Act.14 常温世界は音もなく(1)
4年後 転界
風が吹くだけで掻き消えそうな薄い雲が、どこまでも広い黄色い空を覆っている。草木は生き生きと鮮やかで、薄曇りの空の下にあってもなお、その不気味な美しさを保持していた。いつもは風で炎のように揺れている枝葉は、穏やかに凪いだ無風のデストピアにおいて、一枚の絵画のような情景を作り出している。
まるで時間が静止してしまったかのような天候の下、廃墟の屋上に登った響斗は静かに壊れた街並みを見下ろしていた。
"変化=風化"のこの世界では、時間の流れというものが曖昧だ。都会のようなスクラップアンドビルドは見当たらず、景色全体が緩やかに緩やかに崩れていく。
まるで現世と行き来する自分達だけに時間が流れているような奇妙な気持ちになるが、そんな感覚さえも景色を眺めるうちにどうでもよくなってくる。
「そんなところにいると危ないわよ」
「あ、ライリー」
背後から投げ掛けられた声に、響斗はぱっと表情を明るくして振り返った。
ライリーは少年の隣までやってくると、同じように廃墟の林と、その間を行き交う異形を眺めて、
「懲りないわね。ここじゃあ見つけてくれと言っているようなものなのに」
「ごめん。でも何かここの景色好きでさ」
響斗は再度背後の街並みを振り返り、感慨深げに呟く。
「ライリーに会ってから今日でもう4年だろ、早いよなあ」
「毎年言ってるわよ、それ」
ライリーの呆れたような言葉にも、響斗の表情は変わらない。
「いいじゃん。俺にとってはそれくらい大事な日なんだから」
屈託なく笑う響斗の顔をどこかで眩しそうに見つめて、ライリーはホッとしたような、諦めたような、穏やかで柔らかい笑みを浮かべた。
「あなたがそんなだと、こっちまでしみじみとした気分になるわね」
そうして、もう一歩少年のほうに歩み寄ると、白く細い指先を少年の頬に這わせた。
「ずいぶん背が伸びたわよね。前は私と変わらなかったのに」
「えっと……?」
突然のスキンシップに戸惑い、顔を赤らめる響斗。
ライリーがさらに一歩近づいて、その指先が人工的な感触を捉える。
響斗の頬には真新しい絆創膏が貼られていた。服に隠れて見えないが、身体のあちこちに細かい傷が沢山ある。
「これはまた任務でやったの?」
絆創膏をそっと撫でながら、ライリーが言う。
響斗は傷口への刺激に僅かに眉をひそめながら、
「ちょっと石の破片に当たっただけだよ。大したことないって」
そう言って笑うが、最近怪我が増えていることは事実だった。
ここ数年で異能の研究は急速に進み、今では施設にいる大半の子供が異能を発現させていた。それに伴い、対ラルヴァ用の戦闘訓練も本格化していった。
そして今年、響斗たち、施設でも古株の部類に入る者達を集めて、正式にラルヴァと戦うための特殊部隊が設立された。後の特務部討伐課の栄えある一期生というやつだ。
もっとも、正式といっても社内だけのもので、いつ切り捨てられてもおかしくない実験部隊ではあるのだが。
「………」
「心配してくれてる?」
黙ったままのライリーに、からかうような口調で響斗が言う。
いつも通りの平淡な反応が返ってくるだろうと思っての軽口だったが、今日は様子が違った。
「……そうね、心配だわ」
「えっ!?」
「だって、あんなことを続けていたらいつか……取り返しがつかないことになるかもしれないじゃない」
決して公にはできない社外秘の戦闘部隊。
彼らの任務は、転界を探索し、ラルヴァとの戦闘データを集めることだった。
実際に転界に赴き、ラルヴァと戦うということは当然危険を伴う。
こちらを殺しにくる怪物と戦っていることを思えば、怪我で済むうちはまだ良い方だと言える。
「それは、そうだな。俺はライリーには殺されてもいいかもだけど、他の奴に殺されて喰われるのはさすがに嫌だし」
ライリーがぼかしていた部分をあっさり口にして、響斗は困ったように頬を掻く。
「ヒビト、私はもうあなたを殺す気はないし―――もうただの好奇心であなたといる訳でもないのよ」
自分と人間は何が違うのか。
その境界にあるものは何なのか。
ずっと知りたかったはずの答え。
だが、今やそんなことはどうでもよくなってしまった。
彼女にとって、屍から取り込んだ感覚は、決して自分自身のものではなかった。
それでも感覚は知っていた。
自分が人間とは違うということを。
自分のものとは思えない感覚が突きつける違和感。
けれど、どこまでいってもそれは他人の感覚で、彼女自身は何も感じていなかった。
それが一層もどかしく、納得がいかなかった。
つまりは、たったそれだけのことだった。
しかし、響斗達と過ごすうちに、ようやく自分の感じているものが、他の誰のものでもなく自分由来のものだと思えるようになった。
だから彼女はもう答えを求めない。
違いは相変わらず漠然としていて、言葉で表せないそれは答えとは言えないけれど―――
今度は自分でそう感じたのだから。
他人に言われて納得するのとは訳が違う。
自分を誤魔化せるほど、ライリーは器用ではない。
だから―――これもまた、紛れもなくライリーの本心だ。
「ヒビト、私も―――あなたが好きよ。今なら、そう断言できるわ」
そう言ったライリーの微笑みに、以前の精巧さはもう見られない。
同じ笑顔は二度と作れないような、血の通った自然な笑み。
「えっと……夢とか、俺の妄想とかじゃなく?」
信じられない、という声で呟いて、響斗は火照った頬をつねる。混乱と高揚で痛みなど毛程も感じなかったが、反対の頬に添えられたライリーの手の温もりが、これが現実だと伝えていた。
響斗はできるだけ静かに息を吸い込むと、ライリーの肩に手を置いて、
「お、俺も! ライリーのことが好きだ! あのときから、ずっと……」
少女の黄金の瞳を真っ直ぐに覗き込む。そこに映る自分の顔は、びっくりするほど赤かった。
「………改めて言葉にすると何か照れるなあ」
はにかんで目を逸らす響斗が何だか可笑しくて、ライリーはふふっと声を出して笑うと、
「言葉にするとって、あなたは結構口に出してるわよ?」
「えっ、ウソ!?」
「好きだとか、かわいいとか、きれいだとか、いつも色々言ってるわよ」
「ええッ!?」
「あとは、『付き合えないかなあ』とか、『告白するならどこで……』とか、その他にも妄想めいたことを色々―――」
「わあああああ!!? もういいって! ストップ!!」
先刻以上に真っ赤になって慌てふためく響斗。軽く涙目である。
「でも、そうやって好意を示してくれたから、私も安心して伝えられたわ。ありがとう」
「あ、その……はい」
なんとも間抜けな返事しかでてこない。お礼を言われてしまったことで、気恥ずかしさをどう処理していいかわからなくなったのだ。
そのまましばらく口をパクパクさせていた響斗は思い出したように、
「じゃあ、えっと―――ライリー、俺と付き合って……ください」
話題を無理矢理元に戻して、とりあえずそれだけ絞り出す。
対するライリーは特に照れた風でもなく頷いて、そっと少年に体重を預けた。
少年も迷わず少女を抱き止める。
「俺、頑張るよ。もっと一緒にいられるように」
「ええ。約束よ」
薄く霞んだ空の下。
青春はそれでも鮮やかに―――
◇◇◇
夜 施設内、響斗と灯和の部屋
二段ベッドに寝転んでいた灯和は、頭上から引っ切りなしに降り注ぐ声に辟易とした顔をしていた。
「―――でさ、やっぱり俺は……」
「響斗」
「ん?」
「いい加減に寝んと、明日起きられんぞ」
諸々を押し殺した感情のない声で言う。
しかし響斗には大して効く様子もなく、
「あ、ごめん。その……まだドキドキが止まらないっていうかさー」
「不整脈か? メディカルチェック行くか?」
「いや、違ッ……なんだよその反応ー」
ふてたような声を出す響斗に、灯和は深く溜め息をついて、
「あのな、何が悪いってこのくだりもう9回目じゃからな?」
「……そうだっけ?」
現在時刻は午前2時。
昼間のライリーとの一件でテンションが上がっている響斗は、かれこれ4時間ほど喋り続けていた。
がっつり睡眠時間を削られた灯和は、そろそろ眠気で寛容さが足りなくなってきている。
「ったく、何が悲しゅうて丑三つ時に野郎の恋バナを聞かされにゃならんのか……」
イライラと呟くルームメイトに響斗は多少申し訳なさそうに、
「………怪談がよかったとか?」
「寝させろや!!」
ドンッ!
隣の住人が派手に壁を叩いて―――というか蹴り飛ばして抗議してきた。
さすがに声が大きかったらしい。
唐突な打撃音によって強制的に黙らされた二人は、しばらく無言になるしかなかった。
ややあって、ようやく気持ちが落ち着いてきた響斗が、なんとか相手に聞こえるくらいの小声で言う。
「あー、なんかごめんな? とりあえず誰かに言いたくて……でもみんなには話せないからつい……」
「ああ、まあわからんでもないが」
灯和も声のボリュームをギリギリまで下げて答える。
「だからって全員分聞かされるこっちの身にもなれというか……。お前に言うても仕方ないんじゃろうけど、久々に疲れた」
転界から帰ってから、例にもよって「これは内緒だしなあ」とか口に出していやがったため、灯和と美冬は周りを誤魔化すので大変だったのだ。
とはいえ、最初に比べれば響斗も周りもいくらか慣れていたので、それほど怒りは感じていない。
まあ仕方ないか、と相変わらず苦労性な少年は苦笑する。
「とりあえず、俺は明日―――いやもう今日か―――朝から実験室呼ばれとるんじゃからいい加減寝させてくれ」
「訓練じゃないなら楽じゃん」
「それはお前だけじゃって……」
なんだかんだでわりと自由に過ごしているように思えるが、一応彼らの生活の中心にあるのは『実験』である。元々彼らはそのために連れてこられているのだから当然といえば当然か。
最終目標がラルヴァと戦える人材の育成であり、ゆくゆくは世間に成果を認知させるつもりではあるので、そこそこ配慮はされているのだが、やってることはがっつり『人体実験』なので、どのみち口外できないような生活を送っていると言える。
べつに実験自体も決して楽な訳ではない。
ラルヴァを倒すという目的があるとはいえ、実験に伴う苦痛や様々な体調の変化などを考えて、ユウウツな気分で実験に臨む者はそれなりにいる。
異能を発現させられず、あるいは極度の不調によって、施設からいなくなった者も灯和は何人も見てきた。
もっとも、類い稀な適合性により全く苦痛を感じない響斗のような例外もいるのだが。
「そうかなあ、寝てれば終わるから楽だと思うんだけどなあ……」
例外の人はそんなことを言っている。
こういう奴に限って、労せず強力な能力を得ていたりするのだから、不公平なものである。
灯和もその辺りはとっくに諦めているため、もはや溜め息すらつくことなくさっさと話題を変えることにした。
「そういや、付き合って何か変わったか? キスくらいしたんじゃろ?」
「あー、うーん……どうだろ。いまいちわからないなあ」
響斗はぼんやりと天井を見上げて、
「んー……とりあえずもう少し一緒にいられる時間を増やせないかなーとは思ってるけど」
「時間、なあ。難しいかもな。こっから任務も増えるじゃろうし」
「それだよなー。怪我でもしたら外に出られなくなるし。あっでも、一応俺たち働いてるってことになるんだろ?」
「どうなんじゃろうな。今はまだ実験の延長って感じじゃけど」
「そっかあ……。じゃあダメか」
「何が?」
響斗の意図がわからず首を捻る灯和。
「働いてる人ってさあ、『有給休暇』っていうのがあるんだろ? 勝手に決めて休めるやつ」
「あー……まあ、そうじゃな」
実際には申請だのなんだのがあってそんなに好き勝手にはできないのだが、イメージしか知らない響斗にはその辺りの事情はわかっていないようだ。
「まあ、世間に認知されてきちんと仕事になったらもらえるかもな」
「だよな!」
投げやりに答える灯和とは裏腹に、響斗は我が意を得たりとばかりに拳を握る。
実際のところ、その日はそう遠くはないと灯和は考えていた。異能の研究は日々進んでおり、あと数年もすれば、もっと安全で簡単に能力を発現させる手法が確立されるだろうと、研究者達が話していたのを小耳に挟んだのだ。
自分達があんなに苦労したものを? と思うと少々納得がいかないが、それによってより多くの人材を一般から集められるようになるらしい。
そうなれば、自分達が『一般人』の枠に収まる日も近づくはずだ。
「大人の事情はよく知らないけどさ、要は俺たちが頑張ってラルヴァを倒せばいいんだろ?」
やる気に満ちた目で口角を上げる響斗の顔がありありと目に浮かび、灯和は溜め息と共にある疑問を口にした。
「お前さ、ライリーのこととかある割には、ラルヴァを倒すのに全然ためらいとかないんな」
「え、何で? ライリーはライリーだろ? 別に他のは関係ないじゃん」
微塵の迷いもなく即答する響斗に、灯和はほんの少しだけ不安になる。
この少年には、同じようにわかり合えるラルヴァがいたらどうするのかといった発想はない。
彼女の同族を狩ることに対する葛藤もない。
ライリーを、あるいは周りの人間を、完全に個として見ているがゆえに―――
純粋で、単純で―――どことなく危うい。
何が、とは灯和もうまく言葉にはできなかったが。
「……そうじゃな。まあ、その方がいいんじゃろうな」
余計なことを考えて判断が鈍っても困る。
灯和はそう考えて、一人で納得する。
むしろ気を付けるべきは自分の方だ。
――ライリーみたいなやつはそうそうおらんじゃろうしな。
灯和は最近ますます人間らしくなったラルヴァの少女の顔を思い浮かべ、生じかけた迷いを振り払うように大きく首を振る。
響斗は黙ってしまった灯和に合わせてしばらく静かにしていたが、やがて思い出したように口を開く。
「あ、というかトウカこそどうなんだ? ミフユと付き合ってるんだろ?」
思いがけない質問に、軽く咳き込む灯和。
「だ、誰から聞いた、それ!?」
「みんなが言ってたぞ。『響斗は余ったんだな、御愁傷様』って言われた」
「……………よし、この話終わりな。おやすみー」
「あっ、ズルいぞトウカ! 逃げるなよー。俺、きいてこいって言われてんだからな」
「誰に?」
「みんなに」
「ノーコメントって言うとけ」
灯和は響斗の言葉を弾き飛ばすように、しっしっ、と手を振ると、布団を深く被って外界の音を遮断する。
響斗はそれでもしばらく食い下がっていたが、再び隣の住人に壁を蹴られて今度こそ沈黙した。




