Act.21 喧騒世界を彷徨えば(2)
転界 港方面
現世の地図で言うところの東京湾―――に当たると思われるそこは、廃墟の建ち並ぶゴーストタウンよりもさらに寂れた場所だった。
湾の周りにあったはずの施設はほとんど跡形もなく崩れて水に沈み、瓦礫と船の墓場が混じりあった岸はどこまでが地面かもわからない。
目の前にはくすんだ水の塊。母なる海はどこまでも空虚で、生物の気配はまるで感じられない。ただ水が溜まっているだけの、死んだ空間が彼方まで続いている。
水面の藻か何かの色なのか、沖の方にいくに連れて、その水は血を思わせる深紅に覆われていく。広がる赤色の間を何かが跳ねたが、おそらくあれも魚ではあるまい。かつては神秘を内包していたであろう水の世界も、ここでは異形蠢く魔界に成り果てているのだろう。
――どこを見ても変わらねぇな、ここは。
水平線を忌々しげに睨み、凌牙はほんの僅かに奥歯に力を込める。
「どうかなさいました?」
「……何でもねぇよ」
能天気に首を傾げる愛桜を一瞥して、銀髪の青年は独り言のように呟いた。
「さっさと目標地点に行くぞ」
「ええ。いつでも構いませんわ! 頑張りましょうね、会音さん!」
「………」
「会音さん?」
返事がないので振り返って見てみれば、そこには船の残骸の間にしゃがみ込む会音の姿があった。
――まだ……まだ着かない………。
うなだれる会音の目には、眼前の景色など映ってはいない。
地面をスクリーンに蘇るのは、ここに至るまでに待ち受けていた数々の困難。
ラルヴァとの戦闘が3回。
道に迷うこと4回。
愛桜と凌牙が口喧嘩を始めること3回。
内止めること2回。
最後の一回は諦めて聞き流した。
疲労困憊。
満身創痍。
もうくたくたである。
――これから戦闘とか……悪夢だ………。
すっかり精神を磨耗させてしまった会音はもう立ち上がるのも億劫だというように心中で深い溜め息をつく。
――だらしねぇなぁ。
立ち上がる様子のない会音に呆れたような眼差しを向けながら、銀髪の青年は腕時計を確認する。
――大分時間くったな。
どうやら想像以上に時間をかけてしまったようだ。
――念のため早めに出たつもりだったが、足りなかったか。
基本的に、赤対凌牙にとって道は迷うものだ。自分でももう半分くらい諦めている。
だからいつも早めに出発することを心掛けているのだが、廃墟ばかりで目印の少ない転界はやはり勝手が違う。
なまじ現世と似ているだけに、普段道に迷うことのない者でも遭難しかねない場所なのだ。
――……急がねぇとターゲットが移動しちまうが……。
凌牙は視線を落としてぶかぶかパーカーの後輩を見る。
「おい、八谷。いけるか?」
「え!? あ、はい! 今立ちます!」
バタバタと慌てて立ち上がる会音。
若干鈍い動作に凌牙は顔をしかめるが、特にそれを指摘することはしなかった。
「会音さん、大丈夫ですか? お辛いようでしたら無理せず休んだほうが……」
「あ、いや、大丈夫っす」
「そうですわ! エネルギー補給ということでお菓子はいかが?」
「えっと、今は止めときます」
「そうですか……では疲労回復にポーションはいかが?」
「今食欲は……ていうか『ポーション』!?」
急に出現したRPGチックな単語に耳を疑う会音。
しかし愛桜は平然と、
「ええ、技術部が開発した謎飲料、通称"ポーション"です。一口飲めば三時間ほど元気でいられるという代物ですわ」
にっこり微笑んで蛍光パープルの液体が入った小瓶を差し出してくる。
今朝のガムシロップの一件がフラッシュバックした会音は全力で距離をとった。
「お気に召しませんでしたか?」
「ガッツリ『謎飲料』とか言われたものはさすがに嫌です!」
そうですか、と愛桜は何故か残念そうに小瓶をしまうと、次なる品を探してポーチの中を漁る。
「おい」
二人のやり取りを傍観していた凌牙が、痺れを切らしたように割って入った。
「何でしょう? あ、ポーションがご入り用ですか?」
「いらねぇ。遊ぶ元気があるならさっさと準備しろ。仕事はこれからだ」
「そうですわね。大分時間がおしているようですし」
「言っとくが、お前のせいでもあんだぞ。毎度余計な戦闘を増やしやがって」
こうなったのは何も迷子になったことだけが原因ではない。
半分は愛桜のせいでもある。
道中で見つけたラルヴァを愛桜が"ついで"で毎回倒そうとしたため、余分な戦闘が増えたのだ。
本命を倒すのが先だろうと、凌牙はその度に指摘しているのだが、
「だからって、人に危害を与える可能性のあるものをみすみす放置する訳には参りませんわ。人々を守ることこそがわたくし達に課せられた使命でしょう」
とかなんとか言ってくる。
言っていることは間違いではないし、凌牙としても一体でも多くのラルヴァを倒せるならそれはそれなのだが、まずは与えられた役目を果たしてからだろう、という責任感くらいはある。
ついでというなら帰りに気が済むまでラルヴァを狩ってから帰れば良いのだ。
雑魚をかまって本命の前に消耗するような無様な真似はごめんだ。
もっとも―――あくまで指摘するだけで、ひとたび戦闘になれば毎度率先して倒しに行っている凌牙にそんな文句を言う資格はないのかもしれないが。
何にせよ、この場で一番不利益を被っているのは、蚊帳の外にされている会音である。
――こいつ本当に体力もつのか?
凌牙はチラリと横目で会音の方に視線を送る。
「八谷、本当に大丈夫なんだろうな?」
「は、はい!」
「なら、足を引っ張るなよ。動けねぇ奴は必要ないからな」
「はい………ガンバリマス」
カミソリのように鋭利な言葉が、なけなしの気力をスッパリと刈り取っていく。
思いっきり萎縮して、「どうせ俺は……」と自家中毒的な思考に陥りかけている会音の横では、愛桜が「仕方ありませんわね」と大仰に首を振っていた。
「まったく素直じゃありませんわ。怪我をさせたくないだけならもっと優しい言い方でもバチは当たりませんわよ」
「……誰がそんなこと言った?」
「違うのですか!?」
驚く愛桜。
「どうしましょう、まさかそこまで心が荒んでいらっしゃるなんて! これは早急なケアが必要ですわね。悩みがあるならどうぞおっしゃって! 友人として、いくらでも相談にのりますわ!」
「いらねぇよ」
大袈裟な感じは否めないものの、心から心配している様子で迫る愛桜を片手で突っぱねながら、凌牙は諦めたように嘆息する。
いちいち構っていては時間がいくらあっても足りないのだ。
「お前らもう目撃地点に近ぇんだから、気を引き締めろ。今回は特に大型らしいからな」
「そうでしたわね」
言われて急に神妙な顔になる愛桜。
この仕事についてもう3年目になるが、凌牙も愛桜も"大型"とは数えるほどしか戦っていない。
会音も今までに何度か響斗と共に転界に行ったが、遭遇するのはせいぜい中型までだった。
二階建てくらいの体格だったあの猿のようなラルヴァさえ中型だというが、大型は一体どのくらいの大きさになるのかと、会音は疲れた頭を回転させて想像してみる。
そしていつか映画で観た、ビルより巨大な怪獣を思い出し、それに踏まれる自分を想像してぞくりと身を震わせた。
何にせよ、前もって大型とわかっているのは彼らにとって不幸中の幸いかもしれなかった。
少なくとも覚悟を決めるだけの時間は与えられているのだから。
「あれ? そういえば、今回は対象の情報があるんすね。目撃者がいたんすか? 」
「それは特に聞いてませんわ。こちらの索敵に引っ掛かっただけではないかしら」
「えっ!? 転界の様子って探れるんすか?」
驚いたように目を見開く会音。
彼は初任務の際にゲートから離れると無線なども使えなくなると教わっている。
現にこうしている今も、ポケットの中の携帯は『圏外』であるし、持たされた無線機も沈黙している。
仮にレーダーのようなものを設置したところで通信は出来ないのなら役には立つまい。そもそもラルヴァがいる以上、何を設置しようとエサになるだけだ。
と、会音は思っていたのだが―――
――響斗さん……教えてなかったのか。
つくづく人選ミスだな、と自分に説明役が回って来そうな気配に遠い目になる凌牙。
変わりにやってくれそうな人間は―――
「確かにそうですわね」
フムフムと顎を摘まむようにして考える愛桜。
――こいつも多分わかってねぇな。
「……………あの、凌牙さん、ご存知ないですか?」
やっぱりか。
「お前も知らねぇのかよ」
「くっ…悩める後輩に答えを示すことが出来ないとは……三十日愛桜一生の不覚ですわ」
「輪廻転生不覚とりっぱなしじゃねぇか」
そう毒づくと、凌牙は心底面倒臭そうに溜め息をついて重そうに口を開く。
「いいか、一度しか説明しねぇぞ」
「は、はい」
「まず、ゲートの付近では現世と連絡がとれるってのは知ってるな」
「そ、そういえば……」
「でしたっけ?」
「アイラはしばらく黙ってろ」
自分で自分の口を手で塞いで、黙ります、というように頷く愛桜。
凌牙はどこまでもとぼけた調子の相棒を視界の外にどけて話を続ける。
「なら簡単なことだ。ゲートのすぐ傍にカメラでも置いてやりゃあいい」
ゲートから離れると無線などは使えなくなる。だが逆に、ゲートから離れなければ使えるのだ。
「ゲートの状態にもよるが―――一応、使える範囲は大きさに比例してるらしい。様子を探るだけなら腕が通る程度の大きさで十分って話だがな」
「な、なるほど」
「つっても、どこでもいいわけじゃねぇ。ゲートを保持するやり方はデカかろうが小さかろうが変わりねぇし、現世でも転界でも管理出来る場所にたまたまゲートが開くのを待つしかねぇから、そう多くはねぇよ」
現世ならば一般人の目に触れる場所などを避ける必要があるし、転界ならばラルヴァに壊されず、建物の崩落等で壊れない場所が望ましい。欲を言うなら雨風があまり当たらず、見通しの良い場所がいい。
が、そんな都合の良い場所なぞなかなかないし、そこにピンポイントでゲートが開くことなどそうそうあるものではない。
支部によっては監視用のゲートなど一つも所有していないこともある。
その上、得られる情報の質もそれほどよくなかったりするのだから、果たして活用されていると言っていいのかどうか。
「じゃあ、わかったのは運が良かったってことっすね」
「まあな。とはいえうちは余所と比べりゃ段違いに数が多いからな。ゲートが開く頻度が他より高いし、何より―――」
「何より?」
「響斗さんが適当に開ければ済む話だしな」
「あー……」
――そういやそうだった。
何故だかすぐにありがたみを忘れられる緑メッシュの先輩を思い浮かべて、複雑な表情になる会音。
凌牙はそれには構わず、もう十分休んだだろう、と言って歩き始めた。
「………あの……」
「さあ参りましょう! 凌牙さん、こちらですわ」
「ああ」
若干ずれた方向に進みかけた凌牙の軌道修正を行いながら、一行は再び目的地に向かって歩を進める。
◇◇◇
「うわぁ………」
『それ』を見た会音の口からは、自然とそんな声が漏れていた。
同じく『それ』を眺める愛桜も、どこか感心するような目をして、言葉になりきっていないような間の抜けた声を出している。
二人より二、三歩後ろに立っていた凌牙は、ぽかんとした様子の会音と愛桜と、その背景に蠢く『それ』の姿を交互に見て、静かに眉間の皺を深くした。
敵はまだこちらには気づいていない。
当然だ。
三人は用心してかなりの距離をとっている。
今彼らの視界にある『それ』は、手のひらに収まるほどの大きさでしかない。
ただし―――『それ』と同程度の大きさに見えている周囲の廃ビルは、どう見ても15、16階建ての規模だったのだが。
「行くか」
「え……? あれに!?」
呆然と呟く会音を、凌牙は当然だとばかりに一瞥して、スタスタと巨大なその影に向かって行く。
会音もおとなしくそれに続くが、遠目に見ただけの『それ』の姿に完全に気圧されているようだった。
「ほ、本当に三人だけでやるんすか?」
「何だろうと関係ねぇ。おれはラルヴァをぶっ殺すだけだ」
「ええー………」
「気合いが入りますわね!」
「何でアイラさんはちょっと嬉しそうなんすか……?」
及び腰な会音とは正反対に、どこか浮かれた様子の愛桜は、やる気に満ちた顔で小さく拳を握っている。
実のない会話を始める二人には構わず、凌牙は静かに自らの敵を睨み続けていた。
研ぎ澄ますようにひたすらに、倒すべき敵のいる、その一点を。




