4話
「実は、私もセンパイのことが好きなんだ」
もちろん嘘だ。出会ったばかりのセンパイに、そんな感情が宿るわけがない。せいぜい、身元も知らない他人をいきなり部屋にあげるなんて余程無用心、またはお人好しなんだろうか、くらいだ。
ただ、私とセンパイが、困ったときに頼りにするくらいには仲が良いと勘違いしている桃々ちゃんには、私の告白はいかにも本当らしく聞こえるはず。
実際、
「そ、そうなんですか……」
若干頬を染めながらも、桃々ちゃんは困ったように目線を他所にずらして戸惑っている。
その戸惑いを利用しない手はない。
私は恋する乙女の笑顔を意識して作る。
今までひたすら母親にいたぶられてきたんだ。表情を作るなんて、雑作もない。
「うん。だから、お母さんのことは心配だけど、それと同じくらいセンパイと暮らせることになって嬉しいんだ」
「えーっと、なら……私がこうやって料理を作りに来るのもお邪魔ですかね……?」
「いやいや、全然!」
桃々ちゃんが身を引こうとするのを、全力で静止しにいく。
そうなっては困るのだ。もう既にセンパイとは、“桃々には手を出さない“という約束を結んでいる。
もし桃々ちゃんが料理を作らなくなったら、もちろんセンパイは私が何かやったと思うだろう。そうなれば、センパイを堕とすどころじゃない。確実に家を追い出されてしまう。
そんな面白くないこと、させるわけがない。
「ただ、私はガンガンセンパイを狙いにいくって、桃々ちゃんには先に言っとこうと思って」
こうすることで、私がセンパイに積極的にいっても、違和感を覚えられずに済む。そして、もっと面白くも出来る。
「だからさ、私と勝負しない?」
「勝負……?」
「うん、どっちが先にセンパイを堕とせるかの勝負」
こう言ってはいるが、実際はこの勝負の結果は現時点で決まっている。もう既にセンパイは桃々ちゃんに惚れてるのだから。
故に、勝負を仕掛けた本当の目的は勝ち負けじゃない。
桃々ちゃんに、私を強く意識させるためだ。
曰く、“私は本気だぞ?“と。
「……ごめん、なんか嫌な空気になっちゃった」
「いえいえ! わざわざ言ってくれてありがとうございます」
これで、少しくらいは私の話を聞いて桃々ちゃんの心に焦りが出たはずだ。その焦りが少しでもセンパイへの行動に変わればいい。
元々センパイと桃々ちゃんは好き同士、私が何もしなかったらそのうち二人は結ばれるだろう。
ただ、私がその間に割り込んだら?
センパイは、桃々ちゃんへの気持ちを、信じながらも失っていって。
桃々ちゃんは、何かしたくとも何も出来ないまま、それを見つめ続ける。
こんなに心が高ぶることはない。
私以外の皆も、私と同じように全てを失っちゃえばいいんだ。
私が皆と違うんじゃない。皆が私と違うんだ。
皆も大切な何かを失ったら、きっとわかってくれるはずだから。
何かを持っている人がいなくなったら、きっと何も持ってない人を見下す人もいなくなるはずだから。
ただ、私の力だけでは皆を変えることなんて出来やしない。
だから、私の手が届く範囲だけでもやってやる。
手始めには、センパイ達から。
「ごちそうさまでした。桃々ちゃん、美味しかったよ」
「え……? あっ、はい! お粗末さまでした」
目的達成の為には、桃々ちゃんともある程度友好な関係を築く必要がある。
全力で『明るい輝君の後輩』を演じきってやる。
「私も皿洗い手伝うよ!」
「助かります、取り敢えずお皿を片付けてしまいましょうか」
センパイが風呂から上がってくるまでの間、私たちは、少なくとも表面上は、朗らかな雰囲気で言葉を交わし続けた。
*
「あ、輝君……」
風呂から上がってリビングに戻ると、桃々が心なしか苦味を帯びた顔で迎えてくれた。
「……どうした?」
「い、いえ! 何もないんです!」
「そうか? それなら良いんだけど……」
俺の取り越し苦労なら何の問題もない。ひょっとしたら桜関係かも、とは若干思ったのだが、桃々が何もないと言うなら俺が気にすることはない。
思考をそこで切って肩にかけたタオルで髪を拭いていると、ふと桜もこちらをじっと見ていることに気づいた。
「へぇ……」
「……なに」
「いやぁ、別に」
桜はそのまま俺のそばまで歩いて来ると、こちらを見上げてくる。
その耳元で、桃々には聞こえない程度に囁いた。
「センパイ……風呂上がりだと、まぁまぁ格好良いじゃん」
「……っ!? うるせぇ! お前も早く風呂入ってこいよ!」
「はぁーい」
誤魔化すように慌てて叫ぶが、桜は俺の顔が仄かに赤くなっていたことに気づいたのだろう。ニヤッと笑ったあと部屋を出ていった。
クソ……いや、仕方ないんだよ
見てくれだけは良い女の子に耳元で囁かれて、褒められて、挙げ句その吐息が僅かに耳を撫でて……
っていや、もういい。あいつのことを考えるのはやめよう。なんかシャクだ。
先ほどのことを忘れるように乱暴に髪をバサバサして乾かすと、使い終わったタオルを洗濯物籠に放り込んだ。
そのままソファーに腰かけると、そこでちょうど桃々も皿洗いが終わったらしく横に並んで座ってきた。
この行為自体は、ずっと一緒に過ごしていたらよくあることで、俺は気にも止めず目の前でついていたテレビをぼんやりと眺める。
ただ、その後の桃々の様子だけは違った。
ふと顔に視線を感じて横に目をそらすと、いつにも増してこちらを映している瞳が二つ。
どうした? と目線で訴えてみるが、彼女はそれには答えずに静かな笑顔を浮かべるだけだった。
「ふふっ、輝君……髪がボサボサになってますよ?」
こちらを覗き込んで口元を隠しながら笑う桃々は、俺の髪に手を伸ばすと手櫛でまっすぐに梳いてくれる。
「あ、ありがとう……」
「いえ」
滅多にないその行動に、思わず口どもってしまう。
別に付き合っているわけでもない俺たちには、こんな接触すらめずらしかった。
何はともあれその動作が、まるで桃々が俺の頭を撫でているようにも見えて、何だか照れくさかったのだ。
桃々はどんな反応をしているのだろうと気になってチラッと桃々を覗き見てみるも、彼女は先ほどの笑みを浮かべたまま。
「何かあった……?」
「えっ……何でですか?」
「いや、なんか……いつもより積極的だなって思って」
「あー、そうですね……そう言われると、何かあったのかもしれませんね」
「なにそれ」
冗談めかした桃々の答えに、互いに顔を見合わせて微笑すると、桃々はゆっくりと頭を俺の肩の方に寄せてきた。
必然的にその髪が俺の顔に近づき、甘い香りが仄かに漂ってくる。
「も、桃々……?」
俺の動揺を見るも、まるでイタズラが成功したかのように微笑むだけ。
そのまま桃々は俺の腕を両腕でそっと挟むと、その右手で俺の腕を肩から手の甲まで、なぞるようにゆっくりと滑らせた。
腕が人肌に包まれて、ふんわりとした感触とともに温まっていく。
こそばゆい感覚が上から下へ駆け巡る。
彼女は流れるように頭を上に僅かに傾け、上目遣いで俺をじっと見つめてきた。
「本当に……どうしたの?」
その問に、やっと桃々が答えを示す。
「なんだか今日は、そうしたい気分なんです。……それじゃ、ダメですか?」
「いやいや、全然! そういうわけじゃないんだけど……」
憧れの女の子にくっつかれているのだ。嬉しくないわけがない。
ただ、桃々は今までこのような行為はしたことがなかったし、するような性格でもなかった。するような関係でもなかった。
桃々は何もないと言っていたが、ご飯の時まではいつも通りだったのを考えると、やはり俺が風呂に入っているときに桜と何かがあったのは明白だ。
その内容が気にはなるが、桃々は別に困っていなさそうに見えるし、このまま放っておいても大丈夫かのように思われる。
ってかぶっちゃけ放っておきたい。
それほど今の空間は、日常とはかけ離れていた。
だから今考えると、その時の桃々の思考もきっと正常ではなかったのだろう。
「ねぇ、輝君……もし私が輝君のことが好きって言ったら……どうしますか?」