プロローグ 夕凪のいない日常
書き溜めは少ししかありませんので、おそらく亀更新となります。
続編ですので、初見の方はまず前作の方のお目通しをお願いいたします。
どれほど需要があるかはわかりませんが、少しでも楽しんでいただけるように頑張ります。
「志桜さん志桜さん! 夕凪さんは、ろりこん? なんですよねっ!」
「ブッ――ッ!」
放課後、聖霊騎士団本部にやってきた粋を待ち構えていた少女が開口一番に発したセリフで、粋は缶コーヒーを吹き出しそうになり、堪えて飲み込んだことで大きくむせた。
「突然なに言ってんの、ユズリ?」
あまりに真剣な、そして焦ったような顔で言われるので、一蹴するわけにもいかない。しかし、いくら夕凪とはいえ、亡くなった後でそんな疑いをかけられては可哀想だ。
「えっと、あの……実はさっき、そこで、こいばな? をしていまして」
「ああ、そうなの?」
みんなに可愛がられているユズリだ。雑談好きな女性陣に混じって、そんな話をしていたのかもしれない。
「わたしは、その……やっぱり夕凪さんが好きでして、おつきあい? してみたかったんですけど……」
これまでの人生で馴染みのなかった単語は、自信がなさそうな発音だ。
「ふんふん。で?」
「それは夕凪さんが、ろりこん? でない限り、希望はないと言われまして……」
「…………」
なんてことを言うんだ――粋はとっさに言葉が出なかった。
「でも多分ろりこん? だから大丈夫だろうって――」
「誰だそんなことを言ったのはァ!」
思わず、そして珍しく声を張り上げた天馬の刃に注目が集まる。何事かと、すかさず集まって来るのは第一班の面々と瑞音だ。
「どしたの、粋。大声なんか出しちゃって」
「誰だよ夕兄をロリコン呼ばわりした奴は! 瑞音? 沢峰さん?」
「なんであたしなの……」
「心外です。思ってはいたとしても、この私が天使ユズリちゃんにそんなことを言うわけがありません」
「え、思ってんの? ……じゃなくて、じゃあ誰が――」
そこまで言ったところで、こそこそと褪せた背中を見せる男と、それを一斉に指さす一同。
「吉田さん」
全員の声が重なると、冴えない男はギクリと身を強張らせて止まり、恐る恐る粋へと振り向く。
「ほう……キサマかぁ。故人の尊厳を欠席裁判で踏みにじるクズは」
「いや、待て。お、俺はただ、ユズリを悲しませまいと、必死にだな……」
「言い訳するなら相手が違うでしょ。後を追わせてあげるから、あの世で本人に直接言ってきたら?」
すぅっと磨かれた日本刀が鞘から銀閃を引く。
「ははっ、物騒な冗談だな。ははっ」
「冗談じゃなかったとしたら?」
「笑い事じゃないな、はははっ――」
「じゃあ笑ってんじゃねーよ」
抜かれた刃よりも鋭利な眼光が吉田を襲う。
「……申し訳ございませんでしたっ!」
迫力に耐えかねた男は、額を地面に擦り付けた。
ふぅ、とため息を吐いて、粋は刀を納めた。
「まったく……」
確かに、夕凪なら泣きながら笑って許してくれそうではあるが。
呆れながら自席に向かおうとした粋の裾を、ユズリが摘まんだ。
「なに? ユズリ」
「あの、それでどうなんでしょう? 夕凪さんはろりこん? なんでしょうか」
「……吉田ァ」
「ひっ!」
面倒くさいことになって恨みの視線を向けると、吉田は怯えて逃げていった。
「……違う」
苦しそうに呟くと、潤んだ瞳が見上げてくる。
「違うんですか?」
「……可能性もなくはないかもしれないし、そうかもしれなくもないかもしれない」
「え? え?」
「じゃあはい、答えたから、この話題は終わり。仕事始めるよ!」
「なくも、なくもない――かも? んっと?」
混乱しているユズリをその場に残し、粋はさっさとデスクに着いた。目の前には、浮かない顔の強面男が座っている。年上の部下である竹中だ。
「はぁ……」
溜息が一つ。
「はぁぁ……」
また一つ。
そういえばさっき集まってきたメンツの中に竹中はいなかったようだ。ずっとこの調子なのだろうか。
また面倒くさそうな事になりそうだ。しかし誰かにアピールしている様子ではなく、真剣に何か悩んでいそうだ。そして仕事が手についていない。上司として、どうにかしなければならないのだろう。
「竹中さん、手ぇ止まってるけど」
「……え? あっ、す、すんませんッス!」
吉田と同時に入社してセットで扱われることの多い竹中だが、こちらはそこそこ常識的で、なにより善人で、粋も厳しく当たらない。
「なんか悩み事? 面倒だけど、良ければ聞くよ? 面倒だけど」
「いや、その……ええ? そう言われると相談しにくいんスが」
「大丈夫。そのままの方が視覚聴覚的にも、仕事のフォロー的にも面倒だから」
「……志桜さんは正直ッスよね。だからこそ信頼しやすいッスけど」
硬く暗かった表情が少し和らぐ。
「実は妹のことなんスけど……」
「あー、もうすぐ退院だっけ?」
かつて重い病にかかっていた竹中の妹だが、夕凪の資金援助や自身の稼ぎ、また聖霊騎士団医療班の介入もあって、みるみるうちに回復していった。退院予定日はちょうど一週間後の五月十五日と、間近に迫っている。
「そうなんスよ。なのに最近、全然元気がないんス――あ、体調の話じゃなくて精神的な話ッスよ?」
「わかってるよ。まあ普通は体調が良くなると精神的にも良くなりそうだし、竹中さんもそう思うから悩んでるんだろうけど――」
うんうん、と竹中は頷く。
「甘いね。僕には妹さんの気持ち、よくわかるよ」
「ホントッスか! ぜひ、是非にご教授お願いしまッス!」
勢いよく頼まれて、粋は少しだけ得意げになる。
「入院生活ってのはね……快適な空調、清潔なベッドで一日中寝ていられる、そんな夢のような日々なんだ――まあ症状によってはそうも言っていられないだろうけど。妹さんも昔は知らないけど、退院が決まった今、ある程度健康な体で寝放題の生活から世間の荒波に漕ぎ出さんとしているわけで、そりゃブルーにもなるよ」
「うちの妹に限ってそんな堕落した考え……いや、そもそも志桜さん、よく脱走してるじゃないスか」
「したくてしてるんじゃないし。ぶっちゃけ、もっと寝ていたいんだけどね」
これは本心である。しかし聖霊騎士団のエースとしての責務から、戦いが起これば粋は満身創痍でも駆け付ける。誰から命じられるわけではないが、そうしなければ失っていた命も多かっただろう。
「いや、でも妹は……俺の妹はそんな……俺なんかと違って、すげぇ勤勉でいい子なんス。入院中だって、よほど体調が悪い日でなければ、規則正しい生活リズムを保ち、自主的に勉強も欠かすことなく、それでいて……」
「あー、そうなの? でも他に考えられないし」
粋は反論をばっさり切り捨てる。もはや相談もこれまでか……示された答えの真偽がわからず納得もできない竹中がそう思い、肩を落とした時である。
快活な女性の声が割って入ってきた。
「竹中さん、無神経の刃さんに女の子の気持ちを聞いたって、わかるわけないよ」
瑞音はそう言って眼帯をつけていない方の目で、粋に呆れた視線を送る。
「そこで我々の出番というわけです」
その隣で腕を組み、立っているのは黒服サングラスの女、沢峰だ。
「おおっ!」
その姿を見て、竹中は声を上げた。妹と同性の瑞音ならば、たしかに粋よりも信頼できる。
「紫電の魔槍さん、沢峰さん、是非に答えを!」
「やれやれだねー。年頃の女の子がブルーになる理由なんて、一つしかないっていうのに」
「ですね」
「一つなんスか。で、それは一体――?」
竹中が必死に請うと、瑞音は胸を張り、口の端をわずかに上げて粛々と一言。
「……恋だね」
「恋ですね」
「いや違うでしょ」
すかさず粋は否定する。
「なんでよ!」
「そうですよ! 無神経の刃に何がわかるっていうんですか!」
粋が口を開く前に、竹中が身を乗り出して抗議する。
「妹に恋愛なんてまだ早いッス! だいたい入院中ッスよ? 一体どこの馬の骨がかどわかすって言うんスか!」
焦りに焦った強面の青年を前に、女性陣は余裕たっぷりにチッチッチと指を振る。
「甘いねぇ。竹中さんの妹ちゃんがいくつなのか正確には知らないけど、それくらいの年頃なら研修医とかにときめいちゃっても不思議じゃないんだよ。ユズリちゃんと夕凪さんみたいな歳の差になるわけでしょ?」
「そうですよ! 女の子のときめきはそこら中に落ちているものなんですよ!」
「そこら中に……ありがたみないッスね」
「落ちてんの? なんか汚らしいな」
両陣営の間に火花が散り、口論は加熱する。
「デリカシーないなぁ。そんなんだから夕凪さん二号と三号なんだよ」
「なっ……そこまで言うことないでしょ!」
「――ッスよ! 撤回を要求するッス。あそこまでは酷くないはずッス!」
「……紫電の魔槍。確かに言いすぎなのでは?」
「……うん。ごめん」
そしてお互い冷静を取り戻し、四人で頭を捻る。
そこへ笹巻が資料の束を抱えてやってきた。その異様な空気感を放っておける性格ではなく、当然のように声をかける。
「一体どうした?」
実は――と竹中は事情を語った。笹巻は一通り聞き終えた後、戸惑いながら口を開く。
「それは普通に退院後の生活が不安だからじゃないのか?」
キョトンとする一同。
「いや、なんだその反応。新しいクラスに途中から復学する人間関係の不安、授業についていけるか、体力的に体育はどうなのか、いくらでも思うことはあるだろう?」
「……ああっ!」
竹中は遅れて理解し、声を上げた。続いて沢峰も頷く。しかし聖霊騎士団エース格の二人はいまだに眉間にしわを寄せていた。
「えーっと……それが竹中さんの妹ちゃんの心配事なの?」
「いや、この身ひとつあれば最強でしょ。その程度で悩むわけが……」
唖然とする黒服二名と強面の若者。
憑装――霊素を使った戦いでは意志の強さが重要だ。貴重な霊素体を任され、戦場にて戦果を挙げ続ける彼ら二人の精神強度は、常人には計り知れない。
「……まあ、つまりは退院したくないってことだよね。四人の中では僕が一番近かったわけだから、無神経の汚名は返上ってことで」
「近いようで、まるで意味が違うんスが……」
「とにかく、原因がわかれば対策も考えられるでしょ。そろそろ仕事でもしますかね」