第三章 風神と雷神
最新話まで読んでくださっている方々、ありがとうございます。
筆が遅くて申し訳ありません。
ユズリとかぐやが和解してから数日後のこと。かぐやは学校に通い始め、懸念された新生活もとりあえずは問題なく過ごしている。
彼女は一学生として昼間を過ごし、授業を終えると――。
「ユズリも学校、通えないのかしらね」
聖霊騎士団本部、竹中の机で頬杖をついていた。ちょうど兄の机がユズリの隣であったためである。
「ごめんね。今はちょっと余裕ないかも」
「別に謝ることじゃないわ。ただあなたと一緒なら楽しそうだと思っただけよ」
「そうかな。……でもそう言ってもらえると嬉しいよ。わたしもかぐやちゃんと一緒に学校、ちょっとは興味あるけど……」
「すぐじゃなくてもいいわ。志桜さん達も通えているんだから、いつか、できないわけじゃないんでしょう?」
と雑談する姿を見て、本部長である真藤が一言。
「なぜ竹中くんの妹さんがここに?」
「いや、あれだけ機密を握っていたら一般人じゃないでしょ。手元に置いておかないと不安でしかたないって」
「たしかに……しかし、なぜ彼女はそれほど機密を知っているんだ?」
「……いや、それはほら、流れで」
「流れか……」
「そうそう。流れ流れ」
「ならばしかたあるまい?」
「だよね」
なにかが引っかかりながらも、真藤は去っていった。入れ替わりに自席を失った竹中がやってくる。
「志桜さん、あの……機密は捻じ曲げるから気にしなくていいんじゃ……?」
「うん。だから今やったじゃない、それ」
「ええ……? 今のがッスか?」
粋はお茶を口に含んで、資料に目を落とした。
一方――、
「ハァッ!」
気迫の籠った声が響く。
「笹巻さん、うっさいよ」
「……すまない……が、ハァッ!」
「だから、うっさいって!」
普段一班でもっとも奇行に走らないと他班から評判の笹巻が珍しく奇声を上げていた。
「……何してんのさ……」
面倒くさそうに笹巻に近寄る粋。
よく見ると、笹巻は憑装していた。そして隣には同じく憑装し、しかし武装を顕現させた吉田の姿。
「いや、その――吉田に教わっていたんだ。憑装のコツを」
「だからこう、便秘の時に痔すら厭わない覚悟で踏ん張るように……ハァッ! って」
「こ、こうか? ……ハァッ!」
「熱心なのは何より。でもそれ訓練場でやって?」
二人はすごすごと訓練場に向かった。
粋は再び資料を見つめる。
「志桜さん、さっきから何を見てるんスか?」
「……笹巻さんの悩み事について、ちょっとね。ほら、さっきの訓練の」
「憑装の使い方ッスか。俺も吉田さんも、難なく部位発現できるッスけど、他のみんなはそうじゃないんスもんね。ありがたいと同時に、なんだか申し訳ないッス」
「うーん。これは努力も才能も関係するんだけど、それ以前の問題もあってね。特に笹巻さんはね……」
「才能以前なんて、あるんス?」
「資質かな。それも才能に含めるなら、ないけど。憑装って霊素体と同調しないといけないわけだけど、このデータを見る限り……笹巻さんと合う霊素体って現状存在しないんだよね。ていうか例外がなければ、あらゆる霊素体と波長が合わない」
こと憑装という土俵においては、竹中と吉田は優れた感覚を有している。ゆえに使い方も早く覚え、また上手い。しかし笹巻の場合、それが遅く下手、という以前に同じ土俵に上がることさえできないのだ。
「そんなことってあるんスか?」
「現にあるから、あるんでしょ」
随分と前からの悩みであるが、最近特に焦って克服しようとしているのは、あっという間に習得してしまった後輩二人の影響だろうか。
「でもやっぱり志桜さんは優しいスね。そんな真剣な顔で考えてあげてるんスから」
お気楽にそう言ってのけた竹中に不快な視線を一瞬送り、粋はため息を吐いた。
「なにを呑気な……」
「え?」
「あのねぇ、ちょっと辛辣なこと言うかもしんないけど、新型とはいえ非正規量産型ただ一人を相手に、四人も五人も戦力割いて、挙句に怪我して倒し切れないようじゃ困るんだって」
「うっ――!」
先の戦いで竹中とユズリが倒れた後、新型を討ったのは白竜人――結城火雨を退け、駆け付けた粋であった。それも瑞音の援軍で形勢を損ねたと判断し、火雨が撤退した経緯があり、一班だけの働きであったなら粋以外は敵の小兵相手に全滅していた可能性もあった。
そもそも敵のユニオン型と一対一で戦い、勝利することができるのは、粋とユズリだけなのである。
「サイバー型程度で難なくできるとか調子こいてすんませんッした」
「いや……ごめん、ちょっと言い過ぎた。皆よくやってくれているのは、わかってるんだけどね。ただまぁ、戦果がね」
「うッス。精進しまッス――とは言え、実際どうすれば強くなれるんスかね」
それを今まさに悩んでいるところである粋が答えを持っているはずがない。
そんな折、突然大声が聞こえた。
「であればッ!」
二人は驚いて声のした背後を見ると、そこには竹中と同い年くらいの青年が立っていた。ピンピンと短髪が逆立っており、キリッとした眉と活発そうな瞳が特徴的だ。
「天馬の刃、久しぶりに俺と模擬戦をしないか?」
「いやだよ、なんでだよ」
粋は即答する。
「間近でエース格同士の戦いを見ることで、彼にも何か感じることがあるかもしれない。それに俺自身、より強くなるために君と戦いたい」
エース格同士……その言葉の通り、この青年は粋と同格に扱われる実力者。戦闘部第四班のリーダーを務めており、竹中も話したことはないが当然存在は知っている。
「とってつけ過ぎでしょ、前半の理由。まあ何にせよ、やらないけど」
「なぜだ」
冷たくあしらう粋に、怒っているわけではないが青年の眉が吊り上がる。
「僕を誰だと思ってんの」
「天馬の刃、志桜粋だろう?」
「うん。で、そっちは黄焔の獣王、四天宝寺猛流。……ね?」
わかるでしょ? と言わんばかりの少年に、猛流はさっぱりな様子である。
「すげぇ強そうじゃん、勝てるわけないじゃん」
「名前の話か! さては君、面倒くさいだけだろう!」
「いや、まぁ多少そんな側面もあるかもしれないね」
そんな話をしていると、突然アラートが鳴った。
雑談交じりの緩やかな職場に電撃が走り、一瞬で緊張感が包み込む。そんな中でもエース達は余裕を崩さない。
「はい残念、四班管轄地域。さっ、行った行った」
しっしっ、と粋は手で振り払う。猛流が唇を噛んだのも一瞬、余裕を保ってはいるが、事態を軽視しているわけではない。
「くっ……四班集合! みんな、行くぞ!」
四班一同はすぐさま集まり、その時には既に出撃準備が済んでいた。一連の流れは粋が率いる一班よりも遥かに早い。それもそのはず、四班は全員がベテラン戦闘員で構成されていた。
いつも通りの任務――のはずであった。
突如アラートの音が一段高くなる。モニターを監視していた担当者が声を上げる。
「なんだ? この反応……強い憑装反応が二つ――鬼人でも白竜人でもない」
粋と猛流の眉間がピクリと動き、余裕が消える。
「……気をつけてよ」
「ああ。任せておけ」
アラートとは逆に低くなった声色でお互いに一言交わすと、猛流はサッと踵を返した。さすがに班員の顔も多少は強張っている。
「心配するな。みんなのサポートがあれば、誰が相手だろうと俺は負けない」
揺らがぬ表情、堂々たる宣言。班員の表情から硬さが消える。
「出撃だ!」
その声に合わせ、
「鬼羅全部ぶっ潰すオラァ!」
四班一同は声高らかに叫び、駆けていった。
「……あれ、他の班にも伝わってるんスね」
竹中の感想に対して、粋は黙ったままモニターを見つめていた。
その様子は、かつて白竜人と鬼人が四班管轄区域に出現した時よりも、緊迫して見えた。
「志桜さん? どうしたんス?」
「……いや、別に」
新戦力の可能性。それは他に白竜人らが控えている可能性も同時に秘めており、つまり粋らも気軽に援軍には迎えないということでもある。
だが……しばらく考えた粋は、自身の班員に指示を終えた瑞音と、第三班リーダー、がっしりとした体格でありながら上品に鼻下のひげを蓄えた中年男性を呼んだ。
「瑞音、加賀さん。ちょっといい?」
「なに?」
「どうかしましたか? 志桜くん」
瑞音の微笑みと加賀のモノクルが光る。
「今回の第四班の戦闘、ちょっと加勢に行ってもいいかな」
つまりは一班管轄区域に何かあればフォローを頼むということだ。
「あたしは良いけど……加賀さんは?」
事もなげに瑞音は答えて隣を見ると、胸筋でパツンパツンになった白スーツを加賀はさらに張った。
「私も構いませんよ。しかし珍しいですね。志桜くんがわざわざ他人の担当区域での戦闘に行きたがるというのは」
「向こうの新戦力、見ておきたいからね」
そう言うと、粋は日本刀の入った袋を引っ掴んで立ち上がった。
その時である。
モニターから悲鳴が上がった。
「四班、全滅しました!」
本部内に衝撃が走る。
「現状、死者はゼロです。が、黄焔の獣王を含め全員が戦闘不能の模様。ただちに離脱させます!」
その報告を受けて瑞音も拳を握る。
「粋、あたしも行くよ」
ありがたい提案だ。しかし、
「……いや、瑞音は待機で」
かつて鬼人を瞬殺した瑞音は、彼らの出現に備えて取っておきたい。他のエースも同様だ。しかし、二人の強力な憑装者と他に多数の量産型、一人でやれるか……?
「加賀さん、もしよければ一緒に来てもらえる?」
「……良いでしょう。彼らを相手にエースが二人、同時出撃というのも癪ですが、敵も同じようですからね。斧を取ってきます」
加賀はたくましい背中を向けて悠々と歩いて行った。
会話が終わるのを待っていたのだろう、近くで小さな人影が勢いよく立ち上がる。
「わたしも行きます!」
金の瞳を輝かせて、緑髪の少女ユズリが両手を胸の前で握った。
敵に狙われている彼女を未知の相手にぶつけるのは得策とは言えない。ただでさえリミットがある。しかし同時に知ることで得られるものもあり、なによりエース格には及ばないが貴重な戦力でもある。
高い戦闘能力に加えて、気軽には使えないが現状唯一確認されている治癒能力の保持者……捨てがたいのが本心だ。
「俺を置いていくなんて言わないッスよね?」
竹中もいつの間にかハルバードを手にして、準備万端だ。
「私は……留守番なんでしょうね。歯がゆいわ」
かぐやは立ち上がることすらせずに呟いた。聖霊騎士団に顔を出すようになってからわずか数日で、彼女は自身の無力を、また兄やユズリを止められないことを知った。心配しないわけはないが、もう止めるつもりもない。
「ごめんね、かぐやちゃん」
「すまんッス、かぐや」
「無事に戻ってきてくれれば、別に気にしないわ」
少女は年に似合わず憂いのある表情で小さく息を吐いた。
「……オーケー。僕、ユズリ、竹中さん、加賀さんの四人で行こうか」
と、ここで第一班が全員集合する。
「私たちも行きます」
「特訓の成果を見せる時だ……進歩はしていないが」
「じゃあ俺も――」
と口々に付いて行こうとするが、粋は一蹴する。
「みんなはサポートに回って。笹巻さんと沢峰さんは四班撤退の手助けで同行してもらうけど。吉田さんは本部で連絡役……いざという時、僕達の撤退と援軍の手配ができるように、準備しておいて」
静かながら迫力のある命令に、彼らは頷くしかなかった。
天馬の刃の口から出た「撤退」という言葉――事態はそれほど深刻なのである。
「お待たせしました、一班の皆さん。今回は特別編成ということで初めて背中を預け合うわけですが、どうぞよろしくお願いします」
恭しく頭を下げる筋骨隆々な紳士の手には、使い込まれた巨大な戦斧。その立ち姿だけで、すでに迫力が漲っている。
共闘する竹中はつばを飲み込んだ。
「第三班エース、『剛力玄武』……すげぇ心強いッス」
「あの、千石ユズリです。よろしくお願いします」
ユズリは緊張顔でお辞儀した。
「よし。じゃあ行こうか――鬼羅全部ぶっ潰すオラァ!」
「鬼羅全部ぶっ潰すオラァ!」
ユズリと加賀以外が復唱したところで、粋達は現場へと急行した。
道中、ボロボロになりながら撤退する第四班と合流する。中でも猛流は重傷で、フラついた仲間の担架で運ばれていた。その担ぎ手が笹巻達に代わるところで、息も絶え絶えの猛流が粋に声をかける。
「……粋、気をつけろ。奴ら、とんでもない隠し玉を持っていやがった」
「ああ、猛流が負けるくらいなら、そうだろうね」
そういうと、四班の面々は涙ながらにそれぞれ訴える。
「違う! 四天宝寺さんは負けてなどいない!」
「俺たちがもっと加勢できていれば……一対一なら、負けはしなかった!」
興奮したことでヨロめく彼らを、猛流はそっと諫める。
「よせ。……あいつらは、強い……」
今にも閉じそうな瞼。粋は急いで問いかける。
「特徴は? 弱点は?」
が、時すでに遅く。
「すまん……」
ガクッと力が尽きたように動かなくなった。
「四天宝寺さーーーーーーんっ!」
必死に呼びかける部下たち。
「ええ……無駄話より要点を伝えてよ……」
若干引いている粋の肩に、大きな手が置かれる。
「気を取り直しましょう」
「加賀さん。でも先発してもらった意味が……」
「彼らから聞けば良いでしょう」
と、加賀は四班一同に視線を流す。
「四天宝寺くんに代わって、敵の特徴を教えてもらえますかな?」
整った髭を一いじりして、優しくも鋭い目つき。すると彼らはサッと視線を逸らした。そしてリレー形式で語り始める。
「あ、いや我々は……」
「何もわからないまま一撃で退けられた後、量産型の相手で手いっぱいで……」
「情報は持っていないと言いますか……」
「面目ないと言いますか……」
そうしてバツが悪そうに口を閉ざした。
粋から盛大な溜息が漏れる。
「本部きってのベテラン勢が聞いて呆れるよ」
「さすがに擁護できませんな」
エース格の二人は、すたすたと戦場へ向かった。
ユズリと竹中がぺこりと頭を下げる。
「みなさん、お疲れさまでした」
「笹巻さん、沢峰さん。みんなをよろしく頼むッス」
そう言うと、彼らも粋達の後を追った。その背に笹巻が叫ぶ。
「お前たちも気をつけろ! 後を頼むぞ!」
ユズリたちの足は速く、聞こえたかどうかはわからない。
そうして独り言のようにつぶやくのだ。
「なぜ俺には力がないんだ……」
その言葉は、その場に残った者すべての胸を焦がした。
沢峰、それから猛流を除く四班の者たちは皆、優れた戦闘技術を持っている。だが敵のユニオン型と渡り合うには単純な基礎能力が足りていないのだ。
そして同じことを思う者は、戦闘員だけとは限らない。
本部のモニターを見つめて、かぐやは眉間に皺をつくった。
「どしたの? かぐやちゃん」
有事に備えての栄養補給に違いない。かぐやはそう思おうとしながら、こんな状況で紅茶を片手にクッキーを頬張る瑞音を見返す。
「難しい顔して。綺麗でかわいい顔がもったいないよ」
「いえ、その……」
悩みはわかっている。ただ、それを口にしていいものか、さらに迷う。それも相手は聖霊騎士団エース格「紫電の魔槍」立上瑞音である。
「竹中さん達を心配してるの? 大丈夫じゃないかなぁ。粋も加賀さんもいるし」
へらへら笑いながら瑞音はティータイムを続ける。
「それもあるんですが……」
言い淀むが、歯切れが悪いままでは話が前に進まない。かぐやは意を決して口を勢いよく開いた。
「私にも憑装――できないでしょうか」
「えっ?」
瑞音は目を丸くした。
片目は前髪の奥、更に眼帯の下、隠れて見えないが、もう片方の瞳はキラキラと澄み煌いている。
「兄には才能が……エース格のあなた方と比べると大きく劣るようですけれど、ある方なんですよね。それなら妹の私にもあるかもしれないですよね」
「研究中だけど現時点では血筋は関係ないって聞いたよ。まぁだからこそ、やってみなくちゃわからないけど……危ないよ?」
「わかっています。でもユズリは同じ年で戦っています」
おそらく、まずは年齢を盾に止められるだろう、そんなことは言われる前から承知の上で、先手を打っておく。
「ユズリちゃんは境遇が境遇だから、しかたないっていうか」
「それにあなたも志桜さんも、戦い始めたのは今の私と同じくらいの年ではないのですか?」
粋達が戦い始めたのが何年前か、かぐやは知っているわけではない。ただ推測だが、現状の慣れを考えると遅くともそれくらいの頃には戦っているはずだ。
「んー、まぁ確かに。でもあの頃は戦力が圧倒的に足りてなかったからね。今はあたし達がいるし、無理してまでは戦力を増やす必要ないんじゃないかな」
と、そこへ吉田が割って入る。
「俺はそうは思わんが」
「思っといて。それにね? かぐやちゃんは――」
「おい雑に一蹴するな! 一応聞け……いや聞いてくれ? いえ、ください」
半ば無視して話を続けようとする瑞音に吉田が頭を下げると、渋々彼女は反応をくれた。
「なんですか? 人がせっかく説得しようとしてるのに。かぐやちゃんの可愛いお顔に傷でもついたらどうするんですか。責任とれるんですか? ユズリちゃんは治癒能力がありますし、敵の標的となっている以上、戦闘慣れも戦場に立つこともしかたない一面もあります。あたしは嫌ですけど。でもかぐやちゃんは違うんです、一般人の女の子なんですよ?」
不機嫌そうにまくし立てる瑞音に、吉田は露骨に気圧されながら反論する。
「……いや、その。アレだ……お前の認識が間違っている。かぐやはもう、ただの一般人ではない。聖霊騎士団戦闘員、竹中の妹にして世界樹ユシュの憑装者、ユズリの友人だ。いつあの俺を軽く凌駕するレベルのクズ達に狙われるかわからん。力を持っているに越したことはないだろう」
一応それなりの理由はあるようだ。瑞音は黙って検討する。
「俺が敵の立場なら目をつける、場合によっては狙い、利用する。捕らえてついでに身代金を要求し、交渉や戦闘時に盾とするくらいのことは俺でも思いつく。しかも奴らは俺以上のクズだ、どんな卑劣な手段を取ってくるか」
「……あの、鬼羅でも身代金の要求なんてせこい真似はしないと思いますけど」
「そうか? ふふん、だとすれば奴らも甘いな。せこさでは俺が上を行くか」
「なんで自慢気なんですか……」
鼻を高く、胸を張る吉田を横目に瑞音は呆れながらも思案する。確かに吉田の言うことも理解できる。竹中はユニオン型を使いこなすエース格には及ばないものの、彼らを除けば本部内にもほとんど存在しない、サイバー型での部位発現を可能とする、今や貴重な戦力である。そしてまだ伸びしろがある。
いずれ更なる力をつけた時、かぐやに敵の目が向かないとも限らない。非正規とはいえ元鬼羅の竹中は、彼らに個人情報の一部を握られているのだ。可能な限り工作はしたが、他の者より隠蔽しきることが難しいのは事実。
「そもそも、別に試すくらいは構わんだろう?」
「……まあ、試すくらいなら」
瑞音が折れた。かぐやは微笑み、吉田に軽く頭を下げる。冴えない男は慣れない不器用な笑みを返し、親指を立てた。
かぐやは吉田の過去の行いを知らない。少女にとって男は、兄の友人であり同僚であり、かつて入院時に様々な支援をしてくれ、足繫くお見舞いにも来てくれた優しい人間という認識であった。
いつか男はかぐやのために何かしたいと、竹中に申し出た。それは半ばその場の空気に流された発言であった。そして時に面倒くさいと思うこともあった。しかしそれでも途絶えることなく尽力してきた。
かぐやにとっては信頼に値する味方である。
「じゃ、お前の霊素体を貸してやってくれ、立上」
「なんでですか。自分のを貸してくださいよ」
「ユニオン型で試した方が早いだろう。サイバー型なんぞ誰でも使えるんだからな」
「あたしのは危険だからダメですー。完全使役憑装できなきゃ暴走するんだから。試してないっていうのもあるかもだけど、粋ですら使用許可が出てないんですよ?」
騒がしい言い争いも、この瑞音の言葉で吉田は返しに困った。
「……マジで? お前そんなに凄いの?」
「マジマジ、です。こう見えてあたしだってエースなんですからね。普通の人にはできないことができるくらい、何の不思議もないでしょ?」
「……すまん。お前のこと、何かちょっと強いただの騒がしい小娘だと思ってた」
「それはちょっと色々と気にしなさすぎじゃないですかね……。まあ、とにかくそんなわけですので、試させてあげたいなら吉田さんのサイバー型を貸してあげてください。素質を測るなら部位発現でもしてみれば充分じゃないですか?」
なるほど、と吉田は納得する。才能のある吉田らでさえ三ヶ月もの特訓を必要とした部位発現を実行、あるいはその片鱗さえ見られれば目的は果たせる。
「それもそうだな。よしかぐや、俺のでよければ貸してやる。試してみろ」
そう言ってかぐやの白く細い手に、聖霊騎士団製のサイバー型が入った霊珠が手渡される。
「ありがとうございます」
かぐやは素直に頭を下げた。
「やり方はわかるか?」
「ええ。私もここにいる以上、自分なりに勉強はしていますから」
まだ中学生でありながら、この場においてもらっている自分の立場を理解している彼女は、ユズリ達が任務に出ている合間、些細な手伝いを申し出たり、さらに役立てるようにと様々な資料を読み漁っている。
憑装したいと願う手前、すでに予習は済んでいた。
いつもは落ち着いた雰囲気のあるかぐやだが、さすがに少しは緊張していると見える。
吉田と瑞音が見守る中、深呼吸を一つして目を閉じた。
「――憑装」
涼やかな声色で、呟く。
眩い光が彼女の体を覆う。それは彼らにとって見慣れた光景だ。
だが――。
「……うっ!」
かぐやの呻き声が聞こえた。
「なんだ、様子がおかしいぞ!」
吉田が叫ぶ。光に包まれている時間が長すぎる。
「あぁああああああ……」
苦しそうな少女の声。吉田があわあわと謎の挙動を見せる。
「立上、これはどういうことだ!」
「過剰憑装……ですね。霊素体との親和性がとても高いようです」
瑞音は冷静に答える。
「願った通り、素質はあります。それもおそらくユニオン型を扱えるくらいの。精神力も充分ですけど……強度が足りてませんね」
「だからそれはどういうことなんだ!」
「自分の力強さに、自分自身がついていけてないんです」
それは実のところ、瑞音にとっては試す前から予想できたことであった。
彼女の年不相応な落ち着いた態度、言動、無力ながら戦場にも足を運べる意志の強さ。それとは裏腹に、状況を理解していながら足を運んでしまった脆弱さ。そのアンバランスな精神性からも彼女の性質は測られる。
力強くも脆い。
それが体質と合わさることで、普通誰でもできるようなサイバー型との憑装ですら、困難にさせていた。
そんな分析の最中にもかぐやは苦痛に喘いでいる。
「な、なんとかしてやってくれ! 頼む、かぐやが辛そうだ!」
「そう言われましても、あたしにできることなんて気絶させて止めるくらいのもので、そんな手荒な手段は気が進まないし、おすすめもしませんよ。それよりは自力で克服するか解除した方が……」
「それだ! かぐや、すぐに憑装を解くんだ!」
吉田はあわあわしながら詰め寄る。だが、光の中でかぐやはぶんぶんと首を横に振った。
「なぜだ! ぺっしなさい、ぺっ!」
「吉田さん、こんな時にふざけないでください」
「お前こそ、どうにかできる力がありながら、なぜ何もしない! してやらない! してくれない! 手荒な真似になろうと止めてやるべきだろう!」
今にも胸倉を掴まんばかりの勢いで、今度は瑞音に吉田の必死な顔が近づく。
「それをかぐやちゃんは望んでいません。逃げるのでもなく、護られるのでもなく、自分を護るだけでもなく戦場に立つには、この壁は乗り越えなければいけないんです。甘やかすだけが人のためにできることじゃないんですよ?」
「……くっ」
吉田は拳を固く締め、唇を噛みながらかぐやの様子を見守った。
憑装を始めてから五分ほどが経過した頃、果たして彼女が迎えた結末は、望まれたものではなかった。
苦しみ続けたかぐやから光が発散し、崩れ落ちるように両手両膝を地に着いた。艶やかな黒髪はさらに汗で濡れ、乱れて一部が肌に張り付いている。それから肩を上下させて荒れた呼吸を繰り返す。
霊珠は銀色に光っており、それは憑装の失敗を意味していた。
低難易度のサイバー型での失敗。その事実が少女に重くのしかかる。疲労と落ち込みから立ち上がることさえできないかぐやを、相変わらずあわあわしながら見ている吉田。その脇腹を瑞音が肘で軽くつく。
「何かしてあげたいなら、今が励ます時ですよ」
そう小声でアドバイスした。
「あ、ああ……えー、ああ……」
しどろもどろ頷いた吉田は、片膝をついてかぐやの肩に手を置いた。
「かぐや、その……残念だったな。だが、今が時期じゃないだけだ。焦ることはない。きっとお前は俺達よりも強くなれるはずだ。その片鱗をお前は見せた。もしも俺があの状態になっていたならおそらく二秒で諦めてる。大丈夫、お前ならできる」
「……はい、ありがとう……ございます」
一応この場は落ち着いた。それを見届けて瑞音はモニターに目を向ける。
粋達の状況は――。
静かな現場に辿り着いた粋達は、その敵達を見つめて驚いた。
周りをうろつく量産型らは眼中にない。その中心に佇む小さな人影が二つ。それが彼らの目を強く引いた。
それでも警戒を一瞬たりとも弱めない一同に、黒いローブを纏った少女が声をかける。
「次の相手も弱そうだね。ねえ、ライカ」
彼女は鉄扇を開いて口元を隠し、無邪気に笑った。「ライカ」と呼ばれた少女は黙ったまま、首を縦にも横にも振らない。ただ、金色の髪を揺らしながら、無感情の紅い瞳を粋達に向けている。その手には血で汚れてはいるが、髪の色に似た金のランスがある。
「でも当たりが来たみたい」
そう言って少女は流し目でユズリの姿を捉える。
「千石ユズリ……」
平静を装った口調の裏に、憎悪に満ちた感情がある。
「捕獲依頼を受けてはいるけど、傷つけるな、とは聞いてない。覚悟してもらうよ」
少女はフードをぱさりと落とす。緑色の髪……だが、ユズリの黄色がかった艶のあるものとは違い、透明感のある淡いエメラルドグリーン。同色の瞳が険しくユズリを見つめている。
ユズリは戸惑った。向けられる憎悪の意味もわからない。それ以上に、同じような年頃の彼女たちを相手にすることが、躊躇われる。
じりじりと周囲の戦闘員たちも間合いを詰めてくる。その数は十名ほどだが、どれもおそらくは新型である。
加賀はモノクルを光らせ、少女たちを観察する。
「ふむ、この霊素の波動……大したものですな。なるほど、ニ対一であれば四天宝寺くんが敗れたのも納得できましょう」
その言葉に、鉄扇の少女はくすっと笑う。
「さっきのユニオン型の人のこと? どんな報告を受けたのか知らないけど、ボクは何も手出ししてないよ。やったのはこのライカ一人。そしてそこのエース格二人、キミたちの相手もライカに任せるよ」
加賀の眉間にわずかな力が入る。
「ほう……? 良いのですかな。あの白竜の憑装者でさえ、我々エース格を二人同時に相手するとなれば撤退するというのに」
「あははっ、それ火雨のこと? あんなのとライカを同列に扱われちゃ困るよ。だってこの子は――」
雑談の最中、いつの間にか敵の背後に回り込んでいた粋が、容赦なくその剣をライカに振るった。達人の剣術、速過ぎる一閃。
接触の瞬間、まるで稲妻が光ったようだ。直後、粋が後方に弾き飛ばされる。
迎撃のため後ろを向いたライカの背に加賀の戦斧が迫る。だが武器は宙を舞い、粋と同様に後退させられ、倒れこそしなかったものの片膝を着いた。
「なんと……っ」
加賀の目が大きく開かれる。
「自己紹介がまだだったね」
余裕の表情を浮かべて、鉄扇の少女は言った。
「ボクは風香。この子は雷歌。調査なんかの雑用も兼ねている特務班の火雨とは違う、鬼羅戦闘部隊のエース。鬼羅の『風神と雷神』――それがボクたちだよ」
そんな声には耳も貸さず、雄叫びを上げながらハルバードを持って駆ける竹中に、風香は鉄扇を一振りする。
強烈な突風が竹中を吹き飛ばし、無数の刃で斬られたかのように幾多の裂傷を刻む。
棒立ちとなっていたユズリに、風香は薄く笑う。
「ボクたちのこと、覚えていないって顔だね」
「え?」
「キミの顔を見るだけで、腹が立ってしかたないんだ」
ポカンとするユズリに向けて、鉄扇が構えられる。
「連れ帰る前に、ちょっと痛い目にあってもらおうかな」
雷歌を前に、迂闊に動けないエース二人。万全且つ一対一でも敵わない新型、それを十名相手に傷だらけの状態で対峙する竹中。
そして、雷歌と同等の力を持っているだろう風香に相対するユズリ。
風神と雷神の参戦に、空さえも暗雲に包まれていた。
ここにきて新キャラたくさん出ました。次回も出ます。