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プロローグ

 黄色く澄んだ異界の空が、岩に腰掛ける少年を見下ろしていた。

 日当たりのよい丘の地面を覆う柔らかい芝生は、紅葉しているかのように紅に染まり、穏やかな風を受けて炎のように揺らめいている。

 そこはこの世の裏側、悪霊の住まう街。

 文明の模造品が立ち並ぶ、脱け殻の世界。


「こんなところにいたの」

 透き通った声に振り向くと、どこか浮世離れした空気を纏う、美しい少女が立っていた。

 腿の辺りまである淡い緑色の髪に、宝石にも劣らぬ黄金の瞳。真紅の世界に浮かぶ、陶磁器を思わせる滑らかで白い肌。

 耳につけた鈴の飾りが、風に揺れている。

 白い布を組み合わせた、踊り子のような衣装を身に付けた少女は、人形のように整った顔をほんの僅かに歪ませて、

「勝手に移動しないでと言ったでしょう? あいつらに襲われても知らないわよ」

「あ、そういえば言われてたっけ……。ごめん、なんかすごくきれいな景色だったから、つい……」

 少女は、困ったように笑う少年の側まで歩み寄ると、

「綺麗、ねえ……。まあ、貴方がそう言うならそうなのかしら」

 そう言って下の町並みを見下ろす。

 そこに広がるのは、墓場を連想させる廃墟の群。ひび割れ風化した景色には、苔や蔦の血のような赤色が染み込んでいる。

 そんな人の世の残骸の合間には、現世のどの生き物とも言い難い異形の怪物がうろついていた。

「………」

 少女は見慣れた景色から視線を戻して、きょとんとした顔をする少年に怪訝そうな目を向ける。

「……でも確かに、ここは良い風が来るわね」

 まあいいかというように軽く嘆息すると、少女は柔らかく微笑んでそっと少年の側に腰を下ろした。

「それで、今日はどんなお話をしてくれるの?」

 少年も嬉しそうに笑い返して、今日のとっておきの話題を口にする。

 友達の間抜けな失敗談や面白いウワサ、散歩中に見つけたお気に入りの場所―――そんな他愛のない話が、二人の間を流れていく。

 頬を撫でる風、芝生の感触、草や土の匂い、遠くの木々のざわめき―――異界の自然が織り成す、穏やかな二人きりの時間。

「この時間がずっと続けばいいのに」ついそんな言葉がこぼれる。


 けれど少年は知っている。

 これが人類に対する裏切りであることを。

 隣で微笑むこの少女が人間ではないことを。

 秘密の逢瀬を重ねる度に、重さもわからない罪が重なっていく。

 そこに罪悪感などは無かったし、それでもいいと思っていた。

 ずっとこの微睡のなかにいられるのなら。


「さてと、そろそろ時間ね」

「え、もう? まだ帰りたくないなあ」

「駄目よ。帰らないとまた大人達に叱られるでしょう?」

 送るわ、と言って立ち上がる少女を追って、少年も名残惜しそうに腰を上げる。

「あーあ、現世で一緒に住めたら良かったのに。それか俺がこっちに住めたらなあ……。そしたらもっと……」

「駄目よ。私は"ラルヴァ"だもの。世界の敵と仲良くなんて、きっと誰も承知しないわ」

 恨めしそうにぼやく少年に、少女はそう諭すように言った。

 どこか寂しそうなその笑顔に、少年はついむきになって言い返す。

「……確かに、みんなそう言うし、俺だってラルヴァを倒すために訓練受けたり……任務に行ったりしてるけど、それでも、俺はラルヴァがみんな悪いやつだとは思わないよ」

 だってさ、と少年は続けて、

「下にいるやつらみたいに無差別に襲ってくるヤバイのもいるけど、いいやつもいるって俺は知ってるよ」

「でも、私だって人くらい殺してるわよ? いいの?」

 少女はそう言って悪戯っぽく笑う。

「だけど俺は殺されてないし……誰に何を言われたって、好きなものは好きだし……こっちの世界だって嫌いじゃないし……えっと、んー……」

 掛ける言葉が見つからない。

 必死に開けた口から漏れるのは、独り言のようなまとまらない考えだけだ。

「……大丈夫よ。今のままでも私は結構満足してるもの。だって、毎日じゃあなくても、こうして会えているでしょう?」

 だから大丈夫、と繰り返して少女は少年の頬に手を伸ばし、そっとその黒い髪を撫でた。

 人と変わらないその手の温もりを噛み締めるように、少年は一瞬押し黙る。

 けれど、すぐに少女の目を見据えて言う。

「……俺、頑張るよ。訓練も任務ももっともっと頑張る。それで、偉くなって、有休とか、自分の部屋とかもらうから。そしたら……」

「そうね。そうしたら、こっそり遊びに行ってあげる」


 好きな女の子に部屋に遊びに来て欲しい。

 そのためにまずは自分の部屋が欲しい。

 ―――なんて言ってしまえば、しょうもない望みに聞こえてしまうかもしれないが、彼は本気でそのために世界の脅威と戦うことを選んだ。

 世界のためだとか言われても正直ピンとこないが、みんなの役に立って、認められて―――それで少女と一緒にいられるのなら、それだけで十分だと思っていた。


 葛藤などないほど純粋で、ある意味この上なく不純なこの思いの先に何が待っているのか―――今の少年には知る由もない。

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