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Act.18 模造世界のピーターパン(3)

 真っ白だ。

 ぼやけた視界は一面が霧がかかってるみたいに白い。

「………」

 意識がだんだんはっきりしてくる。

 ああ、なんだ。これ天井の色か。よく見たらわりとくすんでるなあ。

響斗(ひびと)!? 起きたんか!? 俺がわかるか!?」

 この声……トウカか?

 何か久しぶりに聞いた気がする。

「……トウカ? あれ? そういえば、ここは……?」

 辺りを見回すと、そこは施設内のいつもの病室だった。

「そっか、俺運ばれたのか。……あれ? でも俺、死ななかったっけ?」

 だんだん記憶もはっきりしてきた。

「そうだ。腹に剣刺さって……血が……でも………」

 体はどこも痛くない。起き上がって触ってみても、どこにも傷なんてない。

 もう治ったのかな。

「なあトウカ、これって………ん?」

 トウカは何か困ったような顔で固まっていた。何を言おうか、どうきこうか、迷っているときの顔だ。

「トウカ? どうしたんだ?」

「響斗……何が、あった?」

 珍しく質問に質問で返された。

 何がって言われても、俺もそれをきこうとしてたんだけど。

 何て答えようかと目を泳がせていると、壁に掛けられていた鏡が目に入った。

 そこには、見慣れたはずの自分の顔が映っていた。

 でも―――

「えっ? あれ? 何で……」

 俺は思わずベッドから身を乗り出していた。

 髪がところどころ薄い緑色になっている。目も、元は黒かったのに、今は金色に変わっていた。

 そっか、いきなりイメチェンしたみたいになってたから、トウカは驚いてたのか。

「………ん?」

 ()()に……()………?

 急に嫌な予感がした。

 何か、取り返しのつかないことが起きてしまったような―――

 馬鹿げた想像だと思った。

 だけど、忘れるはずがないその色が、どうしようもなく不安にさせる。

「響斗? あっ、おい無理すんな! お前二週間も寝とったんじゃから……」

 止めようとするトウカを押し退けて、俺はベッドから立ち上がった。

「探さないと……」

 ライリーを、早く探さないと……。

「おい、待て! どこ行くん!? 響斗!?」

 驚くトウカを病室に置いて、そのまま廊下に出た。

 そうだ。早く行かないと。

 いつものあの場所に。

 ライリーが待ってるあの場所に―――


 薄暗い廊下をひた走る。

 途中で何人かの仲間とすれ違って驚かれたけど、廊下にはほとんど人がいなかった。

 ペタペタという足音がいやに大きく聞こえる。

 そういえば靴を履いてくるのを忘れた。

 足の裏が冷たい。でも、戻ってなんていられない。

 急がないと。

 ……にしても、二週間も寝てたっていうわりには、体は(なま)ってないみたいだ。

 むしろ体が軽い。

 全力で結構走ってるのに、まだ息切れもしてない。

 なんでだろう。まあいいか。


 ◇◇◇


「……ったく、なんなんだ」

 何がどうしてこうなったかもわからぬまま、二週間も生殺し状態で散々心配させられたというのに、いきなり起きたと思ったら、今度は病室を飛び出して行ってしまった。

 緩急が激しすぎる友人の状態に、大きな大きな溜め息をつく灯和(とうか)

 ――何か久々じゃな……。

 そんな呑気なことを考えている自分に少し呆れる。

 ――って、こんなことしとる場合じゃないか。

 よくわからないが、まずは響斗を追うことが先決だろう。

『探さないと……』

 そう言っていた。

 となれば、

 ――行き先は……あそこか。

 脳内で最短ルートを2、3秒シミュレーションし、灯和は黙って窓枠に手を掛けた。


 ◇◇◇


「あれ? おかしいな……」

 室外機とかが置いてある、湿った感じの建物の陰。

 昔はただうずくまるために、ライリーと会ってからは待ち合わせのために、何度も通い続けた秘密の場所。

 だけど今日は、呼び掛けてもゲートが開かない。いつもライリーがゲートを開けて待っていてくれた室外機の裏には、普通にこけの生えた壁があるだけだった。

「なんでだろう。ライリー、どこかに出かけてるのかな……?」

 待ち合わせもせずにいきなり来たから近くにいなかったのかもしれない。

「でも…今までは何回か呼んだら来たのに……。まさか、ライリーにも何かあったんじゃ………」

 そう思うとまた不安になってきた。

「ライリー? いないのか?」

 もう一度呼ぶ。

 返事はない。

「出てきてくれ! ライリー!」

 だんだん声が大きくなる。

 誰かに聞かれたらまずいんだろうけど、そんなこと気にしていられなかった。

「なあ、頼むよ!! 返事してくれよ!! ライリー!!」

 どれだけ呼んでも変わらなかった。ライリーの返事はないし、ゲートも開かない。

 聞こえて来るのは、湿った壁に反響した自分の声だけだ。

「なんで……」

 もう不安に押し潰されそうだ。

 ただ姿が見えない、それだけなのに。

 何かあったと決まった訳じゃないのに。

 なのに、どんなに自分に言い聞かせても、視界がにじんでいくのを止められない。

「どうして……」

「響斗! やっぱりここか!」

 突然の声に肩が震えた。

 急いで目をこすって振り向くと、路地の入口にトウカが立っていた。

 急に出ていったから追いかけてきたらしい。あちこちに葉っぱとか枝とか付いてるけど、どこを通ってきたんだろう。

「トウカ、ライリーがどこ行ったか知らないか? 呼んでも返事がないんだ」

「それは……」

 トウカは何か考えるみたいに少し黙って、

「……実は、ここしばらく連絡がとれとらん」

「し、しばらくって……」

「ちょうど、お前が運ばれたあたりからじゃな。だからお前なら何か知っとるかと思ったんじゃけど……違うみたいじゃな」

「そんな……」

 不安がますます大きくなる。

 探さないと。

 その思いだけが頭の中を埋め尽くす。

「おい待てって!」

 いてもたってもいられずに駆け出そうとしたところで、トウカに腕を掴まれる。

「放せよ! 探しに行かないと……」

「どこに?」

「それは……でも………」

 そんなことわからない。

 でも、だけど……。

 その時だった。


『――――』


 不意に、声が、聞こえた気がした。

 懐かしい、待ち望んだ声。

 だけど、周りを見回しても姿は見えなかった。


『ヒビト、こっちよ』


 今度ははっきり聞こえた。

 言われた通りに声のした方を見上げると、俺の頭の少し上くらいに、ライリーが浮かんでいた。

 どうして飛んでるのかとかは今はどうでもいい。

 とにかく、今すぐに彼女を抱きしめたい。

「ライリー! 無事で良かっ―――あれ?」

 だけど―――抱きしめようと伸ばした手は、ライリーの体をするりと抜けてしまった。

「あれ? えっ!? 何で……?」

 何が起こっているかわからず何度も手を伸ばす。でもそのたびにすり抜けてしまって、何にも触れられない。

 まるで、ホログラムに触ろうとしているみたいに、まるで手応えがない。

 そして今さら気がついた。

 宙に浮かぶライリーの体が、ぼんやりと()()()()()ってことに。

「ラ、ライリー? これ、どうなって……」

 ライリーは何も言ってくれなかった。

 ただ申し訳なさそうに、寂しそうに微笑むだけだった。

「トウカ、これって……」

 呆然と問いかける俺に、トウカは何か得体のしれないものを見るような目を向けて、

「………響斗、お前―――」


()()()()()()()()


「え……?」

 背中を嫌な汗が伝う。

 何でそんなことを聞くんだろう。

 予想できるはずの答えに気付かないふりをして、俺は頭の中を無理やり疑問符で埋めた。

 そしてもう一度、宙に浮かぶライリーを指差して言う。

「いや誰とって、ライリーだよ! ほらそこにいるだろ!?」

「響斗……()()()()()()()

 トウカは慎重に、一言ずつ区切るようにして言った。

 冗談には聞こえなかった。

 それでも信じられなかった。

「……は? いや、何言ってんだよ。ここだって!」

 自分でも、今どんな表情でいるのかわからない。

 もうわかっているはずだった。

 ライリーが、()()()()()()()()()()()

 だけど、そんなはず……。

「トウカ、何ふざけてんだよ! ライリーも、何で黙って……」

「響斗!」

 なかなか聞かない強い口調に、思わず息を飲む。

 トウカは、まだ悪あがきを繰り返す俺の肩に手を置いて、もう一度諭すように繰り返した。

「……俺には、見えん」

「な、何でそんなこと言うんだよ。何なんだよ!説明してくれよ!」

「落ち着け! ……頼むから」

 その言葉に、俺はもう黙るしかなかった。

 もう……どうしていいかわからなかった。


 ◇◇◇


 さて、どうしたものか。

 ひとまず自室に戻った二人の間には、何とも言い難い沈黙が流れていた。

 早く病室に戻らなければ、見回りに来た研究者に驚かれそうなのだが、ああも取り乱した状態の響斗を連れて戻っても要らぬ心配をかけるだけだ。

 そう考えた灯和は、響斗を一旦落ち着かせようと、こうして自室に連れてきたのだが、

「……少しは落ち着いたか?」

「……ライリーは…いるよ……。なんで、信じてくれないんだよ……」

 響斗は先ほどのように(わめ)きこそしないものの、目に涙さえ浮かべかねない様子でずっとその主張を続けている。

 しかしどんなに説明されたところで、灯和にはライリーの姿は見えなかった。

 まるで灯和のついた嘘こそが真実であったかのように、初めから『ライリー』という存在が空想であったかのように、灯和にはその気配一つ感じられない。

 ――どうする……? 周りから見りゃあいつもと変わらんでも、さすがに危ないか?

 何せ二週間も昏睡状態だったのだ。目を覚ましていきなり見えない何かと会話するようになっていたら、さすがに後遺症を疑われる気がする。

 ライリーのことがバレても困るし、なるべく大事にはしたくないところだ。

 一方、響斗は頭を抱える灯和には目もくれず、斜め上の辺りを見つめている。

 灯和にとっては―――おそらくは響斗以外の誰にとっても虚空であるはずのそこに浮かぶのは、愛しい愛しい緑髪の少女。

「ライリー……」

『ごめんなさいね』

 寂し気な微笑を浮かべて、ライリーはその言葉だけを繰り返す。

「そこに……いるよな? 幻覚なんかじゃないよな?」

『ええ、いるわ』

「だよな。でも灯和は…どうしたら信じてくれるんだろう」

「………」

 ライリーはそれには答えなかった。

 いや、答えられなかった。

 彼女とて、今の状況を正しく説明する言葉は持っていなかったのだ。

 だから、彼女は答える代わりに、その白い手を響斗の方に差し出した。

「……?」

 反射的にその手をとろうとする響斗。

 当然のごとく空を掴んだその手が、半透明に透けた少女の手がある場所に重なる。

 次の瞬間、まるで自分の中身がごっそり抜け落ちたようなひどい脱力感が少年を襲った。

 戸惑う響斗の目の前で、緑髪の少女に変化が起こる。

 半透明だった体に色彩が戻り、その存在の密度が徐々に増していく。向こう側に透けていた壁の模様が消え失せ、少女の姿がくっきりと部屋の中に浮かび上がった。

 響斗はぽかんと口を開けたまま、伸ばした手を開いたり閉じたりしてみる。

 が、やはり触れられないままだった。今はライリーの姿がはっきりと見える分、余計に奇妙な感覚がした。

 ライリーは自分の手を響斗の手に重ねたまま、長い髪をふわりとなびかせて灯和の方を振り向くと、

『トウカ、これで見えるかしら?』

 と、認識出来ないはずの少年に向けて呼び掛けた。

「? 何が見え……うおッ!?」

 声に対して振り返る灯和。

 その反応が意味するものは―――

「良かった。今度はちゃんと見えるみたいね」

「ライリー!? お前どこから……」

 安心したように微笑むライリーの言葉を頭の中で反芻(はんすう)して、灯和は確認するように口を開く。

「……響斗の言うとおり、最初からおったってことか?」

「ええ」

「……マジか」

 正直なところ、半ば本気で幻覚を見ていると思っていた。響斗にはちょっと悪いことをしただろうか。

 ――いや日頃の行いか。

 そうは思ったが一応謝っておこうかと、響斗の方に視線を移すと、彼は床に膝をついて、少し苦しそうにしていた。

「どうした? 大丈夫か?」

「ああ。なんか、力が入らなくて……」

 (うつむ)いたまま答える響斗。さっきよりも明らかに血色が悪くなった肌には、うっすらと汗が(にじ)んでいた。

 ライリーが認識出来るようになったかと思えば、今度は響斗が調子を崩している。無関係ではないのは考えるまでもないが、何がなんだかさっぱりだ。

 灯和は二人の顔を見比べて、何度目かの問いを投げ掛ける。

「一体、お前らに何があった?」

「それは…」

 ライリーが何か言いかけたところで、


「鍵くらいかけたらどうだ?」


 明らかに、知らない大人の声が会話に割り込んだ。

 背筋に氷柱を押し当てられたような鋭い悪寒に、灯和は全身が粟立つのを覚える。

 恐る恐る背後を振り返ると、一体いつの間に入ってきたのか、入口のドアの前に白衣を(まと)った男が立っていた。

 年は30代後半といったところだろう。白髪がまばらに混じる塩昆布のような蓬髪(ほうはつ)に、リムレスの四角い眼鏡。

 研究に没頭して部屋から出てこなくなるタイプの研究者、といった出で立ちの男は、扉に背中を預けたまま、無表情でこちらに視線を向けている。

三廻部(みかるべ)さん……どうして………」

 灯和の問いに白衣の男―――三廻部・セキュリティ・サービスの社長、三廻部孝秋(たかあき)は薄い笑みで応じると、さも当然のように言う。

「ここは私の施設。盗聴器くらい仕掛けるのは容易い」

「な、何でそんなものを……」

「あれだけ不審な行動をとっていれば監視もする。気付かないとでも?」

「それは……」

 確かに、上手くいきすぎているとは何度も思った。響斗がライリーについてうっかり口走っていない保証は全く無いし、そもそも頻繁に姿を消していれば怪しまれて当然だ。

 仲間達は誤魔化せても、研究者達がそれに何の反応も示さないことには疑問をもつべきだった。

 ――泳がされていた? 何のために?

 青ざめる灯和に、三廻部は淡々と更なる事実を語り続ける。

「まずは検査からわかったことを。刀儀(つるぎ)響斗君」

「えっ? 俺?」

 不意に話し掛けられた響斗が、慌てて顔を上げた。

「君の体は最早ラルヴァの()()だ」

「「は?」」

 抑揚のない声で告げられた現実に、間の抜けた声がきれいにハモる。

 そのことを知っていたライリーだけが、申し訳なさそうに目を伏せていた。

「……ど、どういう、ことですか?」

 呆然と尋ねる灯和に、三廻部は出来の悪い生徒に説明するときのような表情で言う。

「君達は、ラルヴァが何故生物の屍を取り込むか知っているか?」

「その生物の持つ情報を取り込むため、ですか?」

 それは、この施設にいれば幾度となく聞かされた模範解答。いまさら疑問を持つことすらない、刷り込まれきった常識。

「そう。では、屍でなければならない理由は?」

「………」

 答えられず黙り込む灯和を当然だというように眺めながら、三廻部は話を続ける。

「答えは、"処理が追い付かないから"だ」

「処理?」

「成長や老化、環境への適応。生物は常に変化し、新たな情報をその身に蓄積する。中でも思考するということは、大量の情報を生み出し続けることだ」

 何をしたかだけでなく、何を考えたかも記憶には残る。

 未来を予想し、空想で遊び、曖昧な感覚を言葉にし、物事の理由を得る。

 そこに無かったものを生み出す。

 それが出来ることがここでは意味をもつ。

「だから奴らは人間を襲いたがる。ラルヴァにとって我々は、膨大な情報を持つご馳走だ」

 ただし、と三廻部は一度言葉を切って、

「それが、揮発性のどれほど無意味な情報であっても、奴らは選り好みは出来ない。ラルヴァは屍しか取り込まない。それは次々送られる情報に処理が追い付かず、自身を構築しているものが上書きされるのを、本能的に避けるからだ。そのラルヴァはそれを利用して、わざと君に体を明け渡した。君の情報を改変しないために、自身の持つ情報とは統合しなかった。そのおかげで自我が残ったと考えられる」

『ずいぶん詳しいのね』

「研究の成果、とだけ言っておく」

 感心したようなライリーの言葉に短く返答して、三廻部は再び灯和の方に向き直る。

 わかったような、わからないような、そんな表情で(うな)る灯和。

 ちなみに響斗は既に理解するのを諦めて、校長先生の話を聞く小学生のような顔でぼーっとしている。

 白衣の研究者は難しい話をしたかな、という表情で(あご)に手をやると、ひとまず話をまとめることにした。

「意思の力は君達が思っているよりずっと強い。―――とりあえずそれだけ覚えておくといい」

「……、………」

 灯和はしばらくの間何か言いかけてはやめを繰り返していたが、やはりこれだけは訊いておかねば、と口を開く。

「響斗は……ライリーが再現してるだけって訳ではないんですね?」

「本人と言っていい。体の所有権は現在彼にある。いわば、一つの体を共有している状態」

「あいつは……元に、戻れるんですか?」

「刀儀君の肉体が既に消滅している以上、難しい。あくまで、現状では」

「そう、ですか……」

 生きて帰って来ただけマシだと喜ぶべきなんだろうか。今一つ人間辞めた感じの説明なのが気になるのだが。

「本題に入ろうか。我々の目的は知ってるな」

「ラルヴァを倒すこと、ですか?」

「それもある。だが、最重要は事態の収束。その為の研究。それには、ラルヴァや転界に関する多くの研究材料(サンプル)が必要になる」

 無機質な声は続く。

「中でも、進化の極致たる人型は貴重。()()()()()()()()()()

「響斗を……モルモットにでもする気ですか?」

 語尾が、僅かに震える。

 対する三廻部の返答はやはり淡々としていた。

「今更だ。檻が少し狭くなるだけだろう?」

 無機質で平坦なその声には、それまでと同じく何の感情も込められていないように聞こえた。

 灯和は衝動的に殴り掛かりそうになる自分を押さえる。

 この場の主導権は明らかにあちら側にある。自らの命運を相手に握られている以上、滅多なことは出来ない。

 故に、面と向かって睨み付けることすら出来ず、灯和は黙って床を見つめるしかなかった。

 ――どうする……どうすれば………。

 このまま、黙って響斗を引き渡す訳にはいかない。

 あの言い方からして、連れて行かれれば人間として扱われるかどうかすら怪しい。

 そんなところにみすみす友人を行かせる訳にはいかない。

「だが―――」

 袋小路の少年に、白衣の男は感情の無い声で告げる。

 心を(むしば)む、甘い毒に満ちた選択肢を。

「君に制御が出来るなら、今まで通りの扱いにしてもいい」

「制御……とは?」

「そのままの意味だ。暴走させず、裏切らせず、秘密を守らせろ。それが出来るなら―――君の命も保証する」

 当たり前のような言い種に、灯和は妙に冷静に納得する。

 ――……ああ、そうだった。

 響斗は今や極秘にしておきたい貴重な実験材料だ。

 事情を知るのは、今この部屋にいる人間のみ。

 秘密を守らせたいということは、三廻部は他の研究者達にも内密にしたいに違いない。

 そして、少しでも漏洩のリスクを下げるには、知る者は少ない方がいい。

 よって―――灯和を生かしておく理由などない。

「……何の得があってそんな提案を?」

「二つある。一つ、閉じ込めていては収集し難いデータがある。二つ、"枷"は多いほうがいい」

 おそらくは、後者の理由の方が大きいのだろう。

 未だに謎多き存在であるラルヴァ。しかも異能持ちの人型ときている。

 今は響斗の意識が表に出ているとはいえ、いつラルヴァとして人を襲うかもわからないのだ。用心するに越したことはない。

 つまり、響斗という爆弾を暴発させないための()()()()が欲しいわけだ。

「断れば……どうなるんです?」

「ラルヴァを野放しには出来ない。ラルヴァを匿った裏切り者もな」

 断られて困るのは向こうも同じはずだ。

 だから他に選択肢を無くしてからこんな提案をしている。

 それがわかっていても、どうすることも出来ない。

 こうなった時点で詰みなのだ。

 ――くそっ……最悪だ。

 灯和が裏切れば、響斗は実験材料(モルモット)として幽閉されてしまう。

 逆に、響斗が暴走すれば、用済みとなった灯和は口封じのために裏切り者として消される。

 逃げたり死んだりした場合も同様だ。

 つまりは、互いが互いの人質状態。どちらかに何かあれば、両方が破滅する図式。

 灯和は目だけを動かして、友人の方を見る。

 響斗も、ライリーも、状況がよくわかっていないのか、きょとんとした眼差しでこちらを見ている。

 選択権は灯和にしかないようだ。

 ――お前のことでもあるんじゃけど……。

 こうなると、諸々の感情を通り越してもはや呆れてくる。他人事のように首を傾げる友人に、お前のせいだと言ってやりたいところだが、向こうも向こうで尊厳とかがかかっているのだから、自分だけ不幸だとも言い難い。

 幽閉と処刑と、どちらがマシかなどわからないが。

「…………わかりました」

 もう腹を決めるほかない。

 美冬を含め、沢山の人に生かされてきた。

 このまま何もせずに死ぬわけにはいかない。

 それに、ただ一人残された友人が冷たい檻の中に閉じ込められるのを見過ごすことなど出来ない。

「賢い」

 絞り出すような返答に、三廻部は満足そうに(うなず)くと、

「検査の結果は隠蔽した。職員には疑問に思う者もいるだろうが、こちらで誤魔化しておく」

「ありがとうございます」

「礼には及ばない。こちらは貴重な研究材料(サンプル)を独占出来る」

 そう言って、白衣の男は顔に薄い笑みを貼り付ける。

「では、怪しまれないうちに病室に戻ることだ」

 念押しなどは特にすることなく、あっさりと退室していく三廻部。

 その姿が扉の向こうに消えるのを確認して、灯和はへなへなと床に座り込んだ。

 緊張の糸が切れて、一気に疲れが押し寄せる。もう動くのも億劫(おっくう)だ。

 後ろを見遣ると、そこには未だにきょとんとした様子の友人の顔が並んでいた。

 自分達の置かれた状況など、さっぱり理解していなさそうな能天気な表情を見て、灯和は深く深く深く溜め息をつく。

 まずは、今の話を響斗に説明するところから始めなければならないようだ。

 項垂(うなだ)れる少年の頭の奥で、ゴングは再び鳴り響く。

 以後10年以上続くことになる、長い長い延長戦の始まりだった。


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