7.わたしの性別を勝手に決めないで!
日々TSネタを書いていくこのエッセイ。当然ですが、扱う内容は女性から男性に変わるっていう作品がメインになっているかと思います(マジレスすると、TSの8割は男→女だと思う。というか、目が覚めたら女の子になっちゃったってだけでコンテンツがなりたっちゃうこの国はある意味やばい)。
ですが今日扱う内容は、「男」や「女」って概念そのものを否定します。
ちょっと……立田が言っていることの意味が分からないっていうそこのあなた。安心してください。正常です。というか、普通の人ならたぶんそう思うのが普通。
そりゃそうでしょ。幼稚園の頃から男の子と女の子で分けて、男の子は男の子らしく。女の子は女の子らしくなんてやってる国だよ? 男の子は戦隊モノのマネしても怒られないけど、女の子ははしたないとか言われない? その逆で、女の子がぬいぐるみ抱えてても何も言われないけど、男の子だったらそんな露骨じゃないにせよ何か言われるでしょ? 男の子らしくなさいって。
極端だけど水着一つとっても、女の子用と男の子用は違うでしょ? 女の子は幼少期でも胸元を隠すし、男の子は晒すことになるし。第二次性徴も始まってないのにちょっとナンセンスでしょ? まあだからって女の子と男の子、同じような水着にしろって言ってるわけではないので、そこは勘違いしないでね。あくまで例えの話。
ともかく、まあそんな環境で育てば、世の中の9割5分は男女の括りって概念を疑うわけがないですよね。まあ最近はジェンダーレスって概念が浸透し、衣服や靴を中心にユニセックスなものが出ていることからも以前ほどその境界はあいまいになっているとは思いますけどね。
ただそうは言っても、男女ってくくりの本質はやっぱり壊せないのが現実。なぜならオスとメスって違いは、生物の根幹でもある以上やっぱり壊せないものだからです。まあ、当たり前すぎるんだよ。その概念が。だからこそそれにはみ出るってことは、たぶん普通に生きている人にはイメージがつかない。
それなのにどうしてこういう話題を上げたのか。それは、この連休で読んだマンガ『不可解な僕の全てを』(※1)に影響を受けたから。
TS好きな人なら、もしかして知っている人も居るかもしれませんね。TSと親和性高いですし。でもTSと同じようで扱ってる内容は全く違うこの作品。あらすじをちょっとだけ書くと、以下のような感じ。
女子の制服を着て学校に通う高校生もぐもは、ひょんなことからカフェのアルバイトに誘われる。可愛い服を着て働けることに最初は喜ぶもぐもは最初は喜ぶのだが、いざそのカフェに行ってみるとそこは普通のカフェでは無く男の娘カフェで……。
これだけ見れば、このエッセイの読者なら「主人公のもぐもは男の子だけど、女の子になりたい」とか「可愛いもの好きなんだな」って思うことでしょう。ですがもぐもは、この「男の娘」カフェはともかく、「男の娘」であることに激しく拒絶します。
実はもぐもは、性別違和でも可愛いもの好きでもましてゲイでも無い。Xジェンダーと呼ばれる、男女のどちらにも属さない立場の人だったのです。
TSを書いている人間としては、正直こういう話題にはかなり詳しいって自覚はあったつもりでした。
実際、ノーマルと比べて親和性は比較的高いつもりでしたし、性別について与えられた枠組みから大なり小なり離れている自覚はわたしも持っていたつもりでしたから。
でも蓋を開ければ、最初は何だか分からないって感覚が大きかったんです。
わたしも「僕は女の子になりたい」って小説を書いてる人間です。この作品は創作ですけど、自身の体験も多少は乗っかっているし性別違和の人の気持ちも多少分かっていていたつもりでした。
でも、「自分の性別に違和感がある」っていう感情は結局そのバックグランドに「男性」と「女性」って枠組みがあるから。だからこそ、こういう発想に至るのかなって思うようになったんです。
でも、読み進めているうちにXジェンダーの人の気持ちもちょっとずつ分かってきたんです。
男でないなら、女なのか? 女でないなら、男なのか?
もしも性別違和だとしたら、男性の身体に女性の心を宿すことになるでしょう。そういう枠組みとして社会は見ていると思います。当然その人は、男性が好きだってことになってしまうと思います。だってその人は性別違和で女性って枠組みにカテゴライズされるから。
でも本当にそれであっているんでしょうか?
そういうところを突き詰めたところに行きつく末が、このXジェンダーと呼ばれるものなんじゃないでしょうか?
自分の性別が、自分と合っていない。でもだからって、必ずしも異性になりたいってことにつながることは無いと思うんです。
わたしも最初は、もっと女らしくありたいって思うところはあって。それに重ねて男って性別へに反発心がいろいろごちゃまぜになって筆をとりました。それが、TSを書き始めた原点。普段の生活では、与えられた役割に応じた立ち振舞いが求められるから。
でもだからって、女なら良いのかっていわれればそんなわけもなくて。もちろん男で良いのかって訳でも無くて。
男らしく振る舞え。女らしく振る舞え。――正直言います。もうたくさんです。そんな風にしばって、何になるの? ありのままに、したいように振る舞うことの何が悪いの?
そりゃそうするのが社会を上手く回すために必要だってことは分かってるんです。男と女って枠組みをこの社会からとっぱらえば、間違いなく大変なことになる。傷つく人がたくさんでてしまう。
お互いの性別を守るために、こういう枠組みが必要ってことも分かってるんです。
でも最後に2つだけ。
『ぼくの性別をおまえらが勝手に決めるな!!!(※2)』
『男の娘っていう肩書きを僕たちから奪わないで(※3)』
世界には、どっちでも無い人だって確かに居るんです。そういう人たちにとって、「男」「女」って枠組みは重圧なんです。
でもね、もう一方でこの枠組みに救われている人だっているんです。それはノーマルに限った話じゃない。実は、自身の身体と性別が合わないって思っている人も男女の枠組みによって救われることがあるんです。
男女の差が、良い意味で小さくなりつつある時代です。若い世代の中では、今まで受け入れがたかった性的マイノリティを徐々に受け入れる下地ができている。というよりもそういうのに寛容に。いや、気にしないって人が多くなっています。
だけども、社会の目はいまだにこういう人間に厳しいことには変わりありません。そんな中、わたしたちはどうやって乗り越えていけば良いのでしょうか、という疑問を最後に投げかけてこのエッセイはおしまいにします。
ちなみにこういうシリアスなお話の題材として先ほど紹介しました『不可解なぼくのすべてを』。確かに、部分部分で心が締め付けられるところもありますが、それでもバッドエンドってことは無くて登場人物のみんなが自分らしく輝いていて、とてもいい作品です。
個人的にはめいちゃんが一番の推し。主人公に厳しい言葉も掛けるシーンもあるけど、自分にも厳しいことへの裏返しだし、彼女には色々共感するところが多くありました。
こういうエッセイを読む人ならば、間違いなくお勧めできる一冊です。
例の病気も流行っていることですし、この週末はマンガでも読みながら家でのんびりっていうのもいかがですか?
(注釈)
※1 粉山カタによるマンガ作品。2019年2月初版。自身が男でも女でもない性別だとする主人公もぐもと、男の娘カフェ「Question」のスタッフたちの、自身のアイデンティティや友情を描く物語。
※2 『不可解なぼくのすべてを①』p.24より
※3 『不可解なぼくのすべてを①』p.55より