第四章 器
お世辞にも息が合っているとは言えない粋と加賀のタッグ。それでも個々の能力が高く、強引に高度な連携攻撃へと昇華させているのは流石である。しかし、そんな中でもただ一人で相手する雷歌は、無表情のまま淡々と迎え撃っていた。
一方的に粋達の傷が増えていく。まだ少女には刃の一つも届いていない。
「志桜くん、無事ですかな?」
「まあ、致命傷は避けてる。けど、こっちの攻撃が当たんない」
速さを売りとしている粋ですら触れられない。それどころか迎撃をもらってしまう。
粋はもう一度、袈裟懸けに斬りに走った。刃が空を切り、ランスが粋の胸を突く。それを純白の翼で受けて、その勢いで後退した瞬間、粋の手から銃が弾き飛ばされ、黒鉄が舞った。
「チッ……」
舌打ちしながら粋は思わず片手を押さえる。
間合いを切りながら翼で相手の視界を塞ぎつつ、対霊銃を使おうと思った。しかしそれよりも早く、雷撃が粋の手を撃ったのだった。
「……まったく、雷使いってのは、どいつもこいつも掴みどころのない戦い方をしやがるんだから」
粋がぼやいた時、通信機から声が鳴る。
『ちょっと粋、それあたしのこと?』
「おつー、瑞音。まあ細かいことは気にしないで、戦況と分析よろしく」
周りを見ると、見事に戦力が分断されており、竹中とユズリの戦況が確認しづらい。
『……いいけどさ、別に。竹中さんは吉田さんからの指示通り、回避に専念。ブースターを頼りに上手く十体を引き付けながら無理しない範囲でヒットアンドアウェイを繰り返してる。致命傷は与えられないだろうけど、時間稼ぎは安定してできそう。ユズリちゃんは……防戦一方だね。ただ相手も本気には見えないし、上手にいなせている。今すぐに助けがいるほどじゃないと思うよ』
瑞音の見立ては信頼できる。ならば先にこの雷歌を倒してから他に向かうのが良いだろう。
「どうも。で、こっちの弱点とかは? 観察して、もしくは同じ雷使いとして何かない?」
そう尋ねると、瑞音はしばし間を置いてから答える。
『……自分でそう訊くってことはさ、わかってるんじゃないの? ……ないよ。接近戦、遠距離ともに隙の無い完璧なカウンター。身のこなしに一切の無駄がない。攻略するには、物理的に回避防御が不可能な攻撃を展開するか、純粋に戦闘能力で圧倒するしかない』
観察眼は瑞音の方が遥かに優秀ではあるが、戦闘にのみ関していえば、粋は経験と知識を含めて同等以上の能力を持っている。視点が違えば見えるものも違うというが、その粋が直接手合わせをしたのならば、他の視点だろうと新たな発見をできる者など、少なくとも聖霊騎士団本部にはいないだろう。
少ない可能性にすがるほど、今は余裕がない。
「面倒くさい相手だなぁ」
『まあ、もしくは――』
「なんかあんの?」
『……攻撃しないとか』
「あー……それ考えたけど、今は瞬殺してユズリを助けに行かないといけないから」
カウンター主体ならば、自ら攻めて出るのは苦手かもしれない。あくまで可能性の話ではあるが。
『だよね。――ねえ、あたしも出ようか?』
「まだいいよ。けど、いざとなったらそっちの判断で頼むわ」
通信中も加賀が雷歌と交戦している。
力強くも大振りな加賀の一振りは当たりようもないが、見事なカウンターも剛力玄武の耐久を落とすには苦労している。
「志桜くん、ここは私が引き受けましょう。君はユズリくんを……」
攻撃を浴びながらも、加賀は余裕がありそうに声をかける。
その言葉を途中で遮り、粋は目つきを砥いで銀色に輝くもう一つの霊珠を取り出した。
「いや。こいつとは今ここで一気にケリをつける……憑装!」
粋の体を光が包む。機械のような翼を発現させて、光は収束する。
ビリビリと空気が振動する。
加賀は敵から距離を取り、目を見開いた。
「これが、二重憑装……なんと凄まじい力……っ! これならば――」
期待に輝く瞳。しかし雷歌という少女は相変わらずの無表情で、涼やかに立っている。これほどの手練れが、自らを大きく上回る、跳ね上がった粋の霊素を感じ取れないはずがない。それでも反応を変えないというのは、少々不気味ではある。
しかしそれが手を止める理由にはならない。
「行くよ。手加減しないけど、恨まないでよね」
「…………」
少女は構えすらしない。その無防備な姿に、粋は躊躇いもなく接近する。その速さは目にも止まらないほどで、少女の紅い瞳も追い切れてはいない。
もらった――死角に回り込み、刀を振るいながらそう思った。
だが振り下ろした瞬間、手には何の手ごたえもなく、腹部に強烈な衝撃が走った。
「ぐ……っ!」
二重憑装による強化がなければ、貫かれていたかもしれないほどの一撃。
明らかに見失った、それも身体能力が上の相手への完璧なカウンター。粋は体勢を立て直すが、直後に膝が折れる。
雷歌の実力を見誤っていた。決して油断したわけでも、手を抜いたわけでもない。それでも及ばない相手だということだ。
「……さて、どう攻めたもんかな」
額に浮いた汗を手で拭い、対称的に汗一つない顔の雷歌をにらみつける。
粋は戦闘において、恵まれた体格に生まれていない。それでも憑装時、非憑装時の両面で聖霊騎士団の上位にあるのは、その他の要素で補っているからに他ならない。技を磨き、相手の目線や表情、息遣いなどを観察し、先を読む。心理戦を絡め、カードゲームのようにハッタリや奥の手を何度も切り、優位に立つ。
しかしこの雷歌には、その全てが通じない。
技を返され、無表情を筆頭に何も読めない仕草、心理戦すらとっかかりがない。
粋にとって、あまりに苦手な相手だ。
一方、剛力玄武こと加賀は圧倒的な攻撃力と耐久力に物を言わせた戦闘スタイルだ。簡単に雷歌のカウンターに屈することはないが、稲妻のような彼女を捉えられるはずもない。
――考えろ!
粋は思考の海に深く意識を沈める。
粋の中ではずっと引っかかっていた最初の攻防、それと二重憑装してからの初撃。完全に死角から打ち込んだというのに、完璧に対応して見せた。対霊銃を使おうとした時も、逆算すると視界にない銃を狙って雷撃を放ったことになる。
認識外への対応……では、何に反応している?
空気の揺らぎでも感じているのか、見えないものを見ることができるのか、あるいは殺気でも読み取っているのか。
粋は刀を鞘に納め、滑らかな足さばきで静かに間合いを詰める。
加賀との攻防の間に打ち出した、殺気を殺した神速の抜刀術。
音もなく、無から有を生み出すように、突然の斬撃が雷歌を襲う。だが、結果はこれまでと変わらなかった。どうにか反撃は回避したが、やはり攻撃は当てられない。
「……なるほどね」
「何かわかったのですかな?」
加賀は少しだけ呼吸を乱して問う。顔にも汗が浮かんでいる。
「小細工が通用しないことはわかった。あとニ対一がさしてアドバンテージにならないこともわかった。加賀さん、僕一人でやってみるから、他の助けをお願いできる?」
「それは構いませんが、勝算あっての話なのでしょうな。なにか考えがあるのであれば、お聞かせ願いたい」
「残念ながら……」
と意地悪く一間置き、
「瞬殺は諦めた。でも戦う手段がないわけじゃない」
「ふむ。それは?」
「あいつは常に理想的なカウンターを撃ってくる。それなら思い通りの場所に撃たせるように誘導できるはず。来るとわかっている攻撃なら対処できる。それにこっちがカウンターを合わせる」
雷歌を睨みながら加賀に説明する。
「しかし、それすらも迎え撃たれるのでは?」
「それをさらに返す。そうしてずっと繰り返して、最後にあいつが詰むように仕立て上げる。カウンターってのは強力だけど、読みさえすれば主導権は仕掛ける側でも取れるんだ。体勢を全く崩さないなんて不可能だから」
すでに粋の中ではシミュレーションが済んでいる。まずは七十五手後、右肩に斬撃を届かせる。
「計算通りに動く必要がある。それに時間もかかる」
まだ仕留めるまでの計算はできていない。一撃を入れるだけで途方もなく時間のかかる地味な戦いが延々と続くのだ。
「……良いでしょう」
加賀は頷くと、通信機に声をかける。
「紫電の魔槍、私はどちらに向かえば?」
『そうですね……加賀さんなら十体の量産型なんか瞬殺できますよね。一部が暴走し始めています。竹中さんが押し切られる前に、他に被害が出る前に制圧してください。ただ、ユズリちゃんもおそらく活動限界が近いです。早急に竹中さんと二人で支援をお願いしますね』
「君は……見かけによらず、なかなか人使いが荒いですな」
『この編成と戦況じゃしかたないじゃないですか……なんなら、あたしも出ますけど?』
「いえ、それは結構。君には君の役割が、私にもエースとしての責務と意地があります」
それだけ言うと、加賀は軽々と巨大な戦斧を振って構え直し、竹中のところへと向かった。
少女は口元に鉄扇を当て、くすりと笑う。
「どうしたの? これが世界樹ユシュの実力?」
お互いに全力を出していないため、どちらも負傷していない。しかし手抜いて攻めているだけの風香とは違い、防戦一方のユズリは疲労の色が濃い。
「……わからないよ。わたしがあなたに何をしたのか。どうして、こんなに憎まれているのか……」
「そうだろうね。だってこれは逆恨み。きっとキミは、ボクのことさえ覚えていない。そうでしょ?」
瓦礫の山に立ち、片膝を着くユズリを見下して悪気の欠片もなく、風香は言ってのける。ユズリは何も返せない。これまで関わった人間は数少ない。それも同年代となれば、かぐや以外に接点すらもなかった。
仮にあるとするならば、それは夕凪と出会う以前の話であり、彼女にはその頃の記憶がほとんど残っていない。辛い経験と流れた年月がそうさせた。
ただ「世界樹ユシュ」という彼女の口から出た言葉。聖霊騎士団に入り、夕凪の遺志を継ぐために自らの境遇をも含めて学んできた今ならば、そこから推測ができないわけではない。
「……ユシュは知っているの? あの子のこと」
小声で問う。
推測が正しいならば、おそらく彼女たちは――。
『たぶん、私の器の元候補者……でも、あの時は私も意識がほとんどなかったし、候補者の数も多かった。誰のことも覚えてない』
最終的にユズリが選ばれた世界樹の憑装者。その選抜には、数多の候補者があった。鬼羅とは違い、私利私欲のなかった千石研究所でさえ、世界を救うため、秘密裏に非人道的な実験が一つもなかったと言えば嘘になる。
犠牲者はいたはずだ。
ユズリが悪いわけではないが、研究所なき今、その矛先を向けられる理由はわからないでもない。例え逆恨みであろうと、何かに向けなければ自分を傷つけてしまうのだろう。
ユズリは珍しく苦笑う。かつて白竜の憑装者にも似たような指摘をされ、最近も似たような怒りを向けられた気がする。慣れたものだ。
その表情が、風香の余裕をわずかに削った。
「なんだよ、その顔。バカにしてるのか?」
チリつく空気。吊り上がる眉。鉄扇が振りあげられると、力強く噛み合わさった白い歯が見える。
「ううん、ごめんね。もしもあなたの言う通り逆恨みなら、もしかしたら仲良くなれるかもって、今はそう思っちゃうんだ」
「は?」
ユズリはこの戦いに希望はないと思っていた。量産型の戦闘員と違い、暴走気味なわけではなく、結城火雨とは違い、明確な悪意を持っているわけでもない。それが攻撃することすら躊躇わせていた。
しかし一筋の光を見た。
かぐやに敵意を向けられて、それでも互いを知って、歩み寄り、語り合うことで仲良くなれた。この風香ともそれができるなら――。
この場にいないかぐやが、ユズリに勇気と希望をくれる。
「仲良く? なれるわけないだろ。選ばれなかったボク達の痛みも知らずに、よくもそんな甘えたことを――っ!」
「うん。だから教えてよ。あなたの痛みも苦しみも、わたしは何も知らないから。だけど、知りたいんだ」
ギリ、と少女の歯が軋む。穏やかな表情を浮かべるユズリに、憎しみが加速する。
「黙れ……」
「わたし、戦うよ。倒すためじゃなくて、あなたともっとお話ししたいんだ」
「黙れ――っ!」
鉄扇が振られ、風の刃が無数に飛んでくる。
ユズリは横に跳んで転がる。先ほどまで立っていたアスファルトが無残にも切り刻まれる様を横目に流し、風香に向かって懸命に駆ける。
同時に高まる霊素の波動。
風香の目つきに警戒の色が差す。自身には及ばないが、脅威を感じないわけではないほどの圧と戦意。
アスファルトを突き破って、何本もの蔦が風香に迫る。
腕の一振りだけで、鉄扇が生んだ風の壁がその全てを斬り裂く。だが、その一瞬は隙でもある。
彼女の足元から、更に植物が生える。
「なっ……」
力では敵わないかもしれない。だからと言って勝てないとは限らない。
劣勢を覆すための技術は、武術と呼ばれる。劣勢を覆すための作戦は、戦術と呼ばれる。
粋から叩き込まれているのは単なる技術だけではない。今やユズリは、未熟でありながらこの場に立つことを許された貴重な戦力なのである。
風香は瞬時に高く跳躍し、生えてきた若木に風を放つ。
斬られる直前、一つ実らせた栗のイガが攻撃を縫うように飛んでくる。
それが爆ぜた。
「くっ――」
無数の棘が風香を襲う。風の壁は間一髪のところで間に合った。その着地の瞬間、走り続けたユズリの拳が少女に届く――。
「ボクを……舐めるなァ!」
風香の瞳が輝き、霊素が跳ね上がる。そしてその背には瞳や髪と同じ、淡いエメラルドグリーンの翼が生えた。
暴風が刃を含んで縦横無尽に吹き荒れる。瞬時に蔓を編んで壁を作るユズリだが、圧倒的な力量差の前ではその抵抗も虚しく、三秒と防げない。
ユズリはさらに霊素の波動を強め、移動しながら何度も壁を作って凌ぐ。活動限界を早める行為だが、背に腹は代えられない。
風香の攻撃は、まるで竜巻を自在に操っているかのようだ。それは生きている竜のようにうねり、辺りのものを巻き込み破壊しながら動き回る。反撃どころか近づく隙すら与えない。
街が壊れていく。
「どうしたの? 戦うんじゃなかったの? ねえ!」
激昂した少女は全てを破壊しつくす勢いで竜巻を振り回す。
雑だが単純な威力や範囲が桁違いで、ユズリは徐々に追い詰められていく。
「これで、トドメだッ!」
妖しげな軌道に虚を突かれ、ユズリの足が止まってしまう。そこに竜巻が迫る。
壁は……それどころか、もう憑装状態を保つことすら難しい。顔色は蒼く、汗が浮き、呼吸が激しく乱れている。
もはや対処する余力はない。
凶悪な旋風がユズリの体を斬り裂く、その寸前、
「加速、加速、加速――ッス!」
叫ぶ竹中の声とブースターの噴射音。
「頼んまッス、剛力玄武!」
「任されました――フン!」
竹中に放られ、高速で飛来する鋼のような肉体。それから振られた戦斧は、竜巻を粉砕して見せた。
「よく頑張りました、ユズリくん。あとは引き受けましょう」
頼りになる、おおらかな男性の声。その堂々とした立ち姿には安心感さえ覚え、ユズリは荒い息の間に安堵の溜息を吐こうとして首を横に振った。
「待って、ください……わたしは、まだ……」
「そこで休んでいたまえ。話があるのならば、彼女をねじ伏せた後で」
さらりと言ったこの言葉が、風香の眉間に皺を作る。
「雷歌からコソコソと逃げてきたくせに、ボクに勝てるつもりでいるのかい?」
「当然でしょう。確かに先ほどは少々後れを取りましたが……君は彼女ではない」
静かに風香の眉が吊り上がる。
「なんだよ、それ……ボクが雷歌よりも弱いって言うのか?」
「そして私よりも弱い。そう言っているのですが?」
ゆっくり口ひげをなぞる加賀は、モノクルのレンズ越しから見下したような視線を送る。
らしくない挑発的な言葉の数々。内心加賀は気が進まないながらも、この作戦を実行した。怒りは判断力を狂わせる。そしてその矛先を自らに向けることで、ユズリを危険から遠ざける狙いがあった。
雷歌と違い、風香の感情は読みやすい。
ほぼ同等の力でありながら、その無表情と戦闘スタイルで戦果を上げていく雷歌。並び立ちながら及ばない、そこにコンプレックスがないはずがない。
「……オーケー。その挑発、乗ってあげるよ」
さすがに発狂するようなことはなかったが、まだ幼い少女がその激情を抑えきれていないことは確実であった。
「跡形もなく切り刻んで、吹き飛ばしてやる!」
「不可能ですな、君では」
少女は強く吠えて、二つの竜巻を生み出した。加賀を標的に、それらは文字通り竜のように動き回る。巻き込まれた街路樹は、まるで巨大なミキサーにかけられたかのように一瞬で粉々に刻まれる。
やはり、と加賀は確信する。
この少女は風を操る。しかし風というものはピンポイントを正確に打ち抜けるわけではなく、ある程度の範囲を必要とする。それはよく言えば避けづらく複数の敵をも相手にできる、反面悪く言えばある一点への威力において同出力の局所攻撃よりも劣るということである。
そして剛力玄武が武器とするのは、その剛腕による破壊力と、雷歌でさえ突破しきれなかった強固防御力だ。
軌道を変え、形をも変え、ドリルのような風刃が左右挟撃の形で同時に加賀を狙う。
揺らぎを感じる。おそらく前後に避けた瞬間、二つは衝突して弾けるように速度を増し、追跡してくるのだろう。
口では煽った。嘘を並べたわけでもない。しかし少女の強さを侮ったわけではない。
だからこそ加賀は、天馬の刃が翼の剣をその手で抜くように、それを手にしたのである。
利き手の戦斧は一つを叩き割り、左手は巨大な岩石にも見える甲羅を捌いてもう一つの風刃と当てる。
軽く凌いだ、それだけではない。コントロールを失った風刃が少女を目がけ、倍ほどの速度で飛ぶ。虚を突かれた風香は、それでもどうにか体を捻り、直撃を避ける。
その一撃は、彼女の頬に一筋の鮮血を描いた。
風香は頬の傷をなぞり、目を見開く。
「ユニオン型の、部位発現……。反射の盾……」
「君の速さでは、私を置き去りにはできない。君の力では、私を貫けない」
加賀の手から盾が消える。そう長くは部位発現を保てないのだろう。天馬の刃ほど上手くユニオン型の相棒と共闘できるわけではないが、聖霊騎士団のエース格としての実力はある。
「君に勝ち目はありません」
風香と雷歌の力は同等だ。特長や相性は、ここまで戦況を左右するのだ。
しかし少女は取り乱すことなく、嵐のような険しい表情がそよ風のように柔らかくなる。
「調子に乗るなよ……」
反対に、霊素の波動が吹き荒れる。
「ボクはまだ、本気を出してるわけじゃない」
遠くでは、その身体能力の限界まで追い込み、ついに雷歌を捉えようとした白刃の眼前で、強烈な霊素の波動が閃く。
鉄扇を構えた風香の右腕、その肌が漆黒の風刃でローブの袖ごと斬り裂かれる。
黒い稲妻が茨のように雷歌の右腕に巻き付き、白い腕を黒く焼く。
『いけないっ!』
護るように立つ竹中の背後、ぺたりと座り込んだユズリの胸元で、ユシュが叫ぶ。
霊素は想いを形にする力。願いを叶える力。使い方次第で、限界という枷すらもこじ開けることができる。無論、代償もなく成し得ることではない。
おそらく受け切れない――加賀は負傷を覚悟した。それだけならば安いものだ。問題は命を繋ぎ、刃を届けられるか。
バキバキと音を立てて体を反らす少女を睨み、粋は歯を食い縛る。辿り着いたと思った機会が一瞬で遠ざかる。だが、身の安全という重荷を捨てて踏み込めば――。
全員が舵を切った。もはや無事では済まない。止めようにも、ユズリ達は力が入らず速度も及ばない。
「まったく……」
雷歌以外の三人が吠える――その間を縫って響いたのは鋭く、気高く、熱い声。
「お止めなさいな」
飾りの少ない上品なワンピースと、その体躯に似合わないヒールの靴。ウェーブのかかった長い髪をなびかせて、炎のような紅髪の少女は鞭で風香の腕を絡めとり、数本の燃え盛る鎖が加賀の行く手を阻む。
一方、すれ違いかけた雷歌のランスと粋の刀は、フリフリの服を着た少女の膝裏と脇に挟まれて止まっていた。両手首のバンドから長いリボンが舞い、透明感のある水色の髪がふわりと揺れて、丸くおっとりした目と微笑みが粋に向いている。直後、武器に回転を加えられて、優しく投げ飛ばされる。
四人がそれぞれ距離を取ったところで、全ての攻撃が止まった。
「世話の焼ける方達ですこと」
白いシルクの手袋で乱れた髪を払い、戦場のど真ん中に立つ少女は、偶然通りかかったはずがなく、やはりユズリ達と同じような年頃で、にこにこ笑うもう一人も同様だ。
「ごきげんよう。お久しぶりね、風香、雷歌――それから、ユズリとユシュも」
睨みつける風香は、憎悪のこもった鈍い眼光を強くする。
「凛火……」
「なにかしら?」
「どうして止めたんだ。キミだって憎いはずだろ、全部、全部っ、全部っ!」
激情とは裏腹に戦意は失ったのか、怒号だけが飛ぶ。
「まあ……そうですわね」
「だったら――」
「千石ユズリへの復讐……? 積み木の一番上を弾いて何になりますの? この感情、世界を丸ごと覆すくらいでなくては、晴らし切れませんわ。そのためにも、今ユズリとユシュに何かあっては困りますもの」
ピッと荒く息を吹き出す鼻先に、凛火と呼ばれた少女の指が向く。
「狭量でしてよ、風香」
風香は随分と苛ついたようだが、ぐっと衝動を飲み込んだ。
「……キミ達だけは、嫌いになれない。凛火、キミに免じてこの場だけは引いてあげよう」
「あら、それはどうも」
「でもこの憎悪、そう長くは抑えておけないからな……っ! 帰るよ、雷歌!」
二人の少女は大きく跳躍して間合いを切ると、ビルの陰に姿を消した。
残された粋達は、戦いの臭いが消えたことで憑装を解除した。
事態を把握しようと成り行きを見守るのは、加賀と竹中、そしてユズリである。粋はというと、自身ににこにこと小さく手を振る少女に声をかけた。
「なんで、ここに――いや、その前に……なんで氷花が憑装なんてしてんのさ」
刀を納めて問うと、少女は服の埃をぽんぽんと叩いて、小首を傾げて笑顔を向ける。
「えっとぉー……お仕事?」
その腰には、少女らしい服には似合わない日本刀が下がっている。
思わず加賀は口を挟む。
「知り合いですかな? 天馬の刃」
「まあ……」
言い淀む粋。
「ねー、久しぶりだよねぇ」
少女は懐かしむような目をして、
「お兄ちゃん」
と、粋をそう呼んだ。
「いや、その呼び方やめてくんない……?」
そしてそう返した。
聖霊騎士団の会議室――本部長の真藤、戦闘部第一班の面々、加賀と瑞音が下座の椅子に並んで腰かけ、二人の少女が左右に付き人らしき黒服を立たせて上座に着いている。
凛火は気品の溢れる、また氷花は無邪気に、それおれ違った笑みを浮かべている。
現状、敵対の意思はなさそうだ。
場の空気が整うと、真藤が話を切り出した。
「はじめまして。私はこの聖霊騎士団の本部長を務める真藤だ。色々と聞かせて欲しい話はあるが、まずはお礼を言いたい。先の戦闘での助力、感謝する」
四〇代の男性が少女たちへ丁寧に頭を下げると、その一人である凛火は頬に手をやり目を細め、三日月型に口元を歪ませた。
「あらまあ……恩人であり客人であるわたくし達に、大変ご丁寧な口調でのご挨拶、ありがとうございます。このような小娘にお気を遣っていただいて、痛み入りますわ」
薄目からギラリと眼光が覗く。
「…………」
言い知れない肌を突くような空気が流れる。
「痛み入りますわ」
ニコリと再度繰り返された言葉で、一同は何かを察した。
「……麗しきお嬢様方、先ほどは不甲斐ない私共へご助力いただきまして。心より感謝を申し上げます」
ん、と小さく頷くと、凛火はティーカップを摘まんで紅茶を口にした。
「それで、わたくし達は貴重な時間と労力を割いて醜い争いを止めて差し上げた挙句、こうして任意同行を依頼されたわけですけれど、一体どのようなご用件でしょう?」
「えー、あなた様方のご身分ですとか、目的ですとか、そういった事柄をお聞かせいただけましたら幸いなのですが……」
手をもみもみしながら、真藤は引きつった笑みで問う。
「……仕方ありませんわね。わたくしは桜庭凛火。こちらが――」
凛火がスッと隣を白い手袋で示すと、もう一人の少女は呑気な声で元気よく続く。
「美咲氷花ですっ。よろしくお願いしまーす」
手を振ると、手首のリボンがひらひらと舞った。
「わたくし達は、まあ……先ほどの風香との会話を聞かれていたのでしたら、あなた方の想像する通り、かつての世界樹ユシュの器、その候補者でしてよ。補足いたしますと、その際度重なる人体実験を受け、ついに器として選ばれることがなかった失敗作の廃棄物――そう、あの風香や雷歌と同じく……ね? ユシュさんと、選ばれたユズリさん?」
流れてきた冷たい視線で、ユズリの体がピクリと震える。と、すぐにその目には優しい熱が宿る。
「――なんて、冗談でしてよ。あの実験において、わたくし達の協力は能動的で意図のあるものでしたし、実際に利益がありましたもの。あの子達のように、その後過酷な人生を送ったわけでもありませんし、恨みなどありませんから、どうぞ安心なさって」
コロコロと様相が変化する。観察力に長ける瑞音、洞察力に長ける粋ですら、何が本音かはわからない。
「そうそう。素性ということでしたら、もう一つ――真藤本部長、わたくしの姓『桜庭』に、聞き覚えはなくて?」
意味深な言葉に真藤は頭を捻る。
「お察しの悪いこと……。例えば世界樹の器、それはかつて世界のために何としても探し出さなくてはならなかった――誰にとっても、もちろん研究所のスポンサーにとっても。当然、道行く方々に片っ端から声をかけて実験するはずもなく、また大々的にも募集できないわけでしたけれど……」
聞く毎に真藤の顔が、まるで血を抜かれていくように青ざめていく。
「ええ、研究員やスポンサーを含め、その関係者が候補とされたのでしたわね。ところでこの聖霊騎士団、かつての千石研究所から一派が独立したというお話を聞きましたけれど、出資者も引き継がれているのではなくて? 真藤コーポレーションの業績は好調と聞いてますけれど、さすがに騎士団の活動全てを賄えるほど黒字を出しているわけではありませんものね」
つらつらと並べられる言葉に対して、真藤の顔から粘っこい汗が流れていく。
「まぁまぁ、こちらは一体どのような方から、ご支援をいただいているのでしょうね」
勝ち誇ったような少女の微笑み。真藤は椅子から飛び降りて、深々と土下座をした。
「申し訳ございません、お嬢様! まさか桜庭グループ会長のご息女が、このような薄汚い現場にまで足を運んでくださるなどとは夢にも思わず……沢峰くん、何をしているのだね! ボサッとしてないで、一番良い茶菓子をお出しするんだ!」
「はぁ……かしこまりました。では本部長秘蔵の数量限定クッキーを持ってきましょう。デスクの引き出し三段目、開けますね」
「え、いやそれは……というか何故それを知って……くぅっ! 構わん、持ってきてくれ!」
機嫌をよくする凛火と、退室する沢峰を涙ながらに見送る真藤の姿が対照的であった。
「ああ、それと――」
と少女は手を合わせて続ける。
「この子、氷花の素性に関しては、天馬の刃さん――あなたの方がお詳しいのではなくて?」
黙って聞いていた粋に、その場のすべての視線が向く。
「……ああ、うん」
お兄ちゃん――先ほど粋をそう呼んだ少女は、能天気に紅茶を含んでにこにこしている。
粋は面倒くさそうに額に手を当てると、苦虫を噛み潰し、舌で転がし、しっかりとテイスティングしたような顔で小さな言葉を紡ぐ。
「そこでアホ面している美咲氷花は、僕の武術の師匠、御崎天源斎の孫娘で――入門時からずっと稽古の相手だった、僕の姉弟子だよ」
衝撃の事実に、ザワつく一同。
今度は氷花に注目が集まる、が、少女はまるで気にも留めずに笑顔で言うのだ。
「お兄ちゃん、久しぶりに稽古しよっ!」
そして粋は珍しく真剣な目で、強い口調で、被せ気味に答えるのだ。
「絶対に嫌だ」