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第二章 竹中かぐや

 竹中は何度も妹の病室へ足を運んだ。同情を誘いたかったわけではないが、ユズリの生い立ちも説明しようとした。しかし彼女は聞く耳を持たない。どれほどの言葉が届いたかわからないまま、彼女は退院の日を迎え、無事に家へと帰っていった。

 ユズリはもう一度お見舞いに行こうか、何度も悩んだ。しかしおそらく神経を逆撫でするだけだろう、人付き合いの経験が浅い少女でも、それくらいは想像できた。

 寂しい気持ちのまま、日々の任務や訓練をこなす。竹中と揃って集中力が欠けて危ないことも何度かあったが、小言と共に粋に助けられ、どうにか怪我無く過ごせている。

 昔はどうかわからない。ただ少なくとも今はかぐやの方が辛いのだろう。ユズリはそう考えて、涙を堪えた。

 桜の葉が緑を輝かせてきたこの頃、かぐやは数日自宅で様子を見た後、復学の準備を済ませて登校の日を待っていた。

 心穏やかではいられない。もちろん学校生活への不安もある。学業、体育、新しくなっているだろうクラスに馴染めるか、また体調が悪くなったりはしないか。

 しかしそんなものは些細なことだ。唯一の肉親、兄の危険に比べれば。

 ずっとどこかに泊まっていたらしい全兵衛も、彼女が退院してからは元の竹中家、二階建ての古い木造アパートでの暮らしに戻っている。かぐやが帰る直前に掃除をしてくれたらしく、部屋は古いが汚れてはいない。

 兄は入院前から、ずっと良くしてくれている。アパートの部屋はトイレなどを除いてリビングと寝室が一つ。その寝室一つを個室にしてくれ、自分は共用のリビングで気遣いながら生活をしていた。働きながら家事もほとんど全てこなしてくれる。体が弱く、学生であるかぐやに負担をかけまいと、何から何まで手を尽くしてくれたのだ。

 そんな兄の帰りが遅い――かぐやは二階の窓から、遠く街の景色を見た。土地が安いここから街の主要部まで近づくにつれ、高い建物が増えていく風景。まるで建物の山のようで、街灯がチラチラと踊っている。

 今日は戦ってはいないだろうか、そう考えた時、遠く街の方から赤い光が現れ、黒煙を纏ってゆらゆらと揺れた。

 単なる火事か、それとも――。

 無駄、無意味――力がなければ、駆け付けたところで何も出来はしない。それどころか、ただの足手まといだ。確かめに行くだけの権利すらない。

 かぐやは年不相応な態度、それには比例して賢い。だが、わかっているのに、足を動かさずにはいられなかった。

 まだ夜に限っては冷える時期。ストールを巻いて、かぐやは街へ駆け出した。

 すぐにタクシーを拾い、近くまででもとお願いして後部座席に落ち着く。少し走っただけで息が上がっている。こんな体たらくで、一体なにをしようというのだろう……かぐやは自分自身に呆れていた。

 到着を待つ時間、兄の顔が何度も脳裏に浮かぶ。

 心配で堪らない。

 だが、浮かぶ兄の顔はどれも最近のもので、悩み苦しんだ表情。

 そんなことを思い返している場合ではないというのに、病室で会った同い年くらいの少女の姿が、兄の隣でチラついてしかたない。

 イライラする。おそらく彼女自身が悪いわけではない。それくらいは理解している。しかし、何も憎まずにはいられない。他に怒りをぶつけられる相手を、少女は知らない。

 そうして自分自身にも腹を立て、その怒りがまたユズリへ向かうのだ。

「緑色の髪、金の目、尖った耳……」

 お見舞いの途中までは気にならなかったユズリの特徴。彼女の知るところではないが、認識阻害がうまい具合に働き、存在は認識されても容姿の特異性は気にされない。それは彼女の訓練の賜物であった。

 しかし言葉の刃に打たれ、精神が乱れた際に認識させてしまった特異な容姿。

 本来、気味悪く思うだろうはずなのに、兄から聞いていたせいだろうか、かぐやは不快には思わなかった。

 色々と考え事をしていると、タクシーの運転手がこれ以上は運べない、と言い、精算を済ませるなり彼女を置いて逃げていった。

 あたりは悲鳴や呻き声が上がっていて、倒れた人や建物が目についた。

 戦闘の跡だ。

 かぐやは身を震わせた。モニター越しでしか知らなかった惨状を、実際に目の当たりにしているどころか、その場に立っている。

 もうどんな危険が降りかかったとしてもおかしくはない。

「天馬の刃ァ!」

「……くぁっ!」

 冷たい叫び声の後、短い悲鳴が聞こえたかと思うと、かぐやの隣を白い翼を持った人影が高速で飛んで行った。そのまま遠くのビルの壁を突き破って、姿が見えなくなる。

「天馬の刃! 加勢する!」

 かぐやには聞き覚えのある声。いつか護衛についてくれた黒服……名は、聞いていないが兄の仲間だと聞いた。それに答える声には更に覚えがあった。

「こいつの相手は僕がする。笹巻さんは竹中さんと、ついでに吉田さんを助けてやって」

 そう言って頭から血を流しながら余裕たっぷりに現れた小柄な少年は、日本刀を構えた。

 病室で会った、かぐやとはそこまで大きく年の違わないだろう、ぼさっとした少年。それが凛とした表情で、翼をはためかせている。

「しかし!」

「これは命令だよ。次はないからね」

 凄まじい威圧感。男は頷いて、どこかへ駆けていった。

 かぐやは反射的に体を動かす。先の会話からすれば、あの男の先に兄はいるのだろう。

「助けてやって」その言葉が脳裏に響く。

「ん? あれって……」

 粋は駆ける少女に気付いたが、

「死ね、天馬の刃ァ!」

 白竜と人の混じったような姿で襲い掛かる実力者への対応で、声すらもかけられなかった。

 舌打ちを一つ。

「そっちが死ね」

 刀を振るい、受けられ、伸びてくる右腕に左脚で蹴りを入れる。その間に、もう少女の姿は見えなくなっていた。

「くそっ!」

 蹴りも見事に受けられ、舌打ちを一つ。

「どうした、なにを力んでいる」

 爪と刀が交差する中、白竜人が話しかける。

「そりゃまぁ、力みもするって。なんせ僕たちの最近のスローガンは『鬼羅全部ぶっ潰すオラァ』――だから!」

 至近距離で対霊銃を構え、硬質化した腹部に打ち込む。貫通まではいかないが、怯んだ隙に回し蹴りが敵の頭部を捉えた。

「鬼羅全部ぶっ潰すオラァ!」

 当然のように白竜人はしぶとく立ち上がる。

 彼らの死闘はまだまだ続く。


 憑装した男に追いつけるはずはなく、その姿はすぐに見失っていたが、男が駆けたその先――いた。銀の装甲で見えづらいが、巨大な黒竜に飛び掛かるハルバードを持った青年は、間違いなく竹中全兵衛だ。

 黒服の男女、冴えない男も一斉に攻撃を加える。

「鬼羅全部ぶっ潰すオラァ!」

 四人は謎の掛け声を上げた。どうにか敵を討ったらしい。

 かぐやは傷ついた彼らを痛々しく思いながらも、一応安堵の息をついた。

 だが――、

「逃げろ!」

 黒服の男の声でハッとした時には、四人は散り散りに吹っ飛ばされていた。

「新型……」

 黒服の女が呟く。

「非正規だな。くそ、やりづらい……」

 冴えない男が嘆く。

「なぁ竹中『鬼羅全部ぶっ潰すオラァ』に、非正規戦闘員は含まれるのか?」

「含みたくはねぇッスが……」

「怯むな! 含めるしかないだろう!」

 男の声で、四人は黒竜を思わせる異形の者に刃を向ける。

 見事な連携、冴える技の数々、凄まじい気迫、そして数の利……だが、敵は難なく対処し、四人を手玉に取ってみせた。

 勝つための戦闘技術すらねじ伏せる、圧倒的な戦力差。笹巻は剣を飛ばされ地面を転がって動かなくなり、沢峰はビルの瓦礫に埋もれ、吉田は何度も殴られその場に沈み、それを助けようとした竹中は、首を掴まれ、締め上げられた。

「ぐ、うう……っ!」

 足をバタバタさせ、時には蹴りを入れ、もがく竹中。だが正面切っての戦闘で歯が立たなかった戦力差、通じるものではない。

「お兄ちゃん……っ!」

 かぐやは思わず走り出していた。

 どんな状況か、それが何を意味しているか、考えることもできずに。

「ナンダ?」

「かぐやっ? どうして……っ!」

 異形の者の目が少女に向く。その頃にはもう、怪物の間合いに入っていた。

「コレガ、ユズリ、カ?」

「ち、違うッス! その子は関係ねぇッス!」

「ソノ、アセリカタ、アヤシイナ」

 にゅっと左腕がかぐやに伸びる。

「ひっ……」

 少女は息をのむだけで精一杯だ。逃げるどころか足は動きすらしない。

 無情にも、片腕は彼女の頭を綺麗な黒髪ごと掴んだ。

「かぐやッ!」

 竹中の悲痛な叫び声。

「コレデ、オレハ、ジユウ、ダァ!」

 おぞましい勝ち誇った咆哮。それが聞こえた時、

「ユシュ!」

『……うん』

 少女と、性別のよくわからない高い声が聞こえた。

 直後、アスファルトを割って数本の太い蔦が異形の者へ向かう。

「ナニ……ッ!」

 うち二本は両腕をギリギリと締め上げ、更に二本は青年と少女を優しく受け止める。

 そして一本は敵を薙ぎ払った。

「遅れてすみません。向こうで少し手間取ってしまいまして……」

 頭を下げる緑髪の少女に、よろよろと立ち上がった笹巻が声をかける。

「……いや、よく間に合ってくれた。そしてよく助けてくれた、ユズリ」

「いえ。ご無事でよかったです。えっと、あれ?」

 そしてユズリの目がかぐやへと向く。

「かぐやちゃん……?」

「…………」

 かぐやは黙ったまま、視線を逸らした。

 ユズリもそれ以上は何も言えず、あたりの警戒に意識を向ける。遠くに飛ばしたが、そこまで手ごたえはなかった。

「竹中、お前は妹を護って離脱しろ。あとは俺達がやる」

「……すんませんッス。……ほら、かぐや、こっちに……」

 そう言って竹中が手を伸ばした瞬間だった。

 遠くから迫る、無音の巨大なレーザー。紫色の閃光が、竹中たちに向かって放たれたのだ。

「ユシュ!」

『……でも……』

「お願い!」

 少女は声を上げると、レーザーの前に素早く立ちふさがった。

 ユズリの前に蔦の壁が出現する。一時、閃光は受け止めたものの、容赦なく蔦は焼かれていく。ユズリは壁に向かって両手をかざして、どうにか耐えている。

「竹中さん、今のうちに、はやく……うぅ……」

 呻きながら、息も絶え絶えに訴える。劣勢なだけではない。ユシュの――彼女の憑装の限界が近いことを竹中は悟った。ここに駆け付けるまでの戦闘の様子はわからないが、時間だけ考えても彼女たちのリミットは近いはずだ。

 竹中はキッと眉を吊り上げた。

「笹巻さん、妹を頼むッス!」

 竹中はかぐやをレーザーの圏外にいる笹巻の方へ優しく放り投げると、ユズリに向かって駆け出した。

「うおおおおおおおおおっ!」

 そう叫びながら、ユズリに横からタックルをかまして吹き飛ばす。その衝撃か、憑装の限界か、単に破られたのか、蔦の壁が焼き切られ、閃光が無防備な竹中に迫る。

「竹中さんっ!」

 ユズリは宙を舞い、体勢を崩しながらも力を振り絞って腕を振る。

「間に合って!」

 弱々しい蔦が竹中に向かう。

「お兄ちゃんっ!」

 そしてかぐやの声が響いた時、蔦と閃光がほぼ同時に竹中に辿り着くと、凄まじい音が鳴り響いた。

「お兄ちゃんっ!」

 もう一度、力の限り叫んだかぐやは、疲労とショックで気を失った。


 病室こそ違うものの、慣れた病院の風景。白い部屋のベッドで竹中かぐやは目を覚ました。

「私は……」

 退院したことが夢だったのか疑いかけたが、あの強烈な記憶が蘇って頭を振った。あれも夢だったのか、などと思うほど、都合よく考える頭は持っていない。

「お兄ちゃんは……」

 体を起こすと、近くには長い袋を携えたボサボサ髪の少年、志桜粋が壁に寄り掛かるように立っていた。

「あ……」

 かぐやは口を開きかける。

「先に言っておくけど、ずっと待っていたわけじゃないよ。僕は気絶経験豊富だからね、そろそろ目覚めると思って今来たところ。待ったのは五分もないよ」

 そう言う彼の表情は読めない。

「あの、すみませんでした。ご迷惑をおかけしました……よね」

「まあね。でも僕もみんなの助けに間に合わなかったから、特に責めはしないよ」

 よく見ると、学生服の袖の影で雑に巻かれた包帯の端が揺れていた。

「こんなことをすぐにお聞きするのは図々しいかと思いますが、兄は……」

「そこそこ深手を負ったね。でも命に別状はないし、後遺症も心配ないってさ」

 かぐやはほっと胸を撫で下ろす。

「あと君を護った笹巻さんと、その他吉田さんと沢峰さんは軽傷、もう仕事に復帰してる」

 粋は淡々と話しているが、あえて「彼女」には触れようとしない。逆に厭味ったらしいったらない。かぐやは眉間に皺を寄せた。

「……あの」

「ん?」

「…………あの子は?」

 粋は肩をすくめる。

「誰のこと?」

「とぼけないでください。あの……ユズリさん、です」

「ああ……」

 粋は白々しく頷いて。

「内緒」

「なっ……!」

 かぐやは思わず立ち上がろうとして、しかしふらつき元の姿勢に戻った。

「どうしてそんな意地悪をするんです?」

「意地悪じゃないとは思うんだけど……僕もよくわからないんだよね。ユズリから頼まれただけだから」

「なぜですか?」

「だから知らないって。自慢じゃないけどね、僕は聖霊騎士団本部における無神経ランキングで暫定王者らしいからね。まぁ故人にして殿堂入りの人がいるけどさ。そんなわけで、女の子の気持ちなんて知る由もないの」

 嘘ではなさそうだ。そして口も堅そうだ。

「……お見舞いの時の仕返しですか?」

「知らないって言ってるのに……まぁそれは多分違うだろうけど。どんな目でユズリを見ているか知らないけど、性格は良いからね、ユズリは。ちなみに僕は――」

「悪そうですね」

「まぁね。でもまぁ、それがわかるなら――」

 その先の言葉は止められたが、かぐやは察している。

「……わかっています。あの子は、私と兄を護ってくれました。震える体を抑えて、勇気を振り絞ってお見舞いに来てくれたのに、あんな態度で追い返した私まで……それもついでなんかじゃない。必死に身を挺して、真剣な目で……きっと、優しい子です」

「でも許すことはできないわけでしょ?」

「それは……っ」

 かぐやは言葉に詰まった。

「まあ、僕が言いたいことは特になくて、最低限の報告と頼まれ事を済ませたんで、さっさと消えるとしますよっと。お大事に」

 粋は手をひらひらさせて背を向けた。

 その小さな背に、かぐやは声をかける。

「待ってください。ユズリさんに頼まれたということは、意識はあるということですよね?」

「鋭いね。ただ、そうとも限らないのが厄介なとこでね。別にユズリが昏睡状態でもユシュ――あー、霊素体……って言ってもわからないか。まあ、別人の意識経由で知ることも不可能じゃない、場合もあるわけで。まあだからって意識がないとも、僕は言わないけど」

 かぐやは唇を噛みしめる。苦し紛れに、会話を続けた。

「……あの子は、なんなんですか? どうしてあんな怪物たちに狙われているんですか?」

「えー、それについては本当に申し訳ないんだけど」

 粋は困り顔で振り返る。

「話が長くなって面倒くさいから、他の人に聞いてくんない?」

「えっ――」

 かぐやはポカンと口を開けた。おそらく凛とした彼女のそんな表情は、今後見られるかどうかわからないほど珍しいだろう。

「では一体、誰に――」

「竹中さん――は、しばらく安静か。そうだなぁ……沢峰さん――あの黒服の女の人わかる? あの人ユズリオタクだから、あの人にでも聞いてみれば? なんならここに来るよう言っておくけど」

「……お願いします」

 かぐやは謎の悔しさがこみ上げるも、それを抑えつつ、頭を下げた。

 帰り際、粋が鋭い目で言い残す。

「別に詮索するのは構わない。だけどユズリを傷つけるなら、それならこっちからお見舞いに来ておいて勝手だけど、もう関わらないで欲しい。僕の友人の忘れ形見ってだけじゃない。辛い思いをいっぱいしてきてるんだ。大切な仲間に、これ以上傷ついて欲しくないからさ」

 適当でやる気のない印象しかなかった少年が見せた、威圧的な顔。かぐやが答える前に、あくびを残して粋は去っていった。


 間もなく飛んできたのは、黒服の女――沢峰であった。

 かつて、かぐやの護衛にも来てくれていた。会話はなかったが、存在は覚えている。とても真面目そうな印象だ。

「ユズリちゃんの話と聞いて! 飛んできましたが!」

 そんなものは一撃で吹き飛んだ。

 ゼハゼハ言いながら駆け込んできた女に、かぐやは軽く引いた。引きつった顔のまま、これならばもしかしたら、とダメもとで聞いてみる。

「あの……ユズリさんの容体は……?」

 すると手品師並の手際でどこからかハンカチを取り出した沢峰は、それをサングラスの縁に当てながら口を開いた。

「くぅぅ……我らが天使ユズリちゃんは! 現在! 意識が戻っていないと聞いております!」

 かぐやは頭を殴られたような衝撃を受けた。

 粋の言葉を疑っていたわけではないが、本当に意識がないとは思っていなかったのだ。

「重症……なんですか?」

「どうでしょう。原因は外傷によるものではなく、過度な力の行使によるものとのことですが……彼女の場合、力を使うことどころか活動そのものすら負担ですので、おそらくは自ら進んで眠っているのではないかと。……しかし、その件に関しましては口惜しいながら、天馬の刃の方が詳しいはずですが、彼は何と?」

「えー……面倒だと」

「あのリーダーは! まったく!」

 立腹する沢峰を見て、かぐやは自分の小さな嘘に罪悪感を覚えた。

「それで、ユズリちゃんの話を聞きたいとのことですが?」

「ええ、そうですね。私は彼女のことは、兄の護衛対象としか聞いていませんので、詳しい事情がわからないんです。それで――」

「わかりました。こちらに私が知る限りを記した彼女の軌跡――『エンジェルヒストリー』があります」

 どこからともなくノートが三冊現れ、押し付けるように渡される。

「聞くも涙、語るも涙のユズリちゃんの歴史を――今! あなたのもとへ! 御覧になっている間、彼女が聖霊騎士団に来てからの写真をまとめたスライドを準備しましょう!」

「え、いえ……それは別に結構です」

 そんな言葉は届いていないようで、いそいそとプロジェクターを取り出しながら、

「……あ、涙で濡らしても大丈夫ですよ。電子データでいくらでも再生できますので」

 そう言った。

 妙な人物を寄越した粋に、軽く苛立ちを覚えながら、かぐやはエンジェルヒストリーの一巻に目を落とした。


 それは意外にも主観のない事実の羅列……だが、やはりそれだけであるはずはなく、離れたところに感想がびっしり並んでいた。むしろそれがかなりの範囲を占めていた。とはいえ、感想を目にしなければ、しっかりと情報が入ってくる優れた資料であった。

 かぐやはしばし、時間を忘れて没頭する。

 何度も出てくる「久遠寺夕凪」という名。ユズリにとって重要なのだろう。沢峰の感想にも嫉妬の言葉が並んでいる。しかし、笹巻や沢峰、吉田……彼らとは違い、かぐやには覚えがなかった。

 いや――彼女は記憶の底から、いつか兄の口から聞いた言葉の中に、その音を見つけた。

「夕凪さんのおかげで、かぐやの治療費が払えるッス! これで治るかもしれないッスよ!」

 一度聞いた恩人の名。それは確か「夕凪」だったはずだ。面識がなく、以降あまり耳にしなかったせいで記憶には薄いが、間違いない。

 救われていた――ユズリの恩人に、自分も、そして兄も。

 かぐやは心を震わせながらも、ノートを読み進めていく。ユズリの歩んできた道。ノートにまとめられたそれは、時に飛び出す壮大なスケールの話も相まってか、まるで物語のようにかぐやの胸に入っていく。内容が内容だけに楽しくはない。

だが、胸が高鳴る。

 しかしその高鳴りは、ある部分に差し掛かったところで大きく跳ねて、まるで別のリズムを刻み始めた。

 久遠寺兄弟、消滅――。

 動悸が止まらない。

 重く暗い人生を送ってきた同じ年頃の少女の希望が、自分と兄の恩人が――途中で察してはいた。これだけユズリたちと深く関わりながら、その姿を見ることはなかったのだから。

 心の唯一の拠所。それはかぐやにとっては兄だ。それと同じだけのもの、いや、認めたくはないが、あるいはもっと大きいものかもしれない、それを――ユズリはすでに失っていた。

「さぁ、かぐやちゃん! 準備ができました! これが我らが天使のメモリ……どうされました?」

 涙も出ない。かぐやは呆けたように、どこにも焦点を合わさず目を開いていた。

「あれ? かぐやちゃん? あの――上映会、始めてもよろしいでしょうか?」

 返事はない。しばらく見守っていると、かぐやはゆっくりと目を閉じた。

「お休みですか? では上映会はまたの機会に――」

「沢峰さん」

 沢峰の言葉を遮って、かぐやは口を開いた。

「ユズリさんに、会わせてもらえませんか?」


「ふふふ、まさかこの私が規律を破り、ユズリちゃんの病室に忍び込もうとしているとは、みなさん夢にも思わないでしょうね」

 不敵な笑みを浮かべる沢峰と、浮かない顔のかぐやは、病院地下の暗い廊下をこそこそと歩いていた。

「しかしユズリちゃんの寝顔を! 私と共に! 見たいとは、かぐやちゃんもなかなか見どころがありますね」

「まあ、ええ、そうですね。ありがとうございます」

 普通の病棟ではない。聖霊騎士団関係者のための、秘密の空間なのだろう。警備状況が気になるほど、誰もいない。

「あ、ここお兄さんの病室ですよ」

 声を潜めて沢峰が言う。情報漏洩に備えてか、名前どころかネームプレートもない。

 かぐやは開けたい衝動にかられるが、ぐっと堪えた。

「寄っていきますか?」

「後にします」

 ここでリスクを冒して捕まることがあれば目標は達成できない。すべきことを済ませてから立ち寄ればいい。

 二人は先を急ぐ。

「まあ私のパスがあれば、ほとんどは問題なく突破できるわけですが……」

 言葉通り、すいすい進んでいく――が、最後の扉の前で、沢峰は止まった。

「残念ながら、ここだけは通行許可が下りてはいません」

「ここが――」

「ええ、ユズリちゃんの病室です」

 暗い廊下の最深部。そこにユズリの部屋はあった。

「どうにか、できますか?」

 不安そうに尋ねるかぐやの頭を、沢峰はそっと撫でた。

「どうにかしましょう」

 沢峰は辺りをきょろきょろ見回す。

「ふむ……」

 何やら頷くと、唐突に棒と布を取り出し、はりぼてのソファーを組み上げた。見た目だけはそれっぽいが、おそらく腰掛けると一秒ともたない。それでも暗がりでは違和感なく見えた。

「さ、かぐやちゃんはこの中に……狭いですが少しの間、我慢してください」

 かぐやは言われるがまま、わけもわからずソファーの下に潜り込む。それを確認すると沢峰は親指を立てた。

「嬉しかったです。共に観たいと言ってくれて」

「え?」

「ですが、犠牲なくしてこの先の聖域に足を踏み入れることはできません。ですので――今回はあなたに譲りましょう」

「は――?」

「ユズリちゃんを愛する者同士、この絆のために、私は――っ!」

「え? あの……?」

 戸惑うかぐやをよそに、何やら覚悟を決めたらしい沢峰は、自身のパスを機械に通した。

 途端、警報が鳴り響く。すぐさまいくつもの足音が、沢峰の背後から聞こえてきた。

「いたぞ! 沢峰だ!」

「やっぱり現れやがったな!」

「あの変態をユズリちゃんの病室に近づけるな!」

「抜け駆けなんて許さないわよ! 沢峰!」

 黒服の男女たちにもみくちゃにされる沢峰。その隙に誰かの懐からカードを抜き取り、床を滑らせてかぐやのもとへ――。

「私の分まで、ユズリちゃんの寝顔を――っ! あわよくば写真を――っ! あなたに、幸あれ……っ!」

「誰に何を言ってやがる、この変態!」

「おとなしくお縄に着け! サボった仕事が溜まってんぞ!」

「……っ! なんだこいつ、戦闘訓練の時より――遥かに強い!」

 病院の中とは思えない喧騒が、徐々にかぐやから離れていく――。

「……なんなの、あれ」

 かぐやは疑問に思ったが、深くは考えないことにした。

 深呼吸を一つして、託されたカードを機械に通す。すると警報は鳴らず、扉が開いた。

 おそるおそる中に入ると、窓がないこと以外は普通の病室と変わらない、ユズリが眠る部屋に辿り着いた。

「長旅ご苦労さん」

 突然の声にぎょっとする。その声の主を見ると、志桜粋がそこにいた。

「志桜さん……?」

「資料見たんでしょ? ユズリの警備があれだけなわけないじゃん。問題はなさそうだけど、一応経過観察も必要だしね」

 聖霊騎士団最高クラスの警備がそこにはあった。

「そう……ですね。沢峰さんを送り込んだ時点で、ここまで予測済だったわけですか?」

「さあ? あー、ユズリ。一応言っておくけど、別に仕向けてはいないからね」

 眠り続けるユズリに、粋は声をかける。

「……で、僕さぁ、こういうのホント苦手なんだけど、そろそろ起きてくんない? ユズリ」

 しばらくすると、ユズリの長いまつ毛が揺れ、やがて目を覚ました。

「おはようございます、志桜さん」

「おはよう、ユズリ。じゃあ僕ちょっと寝るね。なんかあったら起こして」

 と言って、何も気にせず対角線のベッドに潜り込み、気持ちよさそうに寝息を立てた。

 残された二人の少女の間に沈黙が流れる。それを破ったのは、ユズリだった。

「……あの、お加減はどうかな――どうですか?」

 労わるような表情。かぐやはツンと返す。

「おかげさまで……敬語、要らないわ。同い年でしょ?」

 資料を見た彼女は、近い年ごろではなく、ぴったり同じであることを知っている。

「あっ、ごめんなさい……」

 ユズリは尖った耳を下げ、しゅんとした。

「……あなたは、どうなのよ」

「わたし? わたしはまだ本調子じゃないけど、慣れてるから大丈夫だよ」

「……そう」

 力なく、それでも笑う彼女の顔でかぐやは安堵する。それにしてもまさか、先に自分の身を案じられるとは思わなかった。ここに来ている時点で、大事であるはずがないのに。

「えっと、その……かぐやちゃんは、どうしてここに?」

「迷惑かけたでしょう? そのお詫びと、助けてくれたお礼よ。道中、沢峰さんに聞いたわ。あなたが力を使ってくれなかったら、お兄ちゃんはもっと重傷だっただろうって……ごめんなさい。それと、ありがとう」

「そんなっ……わたしだってあの時は竹中さんに助けてもらったし、それに仲間だもん、お礼なんて必要ないよ。もちろん、かぐやちゃ――かぐやさんだって、わたしがそうしたくて力を使ったんだし、気にすることなんて……」

 かぐやは不満げな顔をしかける。が、その前に別の声がユズリの胸元から聞こえてきた。

『……ユズリ、お礼も謝罪も、受け取らないとダメ。せっかく差し出したのに、行き場をなくしたら、困る』

「あ――そっか、そうだね。どういたしまして、それと大丈夫だよ、かぐやさん」

 ぺこりとするユズリ。

「あなたが――ユシュさん、ですね」

『……うん』

 ユズリの首から下がった小瓶のネックレス、その中の双葉が静かに揺れる。

「あなたにも……ありがとうございました」

『……うん。でもこれからは気をつけて。いつでも助けられるわけじゃない』

 自身を創った神に背き、生物のためにその身を差し出した世界樹は、やはり寛大であった。

 お礼と謝罪を終えたかぐやは、また黙ってしまう。しかし今度は、自分からその沈黙を破ってみせた。

「……ごめんなさい」

「え? それはもう聞いたよ?」

 ユズリは首を傾げる。

「今度のは――何も知らずに、あなたを傷つけたことに対して、よ。あなたがあんなに辛い目に遭ってきたなんて、知らなかったわ」

「えっと……誰かに聞いたのかな。あのね、そんなに大袈裟なことじゃないんだ。もちろん辛いこともあったし、今でも辛いんだけど……良いことも、あったから。すごく少ないけど、それでも何にも負けないくらい良いこと、あったから」

「……久遠寺夕凪、さん?」

 その名を聞いたユズリの頬に、さっと赤みが差した。

「うん……」

「その人……お兄ちゃんも、私も救ってくれていたのね。知らなかったわ」

「うん。すごく優しい人だったから」

「そんな恩人の願いが、あなたの幸せなのね」

「えっ? ……たぶん、わたしだけの幸せではないような……聖霊騎士団むしんけいランキングでんどういり? らしいから……」

 残念そうにユズリは微笑む。

「きっと、かぐやちゃんも、みんなも含めて幸せになって欲しい――そう願う人だったよ」

「そう……でも、少なくともあなたの幸せも願っていたわけでしょう?」

 かぐやは強めに言った。

「うん……」

 ユズリはそこまで押してくる意図がつかめず、疑問ながらに頷いた。

「恩人の願いを無碍にはできないわ。だから私が、あなたの幸せのために何かしてあげる。私にはその義務があると思う……ねえ、なにかある?」

「えっと? 別にない……かなぁ。そんなわざわざ何かしてもらったら、わたし気にしちゃうから……そういうの慣れてなくて、ごめんね」

「…………」

 かぐやはがっくりと肩を落とす。

「それにわたしが竹中さんを危ない目に遭わせているのは、間違ってない。だからかぐやさんはわたしのこと、もっと怒ってもいいんだよ」

「そんなの、もう怒る気にならないわ、色々知っちゃったらね。大体、初めからあなたが悪いわけじゃないことくらい、わかってた」

 ……また無言の間。

 しかし今度はユズリでもかぐやでもない、別の者によってそれは破られた。対角線の布団の端から、寝ぐせ頭が覗いている。

「あのさ、人が寝てる横でまどろっこしいことダラダラ続けないでくれるかな、竹中妹」

「…………」

「大人ぶるなら、大人になり切りなよ。面倒くさい。大体ユズリもユズリだよ。いくら人付き合いの経験が浅いからって、この僕でも察するようなことを……無神経ランキングに推薦するよ?」

「え?」

「要するにお見舞いでのいざこざは水に流して、改めて仲良くしてくれってアレでしょ? 竹中妹」

「……まあ、そう、ね」

「だってさ、よかったねユズリ。友達できたよ、おめでとう」

「え? え?」

「じゃあ僕二度寝するね。元気になったなら、早めに帰ること。じゃ……」

 言うだけ言うと、粋は再び布団をかぶり、眠りについた。

「……ということで、あの……ユズリ、でいいかしら。厚かましくて言いにくいんだけど、よろしくしてもらえる?」

 その言葉でユズリの戸惑いは吹き飛び、満開の笑みが咲いた。

「うんっ。よろしくね、えっと――かぐやちゃん!」

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