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Act.22 喧騒世界を彷徨えば(3)

十分後


「やっぱ報告よりでけぇじゃねぇか」

 墓標のように廃ビルが立ち並ぶエリアの一角で、目付きの鋭い銀髪の青年が、舌打ちとともにそうぼやいた。

 不満げに目を細め、赤対凌牙(しゃくついりょうが)は廃ビルの影からすぐそこまで迫っている『それ』を見上げる。

 バックに控える曇り気味の空は、晴天時に比べて幾分明度が低く、真上を向いてもそれほど眩しいとは感じない。

 地上は相も変わらず血を吸ったように赤い植物が蔓延る異界の様相を呈しているが、くすんだ空の色は現世と同じ灰色だ。どこもかしこも色彩が狂った空間に迷い込んだ"普通"の色合いは、周囲一帯の"赤"よりも遥かに異質なものとして感じられる。

 だがまあそれはあくまで気分の問題だ。合理的な話をすれば、今回のように文字通り『見上げるほどの』大きさの敵との戦闘時にこの天候なのはありがたいことだ。

 雲間から覗く黄色の空を見る限り、雨が降るということもないだろう。現世は土砂降りだったことを思えば、天候がリンクしていなくて本当に良かったと思う。

 もっとも、逆に転界(こっち)だけ雨だった時は、何故現世と違うのかとイラついていたわけだが。

 何にせよ、多少報告と違ったところで今さら引き下がるわけにはいかない。

 折角天候には恵まれていることだし、何より、『思ったより大きかったから逃げ帰ってきました』なんて真似は会社が許しても凌牙自身が許せない。

「………」

 そっと自分の左腕に目を落とす。

 感触を確かめるように持ち上げたその手には、手甲のようなものが装備されている。RPGの格闘家が着けているような、武器になるタイプのその手甲には、やはり()()()感じの、見た目にも物騒な鉤爪が4本取り付けられている。

 手入れの行き届いた鉛色の冷たい光が、僅かに躊躇(ちゅうちょ)しかけた心を定位置に戻す。

 そう、ここで立ち止まっている暇はないのだ。


青年は決意も新たに傍らに立つ仲間に目を向け―――

 ――………こいつ何しにきたんだ?

 馬鹿みたいにぽかんと口を開けて呆然とする以外のリアクションが取れなくなっている会音(えのん)の姿に、呆れ混じりの渋面を作った。

 完全に言葉を失ってしまったぶかぶかパーカーの少年の口からは、もはや『デカいなー』とか、そんな単純な言葉すら出てこない。

 遠くから見たときも思考が停止しかけていた会音だが、近くで見上げたことで改めて放心してしまったようだ。

 絶句し立ち尽くすその姿は、驚いているというより途方に暮れているというほうが近かった。

 まあ気持ちはわからなくもない。

 溜め息が出そうになる口を閉じつつ、凌牙は再び『それ』のほうを見た。


 天高くそびえる『それ』―――此度(こたび)の討伐対象である大型ラルヴァは、周囲に乱立する廃ビルに擬態するかのように、その巨体を真っ直ぐ空に伸ばしたまま静止している。

 パッと見た感じの印象は『魚』だ。

 細く長い魚に翼が生えている。

 透き通った銀色は、ここが水中だと錯覚しそうなほどに澄んだ空気を(まと)っている。流麗という言葉を体現しているかのようなその姿は、シルエットだけなら何処かの神話にいる翼をもつ蛇のようにも見え、いっそ神々しさまで感じるほどだ。

 ただ一点―――その背にある翼を除いて。

 翼といってもそれは、おおよそその言葉がもつ軽やかさとは無縁の代物だった。遠目には確かに翼に見えるのだが、近づいて改めて観察すれば、それが枝や血管のような無数の管の集まりであることがわかる。その表面にあるのは、両生類を思わせる気色の悪い光沢。見るものの心に不快感という重石を押し付けてくる粘ついた異形は、宿主の背を食い破って吹き出したアメーバのようにも見えた。

 澄んだ神性と纏わりつく不浄。

 相反する印象がこちらの感覚を狂わせてくる。

「……骨が折れそうだ」

 感情のこもらない声とは裏腹に、そう呟く凌牙の口元は僅かに笑みの形に歪んでいた。

「(心配は要りませんわ! 力を合わせればきっと不可能はありませんもの! さあ、世界の平和のために張り切ってまいりましょう!)」

 口をパクパクさせている愛桜(あいら)がそんな感じのことを言っている。

 見つかるとマズいから大声は出すな、と先に釘を刺された結果、通常モードよりも表情と口の動きが激しい『存在がうるさい人』状態になっていた。

 ――こっちはこっちでハイになってやがるし。なんかもう面倒くせぇな……。

 使命感か何かでテンションが振り切れている愛桜はまだ何か言っていたが、存在から目を背け始めた凌牙にはそれ以上伝わることはなかった。

八谷(やたがい)

「へ!? あ、はい!」

「ぼーっとしてんじゃねぇ。いいか、指示はおれが出す。来たからにはおとなしく従えよ」

「は、はい」

「いよいよですわね! どういたしましょうか?」

 結局声を出すことにした愛桜にそう尋ねられ、凌牙は考え込むように目を閉じる。

「……そうだな。前衛はおれがやる。八谷は距離をとって対象を視て、核の位置とか攻撃の予兆とかがわかったらそれを伝えろ」

「わ、わかりました」

「アイラは八谷に攻撃がいかないようになんか上手く防御固めとけ。それから隙をみて援護も頼む」

「了解ですわ! つまりいつも通りですわね!」

「まあな。ほらいくぞ、戦闘開始だ」


 凌牙は左腕に装備しているものと同じ手甲を慣れた手付きで右腕にも装着する。

 両手が完全に塞がってしまうのは好きではないのだが、手を抜く訳にはいくまい。

 細く、長く息を吐き、呼吸を整える。

 だらりと下げていた両腕を上げ、イメージを投影する。

 熱が―――青年を中心にゆっくりと渦を巻く。

 鉤爪の周囲が陽炎のように揺らめき、炎の形となって刃を包み込んだ。火の勢いは徐々に増していき、鉤爪本体の倍はあろうかというような大きな爪の形となって顕現する。

 両の手から伸びる炎の爪で周囲をさらに赤く赤く染め上げながら、凌牙は短い息を吐き出した。


 次の瞬間、横で見ていた会音の視界から凌牙の姿は消え失せていた。

 炎の軌跡を追って頭上に目をやると、廃ビルの壁面を登っていく先輩の姿があった。

 炎の爪を窓枠や壁面のひびに掛け、振り子のように体全体を揺らして反動で上に飛ぶ。曲芸のようにリズミカルな動きに会音が目を奪われている間に、凌牙は屋上へと到達して視界から再び消えてしまった。

「わたくしたちも向かいましょう」

「あっ、はい!」

 我に返った会音を連れて、愛桜は路地から勢い良く飛び出した。

 大通りに鎮座する大型ラルヴァに向き直る。

 と、その時―――ビルの屋上から赤い光が怪物目掛けて飛んでいくのが見えた。

「―――――――――――!!」

 直後、黒板を爪で引っ掻いたような不快な音が辺り一面に降り注いだ。

「うぁッ!?」

 頭蓋を(きし)ませるような大音量に、会音は思わず耳を押さえて(うずくま)る。

 鳴き声とも言い難い耳障りな"音"は、悲鳴というよりは威嚇に近い。

 微動だにしていなかった怪物が、巨体を(ねじ)るようにして振り返る。

 ギョロリと向いたその目が、屋上に立つ凌牙の姿を捉えた。

「そうだ。こっちだデカブツ!」

 (ごう)ッ! と音を立てて、左手の炎が勢いを増す。

 そのまま一気に振り抜くと、炎は斬撃の形となって怪物の顔面に吸い込まれていく。

 再び脳を貫く大音量。

 ビリビリとビル全体が揺れるような衝撃が駆け抜ける。

「……ッ」

 至近距離で発せられた爆音に、(たま)らず凌牙が距離をとる。

 左耳の違和感とともに耳鳴りが始まった。常人ならば鼓膜が破れていてもおかしくない大きさの『声』は、もはや無差別攻撃の一種だ。

 ――一撃毎にこれじゃ身が持たねぇな……。

 歯噛(はが)みする凌牙の前で、怪物はゆっくりとその翼を広げ始めていた。


 ◇◇◇


 一方、地上では―――

「では、わたくしも参りますわ!」

 怪物の方向転換に伴って、土煙が周囲一帯に広がっている。

 そんな視界不良をものともせず、三十日(みとおか)愛桜は悠々と、影しか見えぬラルヴァに向けてそう言い放った。

 いつ踏み潰されてもおかしくない状況にもかかわらず、その振る舞いはあまりに自然で堂々としており、まるで今目の前にある光景の全てが一つの舞台であるかのような錯覚を起こさせる。

 立ち込める土煙は、開幕を告げるスモークのように。

 雲間から覗く陽光は、演者の登場を讃えるスポットライトのように。

 もしも天に気分というものがあるならば、本日は彼女を依怙贔屓(えこひいき)したい気分だったに違いない。

 そう思う程に、天然の舞台装置の位置取りは完璧なものだった。

 怪物が、また一声()く。

 衝撃波が辺りを揺らし、土煙が乱れる。

 紅い髪が空気の流れに沿って舞い上がるが、愛桜は特に気に留める様子もなく、慣れた動作で筒状の()()を取り出した。

 クルリと片手で弄ばれるその武器は、巻物のように巻かれた―――一反の()だった。

 丈夫そうな布地には、華美になりすぎない程度の美しい模様が描かれている。

「それっ!」

 そんな掛け声とともに、愛桜が大きく手を振ると、その動きに合わせてスルスルと巻かれていた布が伸び、羽衣のように空中を舞う。

 愛桜を中心に渦を巻くように展開された布が勢いをつけて回転し、周囲を(かす)ませていた土煙を吹き飛ばした。

 そこでようやく、地上の異変を察知したラルヴァが愛桜達の存在に気付く。

 もう互いの視線を遮るものはない。

 ジリジリと見つめあったまま両者はしばし沈黙する。

 数秒とも数分とも感じられる沈黙を先に破ったのはラルヴァの方だった。

 叫びとともに広がりつつあった翼が躍動する。

 見る間に空中に広がった翼は、絡み合う木の根を思わせる。

 怪物が翼を振り下ろすと、隣接するビルが発泡スチロールのように粉砕され、瓦礫(がれき)が散弾のように地上に降り注いだ。

 ――ッ!? 避けられな―――

 咄嗟(とっさ)のことで動けなくなった会音の頭上に、軽自動車ほどもある大きな破片が迫る。


 だが、少年が肉塊になることはなかった。

 何故ならば―――

 ()()()()()()()()()()()()()()()()、防壁となって瓦礫を弾き返したからだ。

 愛桜と会音を守るように渦を巻きながらドーム状に展開される長い布。

 (よど)みなく動き続ける布は、その勢いでいなすようにして、降り注ぐ瓦礫を次々に跳ね返していく。

 三十日愛桜が保有する能力は、『一定範囲内の布を操る能力』である。

 愛桜的には服は服なので、いわゆる加工前の"布"を用意する必要があるのだが、それさえ満たせば、大きさ、形状から硬度まで、布そのものの性質すら自在に変えられるという自由度の高い能力である。

 とりわけ広範囲を防御することに関しては、社内でも指折りの使い手だったりした。あまり大人数で行動しないため、目立たない事実ではあるのだが。

 そうして再び布がほどけたときには、周囲には瓦礫が散乱し、二人の周りだけぽっかり穴が空いたように、平坦なアスファルトが顔を覗かせていた。

「お怪我は?」

「な、ないっす」

 それは良かった、とにっこり微笑んで、愛桜は再び怪物を見上げる。

「それでは会音さん、防御はこちらに任せて、今のうちに核をお願いいたしますわ!」

「はい!」

 ――そうだった。

 怪物の巨体に気圧されて役割をすっかり忘れていた。

 ――集中……集中しないと。

 視界に映るラルヴァの姿に集中する。

 端から順に核の位置を透視していく。

 敵は先ほどと同じ攻撃を再度行ったが、こちらの防御を突破してくる様子はない。

 上へ上へと視線を巡らせていくと、

「あ、ありました! 羽の付け根っす!」

「了解ですわ! ではそれを凌牙さんにも!」

「えっ!? あ、はい!」

 会音は凌牙のいるビルを見上げる。

 大型ラルヴァよりも少し低いくらいのビルの屋上に熱源が見えた。

 ――……え? どうやって?

 当然ながら、彼らは無線機などは持ち合わせていない。転界においてその手の機械は荷物にしかならないからだ。

 ――こっから叫べと?

 口をパクパクさせながら沈黙する会音。

 最後に大声を出したのがいつだったかもわからない。

 そもそも自分にあの位置まで届くような声量が出せるのか。

 困って愛桜に視線を送るが、彼女は敵の攻撃をいなすのに忙しく、気付いてはもらえない。

 ――ううぅ……やるしかない、か?

 会音は心中で(うめ)きながら、大きく息を吸い込んだ。

「りょ、凌牙さーん! 羽の付け根っす!!」


 ……特段リアクションらしきものは返ってこない。

 照れが勝って最後のほうがやや小さくなってしまったのは自覚しているが、そもそもこの程度の大声ではあそこまで届かないのかもしれない。

「凌牙さーん!!」

 開き直ることにした少年が先ほどより大きな声で叫ぶが、やはり反応はない。

「凌牙さーん!! 聞こえますかー!!!」

 愛桜も呼んでいるが効果はない。

 まるで共鳴するように怪物がひときわ大きく啼き、二人の声を掻き消す。

 心なしか、此度の『声』は怒声のようにも聞こえた。

 案外ラルヴァの方には声が届いていたのかもしれないな、などと思いつつ耳を塞ぐ会音。

「愛桜さん、思ったんすけど」

「何でしょうか?」

「こんなん近くで聞いてた凌牙さんの耳、無事なんすかね?」

「そういえばそうですわね」


 ◇◇◇


廃ビル 屋上


「このッ!」

 赤い光が(ひらめ)き、こちらに伸びてくる怪物の翼を焼き切る。

 ミシミシと空間を侵食していく翼は、末端を少し切ったくらいでは止まらず、むしろ勢いは増すばかりだった。

 怪物の注意は今、地上の愛桜達の方に向いているのだが、その片翼は別の生き物のように凌牙への攻撃を続けている。

 凌牙自身が火力を温存しているのもあり、じりじりと屋上の端へと追いやられつつあった。

 ――何にせよあの声が厄介だな。

 二人が危惧した通り、凌牙の耳は既にまともに機能していない。

 髪の間から覗く耳からは、僅かに血が垂れている。

 大きな影響が出る前にと、自分で傷付けたものだ。

 耳の中を()()()()()程度の傷など、帰ればすぐに治せるだろう、とあまりにもあっさりと自らの聴覚を潰した青年は、それでもラルヴァ本体に近づききれずにいた。

 至近距離で浴びる『声』はもはや『うるさい』というだけの問題ではなく、衝撃波としてのダメージを伴っていた。

 廃ビルの屋上という不安定な足場も災いして、なかなか距離が詰められない。

 ――なんとかあの口を塞ぎてぇが……。

 自分の能力は拘束には向いていない。それはわかっている。

 地上の愛桜に指示を出したいところだが―――


 そんな暇は与えないとばかりに、立ち止まった凌牙の頭上に、怪物の翼が迫る。

 咄嗟に床を転がると、枝分かれを繰り返しながら伸びる翼の先端が、風化し(もろ)くなった屋上の床に突き刺さった。

 崩れ落ちる足場を横目に、凌牙は素早く起き上がって追撃をかわす。

 ――悠長に考えてる暇もねぇが、下に降りる隙をこいつがくれるかどうか。

 いっそ飛び降りてみるか、と無謀なことを考え始めた青年は、ふと、視界の端に映り込んだものを見て一瞬固まった。

「何だ、あれ?」

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