Act.20 喧騒世界を彷徨えば(1)
朝 第二遊撃部隊 執務室
「よしっ! 今日もギリギリセーフ!」
言い終わるのとほぼ同時に、始業時間を告げるチャイムの音が高らかに周囲に木霊した。
時刻は午前8時30分。
僅か数秒の差で部屋に駆け込むことに成功した黒髪緑メッシュの少年は、早くも一仕事終えた後のような清々しい表情を浮かべている。
「いやいや、毎日ギリギリな時点でダメだろ。予鈴前には来いって言ってんのに」
「5分だろ? 誤差じゃん」
「毎日コンマ数秒を争ってるやつが何言ってんだ」
『そうね。せっかく無遅刻が続いているのだから、早起きしたほうがいいわよ』
「うーん、そうは言っても眠いしなあ……ギリギリまで寝てたいんだけど……」
「じゃあギリギリまで寝るか? ここの机で」
朝食のパンをかじりながら、隊長のクレイが投げやりに言う。
おそらくは昨日もろくに休めていないのだろう。変な寝方をして凝り固まった体をゴキゴキとほぐすクレイに、響斗は少々心配そうな目を向ける。
「何で俺の周りって寝不足のやつが多いんだろう? トウカもよく徹夜してるし……」
「自覚しろよ、そこは」
誰のせいだとブツブツ呟くクレイから逃げるように、自分の席へと向かう響斗。
荷物を下ろし、椅子に腰掛けて一息つくと、計ったようなタイミングで愛桜が紅茶が運んできた。
「おはようございます、響斗さん。爽やか朝に紅茶はいかがですか?」
「ありがとう。外雨だけど……爽やか?」
「朝は誰もに平等に訪れるものですもの。良いも悪いもありませんわ」
「そういうもん?」
そんな他愛ない話を続ける二人(ライリーを含めれば三人)を席から眺める会音。
――いつもと特に変わり無しか。
◇◇◇
一日前 灯和の執務室
結局、冷静になった灯和が戻ってくるまで40分ほど掛かった。
その間、会音は痺れた先輩を横目にスティックシュガーの粒を数えていた。(一応途中でライリーと雑談を試みたものの、普通に話題が無かった)
帰ってきて扉の隙間から中の様子を見た灯和は、しばらく掛ける言葉が見つからなかったという。
そして現在部屋に残っているのは会音と灯和の二人だけだ。
今日はまだ居座るつもりらしき響斗は、コンビニにおやつを買いに出ている。もちろんライリーも一緒だ。
そんなわけで、潤滑油を失った室内には、昼に会音が来た時と同じ気まずい沈黙が流れている。
違うのは、コーヒーメーカーのコポコポという音ではなく、雑巾で絨毯を擦るガシガシという音がしていることくらいだ。
先ほど響斗に一服盛った際に床にぶちまけられたコーヒーは、数十分の時を経てすっかり絨毯に吸収されてしまっていた。
それを拭き続ける灯和の表情は"無"だ。
無言でひたすら同じ腕の動きを繰り返す様はなんだかそういう機械のように見える。
帰るタイミングを見失った会音は、その作業が終わるのをぼんやりと待っていた。
――こういうのって擦るの逆効果じゃなかったっけ。
特に指摘する気もないが、かえってシミが広がっている気もする。
灯和も効果が無いことに気付いたのか、拭えぬ染みを見つめて一つ息を吐くと、手にしていた雑巾を流しに投げ込んだ。
――目立たんし放っとくか。
ぐっと伸びをして立ち上がった三白眼の青年は、そこでようやくまだ会音が帰っていなかったことに気が付いた。
「あ、すまん八谷。忘れとった。喧嘩に巻き込んで悪かったな」
喧嘩以前にもう少しヤバめの厄介事に巻き込まれているのだが、会音にそれを口にする気は起きなかった。
出来るならこのまま白昼夢か何かとして忘れてしまいたい。無理を承知でそう思う。
「残業の申請とかはこっちでやっとくから、今日はゆっくり休んでくれ」
「はあ……ありがとうございます」
そのまま背を向けて立ち去ろうとする会音。その背に再び声が掛かる。
「八谷」
「はい?」
「重ねて悪いが、あいつのこと、たまにでいいから気に掛けてやってくれ」
「気にかける、とは?」
余計なことを喋らないように見張れ、という意味だろうか。だとすると、会音一人が頑張っても何が出来るかという話だが。
灯和はしばらく空中に視線を彷徨わせていた。まるで、空中のどこかに自分の言うべき言葉が用意されているかのように。
「………あの頃、響斗は俺達のヒーローだった。強くて、明るくて、みんなの憧れだった。だから―――」
ぽつりぽつりと溢した言葉は、懐かしさよりも後悔に満ちていた。
「だから、皆どこかで……あいつだけは大丈夫だと思ってたんよな。あいつは自分の責任って言っとるが、それを言うなら、あの時悩んでいることに気づいてやれんかった俺達全員の責任だ」
緑メッシュの少年は言った。
誰かと考えることが出来なかったのだから、こうなったのは自分の責任だと。
だが見方を変えればそれは、誰かと考えるという選択肢が当時の彼の中に無かったということでもある。
響斗が仲間を信用していなかったなどということではない。
SOS自体はきっと出ていたし、周りもそれを無視していた訳ではない。
ただ、何かが致命的にずれていた。
それだけのことだ。
そして―――おそらくは今も。
「響斗は……危なっかしいやつなのは皆わかっとるんじゃけど、なんとなく放っといても大丈夫な気がしてしまうんよな」
困ったもんだと三白眼の青年は自嘲気味に笑う。
「おそらく、周りがあいつにヒーローみたいな働きを期待しとるうちはそれは変わらんじゃろう。響斗も何だかんだで周りの期待には応えようとするしな」
だから、と彼は続けて、
「巻き込む形になって悪いが、あいつが無理しとらんか見とってくれ」
◇◇◇
現在
――いきなり無理してたりはさすがにないか。
そんなに気にすることは無さそうだ。何かあるとしても忘れたころだろう。
「どうしたー? たそがれてるのか?」
視線に気付いた響斗がカップを置いて近づいてきた。
「黄昏てませんよ」
「じゃあ、会話に混ざりたかったとか?」
「別にそういうわけでは……」
「でもなあ……何かぼんやりしてるっていうか……何かあったのか……いやでも……」
『昨日帰りが遅くなって疲れたのかしら』
「なるほどそれか!」
「どれすか?」
ポンと手を打つ響斗。
しかし会音には伝わっていない。見えるだけの彼にはライリーの音声は拾えないのだ。
――読唇術覚えようかな……。
普通の書店にあるんだろうかと会音はどうでもいいことを考える。
「昨日遅かったから疲れたのかなって」
「確かに疲れましたけども」
色んな意味で、という言葉は飲み込む。
共犯者の仲間入りをしてしまった件に関しては、まだ頭が追い付いていないから何とも言えない。
むしろ最後の件でどっと疲れた分が尾を引いている。
「とりあえずしばらく砂糖は見たくないっすね」
目も疲れたと力なく笑う会音。朝から大分よれよれだ。
「それはいけませんわね」
いつの間にか隣まで来ていた愛桜が会話に入ってくる。
「糖分は脳の栄養、ひいてはテンションの火種! 欠かすわけにはいきませんわ!」
謎テンションのお嬢様は、そう言って手に持っていたバスケットを差し出してくる。
その中身は―――
「なんすか、これ?」
「ガムシロップですわ。さあどうぞ!」
砂糖が駄目ならガムシロップを飲めばいいじゃない。
名案だとばかりに輝く笑顔でガムシロップの蓋を開け、口元に近づけてくる。
普段の会話よりも近い距離。
こちらの顔だけを映す灰色の瞳。
端から見れば、美人の先輩にてづから食べさせてもらっている感じになる。
これで『あーん』とでも言ってくれれば完璧だ。きっと照れ臭さで味などしないに違いない。
無論、手に持っているのがガムシロップでなければの話だが。
「ゴホッ!?」
ちょっとやそっとの照れでは太刀打ち出来ない甘味が口の中を蹂躙する。
ゲホゲホと思い切りむせた会音を、他のメンバーまでもが何事かと見た。
「だ、大丈夫ですか? わたくしとしたことがタイミングを見誤るなんて!」
「そういう問題じゃない」と喉まで出かけるが、全ては咳に変換された。
「ぜぇ……ぜぇ……」
「大丈夫か? 気管に入ったか?」
「それも……ありますけど………」
息も絶え絶えになりながら必死に主張する会音。
わかっているのだ。ここで流すとその後も悲劇が繰り返されると。
「何でッ…ガムシロップ……」
「甘いかと思いまして」
「原液はナシでしょうよ!?」
愛桜は雷に打たれたような衝撃を受けてよろよろと数歩後ろに下がると、ガックリと床に膝をついた。
「盲点でした。確かにガムシロップは紅茶を引き立てるためにあるもの。そのまま飲むというのは影に徹するガムシロップへの冒涜でしたわ」
「えっと?」
歯噛みする愛桜。
会音はようやく自分の思いが通じたのかと安心しかけて、
「少々お待ちを! 今紅茶にお入れしますわ!」
シュバッ! と立ち上がる愛桜を見てそれが儚い希望だったことを知る。
「ああちょっと! そんなに要りませんって!」
新たに注いだ一杯の紅茶に5個も6個もガムシロップを入れていく愛桜。
「もうそれ色のついたガムシロップじゃないすか!」
飲みませんよ、と今度こそきっぱりと断られ、紅い髪のお嬢様はようやくガムシロップをしまった。
後に残るのは、誰にも口を付けられることのなかった一杯の紅茶。
「もったいないし、俺が飲もうか?」
『やめた方がいいと思うのだけど。でもこれも経験かしら』
無駄なチャレンジ精神を発揮して激甘紅茶に挑もうとする響斗。
と、そこで甲高い電子音が鳴り響き、紅茶へと伸ばされていた手が止まる。
鳴っているのは響斗が手首に着けている腕時計型の端末だ。どうやら通信が入ったらしい。
「どうした? ………えっ、またか? …………はーい」
渋い顔をして通話を終える響斗。
「面倒くさいなあ……」
「またご指名か?」
「うん」
響斗は拗ねたような様子で答える。
「その様子だと遠出か?」
「そこそこな。移動時間の方が流そうだ。……暇なんだよなあ。寝てると怒られるし」
ぶつぶつと不満を漏らすが、誰も取り合おうとはしない。
響斗は不満気に一声唸って現場へと向かっていった。
「行ってら~」
クレイはひらひらと手を振ってその背中を見送る。
――今のうちに仕事仕事。
雑音を減らして少しでも書類仕事に適した環境を作らねば。
――今日こそ定時に帰ってやる!
そう心に決めてパソコンに果敢に向かっていくクレイ。
愛桜達はまだ話しているが、その声はもう彼の耳には入っていないようだった。
「………」
一方、会音と愛桜は結局飲まれなかった紅茶(という名の糖分)に頭を悩ませていた。
――響斗さんはしばらくお戻りにならないでしょうし、冷めてしまいますわね。
愛桜は普段紅茶には何も入れない。だから普段から甘くして飲む人に譲ろうと考えた。
凌牙さん。甘い紅茶がありますがお飲みになります?」
「何故おれに振る」
関わり合いにならないようにしていた銀髪の青年は不機嫌そうに返す。
「甘いのがお好きかと」
違いましたか? と小首を傾げる愛桜。
凌牙はますます不機嫌そうに、
「限度があるだろ。おれを糖尿病にしてぇのか?」
「とーにょーびょー?」
「……わからねぇならいい」
これ以上このお嬢に言っても無駄だと思ったのか、凌牙はそっぽを向いてしまった。
ではどうしたものかと愛桜が他を見回したところで、今度は内線が鳴った。電話機の近くにいたメアリーが受話器をとる。
「はーい。第二部隊のメアリーですー………え、仕事? してますよー、あたりまえじゃないですかー。……はい…………はーい。伝えますねー」
「何て?」
「なんかー、第五部隊の手が足りないから手伝ってほしいらしいですー」
「マジでか。今日他の仕事も入ってんのに」
クレイの予定では、自分は部屋で書類仕事を続けて、元々あった仕事は愛桜と凌牙に任せるつもりだったのだが、2件となるとそうもいかない。
部屋に残っているのは6人。
人数だけ見れば十分だが、1件につき最低2人、かつ、新人2人だけではまだ行かせられないということを考えると、少々難しい取り合わせだ。
――アイラとリョウガはセットにしときたいし……。
ぐにぐにと悩ましげに眉間を揉むクレイ。
――アイラとリョウガは予定通り元からあった方行ってもらって、センナとエノンはメアリーに………。いや、メアリーじゃ不安か。こんな時に限ってヒビトいないし………。
必要な時にいない緑メッシュの少年に心中で毒づきながら、しばらく考え込むクレイ。
「………よし! これはもう今日はデスクワークするなって言われてんな!」
ぐっと拳を握って大きく頷く。
「クレイさんも出撃するんですかー?」
「おう。というわけでメアリーは留守ば―――」
「えー! ずるいですよー! 横暴ですー!」
クレイの言葉を最後まで聞かず、フライング気味に反論してくるメアリー。
「横暴ってお前」
「わたしも出たいですー! みんな行くのにずるいー!」
「ピクニックじゃねえぞ。それに、一班に4人も要らねえし」
「4人?」
「僕とメアリーとセンナとエノンで4人」
クレイの言葉を聞きながら、メアリーは指折り数えて確認すると、
「じゃあじゃあ、センナちゃんかエノンくんのどっちかがアイちゃんたちと行くのはどうですか?」
「あいつらと?」
「はい! そしたらー、ちょうど3対3ですよ。五分五分です。フェアプレーが期待できますよー」
「僕らで対戦するわけじゃないだろ……」
言いながら、一応は真面目に提案内容を検討するクレイ。
――アイラとリョウガで一人受け持つか……。悪くはねえけど………。
あの二人ももう三年目だ。そろそろ新人の面倒くらい見られると思いたい。
――けどなあ………。
クレイはチラリと件の二人の方を見る。
そして新人二人の方も見る。
――……………………………うん。
クレイは心の中でそっと十字を切った。
「はい注目!」
パンパンと手を叩いて皆の視線を集めると、隊長として各員に指示を告げる。
「さっき電話あったから予定変更な。アイラとリョウガは予定通り港方面のラルヴァの討伐。メアリーは僕と一緒に第五部隊の加勢な」
「はーい!」
メアリーが元気良く答える。望みが叶ったからか満面の笑みだ。
「で、センナは僕らに、エノンはアイラ達に同行してくれ」
「わかりました」
「リョウガ、そっちは頼んだぞ」
「何でおれに言うんですか」
語尾を僅かに上げて凌牙が問う。
その声には、『御守りならアイラにさせとけよ』という不満が込められているが、クレイはさも当然のように親指で愛桜を指して、
「アイラはほら、張り切るとやらかすタイプだろ?」
ならお前のがマシじゃん、とか言ってくる金髪上司に聞こえないように小さく舌打ちする凌牙。
だが隣にいた愛桜には聞こえたらしく、
「何をふてくされているんです? 新人の教育を任せられたということは、わたくし達が先達として認められたということでしょう。良いことじゃありませんか。これに慢心せず更なる高みを目指してこそレディとしての深みが増すというものですわ」
「うるせぇ。おれはレディじゃねぇし、面倒事は御免なんだよ。そもそもお前は何処に向かってんだ」
何度となく繰り返した言葉を口にする凌牙。
だが愛桜はさして気にした様子もなく、
「まあまあ、些細なことではありませんか。気にしすぎると色々と小さくまとまってしまいますわよ」
「色々とって何だ!」
すかさず凌牙が噛みつく。
「言っとくがな、おれが小せぇんじゃねぇ! 手前がデカいだけだ、デカ女!!」
「一言で2回もデカいと言うなんて……。どうしましょう。このままでは語彙力が貧困だと言われてしまいますわ」
「ッ……じゃあ何て言えばいいってんだ?」
「……それはわかりませんわ。自慢じゃあありませんが、わたくしの最終学歴は貴方より下でしてよ」
「じゃあ馬鹿は黙ってろよ!」
ぎゃあぎゃあと騒ぐ先輩を眺めながら、会音は急激な不安を抱き始めていた。
「……あんな仲悪いのにあの二人がペアで大丈夫なんすか?」
「んー、だって仕方ないじゃん? リョウガは超絶な方向音痴だから一人で行かせらんねーし。アイラ以外はびびって続かなかったしさ」
「超絶って……そんなに酷いんすか?」
「ああ。放っとくとこの敷地内で迷子になるからな。だから、ずっとアイラが送迎してる」
「アイラさん……送ってもらう側っぽいのに……」
"じいや"とかいそうなのに。
リムジンはむりでも迎えの車くらいは来ていそうだと思っていたのだが。
そんなことをクレイに言うと、
「いや、普通に自転車で通ってるけど」という答えが帰って来た。
つばの広い帽子を被り、スカートの裾をはためかせながらのんびり自転車をこぐ愛桜を想像してみる会音。
これはこれで、似合っている気がした。バックは湖畔とかが合いそうだ。
それはさておき、視線の先ではまだ幼稚園児のような中身のない言い争いが続いている。
放っておいても埒が明かないと判断したクレイが割って入るが、
「ほらほら、落ち着けって。学歴はみんなそんなに変わらないだろ」
「誰がそんな話しましたか」
凌牙がギロリと睨むような目を向けて言う。
「たとえこいつが数学で100点をとれるような秀才でもおれはこいつを馬鹿って呼びますよ!」
何しろ行動がアホだから! と熱く語る凌牙。
「どっちにしろ論点ずれてんだよなぁ……」
クレイは溜め息と共にそう吐き出して、面倒臭そうに二人を部屋から送り出した。
慌てて後を追いかけようとする会音に、クレイはニッコリ笑顔でエールを送る。
「まあ、その、あれだ。エノン、マジで無事に帰ってこいよ」
重い足取りで部屋を後にする会音に、果たしてその言葉は届いたのか否か。
それを知る者はいないが、少なくともその場にいる皆の心は一つだった。
――不安だ………。




