Act.09 モノクロ世界と亡霊の姫(2)
過去
目に映る全ては灰色だった。
無論比喩だ。
頭上に広がるのは憎たらしいくらいの青空で、日向には赤や黄色に色づいた華やかな木々が、少しだけ涼しくなってきた風に枝を揺らしている。
そんな鮮やかな色彩から隠れるようにして、刀儀響斗は温く湿った建物の陰に踞っていた。
近年、急速な成長を遂げたグローバル企業―――三廻部・セキュリティ・サービス〈MSS〉の運営する児童養護施設。
ここに連れて来られて三年。
だんだんとそうする頻度が高くなっている気がする。
三年前、彼の両親は唐突に姿を消した。
理由は少年の前に現れた、機動隊にも似た服装の大人達が詳しく説明してくれたのだが、ろくに耳に入ってこなかった。ただ、両親が怪物に殺されたらしいということだけが、頭の中を延々と反響していた。
そうして、身寄りのなくなった少年はここにやってきた。
この世界にラルヴァが現れて数年。MSSの結界によって、異界は日常から少しだけ遠いものになった。
それでも響斗の両親のように実際に被害に遭うケースはまだ世界中で確認されている。世界は、依然としてラルヴァに脅かされているのだ。
だが、そんな小難しいことは彼には関係のないことだった。
ショックから抜け出した頭は理解する。
自分の家族はもう戻っては来ないのだと。
それはどうしようもない現実なのだと。
風にのって運ばれてきた子供達の笑い声を、すぐ隣のエアコンの室外機の低い稼働音がかき消す。
響斗は壁に背中を預け、その機械音に聴き入るように静かに目を閉じた。
この施設にいるのは、響斗と同じような境遇の子供達ばかりだ。ラルヴァに家族を殺され、居場所を失い、そして―――ラルヴァと戦える素質を見出だされてここに来た。
MSSが運営する多くの施設の中でも、響斗のいるこの場所は特別だった。
ラルヴァに関わった子供達に何らかの後遺症がないか調べる―――という名目で、MSSの研究所に併設されたこの場所は、その実、適性のある孤児達を集めた人体実験施設であり、既存兵器が効きにくいラルヴァに対する有効な手段を見つけるべく、日夜秘密裏に違法な実験が行なわれていた。
しかし少年がここで膝を抱えているのは、実験が嫌で逃げ出したからではない。どころか、特に実験を嫌だと思ったこともない。
施設の仲間達との仲もよく、研究者達ともうまくやっていると思う。両親が死んでしまったことは悲しかったが、それでも現状に不満はなく、周囲の者との間に壁もない。
世界は驚きと感動に溢れていて、生きていれば楽しいことも沢山あって、前を向いて歩いて行くことは難しいことではないと思えた。
自分では、そう思っていた。
「…………それで良かったはずだったのになあ……」
でも、周りの仲間達はそうは思っていなかった。
家族を喪った悲しみに暮れる者。
現実に絶望し塞ぎ込む者。
幸せな日常を奪ったラルヴァに復讐を誓う者。
皆ラルヴァを倒すという目的が無ければ生きていけない者達ばかりだった。
―――だからこそ、彼らは現状を受け入れることができた。
家族を喪った者は今度こそ仲間を守ると決意した。
現実に絶望した者はそれを少しでも変えるために立ち上がった。
ラルヴァに復讐を誓う者は貪欲に力を求めた。
目的の元で彼らは一つだった。
そんな集団の中で、響斗の前向きさは異質だった。
それは、僅かな『違和感』と言っていいくらいのものではあったけれど。
多分向こうは何も感じていないのだろうけれど。
―――けれど、そこには確実に歪みがあった。
周囲の者との間に壁などない。
そこにあったのは『温度差』。
ラルヴァを倒す―――その目的にかける熱量の差。
一方で周囲の人間はこう思っていた。
彼もまた、ラルヴァを倒すために辛い実験や訓練に耐えて、頑張って明るく振る舞ってくれているのだと。
そんな見当違いなレッテルは、少年にただ前を向いて生きるということを許さなかった。
刀儀響斗には何もなかった。
誰より高い適性と身体能力を持つが故に、実験で苦痛など感じないし、訓練も簡単にこなせた。
両親のことは災害にでも遭ったものと割り切っていたので、ラルヴァを恨んでもいなかった。
覚悟がない。
熱意がない。
目的がない。
だから―――いつだって『理由』を探していた。
◇◇◇
響斗は固まった体を伸ばしながらゆっくり立ち上がった。
「……そろそろ行くか。一人でいてもつまらないし」
――ごちゃごちゃ考えてもしょうがないよな。
現状に不満がないのは本当なのだ。
たまにこうして一人になりたくはなるが、基本みんなといるほうが楽しい。ならばつまらないことを考え続けたって仕方ない。
世の中なるようにしかならないのだ。
―――この辺りの切替えの早さが良くも悪くも周りと違うところなのだが、少年はそれには気づかず、今日は何をして過ごそうかなどとのんきなことを考えていた。
「みんな今何してんだろ。 今から行ってルールわかるかな……」
湿った地面に座っていたせいでしっとりしてしまったズボンを気にしながら、表に出ようと歩きだす響斗。
彼は気がつかなかった。
目の前の空間に―――水に浮かぶオイルに似た、奇妙な歪みがあることに。
ガクンッ と踏み出した足が何かに捕われた。
「えっ?」
疑問に思ったときにはもう遅かった。足元から重力が消え失せ、バランスを崩した体はそのまま前方の空間の歪みへと落ちる。
「うわあああぁぁぁああああああああぁぁ――――――ッ!!!!?」
そうして、日常に戻り損ねた少年は、更なる非日常へと落ちていく。
深く、歪な―――怪物達の世界へと。
◇◇◇
???
地面にうつぶせに倒れ込んだ。
起き上がろうとついた手が、アスファルトの湿った感触を捉える。
「ぐッ…ぅ………ッ!?」
乗り物に酔ったときのように頭がくらくらする。
ただ何も無い場所で転んだだけ―――な訳がない。体に余韻として残る異質な浮遊感が、気のせいだと思い込もうとする理性を否定する。
「何だったんだ…今の……?」
頭を振って顔を上げると、辺りの景色が一変していた。
そこは、さっきまでいた場所とは明らかに異なっていた。
周囲を取り囲んでいた建物は、見るも無惨に崩れ落ち、地面のアスファルトは叩きつけられたクッキーのように粉々に砕けている。
響斗は呆けたような表情のまま、ふらふらと立ち上がると、辛うじて残る壁の残骸の間を抜けて、施設の表(であるはずの場所)へ歩いて行った。
だが、周囲を見渡せるようになったところで大した違いはなかった。
そこにあるのは、ひび割れ風化した廃墟の群。周囲に人の気配はなく、どころかもう何年も無人で放置されていたようにしか見えない。
まるで、人類滅亡後の未来にタイムスリップしてしまったかのような現実味のない光景だが、そんな考えすらまだ現実的だと思わせる明確な『異常』があった。
まず目に飛び込むのは赤。
蔦や苔が、アスファルトの隙間に蔓延る無数の雑草が―――人の世の残骸を侵食する見渡す限りの植物が、見たこともないような赤色に染まっている。
地獄の業火のような、あるいは世界が流す血涙のような、どうにも不安になる色彩に、言葉を失う。
植物だけではない。
空も。
地面も。
廃墟の壁さえも。
目に見える全ての色彩が狂っていた。
響斗はしばらく呆然と立ちすくんでいた。
どのくらいそうしていたかはわからない。
永遠に続くかに思われた沈黙を破ったのは、唐突に跳ね上がった自分の心音。
何かが、いる。
本能が告げるその情報だけで、全身が粟立つ。
少年はゆっくり後ろを振り返る。
ギチギチ、ギチギチギチギチと。呼吸すら忘れ、体もろくに動かせず、ただ首だけを後ろに回していく。
そして見た。
背後の壁の端に、腐りかけの落ち葉のような色の『手』が掛かるのを。
「――――――――――ッ!!?」
いる。
確実に。
人ではない『何か』が。
逃げなければ。
そう思うより先に、響斗は足音を消すのも忘れて『手』とは反対の方向に走り出していた。
――動け! 動け! 動けッ!!
走る。
ただ走る。
満足に呼吸もままならず、筋肉も疲労で悲鳴を上げている。
それでも止まる訳にはいかない。
今止まればきっともう動けなくなる。
滲んでいく世界を手の甲で振り払って、ひたすらに足を動かす。
パニックと酸欠で動かない頭では、もう自分が何をしているのかさえわからなくなってくる。
だが走る。
走って、
走って、
走って―――
それでも―――そこまでやっても、背後の気配は迫る一方だった。
「うわッ!?」
ついに目の前が眩んで、砕けたアスファルトの上に勢いよく転んでしまった。
すぐに立ち上がろうとするが、叶わなかった。
今までの負荷が一気に押し寄せ、体を起こすことすらできない。
限界だった。
手足に力が入らない。
視界が明滅する。
必死に呼吸を整えながら、なんとか振り返ると、そこには現世のどの生物とも言いがたい異形の怪物がいた。
あえて近いものを挙げるとするならば、蜂と……蛸―――だろうか。
車ほどの大きさの蜂の、足の代わりに軟体動物の触手を付けたような姿、というのが表現としては近いか。全身は腐りかけの落ち葉のような色をしており、本当に落ち葉を纏っているかのような質感をしていた。胸から伸びる触手の先は5つに分かれ、人の手のようになっている。触角や複眼は無く、虫らしいガチャガチャした口だけがのっぺりした蛸のような頭から生えていた。
「………あ……ぁ…………」
夢だと思いたかった。
しかし、転んだ拍子にアスファルトで削られた膝の傷が、じくじくと現実の痛みを脳に叩きつけてくる。
落ち葉の色の悪夢は空中を音もなく飛びながら、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「い、嫌だ……来るなッ………」
動かない体を引きずるようにして必死に後退る。
獲物を見下ろす怪物の、虫のような口がニタリと笑った気がした。
そして、ヒュンッ! という風切り音をと共に、鞭のような振りをつけた触手の一撃が繰り出され―――
突如、少年の目の前に現れた空間の『穴』が怪物の触手を吸い込んだ。
「え?」
事態が飲み込めぬ響斗の前で、怪物か途端に慌てるような挙動をとる。
しかし、怪物が穴に飲まれた腕を引き戻すよりも先に―――パチンッ という小さな破裂音がして、『穴』が閉じた。
「――――――――――!!!!」
『穴』によって触手を両断された怪物が、金属を引っ掻いたような凄まじい絶叫をあげた。
だがそれだけでは終わらない。
パチンッ と、再び小さな破裂音。
まるでスプーンで果肉をくりぬかれたメロンように、怪物の体が幾つも丸く抉り取られた。
ガシャガシャと、存外軽い音を立てて怪物の体が地面に落ち、奇妙に透き通った緑色の体液をアスファルトが啜った。
倒れ伏す怪物はもうピクリとも動かない。
ゆっくりとその骸が端から霧散していく。
「今の……」
決着の寸前、響斗は見た。
絶叫を上げる怪物の周囲が歪み、先ほど響斗の目の前に現れたのと同じ『穴』が空き、そしてそれが回転しながら怪物の体を削りとるのを。
――何だ? 何が起こってる!?
思考が追い付かない。
急展開続きで脳はとうの昔に許容量オーバーを迎えている。
だが―――
「珍しいわね」
少年の混乱に追い撃ちをかけるように、脱け殻の街に透き通った声が響く。
その声は清涼な水のように少年の耳に染み込み、オーバーヒート気味だった頭を一気に冷やしていった。
声のした方へ顔を向けると、そこにはこの世のものとは思えないような、美しい少女が立っていた。
腿まで届く絹糸のような裏葉色の髪。
睫毛の長い切れ長の金色の瞳。
陶磁器を思わせる白い肌。
触れれば折れそうな華奢な体躯を、純白の布を重ねた踊り子のような衣装が包んでいる。
年は10代半ばといったところだろうか。
状況からして、さっきの怪物を屠ったのは、この少女なのだろう。
それがわかっていても、こちらに近づいてくる少女を前に、響斗は動くことはおろか、声すらあげられなかった。
混乱も。
恐怖も。
不安も。
焦りも。
驚きも。
疑問も。
もう、彼の中には存在しなかった。
そんな些細なことはどうでもよくなるくらいに―――少年の頭の中は、目の前の少女のことでいっぱいになってしまったのだから。




