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Act.17 模造世界のピーターパン(2)

 血の海に沈む響斗(ひびと)の元に、ラルヴァが少しずつ近づいていく。放っておいても彼はじきに死ぬだろうが、それすら待ちきれないとでもいうかのように、怪物は瀕死の獲物の頭上に長い鼻を振り上げる。

 しかし、それが振り下ろされることはなかった。

 何故ならば―――


 パチンッ という小さな破裂音と共に、メロンをスプーンでくり抜くように、怪物の体のあちこちに丸い穴が穿たれたからだ。


「――――――――――!!?」

 不協和音じみた絶叫。

 それが鳴り終わるよりも先に、怪物の体に更なる穴が増えていく。まるで、周囲の空間そのものが殺意をもって怪物を食い千切っているかのように。

 喰い残しの残骸がバラバラと地面に落ち、溶けるように霧散していく横を、薄緑の影が走り抜ける。

 その影は少女の姿をしていた。

 腿まである薄い緑色の髪に、黄金の瞳。陶磁器を思わせるなめらかで白い肌が覗く、踊り子のような白い服。

 少年が死に際に見た幻覚などでなく、彼女は確かに今、この場に存在していた。

「ヒビトッ!」

 ライリーは崩れゆくラルヴァの破片などには目もくれず、真っ直ぐに少年の元へと駆け寄った。

「ヒビト! お願い、しっかりして!」

 しかし、いくら呼んでも返事は無かった。

 ただ、(かす)かに―――気のせいのような呼吸が聞こえるだけだった。

 ――まずいわね……。

 ライリーは自らに蓄積された知識を総動員して考える。しかし、記憶の端から端まで探しても、目の前の少年の傷一つ治す方法が見つからない。

 ますます弱まっていく少年の呼吸を聞きながら、少女はただ呆然とするしかなかった。

 ――どうしよう、ヒビトが……。

 ラルヴァであるライリーにとって、人の死とは、ただ食事の前段階でしかなかった。

 でももう今は違う。

 人を知り、関わり、愛してしまった彼女はもう、身近な者の死を前に怯えるただの一人の少女でしかなかった。

 ――嫌……私はあなたを………。

『俺はライリーになら喰われてもいいかなあ』

 いつだったか、響斗が言った言葉。このまま彼が死んだなら、自分にそれが出来るだろうか。

 響斗がここにいた証を消したくない。

 でも、そのまま朽ちさせたり、他のラルヴァに喰わせてしまうくらいなら―――

 ライリーは震える手で少年の蒼白な肌に触れる。その体はまだ温かく、(わず)かだが脈も感じられた。

 まだ息はある。

 だが、いつまでもつかなど検討もつかない。

 それならいっそ、苦しみを長引かせるよりは―――


「…………………できない……」


 出来るはずがない。

 もはやライリーにとっての世界は、響斗や友人達と過ごした、あの日溜まりの中だけだったのだから。その中心である少年の存在を自らの手で終わらせることなど、出来る訳がない。

 もう目を背けてしまいたかった。

 愛する人間が息を引き取るのを待つことしか出来ない。それは彼女にとって、地獄に等しい時間だった。

 何故ならば、少年を取り込むにしても、死体でなくては―――

 ――……………?

 ふと、思う。

 生物の屍を取り込むのは、ラルヴァの本能だ。

 その本能故に避けていたことだが―――生きたままの人を取り込んだらどうなるのだろう。

 取り込むのがその()()だというのならば、


 ――もしかしたら、響斗の意識とかいったものを残すことが出来るかもしれない……?


 それは、ただの思い付きだった。

 確証なんて何もない、酷く確率の低そうな賭け。

 しかし少女はそこに全てを賭けることにした。

 自分自身の存在さえも含めて。


「ヒビト、やっぱり私、諦めたくないみたい」

 仮にこれで失敗したら、これは心中になるのだろうか。その場合、屍から取り込んだ情報によって形成された自我しか持たない自分に、あの世というものはあるんだろうか。

 一瞬そんなことを思ったが、それ以上考えるのは止めた。

 今度は一刻を争うのだ。無駄なことを考えるのは止そう。

 それよりも、

 ――成功しても、失敗しても……これが最後かもしれないのよね。

 ライリーはもう一度響斗の頬に手を伸ばす。触れた肌の温もりは、いつもよりは温かくなかったが、それでもいつもと変わらない安らぎをもたらしてくれた。

 ライリーはそれを噛み締めるように、二度、三度と撫でると、ゆっくりと静かに息を吐いた。

 少年の腹に刺さっていた剣を抜き、邪魔にならないように横合いに放る。

 そして傷口を広げないようにそっと抱き起こすと、細い両腕を回してぎゅっとその体を抱き締めた。

 その温もりを離さないように。

 何一つとして零れ落ちることのないように。

 強く、強く―――


「ヒビト、ごめんなさいね。………愛してるわ」


 少女の体の輪郭が揺らぐ。

 そして―――



 ◇◇◇


施設内


 体の中心にぽっかりと穴が空いたような気分のまま、灯和(とうか)は何をするでもなくベッドに横になっていた。

 体の怪我はもう完治している。が、気力の方は未だ戻る気配がない。

 一ヶ月。

 その期間が長いのか短いのか、もはや灯和にはわからない。

 こうして自室に引き(こも)るようになってから、響斗は任務の合間を縫っては、様子を見に部屋に戻ってくるようになっていた。

 そして少しでも灯和の気分を(まぎ)らせようと、あらんかぎりの話題で口を動かし続ける。

 たとえ灯和の反応がなくとも。

 独り言を言うのは得意分野だとでもいうように。

 申し訳ないとは思う。でも、どうしても相手をする気分にはなれなかった。

 それどころか、何もする気が起きなかった。

 ――俺が死なせた。

 ――守るはずだったのに。

 頭の中にあるのはずっとそればかりだ。

 遺体が見つからなかったからといって、希望を持つことなど出来はしなかった。ラルヴァに襲われて遺体が残ることなどまず無いのだから。

 ――また……俺は生かされた。でも、もう………。

 初めて見た、ライリー以外の、人型のラルヴァ。やつが美冬(みふゆ)(かたき)なのはまず間違いないだろう。仇を討つべきなのかもしれなかったが、そんな気力はもうどこにも残っていなかった。

 それが残っていたならば、今こうして塞ぎ込んでなどいないのだから。

 そうして、考え事をするでもなく、さりとて眠るでもなく、ただ時間を消費しているだけだった灯和の意識に、ある音が入ってきた。

 それは、部屋の扉を外からノックする音だった。ドアを破壊しそうなほどに激しいその音は、"叩く"とか"殴る"という表現が正しいかもしれない。

 扉の向こうの誰かはこちらの応答を待たず、乱暴に扉を開けて中に飛び込んできた。

 入ってきたのは実験部隊に所属する仲間の一人だった。とりあえずベッドから起き上がった灯和は、未だ夢の中にいるかのような虚ろな眼差しを客人に向け―――

 そこでようやく、部屋を塗り替えるただならぬ空気に気が付いた。

 真っ青な顔をした少年は、震える声を隠そうともせず、響斗の班が壊滅した、ということを告げた。

「…え…………?」

 声の出し方すら忘れてしまったかのように、喉からはそれ以上の言葉は出てこなかった。

 空いたままの体の穴に、冷たい風が吹き込んだような、嫌な感覚がした。

「今、ヒビトは回収されて、先生達が診てるけど……。でも、他のやつらは……多分………」

 続きの言葉が発せられることはなかった。

 だが、内容は容易に想像出来た。

 彼は歯を食い縛り、血が(にじ)むほどに強く拳を握り締めている。

 呼吸すら躊躇(ためら)われるような重い沈黙の中―――ようやく、十六原(いさはら)灯和はここが現実なのだと思い知った。


 ◇◇◇


施設内 ???


 そこは、書斎というにはあまりに乱雑な、物置とでも呼ぶべき狭い部屋だった。

 床を埋め尽くす段ボールと資料の山。書庫と見紛うような圧迫感のある棚に、埋もれるようにして置かれたスチール製の事務机。窓は暗幕のような分厚いカーテンに覆われ、部屋の中からでは昼夜の区別すらつかない。

 薄暗いを通り越して普通に暗い室内の唯一の光源は、今やなかなかにレア物になった、白熱電球の卓上照明。ぼんやりとした頼りない光が闇を切り取り、傍らに座る男の顔を柔らかく照らしている。

 そこは彼の城だった。

 いや、()と言ってもいいかもしれない。他を意識せず、自分の世界に没頭出来る空間は、たとえ空かずの間だとか言われようと居心地の良い場所だった。

 キィキィとキャスター付きの椅子を軋ませながら、男は手に持った紙束を熱心に(めく)り続けている。

 そして、あるページでふと手を止めると、一文字ずつ確かめるように、書いてある文字を指でなぞっていく。

「ふむ………」

 しばし黙考したのち、男は引き出しからいくつかの小瓶を取り出すと、そのまま部屋を出ていった。


 ◇◇◇


 白いシーツ、並ぶベッド、薬品の匂い。

 わかりやすい病室の記号に囲まれて、響斗は今も眠り続けている。

 体に繋がれたいくつもの計器は、何のことはない平凡な値を記録し続けているが、少年の意識は一向に戻る気配がなかった。

 そんな響斗を灯和はただ黙って見下ろしていた。

 その目には相変わらず生気が感じられなかったが、表情からは心中の不安が容易に読み取れる。より一層濃く刻まれた目の下の隈が、ここ数日の睡眠状況を如実に物語っていた。

 体の方にはもう異常はないと聞かされていた。

 そもそも、発見したときは酷く衰弱していたものの、()()()()()()()()()()()()()()らしい。

 だが、それでも意識は戻らない。数値は正常であっても目に見えないダメージがあるのか、それとも何か別の理由か、原因はわからないままだ。

 体が弱っているせいで、今まで出ていなかった実験の影響が出たのではないか。研究者達はそう言っている。

 しかし、灯和はそれだけではないような気がしてならなかった。

 視線の先で眠る響斗の髪。少し固めの見慣れた黒髪は、ところどころ色が変わっていた。

 その色には、見覚えがあった。

 淡く、薄い緑色―――とある少女を連想させるその色は、十六原灯和に言い知れぬ不安感をもたらした。当のライリーと連絡が取れないことが、さらにその不安を増長させる。

「一体……何があったんだ………」

 答える者のいない問いかけが、計器の音に虚しくかき消されていく。

「わかるわけ、ないか……」

 自嘲気味に笑って、唇の端を噛む。意図せず口を開いてしまった自分を戒めるように、わざと痛いくらいの力を込めて。

 ここ数日、自分でもわかるほどに独り言が増えた。

 まるで響斗が喋らなくなった穴を埋めるみたいに。

 と、そんな思考を噛み切るように、前歯にさらに強い力がかかる。口中の血の味に気付いて力を弛めた頃には、すっかり口元は痛々しい感じになっていた。

 美冬の件で引き籠もって以降、響斗が昏睡状態になってから更に増えてしまった自傷行為。気を紛らせるため、あるいは嫌な想像から逃れるために、噛んだり引っ掻いたりを繰り返したせいで、口の中も腕もズタズタだ。

 痛みでほんの少しだけ冷静になった灯和は、(かぶり)を振って大きく伸びをする。

「駄目よな。これじゃ、またあいつらに心配される」

 自主待機中(ひきこもり)という肩書きにものを言わせて、毎日のように響斗の病室に入り浸っている灯和は、同じく見舞いに来た仲間達に、少しは休めと再三注意されていた。

 そろそろ本当に休んだ方がいいのかもしれない。

 回らない頭は、どうにも嫌なことばかり考える。

 もしこのまま目覚めなかったら。

 もし容態が突然悪化したら。

「……なあ、響斗………お前までいなくなったら、俺は…………」

 考えてみたらずっと一緒にいた。腐れ縁だ何だと言っても、彼らは親友のはずだった。

 ――それなのに、俺は……―――

 いつまでもいつまでも美冬のことを引きずって。

 気を遣ってくれた友達を雑に扱って。

 同じくらい大切だったはずの友人が一人で戦っているのに、ずっと部屋に籠って。

 そんなこと、美冬は絶対に望んじゃいないはずなのに。

 ――……ああ、そうじゃったな。

 美冬は、悩むくらいなら自分のせいにしてしまえと言っていた。

 多分、響斗も同じことを言うだろう。

「そうじゃな……うん。お前が目覚めるまで、ここを追い出される訳にはいかんしな」

 病室にいても出来ることはない。

 部屋に戻ってもやることはない。

 ならば今、自分が友人のために出来ることは―――

「響斗、悪いけどそろそろ帰るわ。いい加減、俺も復帰せんとな」

 灯和はベッドに背を向けて歩きだす。

 生気の無かった瞳には、もう確かな意志が宿っていた。

 ――響斗がいつ起きてもいいように……あいつの居場所は俺が守る。

 そして少年は戦場に帰ることにした。

 友人のために―――それが例にもよって言い訳だと、はっきり自覚しながらも。

 今はただ、それが自分の生かされた意味に繋がると信じて。


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