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Act.15 常温世界は音もなく(2)

翌日 転界


 見晴らしの良い丘の上。黄色い空に浮かぶ白い雲を吸い込もうとするかのように、灯和(とうか)は大きな欠伸を繰り返していた。

「灯くん、眠そうだね」

「そりゃあな……昨日結局2時半くらいまで響斗(ひびと)の話に付き合っとったから」

 おまけに昼食を摂ったばかりで日当たりの良いこの場所だ。立っていても眠い。足元の芝生も柔らかそうで、寝転びたい衝動に駆られる。ここだけ重力4倍くらいになってるんじゃないだろうか。

「それは……大変だったね。それで、どんな話だったの?」

「ん……ああ、なんかライリーと付き合うらしい」

ごしごしとまだ重い瞼を擦りながら答える灯和。寝ぼけたような素っ気ない返事だったが、美冬(みふゆ)は予想外のニュースに目を丸くした。

「えっ? えぇっ!? そうなの!? わぁー……」

 灯和は急にそわそわし始めた美冬をぼんやり見つめて、

「そんな驚くことか? 予想はついとったろ」

「うーん、そんな気はしたけど、でも実際そうだって聞くと……」

「何でお前が照れる……」

 チラチラと向こうで話している響斗とライリーに視線を送る美冬。紅潮した頬からは高揚が、緩んだ口元からは二人への祝福が見て取れた。

「あ、そうだ! じゃあちょうどいいかも」

 そう言うと、美冬は上着のポケットをごそごそと探り始めた。

「ほら、これ!」

「? それって―――」

 美冬が取り出したのは、真新しい小型のカメラだった。デジタルカメラではなく、撮ったその場で写真にできるインスタントカメラだ。

「カメラか? 何でそんなものを?」

「えへへ、このあいだ買ってもらったの。これならライリーさんの写真を撮っても平気かなって」

「ああ、なるほど」

 デジカメで撮って現像するには共用のパソコンを使う他ないが、万が一それでデータが残ればライリーのことが露見しかねない。自分で現像にできないフィルム式のものは以ての他だ。となれば、撮った写真を誰にも見られず現像するには、インスタントカメラは悪くない方法だろう。もちろん写真そのものの管理は必要だが。

「こうやってみんなで遊ぶようになってずいぶん経つけど、形として残るものって何もないでしょ。それはなんかさみしい気がして……ダメかな?」

 おずおずと上目遣いで見つめられて、灯和は照れたように目を逸らしながら、

「……まあ、ちゃんと管理できる量にせられよ」

「うん!」

 嬉しそうに笑って響斗達を呼びに行く美冬の背中を目で追いながら、灯和は軽く苦笑する。

 ――我ながら甘いな。

 自分達の遊びがバレたらヤバいという状況に違いはないというのに、ああして頼まれるとついOKを出してしまう。

 これもまた惚れた弱味というやつだろうか、などと考えながら、灯和は撮影スポットを探し始めた。


「へえ、写真かー。いいな、それ! ライリーもいいだろ?」

「ええ。もちろん」

 美冬の提案を聞いた二人はすぐさま乗り気になった。

 成長して移動できる距離が伸びたとはいえ、少々遠出をしようが、彼らは基本転界ではだらだら話すくらいしかやることがない。それはそれで不満はないのだが、いささか新鮮さには欠ける。

 そういう状態もあって、写真を撮るというだけでも、特別なイベントのような気分になっていた。


「じゃあこの辺は?」

「うん、いいと思う!」

「そのカメラ、タイマーとかあるんか?」

「あるよ」

「じゃあどっか置く場所は……」

「特に無さそうね」

「俺が剣出そうか?」

「あ、じゃあ平らなやつ作って浮かせられる?」

「オッケー」

「タイマー何秒にする?」

「5秒くらい?」

「ん、できた!」

「急げ急げ!」

「3……2……」


「―――1!」


「………撮れた?」

「えっと……うん! ほらこれ!」

「へえ、よく撮れとるな」

「きれいに出来るものね」

「次どうする?」

「えっとねー……」


 できたばかりの写真を取り囲んで、子供達は笑い合う。

 怪物の跋扈する異界も、彼らにとっては今や見知った庭のようなものだった。

 大人達からも、現実からも隔絶された―――どこまでも広い箱庭の世界。

 永遠のように感じる微睡みの中で、彼らはすっかり忘れてしまっていた。

 自分達の立っている場所が―――どれほど不安定な綱の上にあったのかを。


 ◇◇◇


数日後 転界


「ったく、こんなの意味あんのかよ」

 誰かがそうぼやくのが聞こえた。

 気が緩んどるなあ、と苦笑しつつ、灯和は振り返らないまま後方から聞こえた声に答える。

「そう言うな。意味あるじゃろ、多分」

「多分って」

「やっぱり灯和もつまんないんでしょ」

「どうせなら戦いたいよね~」

「そうだね」

 連鎖的にあちこちから返ってくる仲間達の声。

 その声にはあまり緊張感がなく、良く言えばリラックスした状態で任務に臨めていると言えた。

 灯和達は今、調査のために転界を訪れていた。転界の植物や水、土や瓦礫などを採取して持ち帰るのが今回の任務だ。ラルヴァに遭遇する可能性はあるとはいえ、戦闘は避けるように命じられているため、ラルヴァを倒すことに熱を入れている者達にとっては退屈な任務だった。

「で、でも……調査も大事だよ。頑張ろ?」

 そんな美冬の言葉も、ざわざわとした周りの声に埋もれていく。

 灯和は困り顔の美冬を励ますように、

「あいつらは気にせんで、俺らだけでも真面目にやろう」

「う、うん。そうだね」

 現在実験部隊には30人程が在籍しており、それを4つの班に分けてローテーションを組んでいる。運が良いのか故意なのか、灯和と美冬は同じ班だった。

 ちなみに戦力を均等にするためだとかで、響斗は別の班だ。

「またあいつらイチャついてるぜ」

「密談だ」

「逢い引きだ」

「……お前らなあ、毎回からかうんじゃ―――」

 ニヤニヤしながらささめき合う仲間達に、文句を言おうと口を開いたところで――――

 ―――()()は現れた。


「キヒハハハハハ―――」


 金属を傷付けるような、耳障りな音が鼓膜を引っ掻く。

 それが笑い声であると気づいたときには、()()はもう目視できる位置までやってきていた。

 ()()は、"人"に見えた。

 少なくとも、"その他"である可能性を知らぬ者にとっては、人だと思うしかない姿をしていた。

「なにあれ?」

「人……? 入って来ちゃったのかな?」

 皆が揃って首を傾げる中、灯和の本能は最大級の警鐘を鳴らしていた。

 ――まさか、あれは……。

 十六原(いさはら)灯和は知っている。

 この拭いようのない違和感を。

 "その他"である可能性があることを。

「ねぇ、灯くん。あれって……」

「ああ。―――ラルヴァだ」

 美冬以外に聞こえないように、口の中だけで呟くようにして答える。

「人型ってことは、ライリーさんみたいに話ができるかな?」

「いや……待て」

 美冬は灯和ほどの警戒心をもってはいないようだった。

 話し掛けようか迷っている様子の美冬を制して、灯和は仲間達にどう言ってこの場から撤退させるかを考える。

 だが、悠長に考えをまとめるような余裕はなかった。

 なぜなら―――

 灯和がそちらに視線を戻した時にはもう―――()()はすぐ近くまでやってきていたからだ。

「えっ?」

 仲間の誰かが疑問の声を上げるのとほぼ同時に―――


 ドッ という鈍い音がした。


 その場にいた者達の目には、その光景はひどくゆっくりとしたものとして映った。

 "人"に見えていた何かの腕が歪に膨張し、先頭にいた仲間の腕を空中に弾き飛ばした。

 一緒に飛ばされた剣が地面に突き刺さり―――少し遅れて、白く細い腕が湿った音をたてて地面に落下した。

「えっ? ……ぁ、うああああああぁぁあッ!!!?」

 吹き出した鮮血が、赤く染まった世界を更に赤く赤く染め上げていく。

「キヒハハハハハハハッ」

 目の前の、もはや明らかに怪物と呼べるものが上げる狂ったような哄笑が、悲鳴と混じって空気を震わせる。

 急速に現実味を失っていく光景の中で、目の前の怪物の笑み―――両親を殺したラルヴァを彷彿させる、マネキンの口元を溶かして無理矢理笑みの形にしたような歪んだ表情が、ギリギリのところで灯和を我に返らせた。

「みんな逃げろぉぉぉッ!!!」

 裏返った叫びが反響し―――


 そして―――



 ◇◇◇


「なんか慌ただしいなあ、何でだろう」

 朝からの任務を終えて、灯和達と入れ替わりに現世に帰ってきた。任務で負った擦り傷の手当てをしてもらい、軽い検査を受けて部屋で待機すること十数分。

 午後からまたライリーに会いに行くつもりで、向こうで何をするかをぼんやり考えていた響斗の耳が、廊下の喧騒を捉える。

「何かあったのか?」

 何やらただならぬ空気を感じ、外を確認しようとドアノブに手を掛けた瞬間、掴みかけたドアノブが勢いよく回り、ドアが外側から一気に開かれた。

 思わず飛び退いた響斗の肩を、部屋に入ってきた人影が掴む。

 それが自分の班の仲間の一人であることを響斗が確認すると同時に、肩を掴んでいた少年が口を開いた。

「ひ、響斗! 大変だっ! あああ、あの、たいへ…ッ……ゲホッ」

「な、何があったんだ!?」

 動揺から過呼吸になりかけている仲間のあまりに緊迫した声に、自然と響斗の心臓の鼓動も速くなっていく。

 5秒ほどかけてようやく呼吸を落ち着けた少年は、吸った息を全て吐き出すかのような勢いで告げる。

「響斗! 大変なんだ! い、今、瑠衣(るい)が大怪我して戻ってきて、向こうで襲われたって言ってて、そ、それで―――」

 刀儀(つるぎ)響斗が信じていた日常を、粉々に打ち砕く一言を。

「灯和も! 美冬も! 他の奴らもみんなどうなったかわからないって!」


 相手が何を言ったのか、理解するより先に身体が動いていた。

 何をするべきかもわからぬままゲートへと向かって走り、警備員と研究者達に止められたところで、ようやく自分が酷く取り乱していたことに気がついた。

 その後、なんとか冷静になった響斗は、動ける者達を指揮して捜索に出た。

 正体不明の敵に遭遇したという現場に遺されていたのは、戦闘とすら言えないような一方的な破壊の痕。周囲には怪我人や死体はおろか、()()()()()()()()()()()()

 危険を承知で捜索範囲を広げ、周辺の廃墟の中までくまなく探した結果、なんとか生存者を2人だけ発見することができた。

 自力で帰ってきた一人を含む3人の生存者の内の一人が灯和であったことに、響斗は少なからずほっとしていたが、未だ見つからない美冬のことを思うと、やはり不安で押し潰されそうだった。

 ライリーにも頼んで更に広い範囲を探してもらっているが、それが徒労に終わるであろうことは、報告を待つまでもないことだった。

 一体あそこで何があったのか、それを知る灯和は医務室に運ばれたまま、まだ帰って来ない。

 空のベッドを見つめたまま、響斗は自室で独り立ち尽くしていた。


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