Act.23 喧騒世界を彷徨えば(4)
地上
殺風景だったはずの大通りは、今や三十日愛桜の周囲以外全てが、瓦礫の降り積もった危険地帯と化していた。
鉄筋コンクリート製の破片をあれだけ受けておきながら、使用された布に傷みやほつれの類は見当たらない。愛桜の表情を見ても、まだ余裕がありそうなことがわかる。
一方、怪物は左翼で凌牙を攻撃しながら、残った右の翼で手近なビルを探していた。
大型ラルヴァの右側にあった建造物のほとんどはすでに倒壊している。
翼は破壊する対象を定められぬまま虚空を彷徨っていた。
「弾切れのようですわね」
愛桜はそう呟いて、ちらりと凌牙のいるビルに目を向ける。
「会音さん、今のうちに凌牙さんに核の位置を! 行くなら今ですわ!」
「え、ええ!? これ上るんすか!?」
視線の先にあるのは、15、16階建ての廃ビル(築年数不明)。当然ながらエレベーターなど動いていないし、階段が無事である保証もない。
凌牙のように壁を登ることが出来れば楽なのだが、生憎と会音にそんなアクロバティックな動きが出来るはずもない。
――でも、やらないと凌牙さんが……。
視線をあちこちに彷徨わせる後輩に、愛桜は安心させるような穏やかな笑みで応じて、
「ご心配なく! 屋上まではわたくしがお送りしますわ!」
何処からか取り出した二つ目の武器を広げてみせる。
やはり美しい模様の入った布が宙を舞い、会音の膝くらいの高さで静止した。
――なんか、空飛ぶ|絨毯《じゅうたんっぽいな。
ひらひらと端をはためかせ、地面と水平にホバリングする布を見て、少年はついそんな風に思い―――
思ったからこそ、相手の次のセリフを待たずに沈黙した。
「さあどうぞ。これなら屋上までひとっ飛びですわ」
やはり予想通りの言葉に対し、会音は、何かを諦めたような神妙な面持ちで空飛ぶ布に乗った。
「うわっ!? あ、これ、結構、揺れ―――」
波打つ布はお伽話の幻想的なイメージに反して、暴れる馬並みに不安定な乗り心地だった。
必死で布にしがみつく会音は、今にも振り落とされそうな雰囲気だ。
「どうしましょう。これはさすがに危険ですわね。シートベルトが必要ですわ」
そんなことを言いながら、少年を乗せた布に力を送る。
布は彼女のイメージした通りの形をとり―――
会音をぐるぐる巻きにして上空へと飛び上がった。
「? ……!? ――――っ!?!??」
声にならない悲鳴をあげて飛んでいく会音。
その姿は布に乗って飛行しているというより、妖怪『一反木綿に連れ去られる人』にしか見えなかった。
◇◇◇
屋上
空を侵食するように伸び続けるラルヴァの翼は、すでに屋上の半分ほどを飲み込んでいた。
棘のように張り巡らされたそれは、鉄筋コンクリートのビルそのものにまで染み込み、建物全体をギシギシと軋ませている。
足元からも攻撃される可能性を考えて、全方位に警戒しつつ、いっそ飛び降りて愛桜達と合流しようかなどと考えていた青年は、降りやすい場所がないかと地上を見下ろして―――
視界の端からやってくる、奇妙な物体に気がついた。
――アイラか?
近づくそれが布の塊であると認識した凌牙は、愛桜の能力によるものだと判断したのだが、
――……何してくれてんだ、あの馬鹿。
包んでいるものが人間であることに気付いて、心中で頭を抱える。
飛行物体は中身を屋上に下ろすと、帰りも任せろとばかりに屋上の縁の辺りで待機する。
凌牙はラルヴァの攻撃をあしらいつつ、会音が何か喋るのを待った。
「……うぅ………えっと、凌牙さん」
「大丈夫か?」
「なんとか」
酔ってしまったのか、真っ青な顔をしている会音。
「それより、核は……つばさ、の、つけ根……です」
吐き気を堪えるように言葉を詰まらせながら、なんとか目的の言葉を口にする。
凌牙は俯く会音の顔を覗き込むようにして、どうにか唇の動きを読み取ると、
「わかった。お前は愛桜のとこに戻って少し離れてろ」
「は、はい。……え? 一人でやる気っすか?」
「ああ」
「で、でも! 凌牙さん耳が……」
青年の耳から流れる血に気付いた会音が食い下がる。
だが、凌牙はさして気にした様子もなく、
「大したことねぇよ。ほら行け」
乗ってきた布の方へ会音を押し戻す。
会音はなおも心配そうに凌牙の方を振り返っていたのだが―――
「ついでに愛桜に伝えろ。あのデカブツの口を塞げって、な!」
その言葉が終わると同時に、少年の体から重力が消え失せた。
「え? ……うわあぁぁあぁ!?」
つかの間の浮遊感が去り、蹴落とされたのだと気付いた時には、会音の体はビルから真っ逆さまに落下していた。
風を切って飛んできた愛桜の布が、少年の体をすぐさま空中で絡めとる。
そして何事もなかったかのように持ち主のところに戻っていくのを確認しながら、凌牙は再び怪物と対峙した。
◇◇◇
地上
「会音さん! お怪我は!?」
地上に運ばれてきた会音の元に、愛桜が駆け寄ってくる。
「あの高さから飛び降りるなんて……急ぎすぎは危険ですわ」
屋上でのやり取りを知らない愛桜は、会音が自分で降りたと思っているようだが、訂正している暇はない。
会音は破裂しそうな勢いで脈打つ心臓をなんとか押さえながら、凌牙からの指示を伝える。
「わかりました! では、さっそく取り掛かりましょう!」
愛桜の言葉を受けて、優美な布地が宙を舞う。
一直線にラルヴァの顔めがけて飛んでいく布は、何かの騙し絵のように離れても同じ大きさに見えた。
それが移動しながら巨大化している為だと会音が気付いた時には、愛桜の放った布は怪物の顔の半分を取り込んでいた。
「よし、逃げますわよ!」
遠近感が狂うような光景に混乱する会音の耳に、愛桜の声が刺さる。
その声に振り向くよりも僅かに早く―――少年の足元から三度重力が消えた。
伸ばした布で会音を掴み、自らもその上に飛び乗って、愛桜はそのまま全速力でその場から離脱した。
◇◇◇
屋上
ラルヴァの翼が幾重にも分裂し、凌牙を串刺しにしようと伸びる。その姿はもはや翼というより、人を喰らおうとする妖木のようだ。
凌牙が腕を振り上げる。
周囲が一瞬明るくなり、炎の爪が翼を焼き払う。
辺りを侵食する繊維が蒸発するように燃え上がり、火の粉となって風に舞う。
怪物は特に痛がる素振りも見せず、魚類らしい無機質な目をこちらに向けていた。
ボコボコと泡立つように翼の断面が蠢き、次の攻撃の準備に入る。
凌牙も呼吸を整えながら、ラルヴァを睨み返す。
時間にして僅か数秒。
睨み合いを続ける両者は、示し合わせたように空気を張り詰めさせていく。
だが、その空気を打ち破ったのは、大型ラルヴァの放つ翼でも、凌牙の纏う炎でもなかった。
バサッ! っという空気を叩く音と共に、美しい模様の描かれた巨大な布が、怪物の口元から頭部にかけてを覆った。
蛇のように巻き付いた布が獲物をギリギリと締め上げる。
布の隙間から覗いた目が、グルリと地上へと向けられる。
つられて凌牙も見下ろすと、瓦礫の散乱する大通りを飛び去っていく愛桜の姿が見えた。
怪物は凌牙に向けていた翼を地上に向けて伸ばしたが、それが到達するよりも早く、愛桜達は射程圏から離脱していた。
標的を失った翼が軋みながら元の状態へと還り、ラルヴァは巻き付いた布を振り払おうと、癇癪でも起こしたかのように乱暴に首を振り乱した。
そんな怪物の様子を見上げながら、青年は一人深く息を吐く。
核の位置は把握済み。
厄介だった声は封じた。
ついでに仲間が巻き込まれる心配もない。
――ようやくだ。
獰猛な笑みと共に、青年の両腕から今までの倍はあろうかという量の炎が吹き出す。
熱気が周囲の空気をかき混ぜ、空を蝕む怪物の翼がざわめく。
異変に気付いたラルヴァがこちらに向き直り、両の翼を一気に展開する。
棘のように尖った翼の槍が、屋上全体に降り注ぐ。
逃げ場のない集中砲火。
頭上から巨大な剣山が降ってくるような圧に対し、それでも青年の笑みは崩れず―――
一閃。
赤い光が眼前に迫る槍の雨を薙ぎ払い、射出された炎の斬撃が、翼を蒸発させながらその根元近くへと迫る。
怪物は、その火力に一瞬怯んだように見えた。
凌牙はその隙を見逃さず、自分が放った炎を追うように、焦げた断面を晒す怪物の翼を駆け登る。
翼の無事な部分は敵を排除しようと、今度は蔓のような形状になって凌牙を絡め捕ろうと伸びてくるが、やはり爪の一閃で薙ぎ払われる。
そうしているうちに、凌牙は翼を登りきり、そのまま跳躍してラルヴァを上から見下ろす。
怪物と目が合う。
今はもう、その視線を遮るものはない。
――ああ、やっぱりな。
至近に迫る怪物の顔を見て、凌牙の感じていた違和感は確信に変わった。
乱雑に巻き付いた布の隙間から覗くのは、ギョロリとした魚の目と―――火傷の痕が残る湿っぽい肌。
思えば、妙な話だった。
地上の愛桜達を攻撃するために、あれだけビルを破壊していたラルヴァが何故、凌牙のいるビルだけは破壊しなかったのか。
もし、それが―――自分の天敵を確実に殺すためだとしたら。
怪物の顔にある火傷の痕。それは丁度、戦闘開始直後に凌牙が攻撃した辺りだ。
ラルヴァのもつ再生力を考えれば、とっくに治っているはずの傷が未だに残っている。
故に凌牙は確信した。
――こいつの弱点は―――『火』だ。
怪物の鼻先に着地する。
足元の布は怪物の粘液ですっかり湿っている。
それも既に飽和する寸前のようで、拘束は徐々に弛みつつあった。
――ったく、ドジョウかよ。
のんびりしている時間は無さそうだが、元よりそのつもりもない。
狙うべき場所はもうわかっているのだから。
凌牙は滑り止め代わりにしていた布の上から降りると、いかにも摩擦の少なそうなその皮膚の上を、むしろ積極的に滑るようにして背中側へと下る。
足元の粘液によって加速した勢いを緩めることなく、目的の場所―――ラルヴァの左側の翼の根元に降り立つ。
翼の付け根に近い部位は木の幹のように太く、末端と違い、足場にするのに十分な強度を持っていた。
しかし、相手も黙ってやられるつもりはないらしい。
凌牙の乗っていない方―――右の翼がギシギシとざわめき、根元に向かって伸びようとする。
「懐だろうとお構い無しか」
先にそちらを片付けようと、凌牙が構えたところで―――
何処からか飛んできた大きな布が、怪物の翼を包み込んだ。
「ナイスタイミングだ―――アイラ」
動揺するような素振りを見せるラルヴァ。
その機を逃すつもりはない。
左腕の炎に意識を集中させる。
――ずいぶん手間を掛けさせやがって。
炎は確かな輪郭を持って、大きな爪の形に収束する。
――今まで溜めた分だ―――
熱の塊が怪物の背中に振り下ろされる。
「―――くらいやがれ!」
炎爪がラルヴァの背を抉りとる。
解放された膨大な熱の余波で、周囲の肉が蒸発し、胴体の中心近くまでが半球状に消し飛ばされた。
断面が瞬時に焼け焦げたせいか、体液のようなものは出なかった。
――終わったか……?
攻撃後、翼を包む布の上に乗り移っていた凌牙は、両腕の炎を鎮めてその場に腰をおろした。
核の消滅をその目で確認してはいないが、周囲に満ちる空気が、戦闘の終了を告げていた。
怪物の体がほどけるように音もなく、その形を崩していく。
役目を終えた布が解け、凌牙を乗せたままふわりと大空を舞う。
「――― ―― ― ―…」
拘束の解かれた怪物の口から、細い声が漏れ、瓦礫の町に消えていった。
ラルヴァの体が完全に塵となって消えた後には、いやに広い空だけが、地上を見下ろしていた。
◇◇◇
戦闘エリアから少し離れた別のビルの屋上。
華やかな衣服の裾を風になびかせながら、戦闘の行方を見守っていた愛桜は、敵の討伐を確認してほっと胸を撫で下ろした。
「凌牙さんも無事みたいっすね」
異能で自分の目を望遠モードにチューニングしていた会音が、焦点を戻しながら言う。
「凌牙さんはどこに?」
「今、愛桜さんの布の上にいるみたいっすよ」
「そうですか。では、このまま布と一緒に回収いたしましょう」
くいくい、と招き寄せるような動きで"武器"を呼び戻す愛桜。
「会音さんもお疲れ様でした。今日はゆっくりと休んで下さいな」
「あ、いえ……そんな役に立ってませんし………」
「そんなことはありませんわ」
申し訳なさそうに俯く会音に、紅い髪のお嬢様は間を空けることなく首を横に振る。
「わたくしの能力は攻撃には向いておりませんし、凌牙さんの能力は持続時間が短めですから、二人だけであの敵を倒そうとしたなら、核を見つける前にガス欠になっていたかもしれませんわ。ですから―――」
バシッ と会音の背中を叩いて、愛桜は自信に満ちた笑みを浮かべる。
「胸を張りなさいな。わたくし達が心置きなく大技を使えたのは、紛れもなくあなたの功績なのですから」
「……ありがとうございます」
照れくさそうに目を逸らす会音。
愛桜はそれ以上何を言うでもなく、凌牙の合流を待った。
◇◇◇
三時間後 第二部隊 執務室
結局、真っ直ぐゲートに戻ろうとしたにも関わらず、行きと同じようなトラブルに見舞われまくった三人は、たっぷり三時間ほど転界を彷徨うことになった。
「つかれ、た……」
もうこのまま寝てしまいたい、という調子で呟く会音。
時刻はとっくに昼をまわっているのだが、空腹より疲労が勝っているせいか食欲がわかない。
これでまだ勤務時間が残っているとか、勘弁してほしい。
もう残り時間まともに仕事出来るかも怪しいところだ。
一方、愛桜はお茶を淹れに給湯スペースに向かい、凌牙はすでに弁当を広げはじめている。
――すげえ……鍛え方が違う………。
机に突っ伏すような体勢でその様子を眺める会音。
ふと別の方向に目をやると、同じように机に張り付いている千奈が目に入った。
――……? え、何があったんだ?
猫背がデフォルトの会音と違い、座るときも背筋は真っ直ぐ。マナー本のお手本のような姿勢を崩さない千奈が机に突っ伏している。
「……あの、大丈夫?」
「……」
返事がない。まるで屍のようだ。
――一体どうして……。
疑問が頭の中で渦巻くが、結局睡魔に屈した少年は、そのまま寝息をたて始めた。




