Act.01 現実世界の裏側へ(1)
なんともやるせない話をしよう。
2089年 日本(?)
ああ、まったく朝からついてないなあ。
紅に染まる異界の大通り。砕けたアスファルトの残骸の上を、足音を立てぬように静かに進む人影が、誰にともなくそう呟いた。
人影は若い男だった。まだ幼さの残る顔立ちを見れば、少年といってもいいかもしれない。
羽織っている朱色のジャケットは、普通の大通りならかなり目立つ代物だったが、周囲の燃えるような赤色と相まって、保護色のように男の存在を曖昧なものに変えていた。
赤。
その色は、辺り一面に蔓延る草木の色だった。
しかも紅葉している訳ではなく、自然の状態でこうである。
空は黄色く、植物は赤く―――目に映る全ての色彩が狂っているが、それもこの場所では『普通』のことだった。
辺りには、ひび割れ風化した廃墟の群が立ち並び、他の人間の気配はまるでしない。
だが、彼はそんなことは気にも留めずに、奇妙な配色のディストピアを迷いのない足取りで歩いていく。
通りをしばらくまっすぐ進んだ後、朱色ジャケットの男は何かに気が付いたように足を止めた。
正面の廃墟の上から、パラパラと小石のような破片が落ちてきている。
視線を上げると、崩れかけたビルの屋上から、巨大な影がこちらを見下ろしていた。
そこにいたのは、現世のどの生き物とも言い難い異形の怪物。
バラバラにした生き物のパーツを適当に接着剤でくっつけてシルエットだけ整えたような、歪な化物だった。
対する男の手には、いつの間にか奇妙な棒状の物体が握られていた。
シンプルなフォルムの、両刃の片手剣。刃も、鍔も、柄も、全て同一の素材で作られたと思しきそれは、雪像のように白く、淡い光を放っていた。
手にした『剣』を構えながら、彼はもう一度繰り返した。
「ああ、まったくついてないなあ―――朝から怪物退治だなんて」
ラルヴァ―――それがこの時代における新たな災厄の名前だった。
ここ数十年、破竹の勢いで世界の脅威というポジションを獲得した人類の敵である。
曰く、自らの棲む異界に生物を引きずり込み、その死体を喰らう怪物。
ある時世界各地で異界に通じる穴を空け、大規模に現世へ侵攻してきたそれは、死者・行方不明者合わせて数千万人という凄まじい記録を打ち立て、一気にその名を世に知らしめた。
―――で、『この世は滅亡し、わずかに残された人類は……』みたいな話ならいっそ格好がついたかもしれないのだが―――そうはならなかった。
大規模侵攻の直後、この事態に逸早く対処したとある企業が、ラルヴァを押さえ込むための結界装置を開発し、人類はその結界を壁のように使うことで、ラルヴァを異界に押し戻すことに成功した。
そうこうしているうちに対策が進み、気がつけば世界は束の間の平穏を取り戻していた。
要するに―――世界はわりかしタフだった。
大規模侵攻の被害が甚大であったのは確かだが、世界はその後も案外変わりなく回っていた。
『災害は忘れた頃にやってくる』―――つまりは、基本的には忘れることができるのが災害である。
それはラルヴァに関しても同様であり、今やそれについて語るとき、『そういえば』と枕詞につけるのが街の人々のデフォルトだ。
喉元過ぎれば何とやら……で、なまじその場しのぎとはいえ解決策が出ているだけに、人々は安心してしまった。
もちろん脅威は去ってなどいない。
大規模侵攻時から開きっぱなしの異界の穴は、結界で塞いでいるだけで、いつ破られるかわかったものではないし、今も各地で新たに小規模な穴が開いたり閉じたりして行方不明者が出続けている。
だからこそ、その脅威に立ち向かう仕事も未だ存在する。
―――たとえ世界が忘れてしまおうとも。
◇◇◇
「どーいうことだよ!?」
三廻部・セキュリティ・サービス―――通称MSSの東京本社にて。
『特務部討伐課 第二部隊 執務室』と、大仰な名前を付けられたさして広くもない室内に、抗議の声が響く。
普通のオフィス同様に、机と、椅子と、そこで仕事をする社員が一セット配置された簡素な部屋の中には、上司の机をバンバンと叩く青年の姿が。
純日本人とは思えない金色の目。薄緑のメッシュの入った黒い髪。右耳にはヘッドフォンのような通信機。青年というか、まだ少年と言っても通りそうな風貌の若い男である。
「そう言われてもな。お前、副隊長の割には仕事してないだろ。ちょっとは貢献しろっての」
そうたしなめられても、少年―――刀儀響斗はまだ不服そうに机を揺らして駄々を捏ねる。
「だからって何で俺が新人の教育係なんだよ! もっと他にできるやついるだろ! 俺だぞ? お前は新人の将来が心配じゃないのか!?」
「おいおい、どんな脅し文句だよ……」
向かいに座っていたクレイ・ローウェルは呆れたようなコメントを返す。
金髪碧眼の、スポーツマンのような外見の青年は、快活そうな印象に合わない達者な苦笑いを浮かべて、
「あのな、教育係に向いてそうなまともな奴らはもう辞めちまっただろ。あと残ってる面子考えてみろよ。リョウガは愛想ないから新人ビビるし、アイラは……ほら、なんかアホの子だし」
「じゃあお前がやればいいだろ!」
「僕は無理。誰かさんがやらないせいで書類仕事が溜まってるからな」
そう言うクレイの机の上には、端末やモニター、紙媒体の書類等が乱雑に散らばり、先程からの揺れで崩れたのか、昼食のパンがその中に埋もれていた。
よく見ればうっすらと目の下に隈ができかけているお疲れモードな隊長にジトッとした目で見られた誰かさんは慌てて目を逸らすと、
「それにしたって、何も俺にやらせなくても……」
「まあまあ、頑張って下さいな、エース殿。…………つーかさあ、どう考えても来たばっかの新人の前でする話じゃねえだろ、これ」
クレイの視線の先には、十代半ばといった年頃の男女が座っていた。
彼らは今年入った新入社員だった。
研修期間を終え、ようやく本配属ということでやって来たはいいものの、『昼休み終わったら紹介するから』と言われて放置された挙げ句、先輩達(予定)が何やらもめ出して何とも気まずい空気にさらされている状態だ。
出されたお茶を飲むふりをしつつチラチラとこちらの様子を窺っている二人を見ながら、幾分声を小さくしてクレイが口を開く。
「ほらどうすんだよ、困ってるぞ?」
「だったら何で来てから言うんだよ!?」
「ウダウダ言われる時間は短いほうがいいと思ってな」
響斗も小声になり、語気だけを荒らげるという器用な真似をしてみせるが、クレイはそれをしれっと受け流すと、話は終わりだとばかりに発掘した菓子パンを頬張りながら、再び仕事に戻ってしまった。
「うぅ……結局押し付けられた……」
「頑張ってくださいねー、ヒビトさん。応援してますからー」
『ザ・他人事』といった調子のテキトーな声援に振り返ると、すぐ後ろに同僚のメアリーが立っていた。
確かついさっきまで、甲斐甲斐しく新人達をもてなしていたはずだが、さすがにこの空気で場を盛り上げるのは難しかったのだろう。早々に退散してきたと見える。
「じゃあちょっと手伝っ
「ああー、忙しいですねー。猫の手も借りたいですー」
ショートカットの髪の両サイドに蝶々のようなリボンを着けた、見た目中学生くらいの同僚は、響斗が何か言い切る前に会話をぶち切って自席へと戻っていった。
響斗は辺りを見回すが、皆(というか新人以外の二人)は、『作業に没頭してます、話しかけんな』とでも言わんばかりに、カタカタカタカタカタカタとこれ見よがしにタイピングをしている。
昼休みなんだからクレイはともかくメアリーは仕事してなかっただろ、とか文句を言ってやりたいところだが、そんなことを言えばクレイに『じゃあ働け』とか言われてしまいそうだ。
誰かに手伝ってもらうことは諦めるしかなさそうだった。
「んー……どうするかな、俺に説明とかできるかなあ。原稿書くとか………間に合わないか………やっぱそうなるか……」
ぶつくさ独り言を(しかも恐ろしいことに会話とほとんど変わらない音量で)言い続ける響斗。
がっくりと肩を落とす少年の頭上を、昼休みの終わりを告げるチャイムの音が通りすぎていった。
◇◇◇
キーンコーンカーンコーン……
お決まりの音階がスピーカーから流れ切り、微かな反響音を残して消えていった。
室内の空気は昼休みから一変、仕事モードに切り替わる―――ということもなく、相変わらず弛緩した時間が流れていた。
「はじめまして。本日付で討伐課第二部隊に配属となりました。千奈・フォンターヌです」
そんな間の抜けた空気を切り裂くように、ハキハキとよく通る少女の声が部屋に響く。
千奈と名乗った少女は、そのままビジネスマナーの教本そのもののようなお辞儀をしてみせた。サイドテールにまとめた柔らかそうな金髪が頭の動きに合わせて揺れる。
しっかりした言動が印象的だが、年はまだ15、16といったところだろう。ややつり目気味の目にキツそうな印象はなく、その整った顔立ちのアクセントとなっている。
「至らぬところは多いと思いますが、誠心誠意努力いたしますので、ご指導ご鞭撻のほど宜しくお願いいたします」
長く固いセリフを一息に言い切って、千奈は再度お辞儀をして一歩後方に下がった。
入れ替わりにもう一人の新人が一歩前に出る。
「や、八谷会音……です。よろしく……お、お願いします」
ぶかぶかしたパーカーを着た、色白の少年だった。ただしその白さは、横にいる千奈の西洋人形のような白さとは違い、あまり日に当たっていないような不健康な青白さを含んでいる。
よほど緊張しているのか、長めの茶髪の下では落ちつきなく目が泳いでおり、一瞬の沈黙にすら耐えられないといった様子で「あの…えっと……」などと、酸欠の金魚のように口をパクパクさせていた。
「エノン……なんか外国っぽい響きだけど、ヤタガイ……日本語? かな……」
落ち着かない会音の様子を見兼ねて話を振った―――という訳でも無さそうに、響斗は心中の疑問を口に出す。
「え、あ……日本語っす。あの……漢数字の八に谷って書いて……」
「え? ………ああ、そっか、なるほど」
話しかけられたと思って律儀に返答してくれる会音。
しかしどうやら響斗のほうには、先程の疑問を声に出した自覚がなかったらしい。
いきなり自分の心の声に返答された形になって―――よくあることなので彼自身も何も指摘しないが―――一瞬言葉を詰まらせる。
「……?」
「二人とも! 第二遊撃部隊にようこそ! 僕は隊長のクレイ・ローウェル!! はい、ヒビト挨拶!!」
響斗の反応の不自然な間を誤魔化すように、やや食い気味に話し出すクレイ。
「えっ!? あっ、俺は刀儀響斗。で、あっちにいるのがメアリー。よろしくな」
「メアリー・クロフォードですー。仲良くして下さいねー」
突然の命令に面食らいながらも、響斗、そしてメアリーが順に挨拶を終えた。
「うちにはあと二人メンバーがいるけど、今は出かけてるからまた今度な」
クレイは隣でぼーっと突っ立っていた響斗を軽く肘で小突く。
説明を代われという意味らしい。
「え? ……ああ、あー…えっと……次は何すればいいんだっけ……?」
慌てて口を開く響斗だが、何を言えばいいかさっぱり思い付かない。
見切り発車もいいとこである。
「………え? ………ああ、そうだな。案内……案内な」
不意に一人で納得して、新人二人に部屋を案内する響斗。
「………で、あの辺りが給湯スペースな。コーヒーとか色々あるから好きに使ってくれ。……こんなもんかな。………だよな、でも何話したらいいんだ? ………そうしたいけどさあ…………」
相変わらずの音量で、自問自答(?)を繰り返す響斗。
一人で話して一人で頭を抱えている。
耳元の通信機のおかげで誰かと話しているように見えなくもないのだが、違和感を完全に拭えるほどの効果があるわけでもない。
――やっぱ、いきなりヒビトに応対させるのは無理があったか……?
周囲に『?』を漂わせる新人達を横目に、クレイは静かに溜め息をつく。
――けどなぁ……猿轡噛ませる訳にもいかないし……。
ヤツの独り言は今に始まったことではない。
正直慣れてもらうしかないのだ。
熱湯に放り込んだら暴れるカエルも、水から暖めれば逃げることなく茹であがってくれる。
今の水温は少々温かいようだが、まあ仕方がない。
そんなことを思い浮かべつつ、クレイは新人達の背後にそっと移動すると、
「二人ともあんま気にすんな。あいつ独り言多いだけだから。とりあえず発言は8割方聞き流しといてくれ」
「おい、クレイ! なんか人聞き悪いぞ!」
小声で耳打ちしたつもりだったのだが、ばっちり聞こえていたらしい。
「これも聞き流していい内容な」
無駄に耳が良い思考駄々もれ野郎の文句を軽く聞き流すと、クレイは再び仕事の山に帰っていく。
「まったく……。はいはい、大人しく貢献しますよっと」
響斗は少しふてくされたようにそう言うと、なおも困り顔の後輩達に何かしらの説明をしようと口を開く。
口を開いて。
開いて、説明。
……………………………………。
……何も出てこなかった。
「あー、えっと……」
響斗は助けを求めるような目でクレイを見るが、苦笑いしか帰ってこない。
「えっと…えっと……どうしよう?」
ついに虚空に向けて問い始める響斗。
「あー……そうだ! 今日は美味しいクッキーとかもあるんですよー。食べます? 食べますよねー。新人ちゃんたちの心を掴むべく胃袋にアタックなのです」
さすがにいたたまれなくなったのか、メアリーが話題を切り替えるが、時間稼ぎにしかならなさそうだ。
サクサクサクサクとクッキーを噛る音だけが響く。
気まずい沈黙の中、クレイは壁に掛けられた予定表へと視線を移す。
そして、そこに書かれた内容が、自分の認識と相違ないことを確認して、
「……ヒビト、ゲート付近のザコ片付けるやつ、あれ今日行く予定だったよな?」
「ああ、そういえばそうだっけ」
「この二人も訓練はしてるだろうし、一緒に連れてってやれよ」
「いいのか?」
「どうせもう話すネタとかないんだろ? 連れてって実戦でその都度説明するとかのほうがまだいい気がするしな」
疑問形ではあるものの、すでに乗り気な様子の響斗の言葉に、クレイは軽く肩を竦めて言う。
「そっか。わかった」
「じゃ、決まりな」
響斗が頷くのを確認して、クレイは今度は千奈と会音のほうに向き直ると、
「二人とも、ちょっといいか?」
「あ、はい」
「実際にやってみた方が覚えやすいだろうから、こいつと一緒に任務に行ってもらおうと思うんだ」
「任務、ですか?」
唐突な指令に戸惑う二人に、金髪の青年はニヤリと笑って、
「内容はゲート付近のラルヴァの掃討な。細かいことはこっちでやっとくから、準備ができ次第取り掛かってくれ」