Act.12 微熱世界の共犯者(2)
さて、作戦はこうだ。
まず昨夜の段階で、響斗に例のラルヴァの少女を『妖精』と呼ばせることにした。
これはこれで、『あ、妖精って呼ぶんだった』とか言われたらまずいのだが、ただ口止めするよりはマシだろう。やつに喋るなと言うのは、考えるなと言うのと同じようなものだ。そして現在、浮かれきっている響斗にライリーとやらのことを考えるなと言うのは無理がある。
よって普通に黙らせるのは不可能に近い、というのが昨日の昼時点で灯和が出した結論である。
が、呼び方を変えさせるくらいならなんとかなるはずだ。
なんといっても『ラルヴァ』という言葉はここではパワーワードが過ぎる。灯和を含め、みんなその話題には敏感なのだ。
しかし逆に、そんなラルヴァを倒そうと躍起になっている者達だからこそ、『妖精』という現実味のない―――彼らにとって興味のない単語でカムフラージュするという作戦は通じるだろうと灯和は考えていた。
加えて、こう言ってはなんだがこの施設の子供達には変わり者が多い。それが研究者達の言う『ラルヴァと戦う資質』とやらに関係するのか、それとも実験の影響によるのかは定かではないが、とにかく。突然幽霊が見えると言って謎の呪文を唱え出したり、自分には何かしらの力が封印されているのだとか言い出したり―――といった輩がそこかしこにいるので、皆その辺りの言動への耐性が強いことだけは確かだ。
響斗にライリーを妖精として扱わせた上で、彼が妖精的なものを見たと噂を流せば、もう誰もそこを深くつっこまないことは容易に想像できる。
多分『また何か言ってるなー』くらいで済むだろう。だって巻き込まれてなければ自分でもそうするし。
響斗が変人認定されてしまうのは申し訳ないが……いや元はと言えばあいつが悪いのだから別にいいか。
―――と、以上が、昨夜十六原灯和が寝ながら考えた作戦の内容である。
なんだか出たとこ勝負な作戦だが、今朝話した感じだと、
「そういえばライリーってどこで寝てるんだろう。やっぱり野宿かな?」
「ライリー?」
「あー……えっと、ほら! あの妖精の子!」
といった受け答えができるくらいには上手くいっているようだった。
――まあ、まずはやってみんとな。
灯和は腹を決めて自室を後にした。
それから数日。
灯和は休む間もなく奔走した。
浮かれて上の空になっている響斗の傍らで、あるいは彼が転界に行っていない間に、あらぬ噂を吹聴して回った。
ここのところ上の空なのは妖精を見つけて浮かれているからということにした。
休み時間に姿が見えないのも、その妖精を探していることにした。
「どうせ見間違いじゃと思うけどな」と、『自分は信じてはないけどそうらしい』という言い方にするのも忘れない。
無理に自分から説明にも行かない。そんなことをしなくても、周囲に響斗の保護者と見なされている灯和の元には自然と向こうから訊きにくる。そうしてやってきた者の耳に、さも言い難いことのように幻想を滑り込ませていく。
狭い施設内だ。
噂は思った以上に早く広まり、ものの数日で施設のほぼ全員が知ることとなった。
研究者達が実験の影響について割と深刻に悩みかけていたときは少々肝が冷えたが、最終的には特段の異常なしとしたらしい。
まあ実際嘘なのだから異常がなくて当たり前なのだが。
当の響斗はというと、みんなからの視線が急に生暖かくなったことに少々首を傾げてはいたものの、特に気にするでもなく、相変わらずラルヴァの少女との逢瀬に現を抜かしていた。
作戦は順調だった。
代償として灯和は少々過労気味になったが、概ね成功と言っていい。
ベッドの上から降り注ぐ響斗の惚気話を聞き流しながら、今夜も彼は疲労感に浸っていた。
「それでさー」
「んー」
「……聞いてる?」
「んー」
言葉のキャッチボールの体すら成さず延々と投げつけられる言葉に、ただただ気のない返事で返す。
「で、俺の友達にも会ってみたいって言われてさ」
「んー」
右から左へ、左から右へ。
音声はただの振動として彼の脳をすり抜けて霧散していく。
「だから急で悪いけど、明日トウカも一緒に来てくれよ」
「んー……」
もはや相槌なのか寝言なのかもわからないような音を返しながら、灯和は疲れのない夢の世界に旅立った。
何かとっても重要なことを聞き流していたと、彼が気づくのはまだ少し先の話。
具体的には―――あと半日ほど。
◇◇◇
「トウカ、こっちこっち!」
翌日、昼食をとって無駄に元気いっぱいな響斗にぐいぐい腕を引っ張られ、灯和は施設裏手の建物の陰に連れ込まれていた。
「こっちって……そんなとこ何も無かろう……」
連日の疲れが抜けきらないのか、まだ眠そうな半開きの目には、湿った地面とエアコンの室外機くらいしか映らない。
しかし響斗は遊園地に来た子供のような楽しそうな口調で、
「いいからいいから! ほら、この辺!」
大型の室外機の裏に回り込んで手招きする。
「だから、そんなとこ何も……」
言いかけて、瞬間的に呼吸が止まった。
見慣れているはずの物陰に浮かぶのは、水に浮かぶオイルに似た流動的な色彩のもやを纏った空間の『穴』。
異界へと繋がるラルヴァの通り道。
「ほら、こっち」
こちらの手を引く友人は、その半身を『穴』に沈めた状態で、楽しそうに笑っていた。
まるで、夕闇の小路で子供を連れ去る妖怪のように。
腕を引かれた勢いのまま、バランスを崩して倒れ込む。
下敷きになった響斗が踏まれたカエルのような声を上げるが、灯和にはそれに構っているような心のゆとりはない。
顔を上げると、そこには案の定現世とは似て非なる景色が広がっている。
ひび割れ風化した廃墟の群。
デタラメに彩色された歪な自然。
――転界……やっぱりか……。
意識が現実に追い付くにつれ、指先から震えが広がっていく。
呼吸が速まり、心臓が早鐘を打つ。
――落ち着け……。
気味の悪い汗が背筋を伝い、脳が何かを拒絶するように鈍い軋みを上げる。
――落ち着け、思い出すな……。
「トウカ……?」
異変に気づいて駆け寄ってくる響斗を手で制しながら、灯和はゆっくりと深呼吸を繰り返す。
「………悪い。もう大丈夫」
ようやく呼吸を落ち着けて、隣に座り込んだ友人のほうを向くと、
「……ごめん」
響斗は先ほどまでの浮かれようが嘘のような、泣きそうな声でそう呟いた。
「ごめん……俺、忘れてて…それで………」
響斗の両親はある日突然いなくなった。
転界に迷い込んで唐突に姿を消した。
彼はその現場を見ていない。
直接的な恐怖を感じたのは、先日が初めてだった。
だが灯和は違う。彼は知っていた。
ラルヴァが―――転界に棲むあの怪物が、どのように人を殺すかを。
「……いいって。よくあることだろ」
引きつる口元から絞り出すような声が漏れる。
響斗に悪気がないことはわかっている。
以前にも何度かあったことだ。
ラルヴァに対してなんら悪感情を持たない響斗は、たまに仲間達の地雷を踏んでいた。反感を抱かれるほどではないにせよ、何か嫌なことを思い出させてしまうくらいのことはたまにあった。
だからこれくらいはよくあることなのだ。
場所が場所なだけに取り乱してしまったが、ここで黙っていては話が進まないし、こんな危険な場所で悠長に気まずくなんてなっていられない。
灯和はそう思うことにして、
「で、説明を聞こうか。何のつもりでここにつれて来た?」
「あれ? 昨日言わなかったっけ? ライリーに友達を紹介したいから一緒に来てくれって」
「えっ、いつ!?」
「だから昨日。寝る前に」
返事してただろ、と不満げに言う響斗。
どうやら本当らしい。
――そういや何か言ってたような……。
灯和は記憶の断片をなんとか繋ぎ合わせようとするが、欠片は欠片のまま一向に組合わさらない。
昨晩の記憶の大部分は夢の世界に置き去りになったままだ。
――くそ、完全に聞き逃した。
後悔してももう遅い。
現に今彼らは転界の土を踏んでいる。
ターニングポイントはもう過ぎてしまったのだ。
「ねえ、ヒビト。そろそろいいかしら?」
ばつが悪そうに目を伏せる灯和の後ろから、不意に澄んだ少女の声が聞こえた。
驚いて振り向いた先には、こちらに向けて淡く微笑む少女の姿があった。
腿の辺りまで伸びる薄い緑色の髪。日の光を閉じ込めたような黄金の瞳。抜けるような白い肌を包む踊り子のような白い服。
思わず吐き出しかけた息を止める灯和の横を通り、緑髪の少女―――ライリーは響斗の隣へと移動する。
「ライリー、今までどこにいたんだ? いつもはすぐ出てくるのに」
「ヒビトが折角お友達を連れてきてくれたから、まずはその反応を観察してたのよ」
切れ長の目を細めてくすくすと笑う。絵画や彫刻のような整った笑みに、響斗ははにかんで灯和のほうに目を逸らすと、
「……あ、そうだ。まずは紹介しないとだよな」
そう呟いて、突然の来訪に未だ硬直したままの灯和の肩に手を置く。
「ライリー、こいつが昨日話してたトウカ。ちょっと今まだびっくりしてるみたいだけど、悪いやつじゃないよ」
反応の薄い灯和とライリーを交互に見ながら当たり障りのない紹介をする響斗。
「なあ、トウカ……」
「ん? あ、ああ。十六原灯和だ。……よろしく」
耳打ちされて我に返った灯和がこれまた無難な挨拶で続ける。
「そう。はじめまして。私のことはライリーでいいわ。響斗からはどこまで聞いてるのかしら」
あいかわらず整ったな微笑を浮かべ続けるライリーが、語尾を上げて尋ねる。
「……人型の、ラルヴァだって聞いとるけど」
汗を握った拳が、ゴムが軋むような音をたてるが、トウカは構わず言葉を続ける。
「それと―――凄え可愛いって毎日惚気られとるよ」
「そうなの?」
「お、おい、トウカ!? それは今言わなくても……」
顔を赤らめて慌てふためく響斗に少々意地の悪い笑みを向けつつ、灯和は日頃の仕返しだとばかりに話を続けた。
「そうそう。やれ髪を褒めたら喜んでくれただの、やれ手が繋げて嬉しかっただのって、もう毎晩しつこいぐれえに聞かされとるからなー、そっちが思っとるより詳しいんじゃねんかな」
「トウカ! やめろって!!」
耳まで真っ赤になった響斗に物理的に口を封じられ、ようやく灯和の喋るターンが終わる。
ぜえぜえと荒い呼吸をする響斗を前に、少しは俺の苦労がわかったかと勝ち誇った気分になりながら、灯和は渇ききった口中を誤魔化すように嚥下を繰り返す。
口の中の唾液が無くなっても、喉の調子を確かめるように。
自分が声を出せることを確かめるように。
何度も、繰り返す。
すぐそこでは、まだ響斗が先ほどの灯和の発言を誤魔化そうと悪足掻きをしている。
「確かに大好きなのはそうだけど、じゃなくてえっと……あああああ」
墓穴を掘り続ける響斗と、その様子を興味深そうに観察しているライリーとを交互に目で追いながら、灯和は先刻飲み込んだ息を細く吐き出した。
そして、凝視して気付かれないように最大限の注意を払いつつ、チラチラとラルヴァの少女を観察する。
心臓を押さえつけるように、細い呼吸を繰り返しながら、その整った横顔に―――彫像のように動かない、完成された微笑に目を遣る。
きっと、写真でならば大した違和感を持たなかったであろう、完璧過ぎる笑み。
それが、実際に目の前に佇んでいることで、どうしようもない違和感を叩きつけてくる。
まるで精巧な人形が微笑むのを見たような悪寒。
触れて初めて認識できる透明な壁のように、限りなく人間に近い何かであるがゆえに認識できる差異。
不気味の谷。
その奥が覗けるほどの際まで近づかねば、その亀裂の深さはわからない。
――響斗は……本当に何も思わんのか?
拭えぬ違和感が、すでに受け入れたと思っていた現実を声高に叫ぶ。
目の前にいるのはラルヴァだと―――わかっていたはずの事実を刻み込んでくる。
胸の奥に、僅かな熱を感じた。
澱のように静かに眠っていたものが浮き上がってくるのを感じた。
騒ぎ続ける友人の声は、今や分厚いガラスを隔てたように遠い。
灯和は服の端を握りしめたまま、しばしその場で沈黙を続けていた。
今も静かに微笑み続ける少女に、どう接したらいいかわからなくて。
微かに燻るその熱を―――自分の中にあった感情を、処理する術がわからなくて。
――俺は……どうしたいんだ……?
答える者のいない問いが、頭蓋の中に鈍く反響していた。




