変えぬまま心中で溜め息をつく。

「ええまあ……今日は朝からのシフトでしたから。汐崎君はどうしたんです? そっちはまだ勤務時間では?」

「うちの隊長優しいからな。報告書とかは自分がやっとくから昼飯食ってきていいってよ」

 お面の奥でニカッと笑って答える汐崎。

 その様子に洞木は僅かに違和感を覚えたが、すぐにその理由に気付いた。

 ――……そういえば外では普通に喋るんでしたねこの人。

 普段がパントマイム状態だから喋れることを忘れていた。声聞けば一応わかるんですが、と声に出さない言い訳をしつつ、曖昧な笑みで誤魔化す。

「つってももう3時前だけどさ。なあ、時間あるなら何か食いに行こうぜ」

「構いませんけど、ゆっくりしてていいんですか?」

「いいっていいって! 何時までに戻れとか言われてないし」

 ――天宮城(うぶしろ)隊長、ちょっと甘やかしすぎでは?

 こいつはもっと馬車馬のようにこき使ってもバチが当たらない人材だと思う。

 ほら行こうぜ、と背中を押してくる汐崎を適当にいなしながら、洞木はこの場にいない第四部隊の隊長に少し同情した。


 ◇◇◇


 肉が食いたいと言う汐崎に合わせて、二人は近場の牛丼チェーン店へ向かった。

 昼時を過ぎた店内にはほとんど客がいないので、四人掛けのテーブル席に向い合わせで座る。

 早さがウリの店だけに、注文してものの数分でテーブルの上は皿に占拠された。並んだ皿は二人にしても多い。そのほとんどが汐崎が頼んだ品だ。

 汐崎は自分の前に置かれたものと洞木の前に置かれたものとを見比べて、

「洞木、そんだけでいいの?」

「普通に一人前だと思いますけど……。そっちこそ、それ食べきれるんですか?」

「正直頼みすぎたかなとは思ってる」

「手伝いませんよ」

「そこをなんとか!」

 両手を合わせ、拝むような姿勢で頼み込む汐崎。

 ――そう言われましてもね。

 そもそもなんとなく流れでついて来てしまったが、洞木は既に昼休みに昼食を摂っている。

 間食(オヤツ)の域を超えるつもりはない。

 が、残すのはもったいないし、上目遣いで様子を伺ってきている汐崎がそろそろ鬱陶しい。

 洞木は小さく溜め息を吐いて、適当にあしらうことにした。

「……じゃあ小鉢だけ貰っておきます」

「サンキュー」

 言うが早いか、小鉢の皿が洞木の元に押しやられてきた。

 正直小鉢程度では大して量は変わらないのだが、汐崎はそれで納得したらしい。

 その後しばらくは、牛丼を黙々と食べるだけの時間が続くのだが―――

「……」

「どうした? オレの顔何かついてる?」

「ついてるっていうか……ついてないっていうか……」

 ――食べる時は普通に外すんですね、お面(それ)

 そういえばこんな顔でしたっけ、と洞木は久方ぶりな怪人の素顔を眺める。

 同期だからそれなりに顔を合わせていたはずなのに、最近見てないから忘れかけだ。

 ――そこそこモブ顔だからお面の印象に完全に負けてますね。

「何だろう。そこはかとない憐れみを感じる」

「気のせいでは? お面を着けてないのが新鮮だっただけですよ」

「あー……確かに最近任務以外で会ってなかったもんな」

「……そういえば」

「何?」

「天宮城隊長の前ではお面は外さないんですよね? 食事の時普段はどうしてるんです?」

「そりゃあ、こう……隙間から入れるとか」

 そう言って顔に斜めにお面をあてがう汐崎。

 かなり食べにくそうだ。

 お面の隙間に箸をねじ込むその姿には、漫画などとは違ってミステリアスさの欠片もない。

 この辺の詰めが甘いからスルーされてる気がしたのだが、洞木はそっと胸にしまっておくことにした。

「意外と大変だぞ。お前もやってみればわかる」

 ――真顔で何言ってんですかね。

 うんうん、と頷く汐崎に冷めた眼差しを送る洞木。

「しません。というか、そんなに大変なら隊長と別の場所で食べればいいのでは?」

「それだと避けてるみたいで隊長が可哀想だろ」

 その気遣いをどうして他のところでも活かせなかったのか。

 ともあれ、汐崎はその後もしばらく愚痴なのか自虐ネタなのかわからないことを言っていたが、それに対する洞木の感想は、

「……もういっそ着けるの止めればいいのに」

 この一言に尽きる。

「意・地・な・ん・で・すー! 今さらやめらんないの!」

 ――子供か。

 腐っても入社2年目で副隊長に抜擢されたエリートなのだから、もう少しそれっぽくしておいて欲しい。同期の星がコレでは少々悲しくなってくる。

「いいだろ少しくらい愚痴らせてくれたってさー! オフのときくらい喋ってないと口の動かし方忘れそうなんだよこっちは!」

「はいはい」

 ――……まあ、仕方ありませんね。

 汐崎には汐崎なりの苦労があるのだろうし、たまに会った時くらいは世間話に付き合うことにしよう。

「つーかさあ、お前のほうはどうなのよ。夜勤とかも結構あるんだろ?」

「慣れればそれほど苦ではないですよ。早起きしたくないですし。休みもずれてますけど、出歩くなら平日の方が空いてますしね」

「そういうもんか?」

「それに、今はそこそこ健康的な生活をしていると思いますよ。前のところは引くくらいブラックでしたから」

「あー……そういえばそんなこと言ってたな」

 洞木と汐崎は同じ年度に入社しているが、同期といっても実際は半年くらいずれている。

 というのも、

「最初のところは……何というか、なかなかなさそうなレベルの闇でしたね」

「闇て」

「残業代出ないし、泊まり込み当たり前だし、その割りには給料少ないし……まあ、新入社員が見られる闇なんてまだ底が知れてますけど」

「さらに下がある感じかよ」

「ヤバそうだったんで早々に辞めました」

「よく辞められたな」

「辞表だけ置いてボイコットしたんですけどね」

「割りとやっちゃダメな辞めかただと思うな、オレは!」

 深い溜め息を吐く汐崎。

 そういえば前にこの話をした時もこんな反応だった気がする。

 とはいえ、特に問題はないはずだ。

 たとえ円満な辞め方でなくとも。

 少なくとも洞木にとっては、もう過ぎたことなのだから。

 たとえ根回しされたせいで同じ業界での再就職が難しくなったとか、諸々のハンデを背負う羽目になっていても―――もう過ぎたことだ。

「で? 何でまたうちに来たんだ? しかも戦闘職って、平穏な仕事とはほど遠くね?」

「それは……まあ、どうせこき使われるなら、人の役に立つことが良かったから、とかそんな感じですよ」

「ふーん、昔はまともだったんだなー」

「どういう意味です?」


 ◇◇◇


 結局、1時間ほど牛丼屋にいたようで、店を出る頃には午後4時前になっていた。

 上司からの不在着信が入っていたことに気が付いて青い顔(お面を着けているので想像だが)で事務所に向けて全力疾走する汐崎を見送った後、洞木はとりあえず付近のホームセンターや本屋を回ってから帰宅した。

 その後は、家事をやったりゲームをしていたりするうちに夜になっていたのだが、寝る前になってふと、昼間の汐崎との会話を思い出した。

 どうしてこの仕事を選んだのか。

 誰かの役に立ちたかったというのは本当だ。

 けれども、あの頃―――色々なものに縛られ、息を詰まらせていた頃の彼に、そのようなことを考える余裕があったかと訊かれれば、答えはNOだ。

 決め手そのものは一応他にある。

 あるとき、毎度のように深夜まで残業し、死んだように静かな夜の町を歩いていた洞木は、MSSの隊員と偶然すれ違った。

 それが、とても印象に残っていた―――と、ただそれだけのことだ。

 別段何か素晴らしい活躍を目撃した訳ではない。

 何か話をした訳でもない。

 ただ―――すれ違ったその少年の顔が、あまりにもあまりにも楽しそうだったから。

 夏だというのに()()()()()()()()を着た少年は、この世の全てが楽しくて愉しくて仕方がないといった顔で何やら騒いでいた。

 当時の洞木にはそれが、たまらなく羨ましく感じられた。

 ――我ながら単純ですね。

『これが許される職場は、どんなに息が楽だろう』

 不覚にもそう思ってしまったから。


 当の似非サンタと働いている今となっては、血迷っていたとしか思えないのが悲しいところだが。

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