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Act.16 模造世界のピーターパン(1)

 あれから、約一ヶ月が経った。

 結局美冬(みふゆ)も、他の行方不明者も見つからないまま捜索は一週間で打ち切られた。たとえ運良く敵に見つからなかったとしても、水すら人体には有害となる転界で、何の備えもなく一週間も生き延びるのは不可能だろうと大人達は言っていた。

 響斗(ひびと)もその結論を頭では理解出来ていた。

 けれどもどうしても諦めきれず―――諦めたと認めることが出来ず、ライリーには未だ捜索を続けてもらっている。

 発見できた者のうち、灯和(とうか)以外の二人も、今はもうこの施設にはいない。一人は回復することなく息を引き取り、もう一人は仲間が目の前で死んだショックから立ち直れずに施設を去った。

 動揺は他の仲間達にも広がり、実験部隊の隊員で戦えるのは今や最初の三分の二にまでその数を減らしてしまった。

 未だ療養中の灯和にその辺りの状況を説明するのはさすがの響斗でも気が重いことだった。

 いつもは勝手に動いてくれる口が、その時ばかりは酷く重く感じた。

 灯和は―――黙ってそれを聞いていた。

 時折、思い出したように「……ああ」と相槌を打つだけで、その幽鬼のような双眸(そうぼう)にはついぞ何の感情も浮かびはしなかった。

 そして今日に至るまで、ずっとそんな状態が続いている。


「俺は―――何すればいいんだろう」

 ベッドに横になり、ぼんやりと天井を見つめる。くすんだ灰色は当然のことながら答えなど返さず、少年の独り言だけが部屋の中を彷徨(さまよ)う。

 灯和達が襲われたと知らせを受けたあの日、刀儀(つるぎ)響斗の世界は急変した。美冬がいなくなって、灯和が塞ぎ込んで、他にも何人もの仲間達がいなくなった。周囲の環境は見る間に変化し、施設内にはピリピリした空気がずっと(ただよ)っている。

 だがそれでも、あいかわらず世界は驚きと感動に溢れていて、生きていれば楽しいことも沢山あって、前を向いて歩いて行くことは難しいことではない―――と、思うことは出来た。

「でも、何でだろう。ちゃんと楽しかったはずなのに……。今日、何してたんだっけ……」

 目を閉じて、今日あったことを思い浮かべる。だが特に印象的な出来事は無いような気がした。

「おかしいなあ。ライリーや灯和に色々話したはずなのに……」

 これでは駄目だ。

 このまま毎日を無駄に過ごすわけにはいかない。

「何か、しないと……。じゃないと……でも………」


 足元に透明なヒビが入っている。

 あの日から、そんなイメージがこびり付いて離れない。

 何かしなければならない。

 ずっとそう思っているが、具体的に何をすればよいかはわからない。

 それでも、今動かなければ全てが崩壊してしまうという確信めいた不安が、ひたすらに彼を追い立てる。

 焦っている自覚はなかった。

 自身を(かえり)みる心の余裕も、(いさ)めてくれる友人の言葉も、今の彼には無かったから。


 今すぐに何かしないと。

 でも、何を?

 どうしたら―――失わずにすむ?


「あ……駄目だ」

 目の辺りが熱を帯びてきたのに気づいて歯を食い縛る。

 ――(こら)えろ。

 嗚咽(おえつ)を押し潰すように息を止め、余計なものが出る余地の無いように細く細く吐き出す。

 ――堪えろ。

 すぐ下では灯和が眠っている。

 自分よりもずっとつらいはずの友人に聞こえるところで泣くわけにはいかない。

 ――なあ、俺……どうしたらいい?

 部屋の中心に背を向けるように体を丸め、砕けそうな程に歯を食い縛る。

 固く閉じた(まぶた)の間から熱い液体が(にじ)み出て、音もなく枕に吸い込まれていった。


 ◇◇◇


転界


 赤い芝生を削り取るように、怪物の長い尻尾が振るわれる。真上に跳んで回避しつつ、ジャンプした分の高さをつけた一撃を見舞う。

 着地と同時に素早く地面を蹴って敵から距離をとると、少年は負傷者がいないかと全体を見回した。

 班の仲間達もどうやら回避出来ていたようで、怪物の周囲を一定の距離を開けて取り囲んでいる。

「響斗、どうするよ?」

「んー、そうだな……」

 こちらの出方を(うかが)うように身を低くする四足歩行の怪物を見遣る。

 蜥蜴(とかげ)を思わせる爬虫類らしいフォルム。体表には鱗のようにびっしりと無数の虫の羽が生えている。異様に長い尻尾は甲殻類の脚に近く、攻撃はまず通りそうにない。

「あの鱗? みたいなのが邪魔だな。攻撃が滑る」

「じゃあまずはあれをむしるか」

 そう言った仲間の手元で空気が渦を巻く。会話を聞いていた他の仲間達もそれぞれ攻撃態勢に入る。

 響斗は正面のラルヴァに視線を向けたまま、自分も手元の方に少し意識を集中させる。

 光る霧のような粒子が周囲に広がり、手に持っていた剣へと吸い込まれた。

 刃も(つか)(つば)も区別なく一様に淡い光を帯びた片手剣は、霧を吸収して見る間にその形状を変えていく。汎用的な片手剣から、より薄く、削ぎ落とすための形へと。

 そして、その変形が終わるとほぼ同時に、響斗は大きく踏み込んで一気に標的との距離を詰めた。

 確認するまでもなく、仲間達も既に動き出している。掛け声などなかったにも関わらず、彼らは驚くほど息の合った動きで一斉に攻撃を開始した。

 真っ直ぐに突っ込んでいく響斗の光剣を、怪物は長い尻尾が弾いて防御する。

 その隙に側面から迫っていた少女の手がラルヴァの足に触れ、怪物が反応するより先にその足を凍らせて地面に接着する。

 移動を封じられたラルヴァに向けて、先ほど響斗と話していた少年の手から小型の竜巻放たれ、羽状の鱗を削りとる。

 身を(よじ)るラルヴァが尻尾を振り回すが、別の少年が放った糸がそれをからめとって封じた。

「今だ! 畳み掛けるぞ!」

 今度は掛け声に合わせて全員が攻撃のみに集中する。

 鱗が無くなって剥き出しになったラルヴァの皮膚に、彼らの攻撃が届きかけた瞬間―――

 怪物がいきなり横向きに回転し、攻撃と拘束を吹き飛ばした。

「うおぉぁッ!?」

 尻尾を封じていた糸使いの少年が、回転に引きずられて宙に投げ出され、別の仲間に激突する。

 咄嗟(とっさ)に手を離したため糸もろとも巻き取られることがなかったのは幸いだったが、双方ダメージは大きいようだ。

「ッ……こんな動き出来んのかよ! みんな! 一回距離を……」

 風使いの少年が指示を出そうと口を開くが早いか、響斗は既に怪物の方へ走り出していた。

「え!? 響斗!?」

 仲間の制止する声を聞くことなく、響斗は鱗の剥げた部分目掛けて後方から回り込む。その手にある剣はすでに最初の片手剣の形に生成し直されている。

 こちらに気づいたラルヴァの攻撃を身を捻ってかわす。尻尾の先が肩を掠めたが、構わず直進して懐に潜り込み、伸びきった尾の付け根を踏み台にして、手にもった剣を一気に怪物の背に突き刺した。

 怪物がひときわ大きな声をあげ、背に乗っている響斗を振り払おうと横転した。

 響斗は剣から手を離して飛び退いたが、深く刺さった剣は抜けることなく怪物の背に留まり続けた。

 十秒ほどの抵抗ののち、ラルヴァはようやく動きを止め、ゆっくりとその体を霧散させ始めた。

 敵の姿が完全に空気に溶け消えるのを見届けて、少年少女は思い思いに胸を撫で下ろした。

 そして、怪物に止めを差した自分たちのリーダーの元に駆け寄る。

「響斗! 大丈夫か!?」

「ああ、カイリ。大丈夫大丈夫、かすっただけだって」

 先頭にいた風使いの少年に手をヒラヒラ振って応じる。

 快里(カイリ)と呼ばれた少年は腰につけていたポーチから包帯などを取り出すと、響斗の肩口の怪我をてきぱきと手当てしていく。

 淀みのない手付きで作業を続けながら、快里は眉をひそめて言う。

「響斗、最近大丈夫か? あんなことがあったあとだから仕方ないだろうけど……なんか戦いが雑っていうか……怪我が多いっていうか………無理してないか?」

「大丈夫だって! ショックだったのはみんなそうだし、人手も足りないしさ、休んでなんていられないだろ?」

 明るい笑顔で答える響斗。

 その笑顔に何も言えなくなった快里は、一言、

「無理は……すんなよ」

 とだけ言って、あとは黙々と治療を続けた。

 他のメンバーも、周囲に気を配りながら負傷者の手当てを行っている。先ほど吹っ飛ばされた糸使いの少年を含め、大きな怪我をしたものはいないようだった。

「にしても、ずいぶん人使いがあらいよね」

「何だっけ、露払い?」

「お片付け?」

「まあ、ぼくはラルヴァを一体でも多く倒せるなら何でも構わないけどさ」

「まあね」

 治療の手は止めることなく、仲間達が口々に言う。

 彼らの本日の任務は、研究者達が転界の調査をできるように先に転界に入ってゲート付近のラルヴァを排除すること、及び調査中の護衛である。連戦になる可能性もあるため、本来ならば複数の班で分担して行うところなのだが、人手不足から響斗達の班が単独で行うことになっていた。

 とはいえ、この手の任務は何回かやったことがあったし、いい加減連携にも慣れてきたところだ。3時間ほどの任務であるし、少人数でも十分に対処できるものだろう。

「おっ、また来たぞ」

 周囲を警戒していた少年の一人が言う。

 指差された方角を見れば、大型犬くらいの大きさの異形が2、3体、こちらに向かって来るのが見えた。

「小さめだね。ぼくらだけでいけるかな?」

「大丈夫じゃない? 私はいけるよ」

「じゃあ、二人で行くからみんなは見張りを……」

 頼む、と言いかけた少年の声を遮って、氷使いの少女が独り言のように呟いた。

「ねぇ、何か、おかしくない? 何ていうか―――逃げてる、みたいな」

 少女の言葉の不穏な響きに、進もうとした二人の足が止まり、皆は揃って小型ラルヴァの向かってくる方角を凝視した。

 ほどなくして、小型ラルヴァの挙動の理由がわかった。

 それらの現れた廃墟の陰から、別の異形が現れた。

 大きさは2メートル強といったところだろうか。この距離では詳しくはわからなかったが、さっきの蜥蜴型のラルヴァよりは小さいように見える。

「あいつから逃げてるのかな?」

「そうみたい」

「でも、何でまた」

「そういえば、ラルヴァって共食いするって言ってたなあ」

 共食い。あまり聞いていて気持ちの良い言葉ではないが、そうならば説明がつく。

「何にせよ、こっちにくるなら倒さないとね」

「みんな、行けるか?」

 処置が終わった響斗が周りを見回して言う。仲間達は各々すでに臨戦態勢に入っており、いささか出遅れた感を感じながら響斗も光剣を生成して構える。

 先にこちらに到達した小型3体を手早く片付けて、後から来る中型を待ち構える。

「うわ……」

 どこかからそんな声が漏れた。

 大きさは推測の通りだ。それはいい。

 問題はその外見だ。

 近くで見る怪物の姿は、遠目で見たときとは比べ物にならない程に醜悪だった。

 象のような、太く、重量感のある胴体。頭と呼べるようなものは存在しておらず、首があるべき部分から、胴体と同じく象を彷彿(ほうふつ)させる長い鼻が直接うねっている。よく見れば鼻の付け根の部分が半周ほど裂け、口のようなものも出来ていた。

 地響きすら伴うその巨体を支えるのは、6本の―――()()()()()()()()()()()

 色も形もバラバラの人足は、それ単体で見ればどれも美脚と言ってよい造形をしていた。

 しかし、幼子が作ろうとする粘土細工の昆虫が実際に歩いているような、物理法則を疑いたくなるアンバランスさと相まって、吐き気を催すほどの嫌悪感を掻き立ててくる。

「何してんだ! 避けろ!」

 硬直してしまった仲間を突き飛ばし、響斗は自らも地面に倒れ込む。

 直後、鋭い風切り音。

 地面に近づいていく響斗の頭上を、鞭のような怪物の鼻が通りすぎた。髪の端を掠める風が、チリッとした衝撃を伝えてくる。

「見た目より速いぞ! 気をつけろ!」

 快里の声に、混乱していた他のメンバーも構え直す。

 そうしている間にも、怪物は響斗達から距離をとり、再び突進しようと加速する構えを見せていた。

「まずは避けろ! それから―――」

 言いかけて―――口が止まった。

「……それから―――何だ?」

 攻撃するのか?

 様子をみるのか?

 それとも―――逃げるのか?

 選択肢としてはそれもありだ。

 でも、それは果たして―――『何かした』ことになるのか?

 不意に、響斗の頭の中にいつもの疑問が浮かぶ。

「俺は……何をしたらいい?」

 目の前には敵がいる。

 そんなことはわざわざ考えなくてもわかっているのに、思考はそこから動かない。鈍化する思考に合わせて、ゆっくりと少年の足が止まる。

「ッ!? おい、ヒビト! 何してんだ!」

 仲間の声に反応して顔を上げると、怪物の巨体がこちらに突っ込んでくるところだった。

 急いで左に飛び退きつつ、怪物の軌道上に大剣を生成してカウンターを狙う。

 直後、響斗のすぐ脇を怪物の巨体が通り過ぎ―――

 衝撃。

 そして、ガキンッ! という硬質な破砕音。

 粉々になった光剣が空気に溶けるように霧散し、反動で突進の軌道がずれた怪物が、そのままの勢いで廃墟の壁に激突した。

 僅かな沈黙。

 怪物の速度についていけなかった者達が、ようやく何が起こったかを把握して背後の廃墟を振り返る。

 ゆらゆらと立ち込める土煙の向こうから、中型のラルヴァが何事もなかったかのように顔を出した。

 緩慢(かんまん)にすら感じる動作で瓦礫を払いのけ、再びこちらに向かってくるその巨駆には、傷一つついてはいなかった。

 突進の勢いを利用しても、怪物の硬い皮膚を貫くことは叶わない。その事実に響斗は小さく舌打ちする。

「狙うなら口か足だったか……。もう少し考えとくんだった……」

 敵を目の前にしているというのに、自分は何をやっていたんだ。ぼんやり考えている暇などないというのに。

「………そうだ。何か―――何かしないと」

 少年の瞳に暗い光が宿る。

「俺が……やらないと………」

 響斗はどこか覚束(おぼつか)ない足取りで、怪物の正面に移動する。

 仲間達はそんな少年の様子に戸惑いながらも、背後に移動した敵と向かい合うように隊列を立て直した。

「倒さないと―――いつもみたいに」

 ぼそりと漏らした独り言。

 自ら発したその音を引き金に、今度は響斗の方から攻撃を開始した。

 右手に剣を生成しながら、大きく右に跳ぶ。そのまま移動の勢いを利用して振りかぶると、手にしていた剣を怪物に投げつけた。攻撃の為ではない。自分の方に注意を向けさせる為だ。

 回転しながら迫る光剣を、怪物は軽く弾くと、狙い通り響斗の方に突進を仕掛けようと予備動作に入る。

 響斗は後ろに控える仲間達が突進の射線上に入らないように自分の位置を調整しつつ、再度カウンターを狙って意識を集中させる。光る霧状の粒子が周囲を渦巻き、静かに少年の号令を待つ。

 ラルヴァが6本の足を一斉に動かして突撃してくる。

「まだ、もう少し……」

 確実に当てるためにタイミングを見計らう。

 あの怪物の硬い皮膚には普通の攻撃は通りそうにない。

 自分のもつ攻撃法の中では、相手の勢いを利用するのが一番有効だろう。

 響斗はそう考えていた。

 とはいえ、そう何度もチャンスがあるとも思えない。ここで外す訳にはいかないと、怪物の挙動に神経を尖らせる。

 視界の中心で怪物が蠢く。

 その足の動きは明らかに人間の関節の可動域を越えており、見ているだけで体の動かし方がわからなくなりそうだ。

 だが関係ない。

 今はどの位置に狙うべき部位がくるかわかれば十分だ。

「今だ!」

 拡散していた霧が収束し、剣の形となって浮遊する。

 ちょうど怪物が直進したときに、口や足がくる位置に。

 そして同時に自分は突進の軌道から外れるように脇へと跳んで退避する。闘牛相手に赤布を振る闘牛士(マタドール)を思わせる流れるような動作。

 だがこの場合、闘牛には一回で止めをささねばならない。響斗は移動しながらその手の中にも剣を生成し、追撃に備える。

 少年の足が地面を踏みしめるのと同時に、突進する怪物の巨体が切っ先と交差し―――


 ―――刹那、その姿が視界から消え失せた。


 戦闘から取り残されていた仲間達の目にも、その動きは捉えきれなかった。

 刃が届く寸前、怪物はその勢いを一瞬にして殺し、響斗がして見せたのと同じように、それ以上の速度で真横に跳んで見せたのだ。

 目で追うことすらできない速度で急停止と方向転換を成したラルヴァは、体全体を振り回すような勢いで鼻を振るい―――

 完全に敵の姿を見失った響斗にその攻撃が避けられるはずもなく、

「ッ!?」

 背後の怪物の姿に気が付いたときには、大木のようなラルヴァの鼻が体にめり込み―――


 骨の砕ける鈍い音と共に、少年の体は遥か後方へと吹き飛ばされた。


「ごッ……がぁッああああ!!?」

 ノーバウンドで廃墟の壁に激突した衝撃が、肺から全ての空気を絞り出す。

 そのまま壁伝いに落下した響斗に、上から砕けた廃墟の破片が振りかかった。

「ぐっ……ぅ………」

 なんとか起き上がろうともがくが、思うように体が動かない。肋骨が何本かやられたらしく、どくどくと脈打つ痛みが全身を巡る。

 一瞬だった。

 一体何が起こったのか、考える暇もなかった。

 ――攻撃を、読まれてた……?

 そうとしか思えない。

 端から一部始終を見ていた班の面々も、その事実に黙って顔を見合わせていた。

 ――あの一回で学習したってのか?

 快里の背筋に気味の悪い汗が伝う。

 そんなことが可能なのだろうか。

 ラルヴァに―――あの怪物に、そんな知能があるのだろうか。

 ――そんなわけ………。

 現代においては定説とされているある注意事項がある。

 曰く、『人間のパーツとかあるやつは要注意』。

 しかし、ラルヴァとの交戦記録自体多くはなかったこの時代において、その存在はあくまで予想の域を出ず、通常のラルヴァとどれほどの差があるかなどは全くと言って良いほど考えられていなかった。

 故に、彼らは人間のパーツがあることに、忌避感はあっても危機感は感じていなかったのだ。

 ――……とにかく、響斗を下がらせて態勢を立て直さないと。

 快里は仲間達に目で合図を送ると、まだ距離のある怪物を横目に、響斗の元へと駆け寄った。

「まだいけるか?」

「た、立てる?」

「無理そうだったら……」

「ああ、立つ。……立つよ」

 不安げな視線を送ってくる仲間達に、響斗できるだけ平静を装おってそう答えながら、急いで体を起こそうとする。

 その時だった。

 差し出された手を掴もうと、顔を上げたその先―――

 こちらに手を貸そうとした快里の肩越しに―――

 まるで地面の上を滑るように、高速でこちらに突っ込んでくる怪物の残像が見えた。

 ――え? さっきより、速―――


 ヴンッ!


 と、低い風切り音が鼓膜を震わせる。

 怪物はその鞭のような鼻を限界まで振り抜いたような姿勢で固まっている。

 いや、振り抜いた()()()、ではなかった。

 ぱたっ―――と、拍子抜けするほど軽い音を立てて、目の前の少年が倒れ込む。

 その首は通常ではあり得ない方向に捻曲がっており、彼は糸の切れた操り人形のようにピクリとも動かない。

 ぽかんと口を半開きにしたまま固まった表情は、いっそ間が抜けたと言っても良いほどに。

 それは響斗も、班の面々も同じだった。

 時が止まってしまったかのような数秒の沈黙。

 何が起こったかは理解できる。

 攻撃されたことはわかっている。

 怪物とはまだ距離があり、あそこから攻撃が届くということは驚きだが、起こったことは明白だ。

 響斗の周囲に集まった仲間達のほとんどは、響斗に目線を合わせるようにしゃがんでいた。

 快里は響斗に手を貸すために立っていて。

 だから彼だけに攻撃が当たって。

 彼だけが―――

「ひッ」

 誰かの上げた短い悲鳴を皮切りに、あちこちで一斉に悲鳴が上がった。

 そして、集団はあっという間にバラバラになった。

 皆は立ち上がれない響斗を置いて、恐怖に追い立てられるようにして一斉に怪物に向かって走り出した。

「お、おい! 待て!」

 響斗の制止する声は、悲鳴とも雄叫びともつかない絶叫に掻き消され、誰の耳にも届かなかった。

 彼らは完全にパニックを起こしていた。

 当然だ。いくらか戦闘訓練を受けているとはいえ、彼らは軍人などではないのだから。

 それでも逃げる者がいなかったのは、ラルヴァを倒すという使命感か、それとも逃げても無駄だと悟ってしまったからか。

「くそ……動け………!」

 背後の壁に寄りかかりながら、気力を振り絞って立ち上がる。

 耳に突き刺さる仲間の悲鳴をひどく遠くに感じる。

「今……行か、ないと……」

 血の味のする奥歯を強く強く噛み締めて、ふらつく足に力を込めて走り出す。

 そうしているうちにも、一人、また一人と、仲間達はその数を減らしていく。

 もう何人息をしているかもわからない。

 ラルヴァを見据える少年の目に宿るのは、怒りか、憎しみか、それとも別の何かだったのか。

「これで―――終われぇ!!」

 残った力を全て込めて、怪物に剣を振り下ろす。

 渾身の力で振り下ろした刃は、しかし怪物の硬い皮膚に阻まれて無残にも砕け散った。

 こちらを振り返ったラルヴァの白い足が弾丸のような蹴りを放ち、少年の体を痺れるような衝撃が襲う。

 すんでのところで別の剣を生成してガードしたものの、響斗の体は再び宙を舞い、先ほどとは別の廃墟の壁へと直進させられる。

 何とかして受け身をとろうと背後の壁を振り返った響斗は、そこであるものを見た。

 視界の端に映ったのは、怪物に弾かれ、折れて突き刺さった一本の剣。確か、仲間の一人が持っていたもののはすだ。

 それは壁のヒビの間に挟まるようにして、こちらに柄を向けて刺さっていた。

 ちょうど、響斗が着地しようとしている辺りに。

 ――あ、やば……

 妙に冷静にそう思った瞬間には、全てが終わっていた。


 ゾブッ


 と、水っぽい音を立てて剣の()が薄い腹を突き抜けた。

 鈍い柄の先が、肉と内臓を押し退け、押し潰す不気味な感触が全身に凄まじい悪寒となって駆け抜け、次の瞬間には灼熱に変わった。

 どれほどの勢いで飛ばされていたのか、突き抜けてなおその勢いは止まらず、続く鍔の部分に背骨がぶつかってミシリと軋みを上げた。

 百舌鳥(もず)早贄(はやにえ)のように力なくぶら下がる少年の体重に耐えきれず、剣は壁から抜けて、少年ごと地面に落下した。

「……びゅ……ごぽっ………」

 響斗は何か言おうとしたが、もはやそれは息の漏れる音にしかならなかった。

 手足はもはや脳の指令を受け付けず、こちらの意識とは関係なく、痙攣(けいれん)のような無意味な動きを弱々しく繰り返している。

 霞む視界の彼方では、もう起き上がってくるもののいない荒野を怪物が悠々と歩いていた。

 6本の足をバタつかせながら、何かを探すように。

 何を探しているかは予想がついた。

 そしてそれはすぐに答えが示された。

 ラルヴァは地面に転がる快里を見つけると、そっとその骸に触れた。

 怪物の体の一部が溶けるように形を崩し、物言わぬ少年の体をズプリと飲み込む。

 ――やめろ……。

 ラルヴァはゆっくりと移動しながら、辺りに散らばる仲間達だったものを捕食していく。

 異形の姿が揺らぐ度に、一つ、また一つと、彼らが存在したという痕跡が消えていく。

 ――やめてくれ……。

 最後に残っていた少女の死体が怪物の体に沈み、血痕すら残さず消失する。

 まるで―――最初からそこには誰もいなかったかのように。


 そして怪物は響斗の方に歩いてくる。

 すでに虫の息となった獲物に止めをさし、その屍を喰らうために。


 ――ああ、俺、死ぬのか……。

 たとえ今奇跡的に怪物の気が変わったとしても、この傷と出血ではもう助かりようがないだろう。

 末端からだんだんと感じられなくなっていく温度が、着実に迫る死を実感させる。

 走馬灯と呼べるほどのものは無かった。

 代わりに脳裏に浮かぶのは、こちらに微笑みかける緑髪の少女。

 思い出されるその姿は、涙が出るほど鮮やかで。

 死ぬことへの恐怖は無かった。

 ただ一つ、心残りがあるとすれば、

 ――ライリー、どうせなら―――


 ――君に喰われて終わりたかったなあ………


 近づいてくるラルヴァの足音が、徐々に意識から遠ざかる。

 そして、刀儀響斗の意識は底のない闇の中へと落ちていった。


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