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そのとき君は笑った  作者: いっこ
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そのとき君は笑った【1】

  私は石島。職業はライター。今日は上からの命令で、とある若い女性の話を聞きにやってきた。しかし企画書を見た段階から、私はこの仕事に不穏な空気を感じていた。性に合わないというか、小難しいというか…要するに、この企画の第一印象としては『面倒臭い』だった。


  その女性との待ち合わせは、A駅から歩いて10分の大きな喫茶店だった。その喫茶店の特徴として、分煙であること、そして隣の人の顔が見えない程度の仕切りが設置されていることだった。場所を指定したのは、これから取材をする女性だそうだ。個室とまで贅沢は言わないが他人に顔が知られたくないという繊細な心と、分煙と言いながらもしっかり喫煙スペースを指定してくるところから、自己管理ができない少し子供染みた女性であると、出会う前に大体のイメージを膨らませながら私は待ち合わせの喫茶店へ向かった。


  喫茶店に着き、コーヒーを頼んで喫煙スペースに入る。目印は大きな白のバッグに、茶色のクマのストラップをつけているという。企画書によると、確か25歳のはずだが、どうやら趣味も子供っぽいようだ。私は慣れない喫煙スペースの匂いに鼻をムズムズさせながら、白のバッグと茶色のクマを探した。

  喫煙スペースはそんなに広くはなく、『目印』はほどなくして見つかった。一番角の、壁側の席だ。私は、コホンと小さく咳払いをし、そのテーブルに近付いた。


「宮下佐奈子さんですか?」

「…はい。あなたは石島さん?」

「その通りです。お待たせし申し訳ありません」

  私は彼女に名刺を渡した。彼女は深々とお辞儀をしながら名刺を受け取り、目印にと置いてあったバッグを自分の席の隣に置き直した。私は、その空いた席に座った。


「お話は、ある程度うかがっていると思いますが」

「…はい」

  宮下佐奈子は下を向き、声を曇らせながら返事をした。膝の上に置いた両手が震えているのが、彼女の両腕の小さな動きから伝わってくる。

ーーやりにくい。

ーー本当に、気が進まない仕事だ。

  このような本音は、もちろん決して彼女に悟られてはいけないわけだが、上からの命令なのだから仕方がない。

  そもそも何故このような企画になり、何故彼女が選ばれたのかも私の知るところではない。私は、革製のカバンの中からファイリングされた書類を取り出し、テーブルの中央に置いた。

「今回の企画書です。目は通されていますか?」

「…はい」

  相変わらず下を向いている宮下佐奈子。普段はどんな仕事をしているのだろうか?少なくとも、人に会ったり何か大きな仕事を動かせるような雰囲気は感じられない。引っ込み思案の小さな子供が、そのまま体だけ大きくなったようだ、と感じた。


  企画書の下には、宮下佐奈子のおおまかなプロフィールが書かれていた。現在25歳。A型。都心から少し離れたベッドタウンにて一人暮らし。職業は…在宅イラストレーター。

  なるほど。聞こえは良いが、要するに『引きこもりと紙一重』ということか、と私は溜め息をついた。世の中の全員を知っているわけではないが、私の経験上、『在宅イラストレーター』と『在宅プログラマー』は、何らかの事情で社会に出られないものが、それでも生きるためにとお金を稼ぐ方法を模索した結果、行き着く場所であると認識していた。そのイメージを、私は宮下佐奈子にも丸々当てはめたのだ。


「お話をうかがう日程としては、十分余裕を見ているつもりですが。場所柄、あまり長居はできません。今回は少しお話を聞いて、それぞれ感じたことを家に持ち帰り、次回その考えを元にまたお話をしていきましょう」

「はい。園部さんにも、そう言われています」

  園部とは、私にこの仕事を与えた張本人だ。私の知らないところで何を企んでいるかはわからないが、話がスムーズに進むのならこの上ない。中には企画自体を把握しておらず、1から説明することもしばしばあるのだから。その点、彼女との話はうまく進みそうだ。


  しかし、今回は内容が内容なだけに、不安があった。

  彼女との会話で何か1つでも間違いを起こせば大問題になる。会話がうまくいっても、それを文字に起こした際、言葉選びを間違えば批判の的だ。

  何から何まで、とにかく気を遣う案件であることに間違いはなかった。


  今回の企画は、『虐待被害者の生の声』。今、私の目の前にいるこの宮下佐奈子も、もちろん虐待被害者というわけだ。

  誰が加害者であるのか。具体的な内容は。その時の彼女の心境の変化は。様々なことを彼女から聞き出し、文章にまとめて世の中に出す。これが、今回私に与えられた仕事であった。

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