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第一章 お見舞い

 地下深くにあるとは思えない、広々とした訓練場。この日は担当地域の巡回を他の班に任せて、第一班の戦闘訓練が行われていた。

 笹巻と吉田、沢峰と竹中、粋とユズリが一対一で戦っている。まずは軽い防具と殺傷性の低い模擬武器を使って、生身での訓練。

「せあッ!」

「ぐぅ――ッ!」

 あっけなく吉田の剣が宙を舞い、喉元に切っ先が突き付けられる。

「ま、参った」

 開始から二分の決着。吉田はがっくりと肩を落とした。長年、それも生真面目に戦闘員として鍛錬してきた笹巻の武術は、なかなかのものだ。吉田も一年ほどは努力してきたが、まだ競るほどにも至らない。

「癖も弱点も見えた。ここからは指導だな。吉田、武器を取れ」

「ああ、よろしく頼む」

 そうして黒服の男と冴えない男は再び武器を手に相対する。

 一方、沢峰と竹中はまだ途切れることなく戦っていた。沢峰は槍、竹中はハルバードと、お互い長物を扱って、遠距離中心の間合いで睨み合っている。

「ふッ――!」

 鋭い呼吸音、沢峰の槍が最短距離で竹中の胸元へ走る。

「なんの……ッス!」

 際どい所で槍を払いのけるが、その動作が大き過ぎた。突きと同時に接近の踏み込みをしていた沢峰は、そのまま回し蹴りを決めて、竹中を後方へ蹴飛ばした。笹巻同様、彼女も腕は立つ。槍と、粋に倣って脚技を器用に使いこなす。今の竹中が敵う相手ではない。

「続けましょう、竹中さん」

「ッス。お願いしまッス!」

 こちらも再び戦い始める。ピリピリした空気の中、まだ余力があるならば、集中力が途切れないように休憩も取らない。命懸けで戦うための訓練だ。そこに甘さはない。

 ただ一人を除いては――。

「ふんふん」

 二組の訓練を見つめ、満足そうに頷く寝ぐせ頭。少年は、よそ見をしながら拙い剣筋を軽々と避け、大振りは起こりの前に片手に持った剣で手元を押さえて不発とさせる。

 彼に立ち向かう相手は、小柄な粋よりも更に小さな緑髪の少女、ユズリだ。

「あっちも頑張ってるね。悪くない。ほら、ユズリも頑張って」

「えいっ! やあっ!」

 達人――そう称されるほどの戦闘技術を持った聖霊騎士団エース格「天馬の刃」と戦闘訓練を始めて一月そこらのユズリでは、試合すら成立しない。

「ほら、もっと無駄な力を抜いて。普段の素振りはそこまで酷くないんだからさ」

「はい。やっ! やあっ!」

「違う違う。止まった状態から、振りかぶりから振り下ろしまで一気に、素早く。起こりが見え過ぎ。攻撃の匂いを消して、軌道を隠すんだよ」

 ユズリが剣を振ろうとする度、鍔元を軽々切っ先で押さえられ、ついには振ることすらさせてもらえなくなった。

「構えがなんのためにあると思ってんの。そこから一瞬で斬るためだよ。構えてから振るまでに無駄な動きがあったんじゃ、それはもう構えじゃないんだって」

 優しい口調の指導。反撃されるわけでもない。しかしユズリは苦しそうな表情を見せる。

「剣に慣れないなら使わなくてもいいけど、素手でも植物操作でも同じだからね」

「はい。ふっ、ふぅっ!」

 言われたことができない。それは未熟な分、仕方のないことではあるが、それでも改善できない自分への不満が募っていく。それが焦りとなって雑な一振りになろうとした時――。

「はい、終わり」

 剣が叩き落され、痺れた手は力なく下がり、首に刃がぴったりと当てられていた。

「落ち着いて、丁寧に。訓練だからってそんなんじゃ、怪我するよ」

「すみません……」

 ユズリはぺこりと頭を下げた。

「みんなもストップ! 今から憑装しての模擬戦ね。室内だから暴れ過ぎないように」

 笹巻達四人はピタリと声をそろえて返事をし、霊珠を出して憑装する。

 粋とユズリ以外は全員サイバー型で、姿は変わらない。

「ユズリは休憩。みんなの動きをしっかり見て、勉強しといて」

「はい。ありがとう、ございました……」

 息を切らしながら、その場にちょこんと体育座りをする少女。彼女自身の体力もあるが、彼女の霊素体、世界樹の双葉であるユシュの体力も考慮しての休憩だ。実際の戦闘を見据えて憑装状態での訓練もしたいが、虚弱なユシュを憑装させるリスクを考えるとそう頻繁には行えない。

 ユズリの隣で、粋は腕を組んで隊員たちの実戦訓練を見つめた。

 笹巻が剣を片手に接近する。同じく剣を持った吉田は、初太刀をあっさりもらった。

 だが――、

「よいしょおっ!」

 気にせず振り抜いた反撃の刃が笹巻を吹き飛ばした。笹巻の剣が当たっていた場所には、金属の機械鎧が現れていた。

 沢峰対竹中――背中からブースターを噴かせた竹中がハルバードで強烈な突きを放つ。技にキレがあるわけではない。沢峰はどうにか避けるが、追撃の薙ぎ払いに沈む。

「ふんふん」

 粋はまた頷いている。

 サイバー型と呼ばれる人工霊素体。霊素体の支配が強ければ機械鎧の姿に変身する。だがそれでは簡単なプログラム通りの動きしかできない。だからこそ強い意志の力でもってサイバー型を抑え込み、身体強化の恩恵にのみ与るのが一般的な戦闘員で、笹巻や沢峰もその例だ。

 だが、吉田と竹中はその一歩先、自らの意思でサイバー型本来の力を一部引き出すことができる。それは天馬の翼を生やす粋と、難易度は違えど同じ能力だ。弱みを握られた使い捨てとはいえ、かつて鬼羅に選ばれた二人には霊素体と戦う才能があった。最初は上手く扱えなかったものの、粋に習い、訓練を始めて三ヶ月でものにしてみせた。

 生身での訓練とは正反対の対戦結果。そして目標を考えたとき、重視されるのは憑装時の戦闘能力だ。

 笹巻と沢峰も強敵との戦いには慣れている。すぐに立ち上がり、接戦に持ち込むが、やはり基本的な能力の違いに劣勢を強いられる。

「ユズリ、よく見ておくんだよ」

「え?」

 不意に向けられた言葉に、ユズリは目を丸くする。

「なんのために訓練するのか。弱い相手に勝つなら暴力で充分。自分よりも強い相手に勝つために、武術はあるんだ」

 笑みを浮かべる粋の視線には、笹巻と沢峰の姿があった。

 戦力差に怖じることなく、武器を握って立ち上がる。熱い闘志を氷の中に閉じ込めて、わずかな隙も逃さんと、呼吸すら忘れて相手を見つめている。

 笹巻は剣を上段に構えた。防御はしづらくなるが、あらかじめ振りかぶることで、その動作を省略することができる攻撃的な構え。それからじりじりと歩み寄り、間合いを詰めていく。

 吉田は余裕か、勇気か、何も考えていないのか、剣をひっつかんで懐を目がけて駆ける。

 そしてお互いの間合いに入った瞬間、吉田は上段の笹巻よりも早く振りかぶり、振り下ろした。だが、そこには誰の影もない。

 回り込むように足を捌いた笹巻は、背後から吉田の首筋に剣を振り下ろした。渾身の一撃を急所に受けた吉田は地面に沈んだ。

 沢峰は竹中の猛攻に手を焼いていた。加速装置の付いた突きは攻撃の速さのみならず、その前後の隙すらも少なくしている。避けてから反撃しようと試みるが、その頃にはもうその場に相手はいない。

 竹中の攻撃はシンプルだ。高速で無駄の少ない最短距離を走る突きでのヒットアンドアウェイ。能力差を活かした、相手にとっては最も厄介な攻撃手段の一つ。

 しかし最短最速は良くも悪くも単純だ。竹中は同じ技を見せすぎた。

 竹中のブースター付き踏み込みの初動を見た沢峰は、ゆらりと姿勢を歪ませ、笑みを浮かべて言った。

「天馬流・参の型……」

 高速で迫るハルバード。それが突かんとする瞬間、沢峰の体がブレた。

「絶技・朧突き!」

 そう叫ぶと同時、竹中は遥か後方に突き飛ばされ、武器は手を離れて地面を転がり、目を回して倒れた。

 一足先に敗れ、目を覚ましていた吉田が目を見開く。

「なんだ、今の技は……」

 その眼前、得意げな顔で仁王立ちする沢峰は、サングラスをスチャスチャさせて語る。

「脱力し、姿勢を崩しながら一歩下がり、間合いを誤魔化します。相手は届くはずの一撃が一歩分、届かない。その隙にカウンターを入れる――天馬の刃から教わった技です。私は天馬の刃から授かった技は全て天馬流とし、それぞれ名前を付けています。ノートにも書き込み、パソコンにも文書や動画を保存、無論バックアップも完璧です」

 とても早口で話す彼女の傍ら、粋は額に手をやっている。

「それやめてって言ってるのに……」

「何を言いますか! あなたは上司にして我が師も同然。その教えを大切にすることに何の問題がありますか!」

「いや、変な名前つけないでよ」

 ぎゃいぎゃいと何を言っているのかよくわからないが、おそらく抗議の言葉を並べる沢峰を置いて、彼女の「秘伝・天馬流ノート」に目を通した吉田は、

「ふむ。自刃と見せかけて敵を驚かし、隙を作る絶技・虎騙し……死んだふりから奇襲をかける絶技・死者の怨念……こすい技ばかりだな」

 と感想を述べる。

「なんか文句あんの?」

「ない。最高なせこさだ。俺にも教えてくれ、お前の卑怯な技の数々を!」

 瞳を輝かせる吉田に、粋は呆れた視線を送る。

「それさぁ、半分くらい冗談なんだけど」

 その言葉に真っ先にショックを受けたのは当然沢峰だ。

「なっ……天馬流が、私たちの天馬流が! あの絶技の数々が冗談? 確かに使いづらい技もありますが。いえ、それよりも! 命を懸けた戦いに向けた訓練で冗談を教え込むとは何事ですか!」

「だから使わないようにって教えているはずだよ。沢峰さんは頭固いから使おうと思って技を使っちゃダメなんだって。読みやすいし隙デカいし。訓練を重ねれば、自然と体が動くようになるから」

「くっ……それっぽいことを……っ! どうせ私をからかってもいるのでしょう!」

「……多少は、まぁそんな要素も」

 そんな口論をよそに、吉田は更に距離を詰める。

「いや、構わん。卑劣で姑息な戦法の数々……俺の好みだ。半分は使えるのだろう?」

「たぶん」

「俺も極めるぜ! 天馬流!」

 ぐっと拳を作り、意気揚々と声を張る冴えない男。

 ふと、空気を震わせない、あまり馴染みのない声が聞こえる。

『あの、粋』

「どしたの、アトエ」

 口数少ないペガサスの霊素体、アトエが粋の刀の霊珠から声をかけていた。

『いえ、その……天馬流の天馬というのは私のことですよね』

「だろうね」

『その小賢しい流派に私の名前が使われるのは大変遺憾なのですが』

「いや、それは僕に言われても……」

 張り詰めた訓練が一息つけば、賑やかな班員たち。

 わいわいと楽しそうな面々を見て、緑髪の少女の顔も自然と綻ぶ。そんな彼女のもとに、竹中と笹巻がやってくる。ごろつきのような青年と黒服の男、見た目は怖いが、性格は優しいことを少女は知っている。

「ユズリちゃん、笹巻さんと相談して、ちょっとお願いがあるんスが。その……妹のことで」

「はい?」

 ユズリは金色の瞳をぱちくりさせて、首を傾げる。

「お前のためにも関係のあることだ。ユズリ、以前お前は竹中の妹に衣服をもらったはずだが……その礼は済ませたのか?」

「……あっ。いえ……わたし、忘れていて……すみません」

 無理もないことだ。その機会もないまま夕凪が消滅し、半年もの間、精神が壊れかけていたのだから。

「俺に謝ることでもないだろう。それに竹中もそれとなく事情を伝えていると聞く。ただ、お礼がてら不安を抱える竹中妹と、友達になってみてはどうかと思ってな。お前も同性同年代の友達と遊んでみるのも、悪くはないと思うぞ」

「ユズリちゃん、ぜひお願いするッス!」

「友達……」

 ユズリはその言葉を噛みしめる。確かに惹かれる。だが不安も大きい。しかし、もしも夕凪がこの場にいたのなら……喜んで背中を押してくれるだろう。ならば悩む必要もない。

「はい! わたしの方こそ、お願いします!」

 いつも彼女は花が咲いたように笑う。この笑みも、温かな日差しに照らされた花のように、曇りなく輝いていた。

 それを遠くから眺め、そして間近の吉田を見て、粋は一言。

「こっちの笑顔は汚いなぁ」

「ふへへへ、天馬流における効果的な目潰しは――っと」

「ふふん、この項です。名は絶技・霧鮫と言いまして――」

「……汚いなぁ、大人の笑顔は」

 そう呟いたところで、訓練時間終了を告げる鐘の音が鳴らされた。


 訓練場でのお願いから三日後、ユズリはさっそく退院を間近に控えた竹中妹の元へ訪れようとしていた。頂いた衣服に身を包み、赤いポシェットを提げ、手はフルーツ盛り合わせの籠を抱えている。

 隣には竹中と、その反対には眠そうな粋が並んでいる。

 粋以外は緊張の面持ちで、病院の敷地を跨いだ。

「そういや妹さんって名前、なんて言うの?」

 あまり興味はなさそうだが、粋は沈黙が居心地悪く、聞いてみる。

 すると竹中はなぜか言い淀んで、

「あー、えっとッスね――」

 ただ病室の前に書かれているはずの名前など濁し切れるはずもないので、観念して答えてみせる。

「……かぐやッス」

 少しの間、静寂が流れた。

 粋は以前の出来事を思い出し、竹中が答えたくなかった理由を悟る。

「ご両親、夕兄と同じレベルのネーミングセンスなんだね……」

「――はいッス」

 肩を落とした竹中の背を、粋は優しく叩いた。

 ――とすると、粋はある疑問を抱く。

「あれ? じゃあ竹中さんの名前は?」

「うっ――」

 痛いところを突かれました、と言わんばかりに表情を変える男。当然こちらも濁し切れるはずがない。興味を持たれてしまえば、本部の名簿でわかることだ。

「……ッス」

「え? なんて?」

 聞こえない声で囁く竹中に、鬼のような追い打ち。やがて、絞るように竹中はその名を口にする。

「……全兵衛ッス。かの人物の倍優れた人間になるように、と」

「……ごめん。夕兄未満のネーミングセンスだったんだね、ご両親」

「――はいッス」

 そんな会話は、緊張でわずかに震えすらしているユズリの耳には届かなかった。その間にも歩は進み、自然と竹中に先導される形で目的の病室の前で一同は止まった。扉の横にある四つのネームプレートの一つに、たしかに「竹中かぐや」と書かれている。

「ここッス。一応、妹に話は通してあるんスが――」

 ひそひそ声で竹中は言う。

「どこまで?」

「志桜さんが機密は捻じ曲げるから気にしないで良いと言ってくれたんで、俺の今の仕事と、その護衛対象の女の子が以前服をあげた子で、挨拶しに来る……と。ユズリちゃんの事情は触れてほしくないこともあると思うんで、あまり話してないッスけど」

「ふーん。ま、そこまで済んでるなら話は早いか」

 頷いた粋は、ガラリと扉を開けた。

 瞬間、ピリリとした空気が流れたように感じ、ユズリは思わず一瞬尻込みした。粋や竹中は何も感じなかったようで、平気な顔して進んでいく。少女もやや遅れて彼らに続いた。

 白を基調とした清潔で広い部屋、独特の匂い。ベッドの三つはカーテンに覆われ、奥の窓際の元に、彼女はいた。

「かぐや、来たッスよ!」

 艶やかな黒く長い髪。ユズリと同じくらいの年頃で、いかつい顔の竹中と血が繋がっているとは思えない美しい顔立ち、白い肌。寡黙に見つめ返す物憂げな瞳は、まるで人形のようで――ユズリは言葉を失った。

「似てないね。義理?」

「志桜さん、第一声がそれッスか……実の兄妹ッスよ。いや、確かに似てないッスけどね」

 粋は気にせずズカズカと近づく。

「どうも、お兄さんの上司、志桜粋です。よろしく」

 一応買ってきた小さな花束を渡すと、彼女は表情を変えないままぺこりとお辞儀した。

「ほら、ユズリも」

 寝ぐせ頭の少年は、そっと少女の背を押す。

 ユズリはガチガチに緊張しながら、ぎこちなく果物の籠を差し出した。

「えっと、その……千石ユズリです。お礼が遅れてごめんなさい。以前はお洋服、どうもありがとうございました。あの……退院だって聞いて、その……お祝いと、良ければこれから仲良くして欲しいなって――」

 しどろもどろになりながらも、それなりの挨拶を並べるユズリだが、ふと違和感に気付いて言葉を止める。

 粋の時には伸びてきた手が、彼女の傍らから動かない。籠には目もくれず、黒い瞳がじっと見返している。その奥に灯る炎も、わずかに吊り上がった眉にも、対人経験の少ないユズリは気づけない。

「かぐや? どうしたんス?」

 竹中も異変に気付くが、詳しいことまではわからない。

 粋も様子の変化は見逃さないが、何がどうなどわかるはずもない。

 病室の少女はしばらくそのままで、ユズリは不安が大きくなり、少しだけ後退した。それを見て、かぐやは頃合いと判断したのか、固く結んでいた口を開いた。

「あなたが『ユズリちゃん』――ね」

 年不相応の大人びた口調と言葉遣いには、茨のように棘があった。そして彼女の言った「ユズリちゃん」という言葉は、名前に敬称をつけたものではない。聞いた言葉をそのまま発した無感情のものであった。

「は、はい」

 ユズリは雰囲気に呑まれながらも、懸命に返事をする。

「……よくノコノコと私の前に来られたわね」

「え? あの……」

「かぐや? 何を言ってるんス?」

 動揺するユズリと竹中。粋は平静を保ったまま、成り行きを見つめている。

「あの、お礼が遅くなったこと、本当にごめんなさい! わたし、その……あれからちょっと大変で、だけどかぐやちゃんには、そんなこと関係ないもんね。あの、それで機嫌を悪くしてしまったなら、わたし――」

 初対面の今、非はそれしか思いつかない。ユズリは必死に謝罪する。が、かぐやは今度は目に見えて顔を変え、怒りを露にした。

「そんなのどうでもいい! お礼? くだらないことを口にしないで! 仲良く? 冗談じゃないわ!」

 激しく振った細い手がユズリの差し出した籠を払い、籠ごと果物は床に落ち、転がっていった。さすがに竹中も顔を険しく、声を大にする。

「かぐや! 一体どうしたっていうんスか! ユズリちゃんが何をしたっていうんス! せっかくお見舞いに来てくれて、仲良くなってくれようと――ッ!」

「いらない! なにもっ、この子からなんて! こんなっ! こんなっ、お兄ちゃんを危険に晒し続ける子なんて、私、顔も見たくないわ!」

 その言葉で、竹中もユズリも閉口した。

 荒い息を何度か繰り返し、かぐやは粋の方を向く。

「志桜さん、兄から聞きました。兄はこの子を守るために、危険な最前線で戦い続けているんですよね。それでこんなに傷ついているんですよね」

 今や隠し切れない竹中の傷を指さして、かぐやは鋭い眼光を向ける。

「ん、まぁそういう見方もあるね。あと病院では静かにね」

 周りを見渡して、やりづらそうに返す粋。

「兄の上司、なんですよね? お願いします。兄をこの子の護衛から外してください。この子に関係ない、安全な仕事をさせてください! 私にとって兄は――もうたった一人の家族なんです! お願いします!」

 そうして粋にも怒りの炎を向けながら、しかし静かに抑えて頭を深々と下げた。

 粋は答えに困って、ぼさぼさ頭を何度か掻いた。

「まあ、僕は別にいいけど。色々どうにかするけど。でもそれは竹中さん――あー、お兄さんの意向次第でね。さすがにご家族の意見だけで、仕事を変えるわけにもいかないんで」

 すると彼女は、ようやく笑顔を見せて竹中を見た。

「聞いた? お兄ちゃん! 仕事、変えられるって! もう傷つかない、危ないことをしなくてもいいって!」

 初めて年相応な様子ではしゃぐかぐやを前に、ユズリはもちろん、竹中も複雑そうな顔をしていた。

「いや、その――かぐや」

「なに?」

 髪をかき上げて、余裕を取り戻した調子で応える少女に、竹中ははっきりと言った。

「変えないスよ、仕事。この子は俺と、それからかぐやの恩人の遺した形見なんス。そしてみんなの希望なんス。助けられた俺には護る義務がある。見て見ぬ振りなんてできねぇッス。それになにより、俺自身が護りたいんス。命を懸けてでも、この子と、みんなと、この世界を――俺たちが! それがやりたいことでもあるんス! だから心配は嬉しいッスけど、続けるッスよ!」

 唖然とする妹を前に、竹中は続ける。

「それに俺も志桜さんのもとで強くなったッス。そして、まだなるッス! なにより頼れる仲間もいるんス。みんなを護り抜くためにも、心配してくれるかぐやのためにも、死なねぇッスよ、絶対!」

 鼻息荒く拳を握りしめる竹中の顔が、ぐるんと粋を向く。

「ねっ、志桜さん!」

「え? ああ、うん。善処するよ。あと病院では静かにね」

 熱気から逃げるように短く答える上司、天馬の刃。

「だからかぐやは、何も気にせず――」

 と言いかけた時、白い枕が竹中の顔を打った。

「気にしないわけないじゃない! お兄ちゃんのバカ!」

「え? ちょっ――」

「もう出て行って! みんな出て行ってよ!」

 癇癪を起す直前、粋は二人を引っ張る形で病室を出た。そっとドアを閉めたところで、竹中は崩れるように両手を床につき、ユズリは俯いた。

「ユズリちゃん、すんませんッス! かぐやはあんな子じゃ――なかったんスけど。いや、とにかく傷ついたッスよね? 本当に申し訳ねぇッス!」

 四つん這いのまま、厳つい男は何度も少女に頭を下げた。

 ユズリは慌てて両手を振る。

「そんな! わたしのことは気にしないでください! わたしには、かぐやちゃんの気持ち、なんとなくわかる――と言ったら怒られそうですけど、わかる気がしますので」

 たった一人の大切な人――かぐやに自分を、そして竹中に夕凪を重ねてみると、彼女の激情が理解できる気がした。

「ユズリちゃん……そう言ってもらえるとありがたいッスが……本当に、こんなつもりじゃ……せっかく来てもらって、勇気を振り絞ってくれたのに……」

 ごつごつした強面の目は固く瞑られ、涙が滲み出ている。

「わたしより、今はかぐやちゃんのことを気にしてあげてください」

 立ち上がれない青年の肩に、少女の手がそっと置かれる。

「まあまあ、二人とも。これ以上ここにいたって仕方ないし、とりあえず本部に行こうよ。それと何度も言うけど、病院では静かにね」

 はい、と声をそろえて返す青年と少女。

 これは絶対面倒くさくて苦手な流れだ――と、憂鬱な溜息を吐く粋。三人並んで帰路についた。その表情は緊張ながらも希望があった、来るまでのそれとは違い、どんよりと暗く重いものであった。

「アトエ、どうしたらいいと思う?」

『私が知るわけないじゃないですか』

「だよねー」

 夕陽を前に、隠した刀に語り掛ける小さな背中が哀愁を誘った。


「というわけなんだけど笹巻さん、どうにかしてくんない?」

「お、俺か?」

 帰るなり机に突っ伏すユズリと竹中を置いて、粋が笹巻に事情を説明した。

「だって笹巻さんが考えたんでしょ? 今回のお見舞い」

「たしかにそうだが……ふむ、それが筋というものか」

 反論しようとしたが、粋の言うことはもっともで、すぐに頭を切り替える。

「しかし竹中の妹の不安は、兄の身を案じてのことだったか。情報が少なく、知れるはずもなかったが、安易に結論を出し過ぎたな」

「いや、反省は後でいいから。どうすりゃいいわけ?」

「どうするも何も……そう思われてしまった以上、放っておくしかあるまい。竹中妹の言うことも抱く感情も、間違っているわけではないのだからな」

 笹巻は肩をすくめる。

「ちなみに竹中さんを事務とかに追いやったら?」

「まぁマシにはなるだろうが、そんな程度の理由で変えていいものでもあるまい。それにユズリへの印象が良くなるわけではないだろう」

「ユズリへの印象ねぇ……いっそ、生い立ちを説明してみるとかどうかな」

 ユズリが歩んできた人生は軽くない。見方が変わる可能性は確かにある。

「同情を誘うわけか。今更逆効果じゃないか? そもそもニュースでも流れている怪物と戦う程度の話とは違って、ユズリの生い立ちなど途方もなさすぎて理解されるとも信じてもらえるとも限らん」

「そういうもんか……」

 と話していたとこどで、本部にアラートが響き渡る。

 すると死んだようであった竹中が突然、ガバッと勢いよく身を起こし、霊珠と武器をひっつかんだ。

「そうッス! 鬼羅を潰せば解決する話じゃないッスか! っしゃあ! 全部潰ッス!

残さず潰ッス!」

 ぶんぶんとハルバードを振り回して出ていった。

「うわぁ八つ当たりだ、あれ」

「しかし一理あるな。俺も筋を通すため、参戦しよう。ちょうど俺たちの管轄だ」

 笹巻も素早く準備を済ませて出撃する。

「……まったく、なんで僕がこんなんで悩まなきゃ――あ、確かにこれ鬼羅のせいだ」

 粋は日本刀を引っ掴む。

「ちょっとぶん殴ってくるか! アトエ、行くよ!」

『……あまり拳は得意では……』

「じゃあ蹴る、そして斬る!」

『であれば、まぁ……冷静にお願いしますね、粋』

 そうして天馬の刃は外に出るなり翼を広げ、銀閃を引いて大空を駆けていった。

「うっわぁ、今日の鬼羅の戦闘員はお気の毒だなぁ」

 直前、すれ違った瑞音は、粋の形相を見て呟いた。

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