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Act.13 微熱世界の共犯者(3)


 ――俺は、どうしたいんだ?


 あれからずっと考えているが、どうにも答えは見つからなかった。

 響斗(ひびと)に紹介された、あのラルヴァの少女。彼女を見たときに自分の内に沸き上がった感情は何だったのか。恐怖か、憎悪か、あるいは単なる未知のものに対する不安か―――

 どれも自分の今の感情を正しく表しているとは言いがたい。

 ぐるぐると同じ問いが頭の中を回り、考えれば考えるほどに、求める答えは輪郭さえ曖昧になっていく。もはや自分が何を悩んでいるのかさえ灯和(とうか)にはわからなくなっていた。

 それでも、適当な理由で納得するわけにはいかないと思っていた。

 仮にもあれは―――両親の敵なのだから。


 2年前。両親と、美冬(みふゆ)とさらにその両親とで、キャンプに行った帰りだった。

 元々親同士の仲が良く、家族ぐるみの付き合いだった彼らは、揃って転界へと引きずり込まれた。

 美冬の父親の運転する車で、山道を下っていたときだった。

 灯和が覚えているのは、突然の急ブレーキの直後に、車窓からの景色が()()()()()()ということだ。

 バランスを崩した車は横転し、近くの木にぶつかって停止した。

 何が起こったのかなど考える余裕はなかった。衝撃で気を失った美冬を引き摺って、やっとの思いで車から脱出した彼らの前に広がっていたのは、血のように赤く染まった木々の生い茂る、現世とは似て非なる隠り世の山道。

 その林の奥から、一つ、また一つと不気味な足音がいくつもこちらに近づき―――

 木々の間から現れた、現世のどの生物ともつかない異形の怪物が、こちらを見てニタリ、とその顔を歪ませた。

 そして―――


 ◇◇◇


 白昼夢となった思考を断ち切って、灯和は現実の光景に意識を戻す。

 あれから約一週間。少年の都合など知ったことかとでもいうように、彼を取り巻く環境は目まぐるしく変化を続けていた。

 それはもう、どうにか現状を打開しようとする少年を嘲笑うかのように。


 視界に映るのは施設内でも特に多くの割合を占める研究フロアの一角だ。

窓の少ない薄暗い廊下を、白色のLEDがぼんやりと照らしている。整然と並ぶ扉の向こうからは、微かに計器の音や研究者達の話し声が聞こえるものの、昼も夜も変わらないような静かな空間には、水底のような重たい沈黙が満ちていた。

 周囲の音を吸い込むような冷たいタイルが、そんな雰囲気を全く意に介していない声を高らかに反響させている。

「そっか、じゃあ美冬も異能出せるようになったんだ! やったな!」

「うん。まだ響斗くんみたいにはいかないけど……」

 対する少女は辺りを気にしながら、少し小さめの声で言葉を紡いだ。

「そのうち慣れるって! あ、トウカにはもう言ったんだろ?」

 数歩後ろを歩く灯和の方を振り返りながら響斗が言う。

「ああ、聞いとるよ。良かったな、美冬」

「うん」

 美冬は照れたように耳元に手を触れる。

「あとは灯和だな。どんなのになるんだろうなー。何か楽しみだよ、俺」

「まだ、使えるようになるとも決まっとらんじゃろ。俺は他よりむしろ適合低いんじゃし」

「大丈夫だって! 心配なら今度ライリーに会いに行った時に向こうで練習しようぜ。あそこなら気兼ねなくやれるだろ」

「あ、確かに。ライリーさんも異能使えるんだよね? 今度コツとかきこうかなぁ」

「それいいな!」

「響斗、声落とせよ。あんまり大声で名前を出すな」

「はーい。それでさー、時間は明日の―――」

 楽しそうに待ち合わせをする二人の背中に、灯和は心底疲れた視線を送る。

 ――まあ、こうなる気はしてたんよな……。


 ◇◇◇


半日前 転界


 ひんやりとした秋の風が、脱け殻の町にまばらに生い茂った草木を揺らしていく。澄みきった空から射し込む柔らかな日差しが、ざわざわと炎のように揺れる赤い草原をいっそう鮮やかに浮き上がらせていた。

 そんな不気味とも美しいとも言える光景を見つめて、灯和は隣の少年に気付かないようにそっと嘆息を洩らす。

 結局今日もまた、断りきれずに転界まで付いてきてしまっている。まだライリーに対する自分のスタンスを決めかねている現状では、はっきり断るのも、ましてや自分から会いに行くのも気が引けるとはいえだ。

 ――こんなの、所詮保留しとるだけよな。

 答えの出せない自分に苛立ちつつ、現実逃避するかのようにざわめく枝葉を眺めていたのだが、

「トウカもこんにちは。昨日は来なかったけど、変わりはない?」

「ああ、こんにちは。一日やそこらじゃ変わらんよ」

 投げ掛けられた声に我に返り、灯和は目の前までやってきたライリーに挨拶を返す。

 そのままいつも通り、響斗とライリーが話しているのを灯和が横で聞くという流れになるかと思っていると―――

「そうそう。この子はあなたたちのお友達かしら?」

 そう言ってライリーは慣れた様子で空間に『穴』を空けると、その穴の向こうから何かを引き寄せた。

「きゃあ!?」

 聞き覚えのある悲鳴が耳に届き、灯和は自分の嫌な予感が当たったことを知る。

「美冬……つけてたんか」

 地面にぺたんと尻餅をついた美冬は、灯和の声にビクリとその身を震わせた。

「あ……えっと、その、あのッ、ごめんなさい!」

 怒られると思い身を固くする美冬を責めることもできず、灯和は困ったような表情で頭を掻いた。

「あら、知り合いかと思ったのだけれど、そうでもなかったのかしら」

 しばし無言になる二人を見て首を捻るライリー。

「大丈夫。友達だよ。ミフユっていって、トウカの幼馴染なんだ」

「その割にはさっきから黙ったままだけれど」

「トウカはミフユにここに来てたこと内緒にしてたからさ、ちょっと気まずいだけだって」

「気まずい……そういうものなのね」

 薄緑の髪を指先で弄りながら、ライリーは何かを考えるように目を閉じる。

「考えるライリーもなんか良いなあ……」

「言うとる場合か!?」

 素直な感想を洩らす響斗に、灯和が抗議の声を上げる。

「えー、ついてきちゃったものはしょうがないじゃん」

「いやでも、転界に入れなければどうとでも……」

「そうか? 入るとこ見てたならどの道隠せなくないか?」

「………」

「だよな、ミフユ?」

「う、うん」

 躊躇いながらもしっかりと頷く美冬を見て、灯和はそれ以上の文句を言うのを諦め、ただ先刻以上に深く深く溜め息をついた。

「ごめんなさい。でも私、心配で……」

「まあまあ、済んだことだしさ。じゃあ、バレたし紹介するよ! この子はライリー。この間知り合ったんだ!」

 響斗は何か自慢するかのような楽しげな笑顔でライリーを紹介する。

「はじめまして。ミフユ、といったかしら」

「あ、はい。音成美冬です。えっと……」

 ――わぁ……改めて見ると凄くきれいな子……。

 思わずまじまじと見つめてしまったあとで、失礼だったかもしれないと慌てて目を逸らす。

 そんな美冬にいつも通りの精巧な笑みを向けるライリーを、灯和は険しい顔で見つめていた。

 正直言って、今灯和の頭を占めているのは、混乱よりも「ああ、やっぱりか」という思いだった。

 ここ最近、響斗やライリーのことで傍目にもわかるほど疲れ切っていたのは自覚していた。そんな灯和を、美冬がひどく心配していたことも。

 しかし、少年にはそこに割けるほどの気持ちの余裕はなかったため、おざなりな対応しか出来ずにいた。

 もしも灯和に冷静にそれを気に掛ける余裕があったならば、こうなることを予想して動くこともできただろうが。

 ――くそ、俺ももうちょい気が回りゃあなあ。

 基本的には素直に灯和に全幅の信頼を寄せている美冬だが、自分で何かを決められないというわけではない。

 むしろ周りがしてくれないときは自分で考えてとりあえず行動して、行き詰まってから灯和を頼るということが多々あった。

 サプライズでケーキを買おうとして隣町まで行ってしまったり、友達が失くした物を探すために夜中に部屋を脱け出したり―――等々、灯和は何度もその手の暴走に巻き込まれてきた。

 美冬はそうしようと決めたら迷わない。付き合わされる灯和も、頼られていることが誇らしく、嫌な気はしていなかったため、特にそれを咎めることはしなかった。

 だから美冬には、ひとまずやってから考えるという癖がついていた。

 そんな彼女が、苦悩する灯和を見ればどうなるか。

 まずは自分で原因を探ってみよう、と考えることは、普段の灯和なら容易に想像できることのはずだった。

 疲れていたとはいえ完全に自分のミスだと、灯和はどうしようもない自責の念に駆られた。

 こうならないように美冬を遠ざけてきたはずだったのに。

 ただ一人残った大切な幼馴染をこんなよく分からない上に危険なことに巻き込みたいなどと誰が思うか。

 ――こうなったら、何としてでも美冬を守らんと……。

 暗い決意を宿した灯和の視線の先では、まだ何も知らない美冬が響斗達と話している。

「あ、もしかして、この人が響斗くんの見たっていう妖精さん?」

「ん? ああ、そうそう。"ラルヴァの子"って言うのもなんだからそう呼ぶことにしたんだ」

「え?」

 楽しそうに楽しそうに重大なことを口にする響斗。

 美冬はその言葉の意味を確かめるように数秒黙り込むと、半ば呆けたような表情でライリーに尋ねた。

「あの、ラルヴァ……なんですか?」

「そうよ」

 あまりにもあっさりと明かされた事実に言葉を失う美冬。

 だが―――

「……ああ、もしかして言わない方が良かったかしら」

「大丈夫だって! ライリーはラルヴァでもきれいだしかわいいし、むしろそこがミステリアスかもだし……なあ、灯和?」

「え? ああ、まあ……ラルヴァなのは事実じゃし……」

 灯和も今さらそこを隠すことはできまいと観念して認める。

 灯和、響斗、ライリー。三人の顔を交互に見比べたあと、美冬は何かに納得したように、誰にも聞こえないような声で、「そっか」とだけ呟いた。

「えっと……じゃあ、ライリーさん、私とも友達になってくれますか?」


 ◇◇◇


 ――にしても、まさかあんなにすぐ打ち解けるとはなあ……。

 さすがにラルヴァだと受け入れるのには抵抗があるだろうと思っていた灯和は少々面食らっていた。

 これなら他の仲間にバレても案外平気かもしれない、という考えが浮かんだが、すぐに自分で打ち消した。

 それは無理だろうと。

 皆ラルヴァに何かを奪われてここにいる。

 美冬にしても、あの時は気絶していて覚えていないだろうが、もしも覚えていたならば―――あんな態度はとれないだろうと。


 考え事をしているうちに、いつの間にか三人は居住フロアまでたどり着いていた。

 響斗と灯和の部屋の近くまできた辺りで、美冬がそっと口を開いた。

「ねぇ、灯くん。ちょっといい?」

「どうした?」

「あ、その……」

 人目を気にするようにキョロキョロと辺りを見回す美冬を見て、灯和は先を歩く響斗を呼び止める。

「響斗、悪い。夕飯は先に食堂行っとってくれ」

「ん? 何か用事か? 別に待っててもいいけど」

「ああいや、大したことじゃねえから。待たんでいい」

「そうか? わかった。じゃあ先行くな」

 足早に部屋に荷物を置きに行く響斗を見送って、灯和は再び美冬に声を掛けた。

「続きは俺の部屋でいいか? そんなに時間かからんじゃろ?」

「うん、多分大丈夫」


 響斗が出て行ったのと入れ替わりに部屋に入ると、灯和は誰か入ってこないように一応鍵をかけた。

「で、どうしたって?」

 ベッドに腰掛けて美冬に先ほどの話の続きを促す。美冬は自分も隣に座るかどうか迷ったが、結局灯和の正面に立つことにした。

「………」

 立ったまま、しばらく美冬は言葉を発することができなかった。

 自分の言葉が相手を傷つけはしないか。伏せられた目からはそんな躊躇いが感じられた。

「美冬?」

 再度の問いかけに、美冬はゆっくりとしたまばたきで答えたあと、ようやく重い口を開いた。

「……最近灯くんが悩んでたのって、ライリーさんのことだよね?」

 灯和はその言葉に一瞬ビクリと体を震わせたが、相手の意図がわからず、困惑した眼差しを向けた。

 その沈黙を肯定と受け取った美冬は、先の発言を補足するべく、

「ライリーさんがラルヴァだから、悩んでたんだよね?」

 灯和の目が驚きに丸くなる。まるで、目の前の少女のことを今初めて認識したかのように。

「気づくの……早いな」

 自分でも何を言っているのかわからぬまま、そんな言葉が漏れた。

「わかるよ。なんとなくだけど」

 美冬は照れたように微笑むと、そこで一旦言葉を切った。

 そして、またゆっくりとまばたきを繰り返したあと、今度こそ核心となる一言を発した。

「……ねぇ、灯くんがそこで悩んでるのは―――」


()()()()()()()()()、お父さんやお母さんのため? それとも―――私のため?」


 その言葉に灯和の呼吸が止まった。

 美冬の顔に縫い止められた視線は、何か信じられないものを見たような困惑に満ちていた。

 だが、そんな灯和に構うことなく、美冬はさらに言葉を続ける。

「ほんとは自分でもわかってるんでしょ? もうとっくに、ライリーさんのことを受け入れてるって」

 堰を切ったように、とまでの勢いこそないが、少女の口は決して止まることはなく、

「それでも嫌いでいようか迷ってるのは誰のため?」

 発せられた言葉はそれこそ水のように灯和の内側を浸食していく。

 それは、今に始まった疑問ではなかった。

 ラルヴァを倒せるようになりたいと願うのは誰のためであったのか。

 どこかで訊かなければならないと、そう思いつつ保留にしていた一つの問い。

 少女は今がそのときだと思った。

 それだけのことだった。

「俺は……」

 続きは出てこない。

 少女の言葉に、視線に、彼は完全に気圧されていた。

「別に……誰の、ためでも……」

 消え入りそうな弱々しい否定は、むしろ肯定に近かった。

 ライリーに対して違和感を感じたのは事実だ。異質な存在として認識していたのは確かだ。

 だが美冬の言うとおり、本当はもう『響斗の友達だから』で納得しかけていた。

楽しそうにライリーと話す響斗を見ているうちに、心のどこかではそう割り切れてしまっていた。

 無論ライリーがいきなり裏切って自分や友人を殺すということはあり得ないことではなかったし、事実彼らの関係はライリーの気分次第とも言えたが、それに対する不安はさほど重大ではなかった。

 彼にとって重要だったのは―――


 ◇◇◇


 突然放り込まれた異界。

 異形の怪物が、ニタリとその顔を歪ませるのが見えた。

「逃げなさい! 早く!!」

 大人達の誰かがそう叫んだ。

 視線の先にあったのは、ざりざりと砂嵐のように揺らぐ閉じかけた空間の穴。

 皆わかっていた。

 逃げられない―――全員では。

 大人達の決断は早かった。

 恐怖で動けずにいた灯和を、傍にいた美冬の母親が抱えてゲートに投げ込んだ。

 続いて美冬が同じように投げ込まれてきた。

 だが、その後ゲートを潜った者はいなかった。

 叫び声が、衝撃が、そして―――人が壊れる音が、ゲートを挟んでなおこちら側まで伝わってきた。

 目の前であるはずなのに、その光景はどこまでも遠く―――

 厚みのない穴はスクリーンのように、あちら側の惨劇を映し続けた。


 ◇◇◇


 十六原(いさはら)灯和はずっと思っていた。

 あの日あの時あの場所で、もしも戦う力があったなら―――いや、せめて自分の足で逃げることができたなら、他の皆も―――例えば、美冬の両親は、死なずに済んだのかもしれないと。

 ずっと、申し訳なかった。

 自分だけ生き残ってしまったことが。

 そのせいで美冬から家族を奪ってしまったかもしれないということが。

 どうしても受け入れられなかった。

 それが、十六原灯和の中に燻る熱の正体。

 ―――生き残ったことに対する罪悪感。

 だから少年は理由を作った。

 美冬を守るために。

 仲間や研究者達の期待に応えるために。

 世界の敵と戦うことを選んだ。

 誰かのために動いている―――そう思っている間だけは、この罪悪感から逃れられるから。


 彼にとって重要だったのは―――ラルヴァと仲良くすることが、助けられて生き残ったという過去を裏切ることにならないかということだ。


 心の奥で、ザリザリと何かが擦れて削れるような音が鳴っている。カラカラに渇いた喉からは、声らしき声は出てこない。

 脳を揺らす言葉は、今まで何度となくうなされた自分自身の声と重なり、まるで現実味がなかった。

 この部屋そのものが何かの悪夢の中にあるのではないか、目の前の美冬も夢の一部で自分はただ自問自答を繰り返しているだけなのではないか―――そんな錯覚すら起こすほどに。

 一方、顔から表情を消していく灯和を前に、美冬の決意は鈍り始めていた。

 ――やっぱり、きかないほうがよかったかな……。

 ずっと一番近くで見てきたからこそ、灯和が何を抱えてしまったかもおおよそわかっていた。それはきっと、灯和自身が考えることで、周りが介入するべきではないということも。

 それでも、何もしないままではいられなかった。

 だから少女は今こうして少年と向かい合っている。

 自分が他人を救えるような大層な人間とは思えないし、それ以前に、音成(おとなり)美冬にとって、灯和はあくまでも自分を救ってくれる側の人間だ。

 それが依存であったとして、

 だとして―――それが一体何だというのか。

 いつも、いつだって、自分を守ろうとしてくれたたった一人の幼馴染に何かをしてやりたいと考えることに、いちいち理由などいるものか。

 だから美冬は迷いを押し殺して口を開く。例えそれが罪悪感からくるものであったとしても、それだけではないと誰より知っているから。

「灯くんは優しいよ。いつも、誰かのために頑張ってるよね。私は、それは悪いことじゃないと思うよ」

「……いや、俺は―――」

 皆を言い訳にしているだけだ、とそんな続きの言葉を遮って、だから、と美冬は口元に笑みの形を作って続ける。

「迷って苦しむなら、また私のせい(ため)にすればいいよ」

 感情の消えていた灯和の瞳に、再び困惑の色が宿り、ここが現実である証拠を探しているかのように目線がふらふらと虚空を彷徨った。

 悪夢のごとき声は笑って告げる。

「今日、私はライリーさんと友達になったよ。仲良くするって決めたの。だから―――」


「私たちの友達を好きになって。―――私と響斗くんのために」


 時間が止まってしまったような沈黙のあと、不意に灯和の口から笑い声が漏れた。

「ハ、ハハ、ハハハハハ! ああ、なるほど。逃げるならとことんってことか」

「そ、そこまでは言ってないよ。ただ、理由を何にするかは選べるよって言いたかっただけで……」

 おずおずと訂正する美冬をよそに、灯和は諦念を含んだ皮肉げな笑みを浮かべたまま、独り言のように言う。

「でも、そうか。そうだな。どっちにしろ逃げるなら―――結局、誰を言い訳にするかってだけの話か」

 犠牲になった誰かを理由にしてライリーを嫌っても。

 美冬や響斗を理由にしてライリーを受け入れても。

 そこに大して違いはない。

 どちらを選んだとしても、きっと本質的には何の解決にもなりはしないけれど。

 それでもいいかと納得することにした。

 そこの解決を焦る必要などないのだ。

 今は保留でいい。保留で。

 灯和はここ最近溜め込んでいたものを吐き出すように、大きく息を吐いた。

 ちょうどその時、扉の向こうから騒がしい声とノックの音が響いてきた。

「おーい、トーウーカぁ、何してんだよー。俺もう食べ終わったぞー。食わないならUターンしてトウカの分まで―――」

「悪い。今行くわ」

 簡潔に答えて鍵を開け、ドアノブに手を掛ける。

 ドアの前にいる友人の能天気な顔を思い浮かべて、灯和は溜め息とも苦笑ともつかないくらいに小さく息を吐くと、そのまま一気に扉を開いた。


◇◇◇


翌日 転界


「ライリー、誤解されんように先に言っとく」

 顔を見るなりそう宣言してきた灯和に、ライリーは「何?」と短い問いで返した。

「俺は、ラルヴァのお前を憎まなくていいのか迷っとる。まだ、少しだけな。だから、どこかで妙な態度をとるかもしれん」

 何を言い出すのかと興味深そうに次の言葉を待つライリーに、灯和は一拍おいてから続けて言った。

「でも、お前はあいつらの友達じゃから、俺もお前を好きでいようと思う」

 ライリーは細い髪を弄びながら少し考えると、

「じゃあ、トウカも私の友達ということでいいのかしら?」

 そう言って、いつも通りの精巧な微笑に、ほんの僅かに悪戯っぽい色を混ぜた。

 灯和も笑みで応じて言う。

「まあ、そうなるな」

「んー? 何の話してるんだ?」

 後ろで見ていた響斗が一人だけ話についていけず首を捻る。

「今ね、トウカとも友達になったところよ」

「あれ? 今まで違ったのか?」

 さぁ、と肩をすくめてみせるライリーが、灯和のほうを見る。

「いいや。違わんよ……多分な」

 やれやれといった調子の灯和の返事に緑髪の少女はいつもより幾分柔らかい笑みを浮かべると、

「ありがとう」


 そう言った唇を灯和のそれに重ねた。


「!?」

「あ」

「えぇっ!?」

 灯和、響斗、美冬が上げた三者三様の声に、驚いてライリーまでもが頭上に『?』を旋回させる。

 その隙に、半開きの口をわなわなさせていた灯和がやっとの思いで言語を取り戻す。

「お、お()ッ、何して……」

「? 態度で示したほうがいいのかと思ったのだけど」

「いやだとしても普通それは恋人とかにしかやらんからな!?」

 完全にテンパった口調で叫ぶ灯和。

 対するライリーは平然と首だけかしげて、

「そうなの? 響斗にしたときは特に言われなかったからこうするものかと思っていたわ」

 そんなことを言う。

 全員の何か言いたげな視線が集中するなか、響斗は露骨に目を逸らして言い訳を始める。

「あー、えっと……もったいない気がして……つい?」

「つい? じゃねえわ!」

 どうやら下心から黙っていたらしい。

 あわよくばどこかでもう一度、とか考えていたのだろうか。だとすれば、それを口に出さなかったことを誉めるべきなのかもしれないが。

 そんな響斗を特に責めるでもなく、ライリーはふむ、とだけ頷いて、まだ顔の赤い灯和に向けて言う。

「人間の常識は難しいのね。まあいいわ。友達になったことだし、今度からはあなたも教えてくれるんでしょう?」

「……ああ、望むところだ」

 こうなったら、ラルヴァだと思えないくらいに彼女を人間っぽくしてやろう。

 困ったように眉根を寄せながら、そう答える少年の口元は確かに笑っていた。


「美冬、ありがとう。ごめんな」

 先ほどのことをライリーに弁明している響斗を横目に、呟くように灯和が言った。

「ううん。こっちこそごめんね。いろいろ言っちゃって。それと―――いっしょに背負ってあげられなくて」

 美冬は静かに首を横に振って、まっすぐに灯和のほうを見た。

 家族が死んだ時気絶していなければ、自分もそれを見ていれば、もっといい方法とれただろうかと思いながら。

 灯和は吹っ切れたような微笑みを浮かべて、美冬のほうに一歩近づく。

「いや、正直見てなくて正解だと思うしな。だから気にするな。その代わり、お言葉に甘えて言い訳にさせてもらう」

「うん」

 これは依存か、共依存か。

 まあ何でも構わない。

 ――関係性はいくつあっても困らんしな。

 誰かの隣に居続ける限り、そんなものいくらだって増えていくのだろうから。


 高く澄み渡った黄色い空の下、どこまでも広く閉じた世界で、少年少女は笑い合う。

 怪物の足音は遥か遠く―――

 ただ笑い声だけが高らかに―――

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