6話
手を振りながら、扉の先の輝君に別れを告げる。
その姿が見えなくなった瞬間、私は胸に手を当ててうつむいた。
「緊張しました……」
未だに心臓がバクバクしているのがわかる。
先ほどの出来事を思い出すだけで顔が熱くなってくる。
正直、あの時の自分はおかしかった。
桜さんに予想外なことを言われて、当てられて、相当テンパっていたのかもしれない。
だからって、だからと言って!
「なんであんなことを……」
気づけば輝君に抱きついていた。
気づけば勝手に口が動いていた。
ハッと我を取り戻してから慌てて誤魔化しはしたものの。
いや、誤魔化しきれたのかすらわからない。
「明日、どんな顔をして会えばいいんでしょうか……」
答えのないその問いは、誰にも聞かれることはなく闇夜の喧騒に紛れていった。
*
「とりあえず、布団どうすっかなぁ……」
「布団?」
もともとこの家は一人暮し前提の家具配置がされている。
まぁそれにしては多少広いお陰で、テレビとソファーの簡易リビングを形成するには至っているのだが、それでもベッドが一つだけなのは変わらない。
「桜は……今日はそのベッドで寝ろよ」
「センパイは?」
「ソファーでなんとかする」
それが一番妥当な案だった。
俺は余所からある程度の大きさのタオルを持ってくると、胸に抱き締めてそのままソファーにうずくまる。
なんだかもう、今日は何も考えずに寝たい気分だった。
だが桜は違うようで、ちょこんとベッドに腰かけるものの、不満そうに足をブラブラさせた。
「えー、センパイも一緒に寝ようよ。私は気にしないよ?」
「俺が気にするんだよ! お前……上が一枚だけだし」
「んー……でもさぁ、そこ気にしてる割には……パーカー貸してくれたりしないんだね?」
「あっ……」
改めて言われて初めて失念していたことに気づく。
そりゃそうだ。薄いと思うなら、下着がないと言われた時点で渡すべきだったのだ。なんで思い付かなかったのだろう。
……とりあえず、断じて意図的ではないことだけは言っておく。
俺は仕方なくのそのそと立ち上がり、羽織り物をとりに行く為にベッドの前を通りかかる。
そこで、不意に桜に左手を捕まれ、強く引っぱられた。
「えっ……?」
それを予想していなかった俺は、抗うことが出来ずにベッドの方に倒れ込む。
頭が布団を打ちつけ、少し跳ねる。その後最初に見たのは、横になった桜の顔だった。
俺は何が起きたのかを理解するのに数秒を要し、目の前の少女はその様子を見て穏やかに笑った。
「今日は、このままでいいよ……?」
未だに掴んでいた俺の左手をもう一度引き、横を向いた俺の胸の隙間に入ってくる。
「いやいや、取りに行くから……」
「だーめ、行かせない」
桜の呼吸で僅かに胸の辺りが熱に吹かれる。
必然的に桜を上から見下ろすことになったお陰で、そのTシャツが役目を果たすのを怠りだす。
このままだと彼女のペースに乗せられると感じた俺は、強引に起き上がろうとする。しかし、それに合わせて強く俺の服を引く彼女によって妨げられた。
「センパイさぁ……桃々ちゃんと何かあったでしょ?」
「……っ!?」
不意に告げられた予想外なその言葉に、身が縛られたように動かなくなる。
それが、相手に図星だと答えるような行為であるとはわかってはいたものの、何故悟られたのかを考えずにはいられなかった。
桜にも桃々にも指摘された通り、確かに俺の行動がおかしくなっていたのかもしれない。
ただ、それを桃々と関連付けて考える理由が何かあったはずだ。
ひょっとして、あの時の会話を実は……
「覗き聞いたりなんてしてないよ? 第一それはないって、センパイもわかってるはずでしょ?」
そうだ。あの時桜は確実に風呂に入っていた。そして俺たちは風呂から聞かれる程の声で話してもいなかった。
でも、ならなんで……
これは一番、桜には知られちゃダメなことのはずだったのに。
その疑問を、桜はなんということはないように解決した。
「センパイ、素直すぎるんだよ。今だって、ほら……私から目を逸らそうとしてる」
「そりゃあだって……」
「私の服が不安なんでしょ? 顔が赤くなってるよ」
ゆったりとしたその首元は、桜が寝っころがっているお陰で肩までさらけ出していた。
その肌が眩しくて目線の向けどころに迷っているうちに、今度は俺の右手を掴むと、横になっている彼女のお腹の上の側面に、自ら乗せるように導いてきた。
薄布一枚越しに彼女の肌の体温が伝わり、嘘みたいに柔らかい感触が腕いっぱいに宿る。桃々とすらやっていなかった女の子との深い接触に、どうすればよいのかわからず固まる。
桜はそれを余裕の笑みで見守った。
「センパイ、ウブすぎるよ……桃々ちゃんとも上手くいってないみたいだし、初日にしてもう私に堕ちちゃうの?」
「……そんなことない。桃々とも……その、もっと頑張って振り向いてもらうつもりだし」
「うん、頑張って……あまり早く終わっちゃってもつまらないし」
桜は俺の胸にうずくまると、不意にくわっ……と、小さな口で可愛らしくあくびをした。それを見つめていた俺に気づくと僅かに頬を染め、目尻に涙を浮かべながら照れくさそうに小さく笑う。
「ちょっと眠くなってきちゃった……センパイ、このまま寝よ?」
「でも、そのままで寒くないのか?」
「うーん、ちょっと寒いかも?」
少し肌を擦り合わせた少女は、すぐにそれを辞めて尚更俺にくっついてきた。
必然的に俺の体が硬直するのを自覚するが、桜はそれを特に気にした様子もない。
「桃々ちゃんのこと、これから堕としにいくんでしょ?」
「あぁ……」
「なら大丈夫だね」
次第に瞼を下ろしていく中、最後ににこやかに笑って桜は眠りについた。
俺はそれを見届けてから、起こさないようにスッと立ち上がろうとして。
不意に胸を引っ張られて、それを妨げられた。
よく見ると、桜が寝ながらにして俺の服を掴んでいるようだった。
「すぅ……」
桜の寝息が聞こえ始める。
俺は仕方なくそこから移動するのを諦めると、部屋の電気をそっと消した。
真っ暗闇の中、そばの温かい感触を受け止める。
その中で、俺も次第に眠りに移行する。
このぬくもりにほだされないように、
密かに桃々への決意を固めながら。
*
どのくらい時間がたったのだろうか。
朝日の光に当てられて、微睡みから引きずり出される。
瞼を開いてその視界に初めて捉えられたのは、未だ俺の胸元にうずくまる桜の寝顔だった。
それを見て、改めて昨晩の出来事が事実だったのかと自覚する。
橋で見知らぬ少女の自殺を見かけて、狂気の契約が一転、不思議な関係を求められて。
桃々に現実を突きつけられたと思ったら、会ったばかりの少女に慰められて。
再びその寝顔を眺める。
この少女のお陰で、大きなことが色々あった。
静かに眠るその顔は、見たもの全てを魅了するようなあどけなさがあって、いつまでも見続けられるような気がした。
ただ、ずっとそうしてはいられない。
その証拠に、遠くで玄関がそっと開く音がした。
ゆっくりと誰かが家に入ってくる。
その一つ一つの動作に、俺たちを起こさないようにという桃々の気遣いを感じて、いとおしくなる。
俺はそっとベッドを去ると、その少女を迎えに行った。
「おはよ、桃々」
「お、おはようございます……」
おずおずと頭を下げてくる桃々を見て、改めて好きだなぁ、と思う。
小さい頃から目を合わしてきた少女は、今も変わらずこうやって見つめてきてくれて。
たとえそこに恋愛感情がなかったとしても、俺はその事実が何よりも嬉しかった。
「今日は何を作るの?」
「手短に目玉焼きと味噌汁にでもしようかと」
「そっか、じゃあ手伝うよ」
「ありがとうございます」
そう微笑みかけてくれる少女を見て。
必ず振り向かせてやろう、と俺は再び心の底から誓った。
お読み頂きありがとうございました。
キリがいいのか悪いのかわかりませんが、これにて『センパイ、襲っちゃってもいいですか?』完結となります。
何か感想を頂ければなにかとモチベになるのでよろしくです。
あとは、ここが読みにくかった、などの客観的な視点もありがたいのでもしあれば。




